好奇心にかられて一つの仮説を立ててみた。沙織は外的勢力によって“偶像化”され、政治的象徴として扱われているだけではないか、という視点だ。『
邪神エリス編』や同様の外典的事件を参照すると、彼女が救済や争いの中心に据えられるたびに、周囲の勢力がそのイメージを利用しているのが見て取れる。
具体的には、彼女の純粋さや優しさが都合よく利用され、決断から切り離される様子。敵対勢力も味方も、沙織という“象徴”を使って自身の正当性を補強する場面が多い。そうした扱いは彼女個人の意思を薄め、結果的に人間らしい選択の幅を狭める。さらに、象徴としての存在が強まるほど、彼女の本心は二次的なものになっていく――これが悲劇性を高めている。
この観点は、物語を政治的・社会的広告のように読み替える試みでもある。沙織が守られるのは純粋な慈愛ゆえだけでなく、彼女を巡る物語が誰かの都合で成り立っているからだと思う。最後に残るのは、顔の向こうにある“人”の声なのか、それとも作られた像なのかという問いだ。