「誰として、いればいいんですか」紗月が尋ねた。怜司は彼女から目をそらさなかった。「神崎紗月として」「ドアの外へ出たら、違う名前で呼ばれます」テーブルの端の予約札には、まだ神崎紗良と書かれていた。怜司もそれを見た。一度本当の名前で呼んだだけでは、済まないことだった。「そこは整理する。書類も、人に説明することも」「それまでは、知らないふりをしろということですか」怜司はすぐに答えられなかった。紗月はその沈黙を受け、バッグを膝から下ろした。握っていると、今すぐ出ていくと言ってしまいそうだった。「黒瀬さんにも、考える時間が必要でしょう。私にも必要です」「わかった。今日ここで、全部決めろとは言わない」ドアの外から、食事を運んでもいいかとスタッフが尋ねた。怜司は少し待ってほしいと答え、紗月を見た。「食べられそう?」「食欲はありませんけど」「昨日もなかったはずだ」紗月は言い返しかけ、やめた。一日中追い立てられるように過ごし、空腹かどうかまで見失っていた。怜司は酒や刺身ではなく、温かい物から出してほしいと頼んだ。紗月が断るより先に料理を決めたが、新しく置かれた皿を無理に押しつけることはしなかった。紗月は汁物を少し飲んだ。2口目のあと、先に話し始めた。「あの夜、名前を呼ばないでほしいと言ったのも、そのためでした」怜司の手が止まった。「紗良と呼ばれたら、ずっと紗良のふりをしなくてはいけないから」「最後まで隠すつもりだった?」「どう終わらせるかなんて、考えられませんでした。父に今夜さえ乗り切ればいいと言われて……本当に、その夜のことしか考えていなかったんです」怜司は、自分の言葉を思い返しているようだった。ドアを開け、隣の部屋を使えばいいと言ってくれた。花嫁を実家へ追い返したりはしないとも。その約束の中に、神崎紗月もいるのか。あのとき、聞かなくてはいけなかった。「だまして、すみませんでした」紗月はスプーンを置き、彼を見た。「出ていかなくてもいいと言ってくださって、ほっとしたんです。それで、余計に言えなくなりました。本当のことを話したら、その言葉も取り消される気がして」「俺がそうすると思った?」「わかりません。黒瀬さんのことを、知らなかったので」怜司が背もたれに体を預けた。間違っているとは言えない答えだった。昼に初めて会う女を花嫁として
최신 업데이트 : 2026-10-09 더 보기