時計の針が何度も回った頃、ドアノブがかすかにカチャリと音を立てた。春加が、帰ってきたのだ。相変わらず、俺の方を見ようともしない。バッグを壁のフックにかけると、そのままベッドに倒れ込むようにして眠りに落ちた。体には、見知らぬ男物の香水の匂いがまだ残っていた。寝返りを打った瞬間、春加のスマホが鳴り続けていることに気づいた。手に取ると、光司からのメッセージだった。【社長、今日は駆けつけてくれてありがとう。慎吾さん、怒ってないよね?今度ちゃんと直接謝りに行くから】画面を見下ろしたまま、思わず指の関節をこわばらせた。指先をわずかに動かし、画面を上へ軽くスワイプした。ふたりのやり取りは、あからさまに親密だった。春加の返信頻度も、普段とは比べ物にならないほど高い。俺に向ける、あの氷のような冷たさが嘘のようだった。喉の奥が締めつけられるのを感じながら、静かに打ち込んだ。【彼女は眠った。俺も怒っていない。また明日、連絡してやってくれ】画面を消し、スマホを枕元に戻す。枕を抱え、ゲストルームで眠ろうと、きびすを返した。その時、手首を強く掴まれた。肌に伝わる体温が、やけに生々しい。足が、止まった。春加は目を閉じたまま、寝言のように呟く。「光司……私、ここにいるから」華やかで整った寝顔を見下ろし、俺は自嘲気味に口角を上げた。そのままそっと手を振りほどき、部屋を出た。……翌朝早く、部屋のドアが乱暴に開けられた。春加が袖をまくりながら、冷たい声で詰め寄ってくる。「なんで光司にあんなこと言ったの?光司がまだ若くて、どれだけ繊細か、知らないわけじゃないでしょう。そもそも、彼はただの新任秘書よ。いじめて何が楽しいの」俺はゆっくりと瞼を上げ、怒りをにじませた春加の瞳を見つめた。「ただの、秘書?寝言で秘書の名前を呼ぶ上司が、この世のどこにいる?」春加は一瞬、体を強張らせた。顔がわずかに引きつる。「……っ。彼とは、ただの上司と部下の関係よ。呼び慣れているだけ。夫のくせに、器の小さいこと言わないで」俺は春加を見ないまま、ただ静かに頷いた。「ああ、これからも好きなだけ呼べばいい」春加は苛立った様子で、いきなり俺の腕を掴んできた。「光司とは、やましいことなんて何もないわ。慎吾、いい加減に
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