『離婚まで365日、冷徹CEOは私を愛さないはずでした』 のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

27 チャプター

第1話 婚約破棄の夜、知らない男に求婚されました

婚約者の浮気現場を目撃したとき、人はもっと取り乱すものだと思っていた。泣くとか、叫ぶとか、相手の頬を叩くとか。映画やドラマでは大抵そうなるし、私自身も、もしダニエルに裏切られることがあれば少しくらいは惨めに泣くだろうと想像していた。ところが現実の私は、ホテルのラウンジへ続く廊下の角で足を止めたまま、妙に冷静だった。目の前には、私の婚約者であるダニエル・ロスがいる。そして彼の腕の中には、私ではない女性がいた。女性は背中の大きく開いた赤いドレスを着ており、ダニエルの首に両腕を回して笑っている。彼もまた、その腰へ手を回し、誰かに見られることなど一度も考えたことがないような顔で彼女へ口づけていた。今日は、私たちの結婚式場について最終確認をする日だった。三か月後には、私はこの男の妻になる予定だった。そのために仕事の予定を調整し、母と妹の都合まで確認し、ウェディングプランナーから渡された分厚い資料に目を通してきたというのに、当の花婿は私より先に別の女性との予定を入れていたらしい。「なるほど」口から出たのは、そんな言葉だった。自分でも驚くほど感情がこもっていなかった。怒りがないわけではない。ただ、怒りより先に頭が働いてしまうのは、たぶん職業病なのだと思う。私は企業の不正会計や横領を調べる仕事をしている。数字の不自然さを見つけ、誰が何を隠しているのかを追い、証拠になる資料を一つずつ積み上げていく。感情は証拠にならない。怒鳴り声も、涙も、裁判では数字ほど役に立たない。私はバッグから携帯電話を取り出すと、二人がこちらに気づく前に数枚撮影した。一枚目は、ダニエルの横顔がはっきり写っている。二枚目は女性の顔も確認できる。三枚目には、彼の左手が彼女の腰へ回っているところまできれいに収まった。証拠としては十分だった。だから、そのまま帰ろうとも思った。ところが踵を返した瞬間、ヒールの音が大理石の床に思った以上に大きく響いた。ダニエルがこちらを見る。「エレナ?」その声を聞いた途端、胸の奥にようやく鈍い痛みが走った。十二年間付き合ったわけではない。一生を捧げたわけでもない。それでも三年間一緒にいて、結婚すると決めた相手だった。仕事が忙しい彼のために夕食を作ったこともあれば、風邪を引いた夜に薬を届けたこともある。私が徹夜続きで倒れそうになったと
last update最終更新日 : 2026-09-19
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第2話 その名前だけは、忘れられない

第2話 その名前だけは、忘れられない「なら、私と結婚しないか」エイドリアン・ヴァレンタインは、天気の話でもするような落ち着いた声でそう言った。私は返事をしなかった。正確には、すぐには返事ができなかった。婚約者の浮気現場を目撃してから、まだ一時間も経っていない。そのうえ共同口座から四万八千ドルが消えていたことまで判明し、ようやく一人になれたと思った途端、今度は世界的大企業のCEOから求婚されている。今日という日は、どうやら私の人生に起きる予定だった面倒事を何年分かまとめて処理するつもりらしい。私はカウンターの上に置かれた名刺をもう一度見た。エイドリアン・ヴァレンタイン。間違いない。世界各国に拠点を持つヴァレンタイン・グループの現CEOであり、経済誌では「冷徹な改革者」「数字で企業を切る男」などという、本人が聞いたら喜ぶのか怒るのか分からない見出しを何度もつけられている人物だ。そして私にとっては、そんな肩書よりも重い意味を持つ姓だった。ヴァレンタイン。十二年前、父の名前の隣に何度も印刷されていた企業名。横領。背任。不正送金。そうした言葉とともに、新聞にもニュースにも繰り返し登場した名前だった。私は名刺から目を上げた。「お断りします」エイドリアンの眉がわずかに動いた。今まで、彼の申し出をこれほど早く断った人間は少なかったのかもしれない。「理由を聞いても?」「聞く必要がありますか? 私はあなたと会って十分も経っていません。それ以前に、今しがた婚約を解消したばかりの女に、突然『結婚しないか』と持ちかける男性を信用するほど、私は精神的に追い詰められていません」「合理的な判断だ」「褒められても変わりません」「褒めたつもりはない」「そうでしょうね」この男とは、話せば話すほど腹が立つ。もっとも、腹が立つということは、それだけ相手の言葉を真面目に受け取っているということでもある。私はそれが気に入らず、残っていたウイスキーソーダを一口飲んだ。エイドリアンは私を引き留めようとも、慌てて説明しようともしなかった。「あなたは結婚そのものを拒否しているのか、それとも私との結婚を拒否しているのか」「違いがあります?」「大きい」「では後者です。少なくとも今のところは」「今のところ、か」彼はその言葉だけ拾った。私はすぐに言い返
last update最終更新日 : 2026-09-19
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第3話 一千万ドルより、あなたの会社の帳簿が欲しい

第3話 一千万ドルより、あなたの会社の帳簿が欲しい午前七時二十六分。ヴァレンタイン・タワーの前に立った私は、昨夜ほとんど眠れなかったことを少しだけ後悔していた。四十階を優に超えるガラス張りの高層ビルは、朝の薄い光を冷たく反射している。正面玄関では黒いスーツ姿の警備員が行き交う社員のIDを確認し、その向こうでは巨大な企業ロゴが壁一面を占領していた。VALENTINE GROUP。十二年前、新聞紙面で嫌というほど見た名前だった。父が横領犯として報じられた記事にも、警察の捜査について書かれた記事にも、この社名があった。それが今は、私の頭上に銀色の文字で輝いている。「帰るなら、今ですよ」隣に立っていた女性が言った。私より十歳ほど年上の弁護士、マーガレット・コールは、片手にコーヒーカップを持ちながらタワーを見上げている。昨夜十一時過ぎに電話したにもかかわらず、彼女は事情を聞き終えるまで一度も電話を切ろうとしなかった。もっとも、事情をすべて話したわけではない。父の事件とヴァレンタイン家の関係については、まだ伏せている。彼女に伝えたのは、婚約が破談になったこと、世界的大企業のCEOから一年限定の契約結婚を持ちかけられたこと、報酬が一千万ドルだということだけだ。それだけでも十分すぎるほど異常だったらしく、電話の向こうで三十秒ほど完全な沈黙が続いた。「帰ったほうがいいと思います?」私が尋ねると、マーガレットは紙カップの蓋を開け、湯気の立つコーヒーを一口飲んだ。「弁護士として答えるなら、契約書を見るまでは帰る必要はありません。友人として答えるなら、昨日婚約者の浮気を知った人間が翌朝別の男との結婚契約を検討している時点で、少なくとも一週間は人生の大きな決断を禁止したいところです」「だから連れてきたんですよ。私が変な判断をしないように」「私の料金を払ってまで理性を外注するようになったのなら、まだ大丈夫そうですね」マーガレットは淡々としているが、昨夜から明らかに私を心配している。付き合いは六年ほどになる。仕事上の案件で知り合い、その後は企業調査の法的手続きで何度も協力してきた。私よりずっと慎重で、権力者を恐れないかわりに、権力者を甘く見ることもしない。今日の相手には最適だった。「それより、ダニエルから連絡は?」私はバッグの中の携帯電話へ意識を
last update最終更新日 : 2026-09-19
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第4話 元婚約者が隠していた十二年前の秘密

第4話 元婚約者が隠していた十二年前の秘密エレベーターが一階へ着くまでの時間が、ひどく長く感じられた。実際には一分もかかっていなかったはずだ。それでも私は、ダニエルから届いた二通のメッセージを何度も読み返していた。『十二年前のヴァレンタイン社の横領事件を調べてみろ。お前が知っている話と、本当の話は違う』そして、もう一通。『四万八千ドルは返せない。あの金は、お前の父親の件と関係している』父が亡くなってから十二年。私は父の事件について自分なりに調べ続けてきたが、ダニエルから父の話を聞いたことは一度もなかった。それどころか、付き合い始めたころに私が父の過去を話したとき、彼は「昔のことで君まで責められる必要はない」と言ってくれた。横領事件の詳しい内容には踏み込まず、私が話したくないなら無理に聞かないとも言った。あのときは、それを思いやりだと思った。今になれば、違って見える。聞かなかったのではなく、すでに何か知っていた可能性がある。「エレナ」マーガレットに呼ばれ、私はようやく顔を上げた。エレベーターの扉はすでに開いている。出勤する社員たちの流れを邪魔していたことに気づき、慌てて外へ出た。「すみません」「私に謝る前に、もう一度そのメッセージを見せてください」ロビーの端へ移動すると、私は携帯電話を渡した。マーガレットは画面を指で拡大しながら、二通を続けて読む。彼女の眉間に皺が寄った。「四万八千ドルがあなたのお父さんの件と関係している、ですか。これは相当おかしいですね」「私もそう思います」「そもそもダニエルは、お父さんの事件についてどこまで知っていたんです?」「私から話したのは、父が十二年前に勤務先の関連する横領事件で疑われたことと、その後事故で亡くなったことくらいです。会社名は隠していませんでしたから、ヴァレンタイン・グループだということも知っていました。でも、詳しく調べたとか、関係者を知っているとか、そういう話は一度もありませんでした」マーガレットは私へ携帯電話を返さず、そのまま低い声で尋ねた。「あなた、今朝エイドリアン・ヴァレンタインに、お父さんの件をどこまで話しました?」「家族が企業不正の事件に巻き込まれたことと、その件にヴァレンタイン・グループが関係していることが分かる程度です。父の名前は言っていません」「それなら、
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第5話 結婚前夜、父の死が事故ではなかったと知りました

第5話 結婚前夜、父の死が事故ではなかったと知りました『エレナ・ハートへ。あなたの父親は横領犯ではない。だが、事故で死んだわけでもない。』その一文を、私は何度読み返したのか分からない。文字そのものは変わらない。それなのに、見直すたびに意味だけが大きくなっていき、十二年間かけて自分の中に積み上げてきたものを内側から崩していく。父は横領していなかった。そこまでは、私がずっと信じてきたことだった。けれど、事故で死んだわけでもない。その言葉だけは違う。私は父が無実だった可能性について何百回も考えたし、誰かに罪を着せられたのではないかとも疑ってきた。それでも、死そのものについてまで疑ったことはなかった。警察の記録では単独事故だった。夜間の雨。濡れた路面。カーブで制御を失った車がガードレールを突き破り、斜面へ転落した。当時十七歳だった私は、病院の冷たい廊下で母の肩を抱きながらその説明を聞いた。父は仕事を失い、世間から横領犯と呼ばれ、眠れない日々を過ごしていた。それでも自ら命を絶ったわけではなく、最後まで生きようとしていた。事故だった。少なくとも、それだけは不幸な偶然だった。そう思うことで、私たちはどうにか受け入れてきた。なのに。もし、それすら違ったとしたら。「エレナ?」同僚の声で我に返った。私はオフィスの自席に座ったまま、携帯電話を両手で握りしめていた。モニターには午前中から確認していた企業調査案件の表が開かれているが、数字は一つも頭へ入ってこない。「大丈夫? 顔、真っ白だけど」「……大丈夫」反射的に答えてから、それでは何も大丈夫ではないと気づいた。「ごめんなさい。少し体調が悪くなったみたい。今日はもう上がってもいいか、上司に確認してくる」「送ろうか?」「ありがとう。でも一人で帰れるから」それだけ言うのが精いっぱいだった。私は仕事用のファイルを閉じ、最低限の引き継ぎだけ済ませた。外へ出るまで、ダニエルから届いた画像は開かなかった。見れば、また何かが壊れる気がした。けれどビルを出て、夕方の風が頬に触れたところで、私はとうとう耐えきれず、近くのベンチへ腰を下ろした。そして、もう一度画像を開く。手紙の続きは、最初の一文ほど長くなかった。『あなたの父親は、金の流れに気づいた。だから消された。あなたが真実を知りたい
last update最終更新日 : 2026-09-19
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第6話 父を知る叔父の前で、私はCEOの妻になった

第6話 父を知る叔父の前で、私はCEOの妻になった「リチャード・ハートという男だよ。優秀な会計担当者だった」 父を横領犯として処理した会社の副会長が、父をそう呼んだ。 十二年前、新聞や経済誌に並んだ言葉はもっと冷たかった。巨額横領、不正送金、背任疑惑、内部統制を欺いた巧妙な手口。父が亡くなったあとでさえ、記事の中の父は人間ではなく、企業犯罪を説明するための便利な固有名詞として扱われていた。 それなのに、ヴィクター・ヴァレンタインは「優秀だった」と言った。 私はエイドリアンとつないでいた手に力を入れそうになり、寸前で止めた。「父をご存じだったんですか」 できるだけ普通に尋ねたつもりだった。 ヴィクターは私の顔を見つめたあと、少しだけ懐かしむように目を細めた。「やはり、リチャードの娘さんだったのか。姓を聞いたとき、まさかとは思ったんだがね。当時、彼はグループ傘下の会社で経理を担当していて、本社側との会議にも何度か出ていた。数字に強いだけではなく、相手が上役でもおかしいと思ったことははっきり言う人だったよ。ああいう人間は、経理部門では貴重だ」「ずいぶん高く評価していらしたんですね」「仕事ぶりについては、そうだよ」 返答までの間は短かった。 けれど、会計調査の仕事をしていると、人が何を言ったかと同じくらい、どこで言葉を区切ったかが気になる。 仕事ぶりについては。 人間としてでもなく、事件についてでもない。 私は笑顔を崩さなかった。「それなら、十二年前の事件についてもご存じですよね」 ヴィクターの表情から、今度は先ほどのような小さな揺れさえ消えた。「もちろん知っている。グループにとっても大きな問題だった。当時の内部調査と外部監査の結果では、複数の不正送金に彼が関与したと結論づけられた。私は財務戦略部門にはいたが、調査そのものの最終責任者ではなかったから、詳しい証拠を一つ一つ確認したわけではない」「叔父さん」 初めて、エイドリアンが口を挟んだ。 低い声だったが、制止する響きがあった。 ヴィクターは甥のほうを見て、わずかに眉を上げた。「何だい。彼女が自分から聞いたんだろう」「だからといって、結婚前夜に十二年前の不祥事の聞き取りを始める必要はない」「結婚前夜だからこそ確認すべきこともある。違うか?」 穏やかな話し方だった。 
last update最終更新日 : 2026-09-23
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第7話 結婚一時間で、私は『復讐目的の妻』と呼ばれました

第7話 結婚一時間で、私は『復讐目的の妻』と呼ばれました 結婚して三十分も経たないうちに、夫の会社から父の事件について説明を求められる。 普通の新婚生活がどんなものか私は知らないが、少なくとも、これはかなり特殊な部類に入ると思う。「広報から声明案が届きました」 マーカスがタブレットの画面を切り替えると、そこには今日正午に公表する予定の文面が表示された。 エイドリアン・ヴァレンタインが本日、企業不正調査を専門とする会計士エレナ・ハートと婚姻したこと。私は結婚後も現在の職業を継続し、ヴァレンタイン・グループの経営には関与しないこと。双方の資産および職務上の独立性を維持すること。 そこまでは問題ない。 私は下へスクロールし、父について触れた部分で指を止めた。「ここは直してください」 マーカスが画面を見る。「どの部分でしょう」「『新婦の父リチャード・ハート氏は、十二年前の横領事件で不正行為を行った人物として知られている』では、会社側の判断が客観的事実だったように読めます。少なくとも現時点で私たちが確認できているのは、当時の社内調査などによって父の関与が認定されたということまでです」 広報文としては、一見すると小さな違いだろう。 けれど私にとっては違う。 会社がそう認定したことと、父が本当に金を盗んだことは同じではない。 その違いを確かめるために、私はここまで来た。「『当時の調査において関与が認定された』では?」 マーカスが提案する。「その表現なら異議ありません」「修正させます」 横で聞いていたエイドリアンが言った。「父親の件を声明に入れる必要自体があるか?」「問い合わせがもう来ている以上、完全に触れなければ、意図的に隠しているという記事になります」 私は答えた。「ただし、必要以上に説明するべきでもありません。結婚の発表で十二年前の事件を蒸し返すなら、それ自体が相手の狙いかもしれないでしょう」
last update最終更新日 : 2026-09-24
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第8話 七年前、父の事件ファイルは副会長室の名義で持ち出されていた

第8話 七年前、父の事件ファイルは副会長室の名義で持ち出されていた「この記録を保全しろ。誰にも削除させるな」 エイドリアンの言葉に、内部監査担当者が緊張した面持ちでうなずいた。「承知しました。対象となる閲覧履歴と申請記録について、現行システム上のデータを保全します」「待ってください」 私は反射的に口を挟んだ。 三人の視線が集まる。 父の事件に関する記録が七年前、副会長室の名義で持ち出されていた。その事実だけで頭の中は十分騒がしかったが、だからこそ今は感情より手順を優先しなければならない。「現在表示されているデータだけではなく、元の申請記録、保管庫の入退室記録、返却記録、当時のバックアップが残っているならそれも保存してください。紙の申請書がある場合は原本を動かさず、所在と保管状況を記録した上で複製を取る。誰がいつ保全作業をしたのかも残してください」 担当者が少し驚いた顔をした。「承知しました」「それから、この記録がヴィクターさん本人の指示だったとは、まだ扱わないでください」 今度はエイドリアンが私を見た。「副会長室の名義だぞ」「副会長室と副会長本人は同じではありません。秘書や法務担当者が通常業務として申請した可能性もあるし、部署名で一括管理していただけかもしれない。七年前の資料回収が正当なものだった可能性だってあります」「叔父を庇うのか」「違います。疑う順番を間違えたくないだけです」 私は端末に表示された文字をもう一度確認した。『外部保管資料回収に伴う、旧不正送金案件の再確認』 気になる。 ものすごく気になる。 けれど、気になることと証拠になることは別だ。「ここでヴィクターさんを犯人扱いして、あとから会社全体で行われた普通の資料回収だったと判明したら、それ以降こちらの調査そのものが感情的なものだと思われます。逆に、本当に何か隠している人がいるなら、こちらが疑っていると知らせる理由はもっとありません」 
last update最終更新日 : 2026-09-25
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第9話 父が消したはずの十四ページは、別の場所に残されていた

第9話 父が消したはずの十四ページは、別の場所に残されていた 結婚初日の夜、私は夫とは別の寝室で眠った。 契約どおりであり、何もおかしくない。 それなのに翌朝六時過ぎ、目を覚ました瞬間に「そういえば私は昨日結婚したのだった」と思い出すまで数秒かかったのは、たぶん新婚生活として何かが間違っている。 見慣れない天井を眺めながら、私は枕元のスマートフォンへ手を伸ばした。 ニュース通知が二十件以上。 メッセージが十数件。 職場のグループチャットには、普段ほとんど発言しない同僚まで「おめでとう」のスタンプを送っている。 ソフィアからは夜中の一時四十七分に、『ニュース見た。あのCEO、本当に顔がいいのが腹立つ』 と届いていた。 何に対して腹を立てているのか分からない。 返信しようとしたところで、マーガレットからのメッセージが目に入った。『起きたら連絡して。ダニエルが昨夜、父親の古い箱から例の資料らしきものを見つけた。今朝こちらへ持ってくる。勝手に開けるなと止めてある』 一気に眠気が消えた。 私はベッドから起き上がり、すぐ電話をかけた。 二回目の呼び出し音でマーガレットが出る。『おはよう。新婚初夜はどうだった?』「別室でよく眠れました」『夢がないわね』「夢より資料の話をしてください」『そう言うと思った』 電話の向こうで紙をめくる音がした。『ダニエルが見つけたのは、七年前にノースブリッジ社へ送られた資料回収通知の控え。昨日あなたがヴァレンタイン側で確認した全社プロジェクトと日付も名称も一致してる』「それだけ?」『もう一つ。通知と一緒に、ダニエルのお父さんが保管していたらしい媒体管理表がある』 私はベッドの端へ座った。「媒体管理表?」『旧会計システムのバックアップ媒体の一覧みたい。私には詳しいことは分からないけれど、磁気テープや外付けディ
last update最終更新日 : 2026-09-26
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第10話 父の十四ページを求めたのは、夫の母の事務所でした

第10話 父の十四ページを求めたのは、夫の母の事務所でした「私の母だ」 エイドリアンがそう答えたあと、玄関ホールには妙に長い沈黙が残った。 ミランダ・ヴァレンタイン。 十二年前、父リチャード・ハートが会社へ提出した十四ページの照会資料。その写しを求めた「M.V.」が、少なくともノースブリッジ社の顧客管理上では、エイドリアンの母親が使っていた個人事務所を示していた。 私は手元の紙をもう一度見た。『R.H. inquiry / copy requested by M.V.』 たった一行。 そこから分かることは多いようで、実際には驚くほど少ない。「お母様本人が依頼したとは、まだ限りません」 最初にそう言ったのは、たぶん私自身が飛びつきそうになる結論を止めるためだった。 エイドリアンが私を見る。「個人事務所なら、秘書や顧問が依頼した可能性もあります。そもそも『copy requested』が正式な複製依頼だったのか、口頭で参考資料を欲しがっただけなのかも分からない。管理表を書いた人が、便宜上その顧客コードを使った可能性もあります」「分かっている」 返事はいつもどおり短かったが、声がいつもより低かった。 私はそこでようやく気づいた。 父の名前が出たときの私は、たぶん今のエイドリアンと同じ顔をしていたのだろう。 見つけた情報を冷静に扱おうとするほど、身体のどこかが先に反応する。頭では「証拠ではない」と理解しているのに、胸の奥ではもう何かが動き始めてしまう。「お母様の個人事務所は、当時何をしていたんですか」 エイドリアンはすぐには答えなかった。 マーカスが口を挟む気配もない。「母はグループの役員ではなかった」 やがて彼は言った。「財団関係の活動と、個人資産の管理、それからいくつかの社会事業を自分の事務所でやっていた。祖父のやり方を嫌っていて、本体の経営にはほとんど関わらなかった」「会計システムの保
last update最終更新日 : 2026-09-27
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