All Chapters of 十字架の傷〜愛と傷を重ねて〜: Chapter 1 - Chapter 5

5 Chapters

1話

 世界で2番目の大国、ヘルシャフトの城で、メイドキャップで完全に髪を隠したメイドのルーは、一生懸命床を磨く。 高級な服を着こなした青髪の青年はルーを見つけると、バケツを蹴り飛ばした。「あっ!」 床には薄汚れた水が広がり、膝をついて床を磨いていたルーのスカートに、水が染み込む。「ふん、鈍臭いメイドだな」「申し訳ございません、アーロ様」 ルーは下唇を噛みながら悔しさをこらえ、頭を下げる。アーロはそんなルーを見て鼻で笑う。この青髪の美丈夫は、ヘルシャフトの第1王子。メイドであるルーが逆らえる相手ではない。 アーロは立てかけてあった箒を見つけると、ルーのメイドキャップを箒で外し、近くにあった植木に押し込んだ。「相変わらず、血を被ったような醜い髪だな。忌々しい。そんなバカみたいな赤髪で、恥ずかしくないのか?」「きゃっ!」 アーロに蹴り飛ばされ、ルーは汚れた水たまりの上に倒れてしまう。カツカツと小気味良いヒールの音が、ふたりに近づく。「あらぁ、真っ赤なドブネズミなんて珍しいわね。きったなぁい♡」 ゆるく巻いた薄桃色の髪を揺らしながら来たのは、アリア・ローザ。アーロの新しい婚約者だ。表向きでは婚約者を戦争で失った哀れな乙女だが、そんな素振りは、少なくともルーは見たことがない。「アーロ、行きましょ。こんな汚いもの見てたら、目が腐っちゃうわ」「お前の言う通りだ。お茶にしよう。ちょうど、いい茶葉が入ったんだ」「まぁ素敵♡」 ふたりは体を寄せ合いながら、廊下を進む。ルーはそんなふたりの背中を睨みつけていた。(許さない……! いつか、必ず……!) 今はルーと名乗っているが、彼女の本名はルベル・スカーレットという。工芸品が盛んなスチェクローという国の王女だった。 スチェクローはガラス細工職人や鍛冶屋など、火を扱う職人が多いため、赤髪は幸福の象徴で、自国ではルベルは大事に育てられてきた。高い教養を身に着けたおかげか、そこまで大きな国ではないというのに、世界で2番目の大国と言われるヘルシャフトの第一王子であるアーロとの婚約が決まった。 この婚約はルベルとアーロの知らないところで進められ、顔合わせと同時に両国の陛下から伝えられた。王族や貴族の間ではよくある話だと、ルベルは大して気にしていなかったが、アーロはそうではないらしい。 ヘルシャフトでは、赤は血を
last updateLast Updated : 2026-09-15
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2話

「大丈夫か?」 声をかけられ、我に返り、自分が不躾にも彼の顔を見ていたことに気づいた。「す、すいません! まじまじと見てしまって……」「謝る必要はない。立てるか?」「は、はい」 レイの手を借りて立ち上がると、ルベルは急いで植木の中にあるメイドキャップを拾ってかぶる。だが、鏡がないせいでうまくかぶれない。 この国で赤髪を見せるのは無礼だと、アーロに教え込まれた。騎士団長である彼の視界に、赤髪を入れるわけにはいかない。下手をすれば斬り殺される可能性があるからだ。 だが、あせればあせるほど、手元が狂って髪がメイドキャップから落ちてしまう。「すいません、赤い髪なんか見せてしまって……」「美しい髪だ。謝る必要などない。貸してみろ」「あ……」 レイはメイドキャップをルベルの手から取ると、彼女の後ろに回って被せてくれた。(今、美しいって……) 赤髪を褒められたのは、この国に来て初めてだった。何より、メイドキャップに髪を収めていくレイの手つきが心地よい。「これで髪は1本も見えてないはずだ」「ありがとうございます」「随分ひどい扱いをされたな」 レイはふたりが去っていった方向に目を向ける。仮面で顔が見えないため、彼が何を考えているのかは読み取れない。「いつものことですから……。レイ様も、私とあまり喋らないほうがいいですよ。レイ様まで好奇の目で見られてしまいます」「好奇の目には慣れている。それよりお前、どこかで見たことがあるような……」 仮面越しに鋭い眼光で見られ、思わず後ずさる。「この城のメイドですから、何回か見かけたことはあると思いますよ?」 それっぽいことを言ってみるが、レイの視線はルベルから外れない。「この城ではない。もっと別の場所で、昔見たような気がする……」 レイの発言にドキッとする。騎士団長なら、護衛任務で社交界に顔を出していたのかもしれない。おそらく、その時に王女としての自分を見られたのだろう。 アーロからは、自分が流行り病で亡くなったことになっていると聞かされた。アーロの言いなりになるのは癪だが、自分が生きてると言っても、信じてくれる人などほとんどいない。いたとしても、アーロが手懐けるだろう。そしてルベルは亡き王女を騙った罪で処刑されるだろう。 それはなんとしても避けたい。そのためには、レイに正体を暴かれるわけにはい
last updateLast Updated : 2026-09-15
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3話

「すまない、おかしなことを言った」 どう切り抜けようか悩んでいると、レイの方から頭を下げた。「い、いえ! そんな……。滅相もない」「実は私も、アーロ様やアリア様にはよく思われていないのだ。よかったら、また話そう」 レイは颯爽と立ち去る。「不思議な方……」 騎士団の連中は自分達がいるからヘルシャフトは平和なのだと驕り高ぶり、メイドや他の使用人を見下す節がある。過去に何度か、性的奉仕をするように言われたことがある。 ルベルはその度に安物のペンを片手で折り、「力加減を知りませんの」と笑って追い払っていた。そのおかげか、最近は奉仕をしろと迫られることはない。 どうせ騎士団長も、女を性処理道具としか見ていないのだろうと思っていたが、レイは意外にも紳士的だった。「はやく終わらせないと……」 ルベルは我に返り、急いで掃除を終わらせた。仕事は掃除だけではない。バケツの水を捨てると、びしょ濡れのメイド服を着替え、仕事に戻った。 夜、ルベルはワインをアーロの寝室に運ぶ。ルーとして働くようになってから毎日、この仕事をさせられる。アーロ達なりの当てつけで、気にしては負けだと分かってはいるが、この仕事が1番苦痛だ。 ふたりにワインを運ばなくて済むのなら、薪割りでも喜んで引き受けるだろう。「失礼します。ワインをお持ちしました」「入れ」 ベッドの上では、明らかに事後のふたりが、裸同然の格好で寄り添っている。こんな格好で寄り添うのも、当てつけの一環だろう。 アーロは自他共に認める美男子だ。そのため、各国の姫や王女から言い寄られていた。そのせいで自己肯定感が異様に高く、「俺と結婚して抱かれたかったんだろうけど、残念だったな」とルベルを笑うのだ。 ルベルは気にする素振りなど見せず、いつものようにサイドテーブルにワインを置く。「どうぞごゆっくり」「待て」「どうかなさいましたか?」 これまで何百回もワインを運んできたが、こうして呼び止められるのは初めてだ。正直、嫌な予感しかしない。ふたりが悪意に満ちた笑みを浮かべているのが、なによりの証拠だ。「来月から社交シーズンに入る。もちろん、俺が主催のパーティーもある。お前は給仕をしろ」 ルベルは驚きのあまり目を見開く。そんなルベルを、ふたりはニヤニヤしながら見る。ルベルがメイドとして働くようになって3年の月日が経つ。
last updateLast Updated : 2026-09-15
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4話

 仕事を終えたルベルは、地下にある自室に入る。窓のない地下室はカビ臭くて湿っぽい。そのせいで布団はカビ臭い。ルベルはこの部屋が嫌で嫌でたまらなかった。 3年前までは、毎日ふかふかのベッドで寝ていた王女なのだから、こんな劣悪な環境に慣れろという方が無理がある。 他のメイド達は使用人専用の別館で寝ているというのに、ルベルだけがこの地下室をあてがわれた。 服は他のメイド達のものと一緒に天日干ししているため、まだカビが生えたりしていないが、時間の問題だろう。 地下で生活するようになってから、ルベルは前より体調が悪い日が増えた。きっと、劣悪な環境のせいだ。 重い体をベッドに横たえる。寝る前にやることがあるのに、部屋に来るといつも横になってしまう。それだけ疲弊していた。 ルベルの仕事はどのメイドよりも遅い時間に終わる。そのせいで夕飯が食べられなかったり、水同然のぬるくて薄汚い風呂に入ったりする。それでも入らないよりはマシだと自分に言い聞かせ、他の使用人達が使った後の薄汚い風呂で汗を流す。 なんとか体を起こし、蝋燭に火をつけてタオルで髪を拭く。「おなか、空いた……」 空腹が惨めで、泣きそうになる。城で暮らしていた頃は、夕飯を逃して空腹になるなんてことはなかった。 それが当たり前だと思っていたが、どうやら違うらしい。 おなかをさすりながら横になると、サビだらけの金具が音を立てながらドアが開けられる。「だ、誰?」「騎士団長のレイだ」 身構えていると、品の良い低音が地下室に響いた。「レイ様!?」 蝋燭の小さな明かりだけでは分かりにくいが、落ち着く低い声は間違いなくレイのものだった。「どうして、こんなところに……」「また話そうと言っただろう。他のメイドに聞いたら、お前だけは地下で過ごしてると聞いてな。食事もまともにとれてないんだろう?」 レイはルベルに紙袋を手渡した。開けてみると、肉だけを挟んだサンドイッチだった。「これは……」「メイドも体力勝負だろ? 肉を食って力をつけろ」「ふふ」 人間扱いされた喜びよりも、騎士団らしい肉まみれのサンドイッチのおかしさが勝り、笑みが零れる。「なにがおかしい?」「すいません。その、肉だけというのが、なんか騎士団の方らしいと思って。ありがとうございます」 お礼を言ってサンドイッチをかじる。少し脂っこいが
last updateLast Updated : 2026-09-15
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5話

 数日後、仕事を終わらせて地下室に戻ると、布団が新品になっていた。ベッドの上には小さなバスケットがあって、バスケットの中にはあの肉まみれのサンドイッチと、林檎が入っていた。「レイ様……」 忌み嫌われた赤髪の自分にこんなことをするのは、レイくらいだ。彼の心遣いに涙が出る。ルベルはサンドイッチを食べる。「林檎は、明日の朝いただきますね」 ルベルはレイに話しかけているつもりで、林檎に声を掛ける。 レイにお礼を伝えたかったが、忙しいのか、レイはルベルがいる時間に遊びに来ないし、城の中でも会わない。 それでも3日に1回くらいの頻度で、食事が置かれていた。そのおかげでガリガリに痩せてしまったルベルは健康的に肉付き、めまいがなくなり、倦怠感もかなり改善された。 以前はひとつの仕事をするだけでぐったりしていたが、今はテキパキと動けるようになった。「ルーちゃん、最近動けてるね」「おかげで前より仕事がはやく終わって助かるわ」「いえ、そんな……」 今まで最低限しか話しかけてこなかった他のメイド達が、ルベルに話しかけてくるようになった。それを快く思わない人物が、ふたり……。「調子に乗るなよ……」 声が聞こえた気がして振り返ったが、そこには誰もいなかった。 夕方、洗濯物を取り込んでいると、庭師のプランツが声をかけに来た。「そこのメイド。あー、ルーっていったか? 来い」「はい、なんでしょう?」 手に持っていた洗濯物をかごに入れると、プランツの元へ駆け寄る。「アーロ様がお呼びだとよ。執務室だ。はやく行きな」「執務室……。分かりました。教えてくれてありがとうございます」 ルベルは無理やり笑顔を作り、プランツに礼を言って執務室に向かう。(落ち着いて、私……) 頬の傷に触れ、深呼吸をする。執務室が近くなるほど、トラウマがフラッシュバックして、動悸が激しくなる。執務室でアーロに切りつけられた記過去が、ルベルを苦しめた。「失礼します」「入れ」 氷のように冷たいこの声を聞くだけで、胸が苦しくなる。ルベルは少しでも手の震えを落ち着かせようと深呼吸をしてから、執務室に入る。 室内はインクと紙のにおいが充満し、独特な雰囲気を醸し出している。アーロは奥のデスクに座り、手紙を開封していた。片手には、ルベルの頬に傷をつけたあのペーパーナイフが握られていた。 アーロ
last updateLast Updated : 2026-09-15
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