その夜——誰にも知られることなく、二人はたった一度だけ、運命へ身を委ねた。(私は……縁香を持たない丙のはずなのに……)辺りには、濃密な花の香りが満ちていた。薔薇よりも薔薇らしく。 芍薬よりも芍薬らしく。 百合よりも百合らしい。この世のものとは思えないほど、甘く官能的な香り。(それに……こんなに……溢れて……)自分の身体が、自分のものではないようだった。丙には劣情がある——そんな話は知っていた。けれど。(どうして、いきなり……?)熱は身体の奥から次々と湧き上がり、とても理性では抑えきれない。頬が熱い。息が苦しい。指先まで震えてしまう。(こんな姿……見られたくない)羞恥に耐えきれず、遥香の瞳から涙が零れ落ちた。その雫を、男は愛おしそうに舌先で掬い取る。「……っ」ぞくり、と背筋が震えた。胸の奥が甘く痺れ、膝から力が抜けそうになる。(なんて……)浅ましい。そう思うのに、本能は歓びに震えていた。「……見ないで、ください……」震える声で懇願する。こんな自分は、自分ではない。「分かった」男は穏やかな声で答えた。乱れた髪を、そっと指先で整える。その優しい仕草だけで、また身体が震えた。「……はぁ……」思わず熱い吐息が漏れる。男は静かに遥香の手を取り、その甲へ口づけを落とした。「俺は、一度守ると決めたものは、必ず守る」低く、揺るぎない声。「——君にもそう誓おう」月明かりの下で見つめるその瞳は、氷のように静かでありながら、奥底には激しい炎を宿していた。その真剣な眼差しに、遥香は小さく頷く。「……分かりました」自分でも信じられないほど素直な声だった。「あなたに……この身を委ねます」その瞬間、自分の大胆さに息を呑む。けれど身体は、心よりも正直だった。気づけば両腕は自然と男の首へ伸び、その温もりを求めていた。(……私の本当の姿は、こちらなのかもしれない)花の香りが、さらに濃く咲き誇る。二人は互いを求め合い、運命の糸を手繰り寄せるように、その距離を失っていった。◇◇◇翌朝。遥香はゆっくりと瞼を開いた。「ここは……一体どこ?」
Terakhir Diperbarui : 2026-08-11 Baca selengkapnya