蛇口の水は、まだ出しっぱなしだった。つま先立ちでレバーに手を伸ばすと、袖口がカウンターに触れ、冷たい水が手首を伝って袖の中へ入り込んできた。胸に残っていた最後の期待まで、洗い流すように。航平は入り口に立ち、苛立った声を出した。「たかが数センチ違うだけで、そんな顔することないだろ」「15センチよ」水を止めてかかとを下ろす。ふくらはぎは、だるさで震えていた。「図面では洗面台は80センチだった。今は95センチ。クローゼットも吊り戸棚も、玄関のフックも、全部高くなってる」航平が顔を上げた。「そこまで測ったの?」「私が住む家だから」最初のプランは、十数晩も夜更かしして、少しずつ練り直したものだった。80センチにしたくてショールームを7か所も回り、タイルも間接照明も収納も、表にして1つずつ確かめた。工事の終盤だけは、費用を捻出しようと残業続きになり、現場の確認を航平に任せていた。工事のグループチャットには一部分の写真しか送られてこない。赤ペンで丸をつけた寸法がすべて変えられていたと、今日初めて知った。「これからは僕が取ってあげればいいだろ?」あまりにも当たり前のように言うので、ふと3年前のことが浮かんだ。当時住んでいた古いアパートも、カウンターが高すぎた。航平は工具を借り、一晩かけてキッチン収納の棚板を全部低くし、机の脚まで短く切ってくれた。いつか2人の家ができたら、何もかも私に合わせる。背伸びして我慢させるようなことは、絶対にしない。そう言っていた。なのに今、手を洗うにも服を掛けるにも踏み台を運ばなければならない家を、私に差し出している。そのうえで、ときどきは手伝ってあげると言う。「航平、自分の家で物を取るたびに、人に頼むような暮らしは嫌なの」「踏み台をいくつか作るだけだよ。そんなにお金もかからないだろ」答えになっていなかった。窓の外はもう日が落ちたのに、リビングのセンサーライトはつかない。私は部屋の中央へ進み、スマートスピーカーに話しかけた。「リビングの照明をつけて」「認識できませんでした。もう一度お話しください」無機質な電子音が、暗闇に冷たく響く。もう一度言っても、結果は同じだった。玲奈が軽く咳払いをした。「リビングの照明をつけて」家中の間接照明が順にともり、カーテ
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