「月と鼈」と「月とスッポン」の違いは何ですか?

2025-12-01 20:09:54 20

1 回答

Kayla
Kayla
2025-12-07 00:02:17
ことわざの世界には似たような表現でも、微妙なニュアンスの違いでまったく異なる印象を与えるものが少なくありません。『月と鼈』と『月とスッポン』もその好例で、一見するとどちらも「似ているようで実は大きく違う」という意味合いで使われそうですが、実は成り立ちも使い方も異なります。

『月と鼈』は「月とスッポン」よりも古くから使われている表現で、主に「比較にならないほど差がある」という意味で用いられます。月の明るさと鼈(すっぽん)の甲羅の黒さを対比させたもので、全く正反対のものを並べた極端な例えです。江戸時代の滑稽本『浮世風呂』にも登場するほど歴史のある表現で、現代でも「月と鼈ほど違う」という形で使われることがあります。

一方『月とスッポン』は、見た目が似ているようで実は違うという意味合いが強く、「似て非なるもの」を指す場合に用いられます。この表現は比較的新しく、月のクレーターとスッポンの甲羅の模様が一見似ていることから生まれたと言われています。特に創作の世界では、キャラクターデザインやストーリー展開で「パクリ疑惑」が起きた時などに、「月とスッポンほど似ている」といった形で引用されることも。

面白いことに、地域によってもこれらの表現の使われ方に違いがあります。関西では『月と鼈』を「似ているもの」として使うケースもあるようで、言葉というのは時代と共に変化していくものだという好例と言えるでしょう。どちらの表現も日本語の豊かさを感じさせるもので、使い分けられるようになると表現の幅が広がりますね。
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