寝室に戻るなり、私はスマホを取り出し、顧問弁護士に電話をかけた。「離婚届を用意してください。今すぐに」電話の向こうで、息を呑むような沈黙が流れる。「離婚届……ですか?春本社長はご存じなのですか?」「知ってます」嘘のせいで喉の奥が焼けるようだった。それでも構わず、言葉を無理やり絞り出す。「とにかく、書類だけお願いします」30分後、私は小さなコンソールテーブルの前に立っていた。プリンターはまだ温かい。離婚届に署名を済ませ、書類を束ごと公共料金の請求書の下に滑り込ませる。平常心を装ったその時、和真が部屋に入ってきた。彼の視線が私を捉えた瞬間、端整な顔に驚きの色が浮かんだ。「愛奈?出張は金曜までだと思っていたが」私は微笑みを作った。「驚かせたくて、早く終わったの」彼は大股で部屋を横切ると、両手で私の頬を包み込んだ。かつてはその掌の温もりが、世界で一番好きなものだった。今はただ、肌が粟立つばかりだった。「……やっと帰ってきたか。ずっと会いたかった」彼の親指が私の頬をそっと撫でた。その愛おしげな言葉に、先ほど耳にした会話が、すべて自分の妄想だったのではないかとさえ思えてくる。崩れ落ちそうになる前に、私はコンソールの上の書類を掴み、差し出した。「せっかくだから、これにサインしてもらえる?家の請求書なの。片付けておきたくて」「ああ、いいよ」彼は何の疑いもなく束を受け取り、上着からペンを抜くと、付箋の貼られた箇所に次々とサインしていく。1枚、また1枚と、流麗で堂々とした署名が連なっていく。疑うことすら知らないかのように。私はそのペン先を見つめていた。一番下に紛れ込ませた離婚届の上を、ペンが滑っていく。彼は書類の見出しにすら目を通さなかった。それほどまでに、私を信じ切っていた。あるいは、私がこんなことをするなど、想像すらしていなかったのだろう。書き終えた彼は、軽い笑みとともに書類を返してきた。「これで終わりだ。他には?そろそろ、妻にただいまのキスをしてもいいか?」答える間もなく、彼の力強い腕が私を胸に引き寄せる。唇が近づいてきた瞬間、私はうろたえ、ぎりぎりで顔を背けた。彼の口づけは、ぎこちなく唇の端を掠めた。和真が身を引く。瞳に戸惑いの色が浮かんだ。「……どうした?」
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