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第3話

Author: 桑の月便り
ドレスを脱ごうとしたとき、玲奈のヒールがトレーンをしっかり踏みつけていた。

私は前につんのめり、試着室の鏡の鋭い縁に肘をぶつけた。激痛が走るのとほぼ同時に、航平が手を伸ばした。

けれど、つかんだのは玲奈の腕だった。

「大丈夫か?」

玲奈は彼の腕に寄り添い、胸元を軽く叩いていた。

「沙穂がよろけるから、びっくりした」

航平は私に向き直り、眉を寄せた。

「着替えるときくらい落ち着いて。いちいちそんなに慌てるなよ」

私の肘はみるみる赤く腫れていた。

スタッフが氷の入った袋を持ってきた。航平はちらりと見て、受け取ろうとしたようだったが、そのとき玲奈が小さく息をのんだ。

ドレスのスパンコールで、玲奈の手の甲に薄い引っかき傷ができていた。航平はすぐに顔を伏せて、その手を確かめる。

私は自分で袋を受け取り、肘に当てた。

結局、ドレスは注文し直されなかった。航平は、とりあえず予定を押さえておくからと店にお直しを止めさせ、3日考えていいと言った。まるで、十分な選択の余地をくれたかのように。

店を出て、私は助手席のドアを開けた。

シートはずいぶん後ろに下がり、背もたれも半ば寝かされていた。腰を下ろすとつま先がフロアマットに届かず、ベルトが首に食い込む。

シートの調整ボタンを押すと、画面に確認が出た。

【玲奈専用の設定を上書きしますか?】

その文字を見つめていると、反対側から乗り込んだ航平が、画面を見て何気なく言った。

「上書きしないで。玲奈は脚が長いから、毎回戻すのは面倒なんだ」

私は画面の「専用」を指さした。自分でも驚くほど、静かな声だった。

「航平、結婚式で使うこの車まで、助手席は彼女専用なの?結婚する相手は私だって、まだ覚えてる?」

航平は冷たい目で私を見た。

「ただのシート設定だよ。気にしすぎだって。そんな小さなことにこだわって、何になる?」

言いすぎたと思ったのか、今度は身を寄せてベルトを緩めてくれた。

「2番に沙穂の設定を入れるから。乗るときに切り替えればいい」

近づいてくる彼を見ていた。

車を買ったばかりの頃には、おなじみだった姿。ミラーを合わせ、シートを少しずつ前に出してくれた。脚が短いなと笑いながら、助手席は私だけの場所だと言っていた。

あの頃の設定名は「沙穂ちゃん」だった。

今は、1番しか登録されていない。その名前は「玲奈」だった。

玲奈がドアの外で膝をさすった。

「私、後ろに座ろうか。ちょっと狭いけど、少しの間なら我慢できるから」

航平は体を起こした。

「こっちに乗って。脚が長いんだから、後ろじゃつりやすいだろ」

そして私を見た。

「沙穂、後ろに移って。すぐ着くから」

私は動かなかった。

「あなたの婚約者は、誰なの?」

ハンドルに置いた航平の手に力が入る。

「誰が助手席に座るかなんて、婚約者かどうかとは関係ないだろ。玲奈は具合が悪いんだから、少しくらい譲れよ」

玲奈はうつむいてドアに手を掛け、くぐもった声を出した。

「もういいよ、タクシーで帰る。私のせいで、2人がもめるのは嫌だから」

帰ると言いながら、その手はドアから離れない。

航平は車を降りると、彼女のために助手席のドアを開けた。

「もういいって」

それが、彼の選択だった。

私はベルトを外して車を降り、後部座席に回った。

望みどおり助手席に収まった玲奈に合わせて、シートが自動で後ろへ滑り、背もたれの角度が変わる。彼女のスマホが車のBluetoothにつながり、お気に入りの曲が流れ始めた。

私は後ろのシートにもたれた。袋の氷が少しずつ溶け、その水が手首を伝って滴り落ちた。

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