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万有禊ぐ天津甕星
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Author: 輪廻

序章 第1話 未知との邂逅

Author: 輪廻
last update publish date: 2025-12-22 21:17:40

──いざや参らん、君がもとへ

──いざや来たらん、門を開きて

──千の屍を築きし者よ

──万の血河を成したる者よ

──君が願いを聞き届けん

──君が思いを受け止めん

──万有を禊ぎ、楽土を望むか

──穢れを禊ぎ、浄土を望むか

──君がため、我、地のおもての星とならん

──君がため、我、天に昇らん

──憂世を絶ち、現世を禊ぎ、

──然して君が末葉と、御国を照らさん

──千代に八千代に、永久に

◇◆◇◆◇

本来ならば、普段と何も変わらない穏やかな日常を過ごす筈でした。

父が宮司を、母が巫女長をしている実家の神社に奇妙な来訪者が訪れたのは、五歳になったばかりの冬のある日……まだ、肌寒い夜明け前のことでした。

「──おはよう、可愛らしいお嬢さん? 宮司は今、此方にいらっしゃるだろうか?」

国旗掲揚をしている、巫女装束に身を包んだ母をぼんやりと眺めていると、子連れの若い男性が突然私に声を掛けてきました。

ダークグレーのスーツの上から黒い外套を羽織り、やや唾が広い黒い帽子を目深に被ったその出で立ちは、まるで映画に出てくるマフィアの首領のようでしたが、一方で容姿は如何にも優男と言った感じの端麗なる風貌で、物腰や態度も紳士的で穏やかな、何処か奇妙で不思議な雰囲気を纏う方でした。

ですが、私が心惹かれたのは彼ではなく、彼と付かず離れずの距離を維持して傍らに静かに佇む、白の和服姿の小さな少女でした。

年は私と同じくらい……いえ、ほんの少し相手の方が年上でしょうか。背丈は私とそう変わりませんが、背中まで伸ばした艶やかな黒髪を白い和紙で結わえており、色白で華奢な見た目も相まってまるでお人形さんのようです。

年齢が年齢ですので、当然まだまだあどけなさが色濃いのですが、それを差し引いても非常に綺麗な顔立ちをしていました。可愛らしさと美しさを絶妙な加減で上手く両立しており、恐らくこれ以上に整った容貌の人はこの世に二人と居ないだろう……そう思わせるだけの美貌を、その少女は幼くして既に有していたのです。

何よりも魅力的だったのは、少女の瞳です。左の瞳は髪と同じく澄んだ黒色でしたが、右の瞳は綺麗な翡翠色をしていました。

義眼でしょうか。それとも、先天的なオッドアイでしょうか。何れにせよ、そのちぐはぐな両の瞳が、彼女の魅力をより引き立てていました。

「ふふっ……おはよう御座います。良き朝に御座いますね」

私の視線に気付いたのか、少女は柔和な笑みを湛えつつ、小鳥の囀りを彷彿とさせる透き通った声で、丁寧にお辞儀をしながら挨拶をしてきます。所作の一つ一つが様になっており、何時までも見ていたい……そんな気持ちに駆られました。

「あっ……!」

私と対峙している二人組に気付いたのか、国旗掲揚を終えた母が緋袴の裾を軽くたくし上げ、早足で此方へと駆け寄ってきます。彼らも母に気付いたようで、くるりと母の方へと向き直ると、

「おはよう御座います、巫女長殿。宮司からご連絡を受けて参りました、御陵《みささぎ》家の本家当主をしております、御陵 宗一《そういち》と申します。此方は私の妹で巫女の清《きよ》と言います。どうぞ、よしなに」

「初めまして、巫女長さま。宗一の妹の、御陵 清と申します。どうぞ、宜しくお願いしますね」

無表情の男──宗一さんとは対照的に、少女──清さんはにこっと笑いながら、先刻私にしたように母にも優雅にお辞儀をしました。

「あ、えっと、貴方がたが……その……うちの主人が仰っていた……日ノ本の……」

「えぇ、まぁ。"日ノ本の裏御三家"と、巷では呼ばれておりますが……そんな、大層なものでもありませんよ。少しばかり古い歴史を持つ、巫の一族に過ぎません」

「いえ……まさか、本当に私どもの依頼を引き受けて下さるとは……ああ、感謝してもしきれません……!」

少し興奮した様子の母……こんな母を見るのは、生まれて初めてのことです。目をきらきらと輝かせ、頬をほんのりと紅潮させているその様はさながら、推しのアイドルを目の前にしたファンのようでした。

「あー……巫女長殿? そろそろ、中に入らせて頂いても? ここで呑気に立ち話をしていては、忌々しい【敷島】の手の者たちに話を聞かれる恐れもありましょう。貴方がたが先代より譲り受け、そして秘蔵している"高天原《たかまがはら》計画"──それに関する資料を、彼らは喉から手が出るほど欲しております」

宗一さんの一声で母は我に返ったのか、慌てて宗一さんを宮司──父が待っているであろう、社務所内へと案内します。私も着いていこうとしたのですが、母がやんわりと、けれどもはっきりと私に対し、拒絶の意を示しました。

「……ごめんね、亜也子《あやこ》。今から、お父さんとお母さんは宗一さんと、大事なお話があるの。亜也子にも聞かれてはいけないような、大事な……大事なお話よ」

何時になく真剣な面持ちの母……嫌だとは、とても言えませんでした。大好きな母に、嫌われたくなかったから。怒られたくなかったから。

だから私は、大人しく言うことを聞くことにしました。

「……うん、分かった。お母さんたちのお話が終わるまで、外で遊んでいるね」

「ありがとう……良い子ね、亜也子。なるべく、早く終わるようにするから……それまで大人しく、良い子にして待っていてね?」

母は少しだけ表情を和らげると、私の額にそっとキスをしてくれました。

そんな私たちの様子を見ていたのか、宗一さんの後に続こうとしていた清さんが歩みを止め、とことこと私たちの元へと歩み寄ってくると、私たちにとって意外とも思える提案をしてきました。

「あの、巫女長さま? 私で宜しければ、亜也子ちゃんの話し相手を務めさせて頂きますが、如何ですか?」

清さんの提案に、母は目を丸くしました。清さんは満開の花を思わせるような笑顔を見せつつ、続けてこう言いました。

「亜也子ちゃんを独り、外で遊ばせるのは危険だと思いまして。【敷島】の手の者が、亜也子ちゃんを狙わないとも限りません。彼らは何処にでもいて、何処にもいない蜃気楼のようなもの。気が付いた時には懐にいる、というのは充分有り得る事態です」

その点、まだ幼い自分は【敷島】の構成員たちに面が割れていないので、私と遊んでいても裏御三家の人間だとは気付かれないし、流石の【敷島】の構成員たちも、目標とは全くの無関係の人間を巻き込むことは·····好まない。

まだ六、七歳ほどだというのに、既に清さんは大人顔負けの思慮深さと胆力を併せ持っていました。普通の子供なら使わないような言葉をすらすらと並べ立て、私を独り外で遊ばせることの危険性を説く清さんに、母も思わずと言った様子で感嘆の溜め息を吐いていました。

「えぇ……それでは、お願いしても宜しいでしょうか?」

「はい──お任せ下さい、巫女長さま」

清さんが胸に手を当てながら小さく……けれども力強く頷くと、母は安堵した様子で彼女に深々と一礼し、社務所の中へと姿を消しました。

その場に残されたのは、清さんと私……他にも···個性豊かな者たちが蠢いていましたが、少なくとも生きている··は私たちだけでした。

参拝にいらっしゃった人が休憩出来るよう設置された長椅子に腰掛けると、清さんは優しく手招きします。彼女の足元では、小さな黒猫が甘え声を発しながらすりすりと、ぴったりとした白足袋に包まれた清さんの小さな足に顔を擦り付けていました。

いえ──外見こそ黒猫にそっくりでしたが……その生き物には目がなく、虚ろな眼窩からはドロドロと黒い液体が溢れ出していました。

それは、私にだけ見える筈の····。何処からともなく姿を現しては、私と遊んでくれる優しい子でした。父や母、周りの人にはその姿は見えておらず、イマジナリーフレンドだと思われています。

ですが清さんには、その子がはっきりと見えているようでした。

「……その子の姿が……私の····が、貴方にも見えているの?」

清さんの隣に腰を下ろしながら訊いてみると、清さんはくすっと笑いながら頷きました。

「はい──ちゃんと、見えてますよ。私の一族は皆、生まれながらにして普通の人では見ることの出来ない者と、こうやって見て触れ合うことが出来まして」

清さんが顎を撫でてあげると、····は嬉しそうに喉を鳴らします。

「ふふっ……良い子、良い子……」

「わぁ……凄い……その子、結構気難しいのに……」

「あら? そうなんですか? この子、·······が一柱にしては随分と、人馴れしているなぁと思いましたが……もしかすると、日常的に亜也子ちゃんと触れ合っているからなのでしょうか?」

「まつろわぬ……神々? って何?」

聞き慣れぬ単語に思わず聞き返すと、清さんは困ったように眉をひそめつつ、小さく唸りました。

「うーん……亜也子ちゃんにも分かりやすく言うと……例えば亜也子ちゃんのご実家は、神社ですよね? どのような神さまをお祀りしているのかは、さておいて」

「うん、神さまをお祀りしているって。どんな神さまなのかは、私にもよく分かってないけど」

「えぇ……それとは逆に、お祀りしてもらえない神さま、誰からも信じて貰えない神さま……それから、偉い人から悪い神さまだと言われて、人々から信じて貰うことを許されなかった神さま……そう言った可哀想な神さまたちのことを纏めて·······って、私たち一族はそう呼んでいるんです」

「じゃあ……この子も、その何とかっていう神さまの中の一人なの?」

じゃれつく····を揉みくちゃにしながら私が尋ねると、清さんは小さく首肯します。一陣の風が吹き過ぎてゆき、チリンと清さんの髪飾りが音を立てると同時、彼女の髪や身体から石鹸の甘い香りが漂いました。

「はい、そうなりますね。でも、この子は……亜也子ちゃんという素敵なお友だちがいますから。きっと、今はとても幸せだと思います」

「ふふっ……そうだと、良いなぁ」

ごろごろと喉を鳴らす····を見て、私は心の底からそう思いました。

それから清さんは、·······に纏わる沢山のお話を私に聞かせてくれました。そのどれもが、これまで一度も聞いたことのない物語で……それでいて、心が躍るようなものばかり。

気が付けば、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってゆきました。

「──帰るぞ、清。例の資料は、依頼者の同意の下全て回収した。【敷島】の連中に勘づかれる前に撤収する」

そう声がして顔を上げると、年代物の史料を両手一杯に抱えた宗一さんが、私たちを見下ろしていました。無感動な面持ちでしたが、目だけは私と····をじっと捉えて離しません。

「……ほぅ。相手が力のない下級神とはいえ、·······と心を通わせるか。中々、興味深いな」

どうやら、宗一さんにも····の姿がしっかりと見えている様子でした。

「あら、お兄さま。亜也子ちゃんのお顔をじっと見つめて。何か気になることでも?」

「……いや、特に何も。ただ、面白い子だなぁと。そう思っただけだ」

宗一さんはそこで初めて、ふっと笑みを零しました。

「──さて、ここでの用は全て済んだ。これより本家へと帰投する。迎えの者たちを待たせるのは酷だ」

「はい、お兄さま。じゃあ、亜也子ちゃん……私はこれでお家に帰りますので」

「……また、会える?」

無意識の内に、私はそう訊いていました。出会ったばかりの他人なのに、何時までも一緒にいたい──そのような思いが、胸の内に生じていました。

「えぇ……また、何時か会えますよ。きっと、ね」

清さんはそう言って軽く手を振ると、宗一さんの後に続いて神社を後にしました。

狂信的とも言える強烈な愛国心を滾らせ、立ちはだかる者全てを屠り、無に帰す··の所為で私が全てを喪ったのは──それから、僅か一週間後のことでした。

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渡瀬藍兵
一人称による語りの文が、物語へ引き込んでくれますね。
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