マンションからは、美空が忙しなく動き回る姿が消えた。彼女がまとっていた、かすかな香りさえ、今では記憶の中にしか残っていない。夜中、ふと目を覚ましたときなど、雅人はいつもの癖で隣に手を伸ばし、彼女の腰を抱こうとする。けれど、腕の中には誰もいない。そのたびに雅人ははっと目を覚まし、隣の空いたスペースを見つめたまま、しばらくぼんやりと座り込んでしまうのだった。オフィスで書類に目を通しているときも、つい内線電話に手が伸びる。「吉沢、社長室に来てくれ」そう指示してから、受話器の向こうにいる新しい秘書が気まずそうに黙り込んだことで、ようやく我に返る。美空はもう、退職したのだ。新しい秘書の仕事ぶりに不満はなかった。けれど、彼女が淹れるコーヒーは、雅人が好きなコクがなかった。そして今、雅人はマンゴージュースが入ったものを誤って口にし、アレルギー症状を起こしていた。肌がむずむずとかゆみ始め、赤い発疹が浮かび上がってくる。新しい秘書は今にも泣き出しそうな顔で、慌てて申し出た。「申し訳ございません!今すぐ病院へお連れします!」雅人は落ち着いた様子でグラスを置き、秘書とともに宴会場を出ようとした。そのとき、会場の入り口に立つ人影が、ふいに視界に飛び込んできた。雅人は目を見開いた。信じられないものを見るように、その姿を凝視する。「……美空?」美空自身も、こんなに早く京浜市へ戻ってくることになるとは思っていなかった。航平は大学時代から起業し、いくつかの成長の波をうまく捉えて事業を拡大してきた。今では、京浜市でも名の知られた新進気鋭の経営者となっている。しかも、天野グループと篠原グループは、同じ業界に属していた。雅人の秘書を務めていた美空は、仕事で天野グループと何度もやり取りをしていた。それでも、まさかその会社が、幼い頃に一緒に遊んだ航平の会社だったとは思いもしなかった。美空は実家で1ヶ月近く休養していたが、彼女のこれまでの職歴を知った航平から、天野グループへの入社を勧められた。航平は会社の主要事業を川原市へ移すことを考えていた。そのため美空はこのところ、彼に同行して京浜市と川原市を行き来する日々を送っていた。仕事に追われる毎日で、雅人のことを思い出す機会もほとんどなくなっていた。京浜市は、ときに
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