All Chapters of フェロモンを持たない令嬢は、氷の軍神に愛される ——婚約者と妹に捨てられ殺されかけた私が、冷酷な軍神の凍った心を溶かすま: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話 さようなら、お姉さま(中)

遥香は、鉄格子に閉ざされた座敷牢に入れられていた。母親の遺影を、そっと置く。「お母さま……」父に踏み砕かれた額縁は外し、割れた硝子だけを取り除いていた。優しく微笑む母は、今も変わらない。「お母さまは仰っていましたね」遥香は写真へ微笑みかける。「どんなことがあっても、優しさを手放してはいけません、と」静かな部屋へ、小さな笑いが零れた。「でも……」ぽたり、と涙が落ちる。「この世に、本当に優しい人なんているのでしょうか」母は優しかった。誰に対しても。異母妹の小鈴にさえ分け隔てなく接し、いつも気に掛けていた。それなのに。どうして、あんな最期を迎えなければならなかったのだろう。「……そうね」遥香は鏡へ目を向ける。指先が首筋へ触れた。そこには、あの夜に刻まれた番の印。最初は鮮やかな紅色だったそれも、日を追うごとに薄れている。まるで夢だった。名前も知らない人。二度と会うこともない人。それでも——あの腕の温もりだけは、忘れられなかった。「私は、この先どんな目に遭うか分からない」小さく微笑む。「でも……」ゆっくり目を閉じる。「一度だけでも、自分で選んだ運命に出会えた」それだけは、誰にも奪えない。遥香はその思いをそっと胸にしまい込んだ。◇◇◇数日後。父・椿和馬は遥香を書斎へ呼び出した。「今夜、華族が集う夜会がある」机越しに言い放つ。「今夜中に、お前を妻として迎える男を見つけろ」遥香は黙って聞いていた。「もし誰にも選ばれなければ——」和馬は冷たく言う。「椿家から消えろ」その声に父親としての情はなかった。あるのは当主としての打算だけ。利益を生まない駒は切り捨てる。それだけだった。◇◇◇帝都最高峰の華族夜会。豪奢なシャンデリアの光が会場を照らし、着飾った華族たちが優雅に談笑していた。やがて司会者が高らかに告げる。「西条慶一郎様と、椿小鈴様のご婚約を発表いたします!」大きな拍手が湧き起こる。「おめでとうございます」「なんてお似合いのお二人でしょう」祝福の輪の中心で、小鈴は幸せそうに微笑んでいた。(やっと……)幼い頃から欲しかったもの。家も。地位も。慶一郎も。すべて、お姉様から奪った。(全部、全部、私のもの)あとは——椿遥香が落ちていく姿を見るだけだった。
last updateLast Updated : 2026-08-11
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第12話 さようなら、お姉さま(下)

慶一郎と小鈴が婚約を発表し、人々から祝福される中。会場の片隅で、遥香は人々からの侮蔑と好奇の視線に晒されていた。「あの方が例の……」「婚約破棄されたうえ、他の男性とも逢引きしたそうよ」「椿家もお気の毒ね」冷たい言葉が遥香へ突き刺さる。誰も真実など知ろうとしない。噂だけが一人歩きしていた。遥香は静かに会場を後にする。(お父様は、私を娶ってくださる殿方を探せとおっしゃるけれど、これほど悪評が立ってしまっては難しいわ。 それに、縁香も持たず、別の男との番の印を付けた丙を花嫁に迎えたい殿方がいるとは思えない)夜風を求めるように二階のバルコニーへ出る。冷たい風が涙を乾かした。「お姉様」甘い声が響く。振り返ると、小鈴が立っていた。「幸せそうね」遥香が静かに言う。「もちろん」小鈴は微笑んだ。そして一歩近付く。「全部、私が仕組んだことだもの」遥香の瞳が揺れる。「……え?」「慶一郎様を誘惑したのも」一つ。「路地で男たちに襲わせたのも」二つ。「あの噂を流したのも」三つ。「全部、私よ」小鈴は楽しそうに笑った。「どうして……」「決まっているでしょう?」首を傾げる。「お姉様が邪魔だったから」あまりにも当然のように答えた。「お姉様って、本当に人を疑わないのね」くすり、と笑う。「だから、とても利用しやすかった」その時だった。「……小鈴」低い声が聞こえる。慶一郎だった。遥香は最後の希望を込めて彼を見る。「今のお話……聞いていましたよね」慶一郎は苦しそうに目を閉じる。もちろん聞いていた。すべて事実だった。だが、ここで真実を認めれば、西条家の立場は失われる。「……世間体というものがある」その一言だった。「君が黙れば済む話だ」遥香は静かに目を閉じた。初恋は終わった。いいえ。きっと、ずっと前に終わっていたのだ。「でしたら」遥香は踵を返す。「皆様の前で真実をお話しいたします」その瞬間——小鈴が微笑んだ。「さようなら、お姉様」ドンッ——背中へ強い衝撃が走る。バルコニーの手すりから、スルリと身体が滑る感覚。「きゃあっ!」夜風が耳元を切り裂く。(落ちる——!)そう思った刹那、力強い腕が遥香の身体を抱き止めた。「危ない——」低く落ち着いた声。遥香
last updateLast Updated : 2026-08-11
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第13話 この腕に縋るしか……

朔の腕の中で、遥香は息を呑んだ。 (この香りは、もしかして……) 薄荷のような清涼感。その奥に、橘の花を思わせる柔らかな甘さ。 どこか懐かしいような、胸の奥をくすぐる香りだった。 (この方は、あの夜、私を助けてくださった方かもしれない) 遥香の胸に、淡い期待が灯る。しかし、すぐに愕然とした。 (あの時のような縁香が、私からは出ていない……) 運命の番は、出会えば必ず縁香が溢れる。そう言われている。 (この方は、私の運命の番ではない。あの夜の方ではないんだわ) 遥香はキュッと身体を強張らせた。 「大丈夫か」 低い声が落ちてくる。 その声を聞いて、遥香は朔を見上げた。 あの夜、闇夜の中で、互いの姿はまったく見えなかった。それでも、面影を探してしまう。 自分を包む男の、香りと温かい腕は、あの夜とあまりにもよく似ていた。 「はい……大丈夫です。ありがとうございます」 遥香がつぶやくと、朔の瞳は揺れた。凍てつくような色素の薄い瞳。しかし、その奥に、温かさがあるように、遥香は感じた。 朔の腕が、遥香の肩を優しくさする。傷付いた人間を労わるように、思い人を慈しむように。 遥香はパッとうつむく。 「どうした?」 「いえ……あの、気になさらないでください……」 遥香の瞳には、涙が滲んでいた。人に気遣われたことなど、久しくなかったのだ。 (そうだわ。今夜、椿家に戻ればどうなるのか――) 遥香は、この夜会に来た目的を思い出し、肩を震わせる。 今夜、自分を娶ってくれる人を見付けられなければ、今度こそ家の恥として処分されるかもしれない。 (この方に、縋るしかない……) 自分を助けてくれた、行きすがりの男。 軍服を着たこの男にとって、それは当然のことで、好意とは程遠いものかもしれない。 しかし、この夜会の中で、自分を気にかけてくれたのは、彼だけだった。 (私に、女性としての魅力があるとは思えないけれど……) 男に媚びることなど、したことがない。 ましてや、誰かを誘惑するなんて―― (……でも、やらなくちゃ) 遥香は小さく息を吸い、おそるおそる、男の軍服の袖を握り直す。 そして、ほんの少しだけ身体を寄せた。 すると、先ほどか
last updateLast Updated : 2026-10-13
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第14話 姉への疑惑

「お姉さま、大丈夫ですか?! 突然、ベランダから身を乗り出されて、わたくし、本当に心配いたしました!」小鈴は心配そうな声を上げながら二人に駆け寄る。遥香の腕を取り、そのまま朔から引き離そうとした。しかし、小鈴の手が遥香を強引に連れ去るより先に、低い声が響く。「誰だ?」朔の手が、小鈴を制した。「あ……」小鈴は思わず息を呑んだ。間近で見る朔は、遠目に見ていたときよりも、はるかに整った顔立ちをしていた。漆黒の髪に縁取られた端正な顔。冷たく見えるほど色素の薄い瞳。そして、隙なく着こなされた軍服。何より、その長身から漂う圧倒的な存在感に、小鈴は一瞬、言葉を失った。(……何、この方)胸は高鳴り、思わず、目を奪われてしまう。(ものすごく、いい男……)小鈴は、しゃなりと科を作る。自分が最も魅力的に見える角度でうつむき、まつ毛の影を瞳に落として答えた。「椿……小鈴ですわ」朔は、小鈴の仕草を不思議そうな顔で受け流す。「椿家のご令嬢か」「ええ、そうですわ」小鈴の声は弾んでいたが、朔の視界に、すでに小鈴は映っていなかった。彼は、遥香を労わるように、震える肩をそっと抱きかかえていた。(ちょっと! 私よりお姉さまのことが気になるというの?!)小鈴は憤慨した。しかし、すぐにピンと来た。(この方は軍人で、きっと、正義感の強い方なのだわ。 手すりから落ちそうになったお姉さまを放っておけないのね。 いいわ。私が目を覚まさせて差し上げてよ)小鈴は、今度は、顔に手を当て、肩を震わせ始めた。「ふ……うう……っ」すすり泣くような声。遠巻きに見ていた人々が、ザワザワと騒ぎはじめ、視線が小鈴に集まる。遥香は青ざめた表情で小鈴を見つめた。(そんな被害者のような顔をして同情を買うつもりね。なんて小賢しいのかしら。 見ていなさいよ。今度こそ、私が奪い尽くしてあげるんだから)小鈴は、涙をこらえるように語り始める。「お姉さまは最近、お心を曇らせることが多くて……」そこから始まったのは、小鈴が得意とする話だった。遥香と慶一郎が幼い頃から許嫁だったこと。けれど、家の事情によって、自分が慶一郎と婚約することになったこと。それ以来、遥香が悪い噂の的となるような行動を繰り返していること——小鈴は、まるで自分こそが遥香を心配している妹であるかの
last updateLast Updated : 2026-10-14
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第15話 夜会での交錯(上)

夜会場には楽団が奏でる音楽が優雅に流れていた。朔は、傍らを歩く女——椿家の長女に視線を落とす。長い髪がゆるやかに流れ、宵闇色のドレスからのぞく白い肩は、壊れそうなほどか細い。支えるように手を添えている背中も、あまりに頼りないように感じた。「あまり食べていないのか?」「え?」朔の質問に、遥香の瞳が揺れた。長いまつ毛を伏せ、何かを言いかけては口を閉じる。彼女の言葉を、朔は静かに待った。やがて、遥香は寂しそうに言った。「あの、私は丙で……」「だから?」朔の声は冷たかった。自分でも意外なほどに。先ほどベランダで長々と妹が話していたように、婚約者の男への未練があって、食が細くなっているのだとでも言うのだろうか。しかし、それも、どうでも良い。どうでも良いはずなのに、なぜか、胸がムカムカした。遥香は、朔の態度に動じなかった。ただ、少し言いにくそうに告げた。「不出来な丙の子女への教育では、そういうことがあると、聞いております」「そういうこと、というのは?」「ええと……あの、食事を抜く、ですとか、そういう類のことです」遥香の答えに、朔は絶句した。「それは教育とは言わないだろう」「そう、ですか……」遥香は再び目を伏せた。白い肩が、再び目に留まる。朔は、胸のムカつきを追い出すように、大きく息を吐いた。「そこの椅子にでも座っていろ」「はい……」壁際の椅子に掛けさせると、遥香は、ほうっと小さく肩を落とした。「痛みは?」「大丈夫です。ありがとうございます」遥香は遠慮がちに微笑みながら、朔を見上げた。先ほどまで強張っていた表情が、ほんの少しだけ和らいでいる。その顔は、夜会のドレスを着ているのが不思議なほど、あどけなく見えた。「良かった」朔は頷くと、ホールへと視線を送った。(こういう席には、食べ物があったはずだ。飲み物も飲ませた方がいい)「席を外す」そう言うと、朔は遥香に背を向け、歩き始めた。「あ……」朔の背中を見つめ、遥香は思わず、声を漏らした。(置いて行かれてしまった……)伸ばしかけた右手を膝の上に置き直し、左手をそっと重ねる。(私は、どうして、いつも上手くできないのかしら)丙なのに縁香も持たない。気の利いたことも言えない。(それは教育とは言わないだろう)先ほど、黒髪の軍
last updateLast Updated : 2026-10-15
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第19話 氷の軍神の求婚(下)

「俺には任務がある。旧華族とのつながりが必要だ。君にとっても、椿家を離れることは悪い話ではないだろう」 遥香は、俯いた。「……少し、考えさせていただけませんか」 朔は、無理もないことだと思った。結婚というのは、人生にとって一大事だろう。 しかし、彼女を取り巻く状況を考えれば、椿家から離れることには意味があるはずだ。「もちろん」 夜分遅くに失礼した。朔がそう告げようとしたとき、遥香は、静かに尋ねた。「……私は、何をすればよいのでしょうか?」 朔は少し考えた。「何もしなくていい」 「え……?」 「君に、何かを強いるつもりはない。今までどおり暮らせばいい」 結婚したからといって、彼女に特別な役割を求めるつもりはなかった。 自分には任務がある。彼女にも、彼女の人生がある。 必要な縁を結び、互いに不利益がないようにする。それで十分だ。 だが、遥香はなぜか、ますます戸惑ったような顔をした。 「ですが……妻になるのでしたら、私にも何か、できることがあるのでは……」 「無理に探す必要はない」 朔は、きっぱりと答えた。 彼女は、これまで家族から十分な扱いを受けてこなかったようだ。 ならば、せめて自分のもとでは、余計な苦労をせずに暮らしてほしい。 それ以上のことを求めるつもりはなかった。 遥香は、しばらく黙っていた。 やがて、諦めたように小さく頷く。 「……分かりました」 その声が、どこか沈んで聞こえたのは気のせいだろうか。 朔は、理由を考えかけて、やめた。
last updateLast Updated : 2026-10-19
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