「凌生。私が今までされたこと全部、指輪1つでなかったことにできると思ってるの?」ようやく口を開いた。自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。視界の端で、伊佐見さんの強張っていた顎からふっと力が抜けた。凌生は、信じられないという顔で私を見ていた。「伊佐見さんとは何もない。それに、私と凌生も、もう何の関係もないよ」いつの間にか周囲には人が集まり、空気も読まずにはやし立て始めた。「結婚しちゃえ!」「受けてあげなよ!」そんな声が飛び交う中でも、私は凌生の顔を立てるつもりはなかった。「もう、好きじゃない」一語一語、はっきりと告げる。「浮気したときから。私が立場を利用してあなたに迫ったなんて嘘をついたときから。私が地面に顔を踏みつけられていたのに、あなたがカラオケで別の女を抱いてたときから。もう、好きじゃなかった」凌生の顔から、完全に血の気が引いた。私は背を向け、伊佐見さんの車へ歩いていく。後ろで何かが地面に落ちる音がした。続いて、こらえきれなくなった凌生の泣き声が聞こえてくる。「行かないで……俺、お前がいないと無理なんだ……」振り返らなかった。その日のうちに、凌生のプロポーズ動画がSNSへ投稿された。風が強く、凌生の声は途切れ途切れにしか聞こえない。はっきり聞き取れたのは、最後のひと言だけだった。「俺と結婚してくれないか?」そのあとに映っていたのは、迷いもなく背を向けて立ち去る私の姿だった。人気アーティストが人前でプロポーズを断られたことで、凌生を気の毒がる声が集まった。皮肉なことに、それまで落ちていた世間からの好感度まで少し持ち直したらしい。【どれだけ素敵な人でも、恋愛では傷つくんだね。凌生見てたら、なんか自分まで吹っ切れた】【そろそろ新曲来そう。推しがこんな振られ方したら、絶対泣ける曲書くでしょ】【ちゃんと反省してプロポーズまでしたのに、それでも振るとか、この女ちょっと冷たすぎない?】コメントを1つずつ眺めながら、呆れるやらおかしいやら、何とも言えない気分になった。早くも凌生の次の「神曲」を期待して、新しい失恋ソングの誕生を喜んでいる人までいる。伊佐見さんが心配そうに私を見た。「大丈夫ですか?」どうしてそんなことを聞くのか分から
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