書斎の引き出しを乱暴に開け閉めしていた靴音が、再びフローリングを踏みつけ、バルコニーへ近づいた。「美咲! 車のキーは見つかった。戸締まりくらいちゃんと……あ?」バルコニーへ入ろうとした慎吾の足が、固まった。ユーティリティー収納の扉を音もなく開け、出てくる大柄な男が見えたからだ。濃紺の作業服。片手には重い革の工具箱。大河だった。美咲を最も奥の暗がりへ完全に隠したまま、大河は一瞬も動揺せず、平然とバルコニーの中央へ歩いた。肘まで捲った袖の下には硬く盛り上がる前腕。手には電動ドライバーとアルミ製の水平器。圧倒的な体格が窓辺の午後の光を遮ると、慎吾の頭上へ重く冷たい影が長く落ちた。清潔な石鹸と機械油の香りが、狭いバルコニーの空気を一気に支配する。「……誰だ、あんた。どうして人の家の物置から出てくる?」慎吾の眉間が醜く歪み、甲高い声が鋭く跳ねた。いつも妻を虫けらのように見下し、「家の主」という傲慢な優越感で相手を押さえつける、高圧的な態度だった。だが大河は瞬きひとつしない。濃い眉の下、青く沈んだ深い瞳で、慎吾の歪んだ顔をまっすぐ見下ろした。二人の視線が、火花を散らすように衝突する。身長も体格も、全身から放たれる威圧感も、慎吾は大河の相手にならなかった。冷たい気迫に押され、慎吾の喉がわずかに揺れる。大河は作業用の革手袋を手の甲で軽く払い、低く明瞭に名乗った。「東都総合メンテナンス、アフターサービス責任者の黒瀬大河です」無駄のない抑えた声が、冷たい空気を静かに押さえつける。「東棟702号室の奥さまから、リビング側サッシレールの破損と下部ローラー脱輪について緊急補修の依頼を受け、点検していました」「何? サッシの補修?」慎吾は顎を歪めて上げ、吐き捨てた。「俺は許可してないぞ。所有者の確認も取らず、勝手に人の家へ入ったのか?」幼稚で無理のある難癖にも、大河の無表情には塵ほどの亀裂も生まれなかった。胸元から管理会社の受付印が押された正式な緊急点検票を出し、慎吾の前へまっすぐ差し出す。「外壁側アルミサッシのがたつきとレール破損は、強風時の脱落、下階への漏水につながる重大な不具合です」法令を読むように、冷たく明晰な声だった。「こちらは管理会社が受理した緊急点検票です。サッシ脱落には転落・漏水の危険があるため、同居人お一人からの申
Última atualização : 2026-09-22 Ler mais