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──いざや参らん、君がもとへ
──いざや来たらん、門を開きて ──千の屍を築きし者よ ──万の血河を成したる者よ ──君が願いを聞き届けん ──君が思いを受け止めん ──万有を禊ぎ、楽土を望むか ──穢れを禊ぎ、浄土を望むか ──いざや、星となりて天に昇らん ──憂世を絶ち、現世を禊ぎ、 ──然して君が末葉と、御国を照らさん ──千代に八千代に、永久に ◇◆◇◆◇ 本来ならば、普段と何も変わらない穏やかな日常を過ごす筈でした。 父が宮司を、母が巫女長をしている実家の神社に奇妙な来訪者が訪れたのは、五歳になったばかりの冬のある日……まだ、肌寒い夜明け前のことでした。 「──おはよう、可愛らしいお嬢さん? 宮司は今、此方にいらっしゃるだろうか?」 国旗掲揚をしている、巫女装束に身を包んだ母をぼんやりと眺めていると、子連れの若い男性が突然私に声を掛けてきました。 ダークグレーのスーツの上から黒い外套を羽織り、やや唾が広い黒い帽子を目深に被ったその出で立ちは、まるで映画に出てくるマフィアの首領のようでしたが、一方で容姿は如何にも優男と言った感じの端麗なる風貌で、物腰や態度も紳士的で穏やかな、何処か奇妙で不思議な雰囲気を纏う方でした。 ですが、私が惹かれたのは彼ではなく、彼と付かず離れずの距離を維持して傍らに静かに佇む、白の和服姿の小さな少女でした。 年は私と同じくらい……いえ、ほんの少し相手の方が年上でしょうか。背丈は私とそう変わりませんが、背中まで伸ばした艶やかな黒髪を白い和紙で結わえており、色白で華奢な見た目も相まってまるでお人形さんのようです。 年齢が年齢ですので、当然まだまだあどけなさが色濃いのですが、それを差し引いても非常に綺麗な顔立ちをしていました。可愛らしさと美しさを絶妙な加減で上手く両立しており、恐らくこれ以上に整った容貌の人はこの世に二人と居ないだろう……そう思わせるだけの美貌を、その少女は幼くして既に有していたのです。 何よりも魅力的だったのは、少女の瞳です。左の瞳は髪と同じく澄んだ黒色でしたが、右の瞳は綺麗な翡翠色をしていました。 義眼でしょうか。それとも、先天的なオッドアイでしょうか。何れにせよ、そのちぐはぐな両の瞳が、彼女の魅力をより引き立てていました。 「ふふっ……おはよう御座います。良き朝に御座いますね」 私の視線に気付いたのか、少女は柔和な笑みを湛えつつ、小鳥の囀りを彷彿とさせる透き通った声で、丁寧にお辞儀をしながら挨拶をしてきます。所作の一つ一つが様になっており、何時までも見ていたい……そんな気持ちに駆られました。 「あっ……!」 私と対峙している二人組に気付いたのか、国旗掲揚を終えた母が緋袴の裾を軽くたくし上げ、早足で此方へと駆け寄ってきます。彼らも母に気付いたようで、くるりと母の方へと向き直ると、 「おはよう御座います、ご婦人。宮司からご連絡を受けて参りました、御陵《みささぎ》家の本家当主をしております、御陵 宗一《そういち》と申します。此方は私の妹で巫女の清《きよ》と言います。どうぞ、よしなに」 「初めまして、巫女長さま。宗一の妹の、御陵 清と申します。どうぞ、宜しくお願いしますね」 無表情の男──宗一さんとは対照的に、少女──清さんはにこっと笑いながら、先刻私にしたように母にも優雅にお辞儀をしました。 「あ、えっと、貴方がたが……その……うちの主人が仰っていた……日ノ本の……」 「えぇ、まぁ。"日ノ本の裏御三家"と、巷では呼ばれておりますが……そんな、大層なものでもありませんよ。少しばかり古い歴史を持つ、巫の一族に過ぎません」 「いえ……まさか、本当に私どもの依頼を引き受けて下さるとは……ああ、感謝してもしきれません……!」 少し興奮した様子の母……こんな母を見るのは、生まれて初めてのことです。目をきらきらと輝かせ、頬をほんのりと紅潮させているその様はさながら、推しのアイドルを目の前にしたファンのようでした。 「あー……巫女長殿? そろそろ、中に入らせて頂いても? ここで呑気に立ち話をしていては、忌々しい【敷島】の手の者たちに話を聞かれる恐れもありましょう。貴方がたが先代より譲り受け、そして秘蔵している"高天原《たかまがはら》計画"──それに関する資料を、彼らは喉から手が出るほど欲しております」 宗一さんの一声で母は我に返ったのか、慌てて宗一さんを宮司──父が待っているであろう、社務所内へと案内します。私も着いていこうとしたのですが、母がやんわりと、けれどもはっきりと私に対し、拒絶の意を示しました。 「……ごめんね、亜也子《あやこ》。今から、お父さんとお母さんは宗一さんと、大事なお話があるの。亜也子にも聞かれてはいけないような、大事な……大事なお話よ」 何時になく真剣な面持ちの母……嫌だとは、とても言えませんでした。大好きな母に、嫌われたくなかったから。怒られたくなかったから。 だから私は、大人しく言うことを聞くことにしました。 「……うん、分かった。お母さんたちのお話が終わるまで、外で遊んでいるね」 「ありがとう……良い子ね、亜也子。なるべく、早く終わるようにするから……それまで大人しく、良い子にして待っていてね?」 母は少しだけ表情を和らげると、私の額にそっとキスをしてくれました。 そんな私たちの様子を見ていたのか、宗一さんの後に続こうとしていた清さんが歩みを止め、とことこと私たちの元へと歩み寄ってくると、私たちにとって意外とも思える提案をしてきました。 「巫女長さま? 私で宜しければ、亜也子ちゃんの話し相手を務めさせて頂きますが、如何ですか?」 清さんの提案に、母は目を丸くしました。清さんは満開の花を思わせるような笑顔を見せつつ、続けてこう言いました。 「亜也子ちゃんを独り、外で遊ばせるのは危険だと思いまして。【敷島】の手の者が、亜也子ちゃんを狙わないとも限りません。彼らは何処にでもいて、何処にもいない蜃気楼のようなもの。気が付いた時には懐にいる、というのは充分有り得る事態です」 その点、まだ幼い自分は【敷島】の構成員たちに面が割れていないので、私と遊んでいても裏御三家の人間だとは気付かれないし、流石の【敷島】の構成員たちも、目標とは全くの無関係の人間を巻き込むことは斯くして、宗一さん・清さん兄妹の御陵本家に迎え入れて貰った私は、数日掛けて御陵家ご用達の大病院で体調を整えた後に退院し、そのまま本家の屋敷へと引っ越すことになりました。 引っ越し当日、宗一さんからの指示で病院屋上へと足を運んだ私を出迎えたのは、爆音を轟かせながらヘリポートへと今正に着陸せんとする中型多目的ヘリ、UH-60……通称"ブラックホーク"でした。 アメリカ合衆国のヘリコプター製造会社、シコルスキー・エアクラフト社製の本機は、汎用性に極めて優れる多目的ヘリコプターであり、"日ノ本の裏御三家"もその汎用性の高さを認め、相当数を購入・保有していました。 本来、アメリカや日本の自衛隊、台湾やオーストラリアなどの、国家の防人たる軍隊が運用しているブラックホークですが、目の前に着陸したそれは迷彩など不要とばかりに真っ黒に塗装されており、見る者に底知れぬ不気味さを感じさせました。 着陸したブラックホークの中より、特殊部隊のような格好をした黒ずくめの男たちが降りてきたかと思うと、一糸乱れぬ動きで敬礼します。【敷島】の者たちと見間違え、一瞬身構えた私でしたが、程なくしてその不安は杞憂であったと知りました。「御陵 奏さまですね、お会い出来て光栄です──これより我らが貴女を、御陵本家までお連れ致します」 目の前の男たちはそう言って、再度私に敬礼しました。裏御三家が保有する私兵部隊、通称【彼岸】。それが、彼らの正体でした。清さんたち裏御三家の人間を敵対者から守護し、裏御三家に仇なす者を見つけ出しては、手段を問わず闇へと葬り去る……云わば、裏御三家の影とでも言うべき存在。 あの日、宗一さんからの指示を受け、清さんと共に私を救出しにやって来たのも【彼岸】の人たちでした。【敷島】とは似て非なるもの……私は即座に警戒を解き、御陵本家まで私を護送してくれる彼らに対し最大限の敬意を示そうと、その場で深々とお辞儀をしました。「御陵……奏、です。どうか、宜しくお願いします」「はっ──こちらこそ、宜しくお願い致します」 時間が勿体ないということで、私は直ぐに機内へと案内されました。思った以上に狭い──それが、機内に乗り込んだ際の第一印象でした。ブラックホークは軍用ヘリですので、当たり前と言えば当たり前なのでしょうが……。「軍用ヘリゆえに、乗り
清さんと宗一さん、御陵本家の当主兄妹たちによって救出され、そのまま彼らに保護された私でしたが……やはり目の前で母やお友だちを【敷島】の構成員・秋津に無惨にも殺された精神的ショックというものは大きく、半ば死人同然の状態で無為な時間を過ごしました。 食べ物も水も喉を通らず、ふとした拍子に怨敵・秋津が母やお友だちを惨たらしく殺害する光景がフラッシュバックしては、錯乱を起こして暴れ回り、物を激しく散らかした後、その場で蹲り嘔吐する。そして、異変を察知して駆け付けてきた清さんや宗一さんに抱きしめられ、彼女たちの腕の中で、大きな声を上げて泣く。 そんな悪夢のような日々が、二ヶ月も続きました。宗一さんも清さんも、何か有効な打開策はないものかと、日夜思案している様子でした。 如何に宗一さんや清さんが"日ノ本の裏御三家"の中でも上位に位置する存在とはいえ、他者の心の痛みまで肩代わり出来るわけではありません。 そうして── 悩みに悩み抜いた末、宗一さんが一つの解を見出しました。決して最善とは言い難い、けれども死人同然の私を正気に戻し、生きる活力を与える最短の道。 そう、それは──私の心に刻まれた過日のトラウマを、より恐ろしい存在と遭遇させることで半ば強制的に上書きする、というショック療法。一種の荒療治でした。 ある日── 私は宗一さんと清さんに連れられて、私が入院している病院の近くにある、小洒落た喫茶店へと足を運びました。 宗一さんは初めて会った時と殆ど変わらぬ黒のスーツ姿でしたが、清さんは見慣れた和服姿ではなく、珍しく洋服を身に付けていました。無地の白いブラウスの上からこれまた無地の黒いカーディガンを羽織り、紺色の膝丈スカートからすらりと伸びた細い脚には、裏起毛の黒タイツと黒い革靴を履いていました。 装飾も何もない無地で目立たない服装の筈なのに、清さんが着ると途端に"深窓の令嬢"という言葉が良く似合う清楚な雰囲気を醸し出すのは、やはり清さんが幼いながらも他の追随を許さぬほどに、神秘的で綺麗な容姿の持ち主だったからなのでしょう。 私は清さんのお下がりの服を借りていましたが、きっと酷い有り様だったと思います。肌から血の気は失せ、目の下には隈があり、虚ろな目をしてぼんやりと、何処か遠くを見つめている。その様は喩えるなら、まるでホラ
神社が、燃えていました。 夕闇の中で煌々と燃え盛るその様はまるで、暗がりを照らす灯火のようにも見えなくはありませんでした。 そこに広がっている光景が、この世の地獄であることを除けば、ですが。 至る所に、神社で働いている巫女さんが血を流して倒れていました。胸や腹に大きな穴が穿たれている人、喉を搔き切られている人、左肩口から心臓にかけてナイフによる強烈な一撃を受けた人……原因は異なれど、何れも血の海の中で即死していました。 「…………」 この惨劇を引き起こしたのは、黒一色で統一された隊員服を纏い、私を人質にして氷のような眼差しを母に向ける複数の男女。 皆、見知った顔でした。毎朝参拝に来ては、私に飴玉をくれた男の人。毎日、神社の前をジョギングし、私に気さくに挨拶してくれた人。母の下で巫女の研修をしていた人。 けれども、そのような彼らの振る舞いは全て、私たちを油断させるための演技だったのです。 特務機関【敷島】──それが、彼らの正体でした。とある筋からのバックアップを受け、特殊な訓練を受けた自衛隊員。狂信的な愛国者たち。潜入、背乗り、破壊工作、要人暗殺……目的のためなら手段を問わぬ狂人の集まり。 仕事終わりの直前……彼らは神社内部に潜ませていた仲間の手引きで侵入して社務所の事務室にいた父を殺害。更には異変を察知した他の巫女さんたちも……皆、声を上げる間もなく彼らによって殺されました。 運良く──いえ、運悪く難を逃れて生き残ったのは、買い出しのために外出しており、帰宅した丁度その時に殺戮ショーの現場に居合わせた私と母でした。 「──巫女長さん? 申し訳ないが、あまり時間を取らせないで頂きたい。生憎と、我々【敷島】は気が長い方ではないので、ね」 リーダー格と思しきまだ若い男が、片腕で私を拘束し、空いた手に持つ拳銃を私のこめかみに突き付けながら、他の面々によって地面に組み伏せられている母を見下ろしつつそう言いました。毎日決まった時刻に神社へと参拝に来ては、笑顔で私に飴玉をくれた人と同一人物だとは、とても思われません。 「────」 サイレンは聞こえるのに、近くでパトカーのものと思われる、回転する赤の警告灯は見えるのに……消防も警察も、誰一人として駆け付けてきてはくれません。寧ろこの場に、他の民間人を近づけさせまいとしている……その
──いざや参らん、君がもとへ ──いざや来たらん、門を開きて ──千の屍を築きし者よ ──万の血河を成したる者よ ──君が願いを聞き届けん ──君が思いを受け止めん ──万有を禊ぎ、楽土を望むか ──穢れを禊ぎ、浄土を望むか ──いざや、星となりて天に昇らん ──憂世を絶ち、現世を禊ぎ、 ──然して君が末葉と、御国を照らさん ──千代に八千代に、永久に ◇◆◇◆◇ 本来ならば、普段と何も変わらない穏やかな日常を過ごす筈でした。 父が宮司を、母が巫女長をしている実家の神社に奇妙な来訪者が訪れたのは、五歳になったばかりの冬のある日……まだ、肌寒い夜明け前のことでした。 「──おはよう、可愛らしいお嬢さん? 宮司は今、此方にいらっしゃるだろうか?」 国旗掲揚をしている、巫女装束に身を包んだ母をぼんやりと眺めていると、子連れの若い男性が突然私に声を掛けてきました。 ダークグレーのスーツの上から黒い外套を羽織り、やや唾が広い黒い帽子を目深に被ったその出で立ちは、まるで映画に出てくるマフィアの首領のようでしたが、一方で容姿は如何にも優男と言った感じの端麗なる風貌で、物腰や態度も紳士的で穏やかな、何処か奇妙で不思議な雰囲気を纏う方でした。 ですが、私が惹かれたのは彼ではなく、彼と付かず離れずの距離を維持して傍らに静かに佇む、白の和服姿の小さな少女でした。 年は私と同じくらい……いえ、ほんの少し相手の方が年上でしょうか。背丈は私とそう変わりませんが、背中まで伸ばした艶やかな黒髪を白い和紙で結わえており、色白で華奢な見た目も相まってまるでお人形さんのようです。 年齢が年齢ですので、当然まだまだあどけなさが色濃いのですが、それを差し引いても非常に綺麗な顔立ちをしていました。可愛らしさと美しさを絶妙な加減で上手く両立しており、恐らくこれ以上に整った容貌の人はこの世に二人と居ないだろう……そう思わせるだけの美貌を、その少女は幼くして既に有していたのです。 何よりも魅力的だったのは、少女の瞳です。左の瞳は髪と同じく澄んだ黒色でしたが、右の瞳は綺麗な翡翠色をしていました。 義眼でしょうか。それとも、先天的なオッドアイでしょうか。何れにせよ、そのちぐはぐな両の瞳が、彼女の魅力をより引き立てていました。 「ふふ