Todos os capítulos de ピンポーン!修理に伺いました: Capítulo 11 - Capítulo 20

36 Capítulos

11話. 閉ざされた扉の向こうの下心

慎吾が玄関を壊しそうな勢いで閉めて出勤したあと、美咲は寝室のベッドの端に、ぼんやり座っていた。窓から差し込む朝の冷たい光が、床へ長く伸びている。小さな白い掌には、大河から渡された黒い名刺が握られていた。白い裏面へ、太く端正な字で書かれた十一桁の個人番号。美咲は震える親指で、その数字の形を何度もなぞった。(家が軋んでも、扉が開かなくても……それとも、ただ俺に会いたくなっただけでも)(手を傷つけてまで、危ない工具を持たないでください。呼ばれたら、いつでも来ます)耳を熱く撫でた低く重い声が、空っぽの家の静寂を破り、鮮やかに蘇る。シンク下の前で、美咲のうなじを支え、呼吸を取り戻させた荒く熱い唇。調理台の上で手首を砕くほど深く絡んだ、硬い指の感触。思い出すだけで、全身が眩暈のように粟立った。もう一度、会いたい。夫の罵声と潔癖な支配の下で、毎日少しずつ窒息していた美咲にとって、大河の重い体温と冷たい眼差しだけが、自分が生きていると教える熱い息だった。もう、何の理由もつけず電話をして、来てほしいと言うこともできる。けれど美咲には、まだ裸の欲望をそのまま晒す勇気がなかった。一人の女として彼と向き合い、もう一度この家へ呼び込むには、彼の手が必要になる、もっともらしい理由が欲しかった。(修理を頼める……別の不具合)ゆっくり立ち上がり、ドレッサーの引き出しを探った。慎吾が腕時計を直すときに使っていた小さなプラスドライバーと、硬い鋼製のヘアピンが指へ触れる。冷たい金属を握った美咲の目が、寝室のドアノブへ止まった。銀色に光るレバーハンドル。(今度は……ここ)慎吾の冷たい支配と息の詰まる沈黙だけが満ちていた禁断の空間へ、あの荒く大きな男を、自分の足で入ってこさせたい。扉を半分開けたまま、ドライバーの先をハンドル内側の固定ねじへ慎重に当てた。カチッ。ハンドルを握る指が震えた。両親と夫の規律へ閉じ込められ、従順な人形として生きてきた美咲が、再び自分の手で破壊と亀裂を生み出そうとしている。歯を食いしばり、ドライバーを反時計回りへ全力で捻った。ギギギッ――!固く噛んでいたねじ頭が潰れ、白い金属粉が散る。緩んだハンドル軸の隙間へ、太い鋼のヘアピンを深く差し込んだ。そしてドア枠と噛み合うラッチボルトのスプリングへ力をかけ、折り曲げた。チンッ
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12話. 寝室の扉を開けた男

「奥さま、中にいますか」扉の隙間から入り込んだ大河の重い声に、美咲は乾いた喉を鳴らし、ゆっくり立ち上がった。「はい、黒瀬さん……奥にいます。扉が、全然動かなくて」「ハンドルから二歩下がってください。ラッチスプリングが飛んで噛んでいるなら、外側のカバーを強制的に外します」扉の向こうで、重い工具バッグが床へ置かれる鈍い音がした。続いて薄い金属ヘラ、ロングノーズプライヤー、電動ドライバーがハンドルの隙間へ入る鋭い摩擦音が、寝室の静寂を荒く切り裂く。ギギッ、カチッ――ウィーン!迷いのない、熟練した動きだった。大河は数回の正確な操作だけで、ハンドル外側の金属カバーを一気に捻り外した。枠の中で歪んで固まっていたラッチ部品が、鈍い音を立てて外へ弾ける。ガタン――バン!固く噛み合っていた枷が外れ、閉ざされた寝室の扉が大きく開いた。廊下の冷気とともに、濃紺の作業服を着た大柄な大河が寝室へ入る。慎吾と三年間、息をし、肌を重ねてきた、もっとも私的で密やかな部屋。その禁じられた空間の中央に、別の男の巨大な影が濃く重く落ちた。広い肩と圧倒的な体格が入っただけで、広かったはずの寝室が息苦しいほど狭く感じられる。彼が足を踏み入れた瞬間、部屋に染みついた美咲の淡い肌の匂いと、大河の清潔な石鹸、機械油の香りが混ざり、濃い緊張を放った。鋭い目が、ベッド脇に危うく立つ美咲の全身をゆっくり辿る。「怪我はありませんか」「はい……助かりました」美咲は破裂しそうに赤くなった顔を伏せた。大河は床へ落ちた壊れたラッチ部品を拾い上げた。ヘアピンで何度も突かれ、歪んだスプリング。ドライバーの刃で削られた、潰れたねじ頭。大きな掌で部品を転がしながら、大河はふっと低く笑った。冷たく濃い瞳が、揺れる美咲の目を真正面から射抜く。「奥さま。ラッチへ鋼のピンを差し込み、スプリングを完全に折っていますね」「……!」「自分から部屋に閉じ込められる趣味でもできたんですか」露骨で容赦のない追及に、美咲の耳が燃えるように赤くなる。もう嘘もつけず、隠せなかった。羞恥と背徳感に唇を噛み、深く俯いた、その瞬間。一歩。大河がためらいなく近づき、硬い指で美咲の顎を包み、持ち上げた。荒い胼胝が触れた顎の下へ、焼けるような熱が広がる。視界は、男の硬い胸と、危うく揺らめく目で満たされた
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13話. 壊れた場所を直す手

「次は……どこを壊すつもりですか」掠れた低い声が、美咲の鎖骨を熱く震わせた。張り裂けそうな鼓動を抑えられず、男の広い背を絞るように抱き締める。厚い僧帽筋の向こうから、荒い吐息が噴き出した。慎吾の支配と潔癖、冷遇の中で、三年間横たわってきたベッド。冷たい寝具へ大河の重い身体と熱い息が落ちるたび、軋むスプリング音が、寝室の静寂を密やかに、荒々しく裂いた。夫の寝室の真ん中で行われる、背徳の逸脱。けれど美咲の胸へ満ちるのは、恐怖でも羞恥でもなかった。全身の血管を駆け巡る眩暈のような解放感と、自分が生きて息をしているという熱い実感だった。そっと。大河は顎を包んでいた手を下ろし、薄いニットカーディガンの袖を、肘の上まで慎重に捲り上げた。白い照明の下、手首の内側には、慎吾が捻り上げて残した濃い紫色の痣が、まだ鮮明に残っている。荒く硬い親指が、その傷を、とてもゆっくり、注意深く撫でた。熱い体温と、冷たい摩擦が同時に伝わり、美咲は思わず小さく息を呑んだ。「痛みますか」「いいえ……痛くないです」赤くなった目で首を振る。大河の濃く鋭い瞳が、美咲の震える睫毛を真っ直ぐ見抜いた。「ここは青く痣になっている。掌はレンチを回したせいで皮膚が腫れている」大河は小さく震える手を取り、自分の硬い頬へそっと触れさせた。ざらつく髭と、焼けるような体温が掌へ触れた瞬間、痺れる電流が背筋を走る。「人をここまで傷つけて放っておく男も、その傷を隠し、一人で膿ませていた人も」低い声は、非難でも叱責でもなかった。虐待と孤立の中で少しずつ窒息していた美咲の惨めな傷を、すべて見抜いて抱き締める深い憐れみであり、容赦のない誘いだった。大河は美咲の耳へ唇を寄せ、低く囁く。「ほかにどこが壊れているのか……全部、確かめないといけません」言葉が終わると同時に、熱い唇がうなじと鎖骨の間の柔らかな肌へ執拗に沈んだ。「はっ……黒瀬さん……!」抑えきれない声が、美咲の唇から溢れた。慎吾の手は、いつも軽蔑と支配、一方的な暴力だけだった。だが大河の手は、凍っていた感覚を一つずつ裂き開く、救いの火だった。硬い掌が細い腰を掬い、自分の胸へ強く引き寄せる。太い腿と張り詰めた身体が美咲を重く圧し、二人の荒い息が絡み、寝室の空気を息苦しいほど熱くした。夫の罵声と精神的支配に踏みつけられ
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14話. 冷たくなった眼差しの反撃

カチャリ、ピピッ。大河が帰り、玄関のスマートロックがかかる音が、寝室まで遠く響いた。美咲はベッドを降り、慎重に扉へ近づいた。新しくついた銀色のハンドルを押し下げると、カチッという音とともに、扉は静かに滑らかに開いた。(出たいと思ったときは、いつでも扉を開けて出ればいい)耳に残る大河の重い声に、美咲は胸へそっと手を当てた。あれは壊れたドアを直した作業員の、事務的な言葉などではない。夫の暴力と精神的支配という牢獄で窒息していた美咲へ渡された、何より強い救いの鍵だった。バスルームへ入り、シャワーを出す。温かな湯が汗と熱に濡れた身体を流すあいだ、美咲は鏡へ映る自分の顔をじっと見つめた。いつも恐怖と不安に細かく震えていた瞳は、もうどこにもない。大河の熱い体温と冷たい視線をくぐり、美咲の目には、氷のように冷たく硬い生気が宿っていた。午後八時、きっかり。カチャリ――バン!玄関が壊れそうな勢いで開き、慎吾が入ってきた。靴を乱暴に脱ぎ捨て、リビングへ入るなり眉をしかめ、ネクタイを引き抜く。「美咲! 飯はできてるのか? 帰ってきた音が聞こえても、出迎えにも来ないのかよ!」キッチンで味噌汁を器へよそっていた美咲は、静かにお玉を置いた。以前なら心臓を縮ませ、エプロンを握り、「ごめんなさい、すぐに用意します」と慌てて駆けつけただろう。けれど今の美咲は、わずかにも動揺せず、整った足取りでリビングへ出た。「味噌汁はできています。シャワーを浴びたら、すぐ食べられます」声は不自然なほど静かで、整っていた。慎吾は革のビジネスバッグをソファへ投げ、美咲の顎先まで大股で近づいた。冷たく高圧的な目が、鋭く突き刺さる。「何だ、その言い方は? 一日中家で楽して食わせてもらってたら、ずいぶん図々しくなったな」慎吾が指で肩を突き飛ばそうと手を伸ばした。美咲を屈服させ、恐怖で震えさせる、いつもの暴力的な癖だった。だがその瞬間、美咲は頭を下げなかった。むしろ顎を真っ直ぐ上げ、殺気を帯びた両目を、真正面から見返した。「……!」伸ばされた指が、宙で止まった。慎吾が一度も見たことのない眼差しだった。いつも涙を浮かべ、床だけを見ていた従順な人形の目に、夫の威圧など何でもないと言うような、冷たい軽蔑が濃く揺れている。「手を上げないで」美咲の低く断固とした一言が
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15話. 湯気の中に閉じ込められた熱

慎吾が出勤し、玄関を閉めた途端、美咲はリビングを横切り、寝室のバスルームへ向かった。昨夜、慎吾のスマートフォンに光った赤いハートと、知らない女の名前。以前なら裏切りに崩れ、泣き尽くしただろう。だが今、美咲の心は氷のように冷たく沈んでいた。自分を締めつけ、虫けらのように虐げてきた夫の、醜い裏側。その腐った偽善を知った瞬間、胸に残っていたわずかな罪悪感は、跡形もなく消えた。残ったのはただ一つ。本物の温もりで自分を呼吸させた男、大河へ向かう、止められない渇望だけだった。洗面台下の収納を開き、小さなプライヤーとレンチを取り出す。タイル床へしゃがみ込んだ美咲の目が、シャワーホースの接続部と、壁付水栓の温水流量調整バルブへ向いた。(キッチンの排水管。寝室のドアハンドル……今度は、バスルーム)家のあちこちへ自分で刻んだ破壊の痕は、大河を自分の世界へ引き込む、密やかで致命的な招待状だった。冷たいプライヤーでシャワーホースのナットを強く挟み、捻る。ギギギッ――!固く噛んでいたゴムパッキンが裂け、真鍮の接続部がぐらついた。止めずに壁の温水バルブのキャップを外し、レンチをかけ、反時計回りへ過剰に折り曲げる。シューッ、ブシュッ――!鋭い破裂音とともに、バルブの隙間から熱い湯が激しく噴き、四方へ飛び散った。シャワーヘッドは強い水圧に耐えられず、蛇のようにのたうち、熱い水を撒き散らす。鏡とタイル壁はたちまち白い曇りに覆われ、バスルームは一歩先も見えないほど濃い湯気で満ちた。美咲は水に濡れていくシャツをそのままに、震える手でスマートフォンを取り、大河の番号を押した。呼び出し音が二度鳴る前に、低い声が届く。『はい、黒瀬です』「黒瀬さん……バスルームのシャワーから、熱いお湯が四方へ噴き出してます。バルブも閉められなくて……」震える声を聞くなり、受話口の向こうで重い工具箱を掴み、扉を開けて飛び出す荒い音がした。『それ以上バルブへ触れず、バスルームの外へ出ていてください。玄関のワンタイム暗証番号を送ってください。五分で行きます』濡れた手でアプリを開き、一度限りの番号を送る。通話が切れた。けれど美咲は外へ出なかった。むしろ噴き出す熱い湯を全身で浴びながら、濡れたシャワーブースの壁へ背を預け、床へ座り込んだ。温水が薄いシャツを濡らし、肌へ隙間なく
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16話. 危険な警告と中毒

ざああっ――キィ。大河は片腕で美咲の腰を強く抱いたまま、もう一方の手でモンキーレンチを伸ばし、壁付水栓の温水止水バルブを閉めた。四方へ激しく噴き出していた湯が、一瞬で止まる。シャワーヘッドが床へ落ち、鈍い音を立てた。浴室には、濃い湯気の中を二人の荒く熱い息だけが響いた。タイル壁へ背を預けた美咲は、濡れたシャツの下で暴れる胸を鎮められず、浅い呼吸を繰り返した。大河もまた、びしょ濡れの作業服が硬い胸板へ張りつき、濃い男の色を放っている。太い首筋と鋭い顎を伝った透明な水滴が、美咲の鎖骨へ、ぽたり、ぽたりと落ちた。肌の触れ合う場所すべてに、火傷しそうな熱が広がる。大河は美咲を抱いていた腕をゆっくり緩め、上体を起こした。収納から乾いた白いタオルを出し、壁にもたれる美咲へ再び近づく。そっと。大きな手がタオルで濡れた髪を包んだ。水気を拭う手は、荒く硬い外見とは違い、どこまでも優しく繊細だった。慎吾から三年間浴びせられた罵声と冷遇の中では、一度も受けたことのない、まっすぐで丁寧な労りだった。額、濡れた頬、首筋へと、タオルが柔らかく滑る。その途中、右手の指先がタオルの外へ出た瞬間、大河の動きが止まった。バルブを無理に捻ったとき、金属片で擦った人差し指の関節。薄い皮膚が赤く剥け、血の粒が浮いていた。大河の目が、一瞬で冷たく沈む。工具箱から消毒綿と絆創膏を出し、傷ついた指を慎重に支えた。血を拭い、傷へ絆創膏を貼る。最後に、傷のない指の節へ短く口づけた。「んっ……黒瀬さん」反射的に手を引こうとすると、大河は無理に掴まず、掌の下だけを支えた。そして美咲の手の甲を自分の頬へしばらく預け、低く重い声で言った。瞳には深い憐れみと、抑えきれない冷たい怒りが渦巻いていた。「美咲さん」「……」「俺に会いたいからといって、こんな危ない壊し方をしないでください」低く沈んだ吐息が、美咲の耳を熱く揺らす。「レンチで掌を腫らし、ドアに閉じ込められ、今度は熱湯の中で指まで切って……どうして自分を、こんなに危険へ追い込むんです」その声は叱責ではなかった。傷だらけの美咲の身体と心へ向けて溢れた、切実で痛い告白だった。大河は濡れた頬を包み、瞳を真正面から見つめる。「壊れた場所なんて、なくてもいい。理由を作らなくていいんです」「……!」「ただ……会
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17話. 言い訳のない夜の熱

斜めになった陽射しがリビングの床を赤く染める、午後四時。美咲はシンクの前に立ち、掌をじっと見つめていた。モンキーレンチは握っていない。寝室のラッチへ無理にピンを差し込み、壊してもいない。浴室の温水バルブも、わずかにも揺れず、正しい場所に収まっていた。家の中はすべて完璧に整い、どこにも人為的な不具合はない。(壊れた場所なんて、なくてもいい。理由を作らなくていいんです)(ただ会いたいと、一本電話してください。どこにいても、あなたのところへ行きます)耳へ執拗に残る、大河の低く重い声。美咲は乾いた喉を鳴らし、震える指でスマートフォンを取った。偽りの故障と背徳的な言い訳の後ろへ隠れず、ありのままの顔と、生の欲望で男を呼ぶ。そんなことは、生まれて初めてだった。どく、どく、どく。心臓が胸郭を壊しそうに打つ。震える息を吸い、大河の番号を押した。呼び出し音は、一度も鳴り切らなかった。『はい、黒瀬です』受話口から聞こえる、男の荒く硬い呼吸。現場の機械音が混じっているのに、美咲の声を待っていたような静かな集中が、重く伝わった。喉が詰まり、しばらく言葉が出ない。ようやく乾いた唇を開き、吐息のように呼んだ。「……大河さん」電話の向こうの騒音が、嘘のように止まった。『美咲さん?』掠れた低い声が、耳を熱く揺らす。「壊れたところは……ありません。水も漏れてないし、扉もちゃんと開きます」『……』「でも……ただ、会いたくて」ようやく告げた言葉に、目の奥が熱くなった。恥ずかしさで全身が震える。同時に、魂を締めていた枷が外れたような眩暈のする解放感が、血の中へ広がった。受話口の向こうで、重い革のジャケットを掴む音と、荒い呼吸が聞こえる。『今すぐ行きます。鍵をかけて待っていてください』通話が切れて、わずか二十分後。カチャリ、ピピッ。玄関のロックが外れ、重い足音が廊下を横切り、リビングへ入ってきた。美咲が立ち上がった瞬間、入口に立つ大河の姿が視界を満たす。いつもの作業服ではない。身体へぴたりと沿う黒いシャツと、濃いデニム。広い肩と硬い胸の起伏がそのまま現れた、圧倒的な輪郭。汗に濡れた髪を荒くかき上げた大河の濃い瞳が、美咲を真正面から貫いた。「大河さん……」言い終わるより早かった。大股で近づいた大河の大きな手が、片腕で腰を掴
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18話. 冷たい証拠と残酷な目覚め

大河が帰ったあと、時計は午前一時を回っていた。重い静寂だけが落ちる暗いリビング。カチャリ――バン!玄関が壊れそうな勢いで開き、泥酔した慎吾がよろめきながら入ってきた。強いウイスキーと染みついた煙草の臭いが、澄んでいた空気を一瞬で汚す。ネクタイを引き抜いて床へ投げ、暗がりに立つ美咲へ、呂律の回らない声で吐き捨てた。「おい、美咲。水持ってこい。喉が焼けそうなんだ。早くしろ」美咲は動揺のない冷たい目で歩き、氷水をテーブルへ置いた。慎吾は一気に飲み、ソファへ倒れ込み、そのまま大きないびきをかいて眠った。無防備で醜い姿を見下ろす美咲の目は、氷のように冷え切っていた。ソファの下へ滑り落ちた高級スーツのジャケットを慎重に拾う。かさり。内側の襟から、鼻を刺す知らない香りが流れた。美咲のものではない、甘く華やかな高級フレグランス。白いワイシャツの襟の内側には、濃いピンクの口紅が醜く潰れている。美咲の口元へ、冷たい失笑が浮かんだ。手首を捻り、息が詰まるほど完璧と潔癖を強要してきた夫の、卑劣な素顔だった。息を殺し、慎吾のズボンのポケットから重い革財布を取り出す。ジッ、とファスナーポケットやカード入れを一つずつ開くと、固く折られた数枚のレシートと名刺が指に触れた。スマートフォンの明るさを落とし、印字を順に確認する。【グランルーチェ東京 スイートルーム/180,000円】【銀座・高級おまかせコース二名分/80,000円】【銀座ルミナス百貨店 ダイヤモンドネックレス/600,000円】先週、「地方工場への出張」だと言って一泊した日付と、すべて一致していた。生活費を五千円でも超えれば目を剥き、「そんな家事だから寄生虫と呼ばれるんだ」と髪を掴もうとした男が、外では若い愛人のため、一晩で大金を湯水のように使っている。レシートの裏に挟まれた名刺を開いた。【ルーチェ・インテリアデザイン/代表 水城紗也香】財布の内側には、愛人が自ら書いた、親密で生々しいメモまで残っていた。『ねえ、週末のスイート最高だった。来週は約束どおり、沖縄のプライベートヴィラへ行こうね』どくん――。胸の奥に残っていた最後の迷いと、欠片ほどの罪悪感が、粉々に砕けた。涙は一滴も出なかった。羞恥も悲しみもなく、骨まで冷えるほど明瞭な怒りと、揺るぎない冷静さが全身を満たした。
last updateÚltima atualização : 2026-09-22
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19話. がたつくサッシと不吉な秒針

初秋の午後の陽射しが、大きな窓を抜け、バルコニーの床へ長い影を落としていた。美咲はアルミサッシのレールを指先でなぞった。窓を動かすたび、がたがたと金属音が静寂を裂く。昨夜確保した口紅の痕、紗也香の名刺、ホテルのレシート写真は、すでに三か所へバックアップしてある。慎吾の不倫と金の流れを確認してから、罪悪感は消えた。あとは証拠を守り、安全にこの家を出る準備をするだけだ。慎吾は今朝も、出勤する際に玄関を叩きつけ、傲慢に言い放った。『今日は海外の大口取引先との契約会食だ。帰りは深夜になる。くだらない電話で邪魔するなよ』夫が夜遅くまで戻らないという、確かな情報。美咲はサッシのずれと遊びを確かめ、ポケットからスマートフォンを出して、大河の番号を押した。呼び出し音が二度鳴るより前に、低く硬い声が耳へ重く入り込む。『はい、美咲さん』「大河さん……リビングのサッシレールがかなりがたついてるんです。ローラーの高さがずれたのか、窓枠が大きく揺れて、隙間風まで入ってきて……見てもらえますか?」『今すぐ出ます。十五分で着きます』通話が終わり、美咲は胸を撫で下ろして、バルコニーの窓を大きく開けた。今回の呼び出しに嘘はない。サッシは本当にがたつき、美咲は初めて何も隠さず、大河へ助けを求めた。冷たい初秋の風が吹き込んだが、胸は緊張で熱く鳴っていた。カチャリ、ピピッ――。ほどなく、玄関のロックが外れる、聞き慣れた頼もしい電子音がした。廊下を速足で横切る安全靴の音が、リビングを抜け、バルコニーの前へまっすぐ近づく。濃紺の作業服に、重い革の工具箱を持った大河だった。肘まで捲った袖の下、盛り上がる前腕と青い血管が鮮明に浮いている。清潔な石鹸と機械油の香りが、澄んだ空気を一瞬で濃い緊張へ染めた。「美咲さん」バルコニーへ入るなり、大河は深く鋭い目で、美咲の顔色を丁寧に確かめた。「昨夜、何もありませんでしたか。ご主人が戻ってから……手を上げたり、苦しめたりは?」「大丈夫です。酔ってすぐ眠ったから、何もありませんでした。それから、言われたとおり、財布のレシートと相手の名刺、口紅の痕まで全部、高画質で撮って保存しました」落ち着いた決然とした答えに、大河の固かった口元が少し緩んだ。大きな手を伸ばし、美咲の細い肩をそっと包む。荒い掌の熱が、凍っていた心を確か
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20話. 扉一枚を隔てた吐息

「美咲! 車のキーを書斎の机に置いてきたんだよ! 帰ってきた音が聞こえてるのに、どこに隠れてる!」玄関ホールから扉が乱暴に開き、鋭い靴音がフローリングを踏み砕くように、リビングへ迫った。美咲の顔は紙のように白くなった。呼吸が速くなり、心臓が肋骨を壊すほど暴れる。今、大河と二人きりの姿を見られたら、修理だと説明する前に、慎吾は暴力を振るうかもしれない。夜通し集めた証拠も、離婚へ向けた準備も、その騒ぎの中で壊される可能性があった。絶体絶命の瞬間、大河の大きく硬い手が、美咲の震える手首を掴んだ。動きに一瞬の迷いも、揺らぎもない。床の重い工具バッグを片手で持ち上げ、バルコニーの隅にある狭いユーティリティー収納の扉を、音もなく開いた。すっ――とん。美咲を奥の隅へ押し入れ、自分の大きな身体も隙間へ滑り込ませて、内側から扉を閉める。洗濯機と乾燥機、季節外れの収納箱が高く積まれた、暗く狭い密室。大人一人がようやく立てるほどの場所で、二人の身体は隙間なく重なった。美咲の細い背が冷たいタイル壁へ触れ、その上から大河の厚い胸と広い肩が覆いかぶさる。「……んっ」恐怖と極度の緊張で声を漏らしかけると、大河の荒い掌が唇をそっと覆った。焼けるような体温と荒い呼吸が、美咲の鼻先を満たす。大河は顔を傾け、耳へ唇を寄せ、息に近い低い声で囁いた。「静かに。大丈夫です。俺が全部防ぎます。ゆっくり息だけしてください」闇の中で青く光る、深く冷たい瞳。その揺るぎない目に、美咲は震える手で、大河の硬いシャツの襟を必死に掴んだ。どん、どん、どん――。大きな窓の向こうから、慎吾の苛立った足音がバルコニーの入口まで近づく。「本当に家を空けて、どこへ出かけたんだ? 窓まで開けっぱなしにしやがって」慎吾は悪態をつきながらバルコニーへ入り、大河が修理したばかりのアルミサッシを手で何度も揺らした。がたん、という金属音が、薄い木の扉一枚を隔てて鋭く突き刺さる。隙間から慎吾の荒い息、強い煙草の臭い、革のバッグが擦れる音が這い込んできた。美咲は舌を噛み、咳が漏れるのを抑えた。扉の外で鍵束がぶつかるたび、収納のハンドルまで揺れているように感じる。ハンドルが一度下げられれば、二人はすぐ露わになる。息を吸うことも忘れ、全身を震わせる。指の節が白くなるほど服を握る美咲を見て、大
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