All Chapters of 愛してるので、あなたの敵は全員殺します~最強殺し屋JKと極道成り上がり~: Chapter 1 - Chapter 10

11 Chapters

設定とプロフィール

作品設定物語の舞台となる灰戸市は、巨大港湾、歓楽街、再開発地区、古い工業地帯が一つの都市に同居する人口約百八十万人の湾岸都市である。表向きには物流と観光によって急成長を続けている一方、港湾荷役、解体、廃棄物処理、警備、不動産、歓楽街の利権には巨大指定暴力団《冥堂会》が深く食い込んでいる。冥堂会は一枚岩ではなく、十二の有力一家と数十の傘下組織が互いに牽制しながら利益を分配しており、行政、警察、企業の一部にも長年形成された癒着が残されている。継真が物語序盤で巻き込まれる《錆川組》は冥堂会の三次団体であり、組員数も資金力も衰えた弱小組織である。古い歓楽街の一角を縄張りとしているものの、近年はより若く暴力的な勢力に仕事を奪われ、上納金さえ満足に用意できない。行き場を失った男、前科者、元半グレ、借金を背負った若者などが集まっており、継真にとって最初の居場所であると同時に、裏社会の矛盾を学ぶ場所となる。物語開始時点の継真は正式な極道ではない。十九歳で高校卒業後、進学せず物流会社の夜勤と集金代行を掛け持ちしており、裏社会の末端業者から危険な仕事を押しつけられても拒めない立場にいる。しかし数字、顔、声、会話の矛盾を記憶する能力が非常に高く、誰が誰を恐れ、誰が誰から金を受け取っているかを一度見ただけで組み立てることができる。戦闘では雛菊に到底及ばない一方、物語が進むほど交渉、資金、人事、情報操作を武器として使うようになり、銃を持つ人間を撃たずに屈服させる男へ変化していく。雛菊は裏社会で《不死身》と呼ばれているが、超常的に死なない存在ではない。幼少期から徹底的に生存技術を叩き込まれ、危険に対する恐怖反応が極端に薄く、これまで何度も死亡したと噂されるほどの重傷から戻ってきたため、その呼び名が定着した。依頼先の思想や所属には興味がなく、提示された条件だけで動く完全なフリーランスだったが、継真との出会いによって初めて依頼より優先したい人間を持つことになる。雛菊の愛情には常識的な尺度が存在しない。継真が風邪を引けば真剣に世界中の医者を集めようとし、彼が誰かに殴られれば殴った本人だけでなく命令した人間、その協力者、その資金源まで敵として数え始める。ところが自分自身が撃たれたり斬られたりすることには頓着せず、血を流したまま「継真さんが無傷なので今日は百点です」と笑う。物語を通じて継真は
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第1話 死ぬには安すぎる夜

灰戸港の高架道路を、最後の大型トラックが低い唸りを残して走り去った。鵜飼原継真は配送センター脇の端末へ退勤時刻を打ち込み、凝り固まった肩を回した。午前一時を少し過ぎている。夜勤を終えた身体には、もう帰って風呂へ入り眠る以外の予定はなかった。ところが社員通用口へ向かったところで、背後から「鵜飼原」と低く呼び止められた。振り返ると、下請け会社の主任が黒い鞄を片手に立っていた。普段なら現場の作業員へ直接話しかけることなどほとんどない男で、襟元まできっちり締めた白いシャツにも、夜勤明けの倉庫には似つかわしくない清潔さが残っている。主任は挨拶もせず鞄を差し出したが、継真は受け取らなかった。革製の鞄には封印具が通され、黒い樹脂札まで取り付けられている。物流会社で働いていれば、開封防止ではなく、開けた人間を特定するための封印だと分かった。「これ、ホテル・アルディスまで持っていけ。二時までだ」主任は腕時計を確認しながら言った。継真が鞄ではなく相手の顔を見ると、男の視線がほんのわずかに横へ逃げる。その一瞬だけで、残業を頼んでいる人間の態度ではないことがはっきりした。「配送票は」「ない。俺の仕事を手伝うだけだ」「受取人は?」「着けば分かる。中身を見るな。途中でどこにも寄るな。誰に声をかけられても渡すな」主任は最後に「余計なことは考えるな」と付け足した。考えるなと言われるほど、考えない理由がなくなる。継真は鞄へ視線を落とした。中身までは読めなくても、普通の会社の荷物でないことだけは確かだった。「俺、もう勤怠切ってますけど」「手当はつける」「そういう話じゃなくて、社用の配送なら記録を――」「鵜飼原」主任の声が一段低くなった。周囲では残っていた作業員たちがパレットを片づけていたが、誰もこちらを見ない。正確には、一度だけ見てから全員が視線を外した。継真はそこで言葉を切った。この会社では、ときどき伝票のない荷物が動く。冥堂会の名を直接聞いたことはないが、その傘下と噂される警備会社や運送会社の車両が夜中に裏口へ入ってくることは珍しくなかった。そして、その仕事を拒んだ契約社員が翌月には配置表から消えていることも、一度や二度ではなかった。高校を出てから一年、継真は昼の集金代行と夜の物流倉庫を掛け持ちして生活していた。会社へ逆らって職を失えば困るのは自分で、嫌だと思うことと
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第2話 愛の告白と死体の山

灰戸港の倉庫街には、銃声が消えたあとも金属の余韻だけが残っているようだった。鵜飼原継真は冷たい壁へ背中を預けたまま、目の前の少女から視線を外せずにいた。黒いセーラー服の上へ薄手のパーカーを羽織り、腰近くまで伸びた黒髪をまとめた姿は、夜更けのコンビニ前に立っていても不思議ではない。けれど右手には拳銃があり、足元には数分前まで継真を殺そうとしていた男たちが倒れている。その中心で少女だけが、初めて好きな菓子を見つけた子どものように頬を明るくしていた。「これが恋なんですね」少女はもう一度確かめるように呟いた。それから胸元へ当てていた左手を離し、ひどく真面目な顔で継真へ向き直る。「お名前を教えてください。好きな人の名前を知らないのは困ります」継真は答えなかった。代わりに抱えていた黒い鞄を身体の脇へ引き寄せ、少女との間に二歩分の距離を作る。さっき自分を助けたことと、安全な人間であることはまったく同じではない。むしろ複数の男をほとんど呼吸も乱さず倒した直後なのだから、警戒を解く理由は一つもなかった。少女は拒絶されたこと自体には傷ついた様子を見せず、「あ、先に私が名乗るべきでした」と納得したように頷いた。「洲脇雛菊です。雛菊は花の雛菊で、洲脇はちょっと書きにくいほうです。十八歳、高校三年生です。身長は百六十二センチで――」「そこまで聞いてない」「そうですか?」雛菊は不思議そうに首を傾げた。継真は眉間を押さえたくなるのを堪えた。自分の唇にはまだ血が残り、腹部には殴られた鈍痛が沈んでいる。倒された男が呻いているのに、雛菊の自己紹介だけが学校の教室で交わされるものと変わらない調子だった。「高校生が、何でこんなところにいる」継真が質問を変えると、雛菊は「あ、それですか」と軽く言った。隠すべきことを尋ねられた者の間もなければ、嘘を組み立てる視線の揺れもない。「仕事です。今夜、この辺りに荷物を持った人が来るので、運ぶ人と受け取る人を消してくださいって頼まれてました」数秒、継真は言葉の意味を正しく受け取れなかった。雛菊の視線が自分の腕にある黒い鞄へ落ち、それから何でもないように顔へ戻る。その順番を見て、ようやく自分の中で答えが形になった。「……運ぶ人って、俺か」「たぶんそうですね」「たぶん?」「依頼の説明では顔写真も来てましたので、間違いないと思います」雛菊
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第3話 あなたを殺す依頼、キャンセルしました!

鉄扉の向こうで靴音が止まり、その直後、金属の取っ手がゆっくり下がった。鵜飼原継真は黒い鞄を抱えたまま、洲脇雛菊の細い背中越しに入口を見据えた。倉庫内には倒れた男たちの呻きと、遠くの港から届く低い機械音しかない。雛菊は銃を構え直し、まるで授業開始の合図を待つ生徒のように静かに呼吸していたが、その右足だけはいつでも踏み込める位置へ半歩引かれていた。「待て」継真が低く言うと、雛菊は顔だけを振り向けた。すぐそこまで追っ手が来ているのに、琥珀色の瞳には焦りがない。むしろ次に何をすればいいのか命令を待っているようで、そのことが継真には妙に引っかかった。「戦う必要はない。逃げられるなら、それでいい」「え?」雛菊は本気で意外そうな顔をした。鉄扉の外で誰かが小声で合図し、別の足音が建物の側面へ回っていく。継真にはその音が聞こえているのに、雛菊はなお数秒きょとんとしてから、当然のことを説明するように首を傾げた。「でも、殺したほうが早いですよ」「早いかどうかじゃない」「違うんですか?」「少なくとも俺は、逃げられる相手まで殺せとは言ってない」雛菊は黙った。その沈黙は反発ではなく、今まで持っていなかった考え方を頭の中へ置くための時間に見えた。継真は彼女の表情を見ながら、これまで依頼人たちはどういう指示を出してきたのだろうと思う。対象を止めろ、消せ、逃がすな。おそらくそこへ「生かしておけ」という条件が加わることは、ほとんどなかったのだ。「じゃあ、逃げるんですね」「できるならな」「分かりました。継真さんがそうしたいなら」返事はあっさりしていた。自分のやり方へ固執する様子がないことに、継真はわずかな違和感を覚えたが、考えている余裕はなかった。鉄扉が数センチ開き、外から懐中電灯の白い光が床を舐める。雛菊は継真の袖を掴むと、倉庫の奥へ視線を向けた。「裏に搬入口があります。鍵はかかってますけど、壊せます」「音を出すな」「じゃあ開けます」言葉の違いが分からないまま雛菊が頷き、二人は積み上げられた木箱の陰を縫って奥へ進んだ。継真は腹部の痛みを庇いながら足を速め、背後から入ってきた人間たちの靴音へ神経を集中させた。少なくとも三人が正面から入り、一人は右側の壁沿いを回っている。さらに外へ残っている人間がいるらしく、離れた場所で車のドアが一度だけ閉まった。搬入口の脇には古い
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第4話 黒い手帳

灰戸港から三駅離れた歓楽街の外れに、二十四時間営業の漫画喫茶があった。看板の半分は照明が切れ、入口脇の自動販売機だけが妙に白く光っている。鵜飼原継真は店へ入る前に一度だけ通りを振り返り、自分たちを追ってくる車がないことを確かめた。倉庫街からここまで、乗ったタクシーを途中で降りて徒歩へ切り替え、さらに人通りのある商店街を迂回している。そこまでしても胸の奥に貼りついた警戒は消えず、コートも持たず作業着のまま歩いてきた身体には、夜明け前の冷気がじわじわ染み込んでいた。受付では、眠そうな若い店員が二人分の身分証を求めた。継真が社員証ではなく運転免許証を出す横で、洲脇雛菊は学生証を差し出し、「ペア席でお願いします」と何の迷いもなく言った。継真はすぐに「別でいい」と訂正したが、雛菊は本気で理由が分からない顔をする。最終的には継真が広めの個室を一つ取り、雛菊は隣の個室へ入るという形で落ち着いたものの、彼女は受付を離れるまで何度も「護衛なのに壁があります」と不満そうに呟いていた。個室へ入ると、安い消臭剤と古いカーペットの匂いが混じっていた。低い机、くたびれた合皮の座椅子、壁に埋め込まれた小型モニター。継真は靴を脱ぐより先に扉の鍵を確認し、黒い手帳を机の上へ置いた。漫画を読むために借りた場所ではない。人目を避けて中身を確認し、今後どう動くかを決めるための一時的な避難所だった。ほどなくして、雛菊がノックもせず扉を細く開けた。継真が顔を上げると、彼女はコンビニ袋を片手に立っている。「鍵、かかってました」「かけたからな」「開けました」「どうやって」「簡単な鍵なので」その説明だけで十分嫌な予感がした。継真が何も言わず見ていると、雛菊は「壊してませんよ」と付け加え、当然のように中へ入ってくる。袋からペットボトルの水とサンドイッチ、それに小さなカッププリンを二つ取り出した。「継真さん、何も食べてないですよね」「お前もだろ」「私はプリンがあります」「それは飯じゃない」「卵と牛乳なので、かなり飯寄りです」継真は反論する気力を失い、サンドイッチだけ受け取った。夜勤前に食べたおにぎりから何時間経ったのか考えると、空腹を自覚した途端に胃が重く痛んだ。殴られた腹部とは違う場所だった。雛菊は継真の向かいへ座り、プリンの蓋を丁寧にはがした。右手で小さなスプーンを持ち、左手では拳
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第5話 不死身の雛菊

漫画喫茶の個室に差し込む朝の光は、窓のない店内では時計の表示でしか分からなかった。午前六時四十分。鵜飼原継真は机の上へ伏せていた黒い手帳を鞄代わりのビニール袋へ戻し、長く息を吐いた。眠ったつもりはほとんどないが、二時間ほど記憶が飛んでいる。隣の個室にいるはずの洲脇雛菊へ声をかけようと立ち上がったところで、床に小さな赤黒い点が落ちていることへ気づいた。最初は誰かがこぼした飲み物かと思った。しかし点は個室の入口から廊下へ続き、その先で途切れている。継真はしゃがみ込み、指先を近づけるまでもなく、それが乾きかけた血だと分かった。昨夜、自分は頬を切り、腹を殴られたが、出血するような傷はもうない。視線を上げると、ちょうど隣の扉が開き、雛菊がコンビニの袋を片手に戻ってくるところだった。「おはようございます。継真さん、コーヒー飲めます?」「腕を見せろ」「はい?」雛菊は袋を持ったまま立ち止まった。黒いセーラー服の袖口、その右側だけがわずかに濃い色へ変わっている。継真が近づいて手首を掴むと、彼女は抵抗せず、むしろ何をされるのか興味深そうに見上げた。袖を肘まで捲ると、細い腕の外側に布を裂いたような傷があり、簡単に巻かれたガーゼが赤く染まっていた。「これ、いつやった」「昨日です」「昨日のいつ」「倉庫で最初の人たちと会った時だと思います。たぶん金属片が当たりました」「思います、じゃないだろ」継真は思わず声を低くした。雛菊は叱られた理由が分からないように傷口を見下ろし、それから「ああ」と小さく頷く。自分の身体のことなのに、他人から指摘されて初めて思い出したような態度だった。昨夜から何度も腕を動かし、銃を扱い、走り続けていた。それなのに痛いとも動かしづらいとも、一度も口にしていない。「血、止まってないじゃないか」「減ってますよ。昨日より」「病院行くぞ」「普通の病院はちょっと」「保険証がないとか言うなよ」「あります。でも、この程度で普通の病院へ行くと説明が面倒です」雛菊は笑って答えた。学校へ遅刻した理由を説明したくないという程度の軽さだったが、継真はその笑顔を見ても安心できなかった。銃撃や殴打があった場所で負った傷を、病院でどう説明するつもりなのかという問題は確かにある。それでも、だから放置するという結論へ迷いなく進める感覚は理解できなかった。「じゃあ、どこ
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第6話 高校三年生、職業は殺し屋

午前七時を回った頃、鵜飼原継真は駅前のコインロッカーから預けていた荷物を取り出し、スマートフォンの画面をもう一度確認した。《黒い手帳を返せ。午前九時、会社で待つ》。送信元は登録のない番号で、返信しても既読表示すらつかない。主任からは八時までに来いと言われ、別の誰かからは九時を指定されている。会社の中で意思が統一されていないのか、それとも二つの時間を使ってこちらの動きを測ろうとしているのか、まだ判断できなかった。黒い手帳は作業着の内側に入れ、さらに薄いビニール袋へ包んでいる。金額らしき数字と《冥堂会本部》の文字が並ぶものを持ち歩くこと自体が馬鹿げていると分かっていても、置き場所を探している余裕はなかった。会社へ向かう前に人目のある場所でどう動くか考えるつもりだった継真は、隣で制服の襟を整えている洲脇雛菊を見て眉を寄せた。右腕には槙埜琴葉が巻いた白い包帯があり、袖口からわずかに覗いている。「じゃあ、その前に学校へ行きます」雛菊はごく自然に言った。「……何の話だ」「学校です。今日は一限目に数学の小テストがありますので」継真はしばらく返事ができなかった。昨夜から襲撃を二度受け、殺害依頼を破棄したせいで雛菊自身も狙われている可能性があり、九時には黒い手帳を要求する人間が会社で待っている。その状況のどこに小テストを差し込む余地があるのか、頭の中で順番を入れ替えてみても答えは出なかった。「休め」「嫌です」「命を狙われてるんだぞ」「でも欠席すると補習なんです」「補習と命を同じ秤に乗せるな」「補習、放課後に一時間半ありますよ」雛菊は深刻そうに眉を下げた。継真が冗談かどうか見極めようとしても、その表情には本物の嫌悪しかない。「しかも担当が田名部先生なんです。途中式を書かないと全部やり直しなんですよ。答えが合っててもです」「教師として普通だろ」「すごく厳しいです」「殺し屋より怖いのか」「数学の補習は撃って終わらせられませんから」継真はこめかみを押さえた。琴葉から《不死身》と呼ばれている理由を聞いてまだ一時間も経っていない。銃創や刃物傷を負っても仕事へ戻る少女が、補習だけは本気で避けたがっているという事実が、どうにも頭の中で噛み合わなかった。「小テストだけ受けて、すぐ戻ります」「学校に何か持ち込む気じゃないだろうな」「武器ですか?」「他に何が
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第7話 護衛料金は、あなたの隣

会社へ向かうには、歩き続けるより車を使ったほうが早い。鵜飼原継真は駅前のロータリーで流しのタクシーを止めると、洲脇雛菊を先に後部座席へ乗せ、自分もその隣へ滑り込んだ。運転手へ物流会社近くの交差点を告げ、会社名そのものは口にしない。濃紺のセダンがまだ遠くからついてくるのをサイドミラーで確認しながら、継真は黒い手帳の入った内ポケットへ無意識に手を当てた。車が大通りへ出ると、雛菊は窓の外へ顔を向けたまま「監視の車、まだいますね」と言った。声は明るいが、視線はガラス越しに後方の流れを拾っている。学校で小テストの点数を気にしていた時とは別の集中が戻っているのに、彼女自身には切り替えた自覚すらないようだった。継真はその横顔を見ながら、昨日から何度も頭へ浮かびながら後回しにしていたことを、ここで決めるしかないと思った。「雛菊」「はい」「護衛の話、ちゃんと決めるぞ」彼女はすぐに継真へ向き直った。琥珀色の瞳がぱっと明るくなり、肩までわずかに弾む。「契約ですね!」「何で嬉しそうなんだ」「継真さんと契約できるんですよね?」「そういう言い方をするな」継真は低く返し、前席の運転手がバックミラー越しに一度だけこちらを見たのを確認した。会話の内容が聞かれて困る状況ではあるが、途中で別の場所へ降りるつもりなので、細部まで理解されなければ問題はない。それより、雛菊が善意だけで自分の前へ立ち続ける今の状態のほうが危険だった。「昨日から、お前は勝手に俺を守るって言ってる」「はい」「そのせいで怪我もした」「かすり傷です」「そこを軽く扱うなってさっき言っただろ」雛菊は包帯の覗く右腕を見て、「そうでした」と素直に頷いた。継真はその反応に軽く息を吐き、言葉を選ぶ。彼女を止めたいわけではない。今この街で自分を守れる人間が必要なのも事実だ。それでも、好きだからという一言だけで命を張られ、その結果を全部雛菊自身の責任にしてしまう形だけは受け入れたくなかった。「好意だけでやらせる気はない。護衛なら条件を決める。俺が頼んだ仕事として、何をするか、どこまでやるか、先に決める」「報酬もですか?」「払える範囲なら」「いりません」即答だった。継真が黙ると、雛菊はむしろ不思議そうに首を傾げる。「昨日も言いましたけど、好きな人を守るのにお金をもらうんですか?」「仕事にするって言ってる」
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第8話 殺す前に名前を聞く

後部座席のドアノブがもう一度外側から引かれた。ロックが外れないと分かると、窓へ顔を寄せた男が苛立ったように唇を歪め、「降りろ」と低く言う。鵜飼原継真はその顔を見返しながら、隣の洲脇雛菊へ視線だけを動かした。彼女の右手はバッグの中へ入っていたが、さっき継真が告げた「まだだ」という言葉を守り、銃を抜こうとはしていない。前後を塞ぐ車、歩道を行き交う通勤客、怯えた運転手。ここで一発でも撃てば、相手だけではなく無関係な人間まで巻き込む可能性がある。「まだ殺すな」継真が改めて言うと、雛菊は小さく頷いた。「分かりました」不満は見えなかった。むしろ、どうすれば条件を守ったまま継真を守れるのかを考えているように、琥珀色の瞳だけが静かに男たちの位置を追っている。右側に二人、左側に一人、前方のワゴン付近に二人。上着の内側へ手を入れている者はいるが、まだ銃口は見えない。継真がそこまで確認した瞬間、運転席側の窓を叩いていた男がドアを開け、運転手の肩を掴んだ。「降りろ。巻き込まれたくなきゃな」運転手は青ざめ、シートベルトを外そうとする。継真は止めなかった。ここへ残せば人質に使われる可能性があるし、逃げられるならそのほうがいい。運転手が震える足で外へ出て歩道側へ逃げた直後、後部座席の右側にいた男が窓ガラスを硬い物で叩いた。「雛菊」「はい」「人がいる。銃は最後まで抜くな」「では、手でやります」あまりにも自然な返事に、継真は一瞬だけ言葉を失った。次の瞬間、ガラスに二度目の衝撃が入り、亀裂が走る。雛菊はロックを外して自分からドアを開け、外にいた男の体勢を崩した。相手が想定していなかった方向へ扉が押し出され、膝がわずかに曲がった瞬間、彼女は男の手首を掴んで身体を回し、そのまま路面へ押さえ込む。別の男が背後から腕を振り上げたが、雛菊は振り返るより先に肩を沈めてかわした。肘を相手の脇腹へ入れ、呼吸が止まったところで足を払う。倒れた男の頭が道路へ直接ぶつからないよう襟元を掴んで勢いを殺したことに、継真は遅れて気づいた。いつもの彼女なら、そこまで加減する理由はなかったはずだ。「継真さん、これなら大丈夫ですか?」「確認してる場合か」「大事なので」言いながら、雛菊は三人目の腕を取った。関節を逆方向へ曲げかけたところで一度止まり、何か考えるように手の位置を変える。それから痛みで抵抗で
last updateLast Updated : 2026-08-24
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第9話 冥堂会

午前九時を過ぎても、配送センター周辺には夜勤明けの匂いが残っていた。大型車の排気と濡れたアスファルト、荷台から漏れる段ボールの乾いた匂いが混じり、鵜飼原継真にはつい昨日までの日常がそのまま続いているように見えた。だが、胸元には黒い手帳があり、少し離れた場所には自分を守ると言い張る殺し屋の少女がいる。見慣れた街並みのほうが、もう自分だけを置き去りにして普通の顔をしているようだった。継真が選んだのは、以前から夜勤明けによく使っていた喫茶店だった。配送センターから歩いて五分ほどの古い店で、入口のガラスには手書きのモーニングメニューが貼られている。昼前には運送会社や整備工場の人間で混むが、この時間なら客はまだ少ない。店内を見渡した継真は、入口と窓の両方を視界へ入れられる奥の席を選び、洲脇雛菊には少し離れたカウンターへ座るよう頼んだ。「隣じゃ駄目ですか?」「お前がいると、信人が余計に警戒する」「私、普通の高校生に見えますよ」「昨日からその言葉を信用できなくなった」雛菊は少し頬を膨らませたものの、素直にカウンターへ移った。制服姿でカフェオレを注文し、メニューに載った厚焼きトーストを真剣に眺めているだけなら、確かに周囲の客から浮いてはいない。けれど鏡張りの柱を使って継真の姿を確認し、一度も完全には視線を外さない。その目の動きを知っている継真には、どれほど自然に座っていても彼女が護衛を続けていることが分かった。河芽信人が現れたのは約束の時刻を六分過ぎた頃だった。二十二歳で、昨年まで同じ配送センターにいた元同僚である。契約終了後に別会社へ移ってからも、ときどき仕事の愚痴を送り合う程度の付き合いは残っていた。普段なら入店した瞬間から手を上げて笑う男なのに、今日は継真を見つけたところで足を止め、まず店内を一周するように見回した。「……生きてたんだな」最初に出た言葉がそれだった。継真は返事を急がず、信人の顔を見た。目の下には寝不足らしい影があり、右手はジャケットのポケットへ入れたまま出てこない。心配していた人間の顔にも見えるが、驚きのほうが強すぎる。「死んだと思ってたのか」「いや、そういう意味じゃなくて。昨日、会社で事故があったって聞いたから」「事故、ね」信人はそこで目を逸らした。店員が水を持ってくると、まだ注文も決めていないのにアイスコーヒーを頼み、グラスへ
last updateLast Updated : 2026-08-24
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