「月と鼈」の意味と由来を教えてください。

2025-12-01 11:35:47 86

1 Answers

Stella
Stella
2025-12-06 19:43:52
月と鼈」という言葉は、まるで月とスッポンほどにもかけ離れたものを比喩的に表現する際に使われますね。月の美しさや高貴さと、地を這うようなスッポンのイメージが対比されることで、全く異なるもの同士を比較する様子を表しています。

この表現の由来は、江戸時代の戯作者・式亭三馬の『浮世風呂』にまで遡ると言われています。当時から月は文人墨客に愛される雅な存在で、一方のスッポンはどちらかと言えば庶民的で泥臭い印象があったようです。その極端な対照性が、ことわざとして定着していったのではないでしょうか。

興味深いことに、中国の故事にも「月と鼈」に似た表現があります。『荘子』の「秋水篇」で、蛙が井戸の中から見た小さな空と、大海を見た鼈が語る広大な世界の違いを説いた話が、東西で似た発想が生まれた事例として挙げられます。現代でも『鬼滅の刃』のような作品で、異なる価値観を持つキャラクター同士の対比を表現する時など、この言葉を連想させる場面が見受けられますね。

言葉の持つ豊かなイメージは、時代を超えて様々な形で使われ続けています。月の光に照らされた水面に浮かぶスッポンさえ、どこか風情があると思えてくるから不思議です。
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