「二束三文」の語源や由来はどのようなものですか?

2025-11-25 15:29:11 32

2 回答

Una
Una
2025-11-26 15:22:24
面白いことに「二束三文」の由来には異説もあります。中世の市場で、質の悪いものを「二束で三文」と呼んでいたという記録が残っているのです。当時は品質によって値段が大きく変動したため、この表現が「粗悪品」の代名詞として使われるようになったとか。

現代では転じて、努力に見合わない報酬や価値のないものを指す比喩として定着しました。特に創作作品では、主人公が苦労して手に入れた宝物が実は大した価値のないものだった、という展開でこの言葉が効果的に使われることがありますね。
Sophie
Sophie
2025-11-27 10:56:19
「二束三文」という表現は、江戸時代の商取引から生まれたと言われています。当時、わらじや草鞋などの履物は「束」単位で売買されており、二束でわずか三文という極めて安い値段を意味していました。

この言葉が現代まで残った背景には、当時の物価感覚が反映されています。三文は現在の貨幣価値でいうと数十円程度。つまり、二束でそれだけの値段というのは、文字通り「ほとんどタダ同然」のニュアンスだったのです。

興味深いのは、この表現が「量」と「値段」の対比で成り立っている点。二束というまとまった量に対して、三文という小さな金額を並べることで、価値の低さを強調する修辞的な効果もあったのでしょう。時代劇や落語でもよく使われるこの言葉は、日本独自の価値観を表すユニークな表現として今も生き続けています。
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