胸の高鳴りを描く場面を読むと、心臓の打ち方がその人物の内面を語るように感じられることがある。例えば『宮本武蔵』のような物語なら、
武者震いは単なる身体反応以上のものとして仕組まれている。武者震いを作者がどのように描くかで、その人物が勇気を奮い立たせているのか、恐怖と戦っているのか、あるいは死の接近を嗅ぎ取っているのかが読者に伝わるからだ。
同時に、私はその描写に対して自分の経験や身体感覚を投影して読むことが多い。鋭い寒気や血の気の引き方という描写は、映画の効果音のように場面を鮮やかにする。だが史実に忠実であれ、フィクション的演出であれ、鍵は文脈だ。武者震いが続くのか一瞬で終わるのか、周囲の反応がどう描かれるかで意味合いが変わる。
結局、読者は武者震いを通じて人物の覚悟や脆さを読み取り、物語の緊張を身体で感じ取る。そうした瞬間があるからこそ、歴史小説の戦闘描写は文字だけで迫力を持つのだと私は思う。