月曜、午前8時。ルシエルの経営企画室。壁のモニターに映る世界地図に、赤い印が増えていった。パリとロンドンの主要百貨店は販売を停止。東京のポップアップも臨時休業。ニューヨークの流通企業は第2便の通関を止め、独立機関による成分検査を求めた。地図の横の数字は、10分ごとに変わった。返金要求1万8,000件。肌の刺激に関する報告は数百件。販売を保留した店舗は96。欠陥の規模が確定するより先に、ブランドへの信頼が崩れていた。徹夜した海外営業の社員たちは、抗議の電話を受け続け、声をからしていた。「はい、回収手順は協議中です。原因分析の報告書は……まだです」受話器を置いた海外事業担当の取締役が、顔を両手で覆った。「ヨーロッパの取引先各社が、ルシエル全商品の追加出荷を凍結しました。〈NOIR 17〉だけでなく、ブランド全体の品質管理を信用できないと」代金の支払いも止まった。売上金は現地での返金原資として留め置かれ、ルシエルは先に輸送費と回収費を出さなければならない。20億円の売上が、一夜にして20億円規模の現金流出に変わろうとしていた。午前10時、緊急取締役会が開かれた。各国から取り寄せた変質サンプルが、テーブルに並んでいる。濁った赤黒い液体が、瓶の内壁をゆっくりと伝った。恭介は乾いた唇を湿らせた。「横浜港にある第2便の30万本は、出荷を止めろ」財務担当取締役が、すぐに計算表を差し出した。「出荷済みの初回50万本は、精算金が止まっています。第2便まで止めると、来月の原料代と工場への手形決済が難しくなります」「じゃあ、不良品をそのまま送れと言うのか?」「だから、最初から安定性の確認が必要だったんです」恭介は相手を睨んだが、言い返せなかった。会議資料には、澪が求めていた試験期間が何度も記されている。その時間を惜しんだせいで、会社にはもう待つ余力がなかった。重い沈黙が落ちた。* * *恭介が麗奈を見据えた。「せめて技術的な説明書を出せ。発明者なんだろ」麗奈は勢いよく顔を上げた。「何もわからないのに、どうやって書けって言うの?」「お前が作った香水だと、世界中に発表したんだぞ」「あなたの言うとおりにしただけでしょう! 澪さんのパソコンにあったファイルを、そのまま工場に渡したのだって、あなたじゃない!」役員全員の視線が、二人に集ま
Terakhir Diperbarui : 2026-09-15 Baca selengkapnya