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荒波を越え、私に吹く新生の風

荒波を越え、私に吹く新生の風

By:  金成 ミダCompleted
Language: Japanese
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如月家で、長きにわたり冷遇され続けてきた如月寧々(きさらぎ ねね)。 愛人の娘である異母妹・如月依莉(きさらぎ えり)の出現により、彼女は自分の部屋をはじめ、積み上げてきた名誉、そして婚約者さえも奪われてしまう。 何より寧々を絶望の淵に追いやったのは、実の父と兄による依莉への理不尽な偏愛と、自分に向けられる冷酷な仕打ちの数々だった。 「もう、この家には何の未練もない」 如月家との決別を誓った彼女は、亡き母の旧姓である「白川」を名乗り、叔父の支援を受けて再びデザインの世界へと舞い戻る。 圧倒的な実力を武器に、かつて自分を蔑ろにした如月家や元婚約者の周防家を実力でねじ伏せ、彼らに相応の代償を支払わせていく。 そしてついに国際デザインコンテストで頂点に立った寧々は、誰にも邪魔されない、輝かしい第二の人生を歩み始める――

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Chapter 1

第1話

愛人の娘が、この家に引き取られた日のことだ。

父の後ろにおどおどと隠れる彼女。けれど父は、何事もないかのように私へ笑いかけた。

「寧々。お前が一番大切な娘であることに変わりはないんだよ」

兄も私・如月寧々(きさらぎ ねね)の頭を撫でて、優しく言った。

「俺の妹は、永遠にお前ひとりだけだ」

けれど、その言葉はただの呪いだった。

私の部屋も、愛用していたピアノも、三年間徹夜を重ねてやっと勝ち取ったデザイン賞の栄誉さえも、気づけばすべて彼女のものになっていた。

そして決定的だったのは、あの夜。

如月依莉(きさらぎ えり)は私がデザインしたドレスを身に纏い、私の婚約者の腕に絡みつきながら、婚約披露宴の主役として笑っていた。

全身の血が凍りつくようだった。

席を立とうとした私の両肩を、父と兄が左右から死に物狂いで押さえつける。

「寧々、わきまえなさい。大人になるんだ」

父の低い声が、ごうごうと耳鳴りのように響いた。

その晩、私は浴室で手首を切った。

赤く染まっていくバスタブの水面を眺めながら、意識を手放した。

次に目を覚ました時、病室にいた父はひどく渋い顔をしていた。てっきり心配してくれるのだと思った私の期待は、最初の一言で打ち砕かれた。

「依莉は心臓が弱いんだ。血など見せられたら発作を起こしかねない。こんな悪ふざけで彼女を脅すのは、もうやめなさい。いいかい?」

兄も深いため息をつく。

「あの子は妹なんだぞ。お前が姉として譲ってやれ。不満があるなら、俺に言えばいいだろう」

その瞬間、憑き物が落ちたように頭が冷えた。

ああ、そうか。

この家族はもう、私にはいらない。

……

退院の日が決まると、私は長年疎遠になっていた番号へ電話をかけた。

「……叔父さん。私、白川の家に戻りたいの」

受話器の向こうで短い沈黙があり、やがて震える声が響いた。

「寧々……!やっと、帰ってくる気になったか」

通話を終えると、父が迎えにやってきた。

父は自らハンドルを握り、車内では甲斐甲斐しく私の体調を気遣った。まるで良き父親そのものだった。

けれど車が停まったのは自宅ではなく、街外れのマンションの前だった。

「寧々、ここは静かだし、内装もお前の好きなテイストにしてある。療養するには一番いい環境だろう」

父は慈愛に満ちた表情で、私の頭を撫でる。

この人は知らないのだ。入院中、彼と依莉が交わしていた内緒話を、私が聞いてしまったことを。

「パパ、私怖いの。お姉様、またあんなことして私をいじめるかと思うと……」

「大丈夫だ、可愛い依莉。あいつは外に住まわせるからね。そうすれば、お前も怯えずに済むだろう?」

渡された鍵を受け取る指先は、氷のように冷たかった。

その時、父のスマートフォンがメッセージの着信を告げる。父は画面を確認するなり、そそくさとその場を立ち去っていった。

扉を開けた瞬間、鼻をつく異臭に思わず顔をしかめた。リビングには私の荷物が乱雑に積み上げられている。

埃っぽい空気に喉が刺激され、乾いた咳が二つ、三つと漏れた。

これが「療養に最適な環境」だなんて、笑えない冗談だ。

荷解きの手を止めたのは、母の写真が出てきたからだ。

フレームの中の母は、穏やかに微笑んでいる。

写真をそっと胸に抱き寄せると、まるで心臓を直接抉られたような痛みが走った。涙で視界が滲む。

明日は、母が逝って七年目の命日だ。

落ちた涙がスマホの画面を濡らした時、通知が光った。親友からのメッセージだ。

【寧々!法律事務所に勤めてる子から聞いたんだけど、お父さんが遺言書を書き換えたらしいよ!資産は全部、修さんと依莉のものだって……寧々の取り分はゼロよ!】

……意外ではなかった。

ふと下駄箱の上に置かれた書類に目をやると、不動産売買契約書の名義欄には「如月依莉」の文字が躍っている。

私は冷たい壁に背中を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。

まるで七年前の悪夢の再来だ。

家に連れられてきたばかりの依莉が「お姉様のお部屋、素敵」と呟いたあの日。父は即座に言った。「二、三日の間だけ貸してやりなさい」と。

その「二、三日」は、結局七年もの間続いている。

きちんと空調は効いているはずなのに、骨の髄から凍えるような寒気が引かない。

この家も、家族も、もう私の場所ではないのだ。今の私に残された拠り所は、自分で立ち上げたファッションブランドのオフィスだけだった。

是非もないままオフィスへ向かい、ドアを押し開けた私は、その光景に足が止まった。

私のデスクに、我が物顔で依莉が座っていたのだ。

その手には、まだ誰にも見せていない新作のデザイン画が握られている。口元には勝ち誇ったような笑み。

そして傍らでは、兄の如月修(きさらぎ しゅう)が依莉のために優しくリンゴを剥いていた。

物音に気づいた修が顔を上げ、私を見る。

「寧々か?まだ顔色が悪いじゃないか。もっと休んでいればいいのに」

目頭が熱い。

修が心配そうに手を伸ばしてくる。肩に触れようとするその指を、私は条件反射で避けてしまった。

修の手が空を切り、彼は呆気にとられたように私を見る。その視線が依莉に向けられていることに気づくと、彼は慌てて弁解を始めた。

「違うんだ、寧々。お前を心配して、依莉に仕事を手伝ってもらおうと――」

私は兄の言葉を無視してデスクへ歩み寄ると、依莉の手から乱暴にデザイン画を引ったくった。

「きゃっ!」

依莉が大袈裟に声を上げて立ち上がる。

その拍子に胸元がはだけ、首元で揺れる緑色の輝きが目に飛び込んできた。

鮮やかな翡翠のネックレス。

――母の形見だ。

三年もの間、どれだけ探しても見つからなかったあのネックレスが、まさか彼女の首にあったなんて。

「そのネックレスを返して!」

思考より先に体が動いた。手を伸ばして掴みかかろうとする。

けれど私の指が届く寸前、修はさっと身を翻し、依莉をその背に隠してしまった。

「寧々!乱暴はやめろ、何をしてるんだ!」

私は遮られた腕を下ろそうともせず、ただ修の背後の翡翠ネックレスを睨みつけた。視界が熱くなる。

「それはお母さんの形見よ!兄さんだって知ってるでしょう?」

私の剣幕に、修の体が強張った。彼は驚いたように依莉を振り返る。

すると彼女は、大粒の涙を目に溜め、震える声で訴え始めた。

「……これ、拾ったんです。お姉様の大切なものでしたのね。知らなかったとはいえ、こんな……」

彼女はか弱い被害者を演じながら、震える手で留め具を外しにかかる。

「すぐにお返ししますから、そんなに怒鳴らないで……」

芝居がかったその態度に吐き気がした。修は眉間に深い皺を刻み、強引に私の腕を引いて出口へと促す。

「もういいだろう、寧々。ネックレスくらい、俺がもっといいのを買ってやるから」

「ふざけないでっ!」

私は力任せに修の手を振り払った。喉が張り裂けそうなほど叫んでいた。

「あれは私のものよ!」

私の激昂に、二人は同時に動きを止めた。

今までどんなに理不尽な目にあっても、言葉を飲み込み、耐え続けてきた「従順な寧々」。そんな私が初めて見せた抵抗だった。

私は彼らが呆気に取られている隙に歩み寄り、依莉の手からネックレスを奪い返した。手のひらに食い込む金具の痛みが、唯一の現実感だった。

「ひどい……」

依莉はわっと泣き崩れ、修の胸に縋りつく。

私は冷たい笑みを浮かべ、非難の色を露わにする兄を見据えた。

「もう結構よ。何もかも譲ってあげる。この会社も、家も、兄さんも。……だけどこのネックレスだけは、絶対に渡さない」

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第1話
愛人の娘が、この家に引き取られた日のことだ。父の後ろにおどおどと隠れる彼女。けれど父は、何事もないかのように私へ笑いかけた。「寧々。お前が一番大切な娘であることに変わりはないんだよ」兄も私・如月寧々(きさらぎ ねね)の頭を撫でて、優しく言った。「俺の妹は、永遠にお前ひとりだけだ」けれど、その言葉はただの呪いだった。私の部屋も、愛用していたピアノも、三年間徹夜を重ねてやっと勝ち取ったデザイン賞の栄誉さえも、気づけばすべて彼女のものになっていた。そして決定的だったのは、あの夜。如月依莉(きさらぎ えり)は私がデザインしたドレスを身に纏い、私の婚約者の腕に絡みつきながら、婚約披露宴の主役として笑っていた。全身の血が凍りつくようだった。席を立とうとした私の両肩を、父と兄が左右から死に物狂いで押さえつける。「寧々、わきまえなさい。大人になるんだ」父の低い声が、ごうごうと耳鳴りのように響いた。その晩、私は浴室で手首を切った。赤く染まっていくバスタブの水面を眺めながら、意識を手放した。次に目を覚ました時、病室にいた父はひどく渋い顔をしていた。てっきり心配してくれるのだと思った私の期待は、最初の一言で打ち砕かれた。「依莉は心臓が弱いんだ。血など見せられたら発作を起こしかねない。こんな悪ふざけで彼女を脅すのは、もうやめなさい。いいかい?」兄も深いため息をつく。「あの子は妹なんだぞ。お前が姉として譲ってやれ。不満があるなら、俺に言えばいいだろう」その瞬間、憑き物が落ちたように頭が冷えた。ああ、そうか。この家族はもう、私にはいらない。……退院の日が決まると、私は長年疎遠になっていた番号へ電話をかけた。「……叔父さん。私、白川の家に戻りたいの」受話器の向こうで短い沈黙があり、やがて震える声が響いた。「寧々……!やっと、帰ってくる気になったか」通話を終えると、父が迎えにやってきた。父は自らハンドルを握り、車内では甲斐甲斐しく私の体調を気遣った。まるで良き父親そのものだった。けれど車が停まったのは自宅ではなく、街外れのマンションの前だった。「寧々、ここは静かだし、内装もお前の好きなテイストにしてある。療養するには一番いい環境だろう」父は慈愛に満ちた表情で、私の頭を撫でる。
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第2話
踵を返してオフィスを出た私を、修が追いかけてきた。珍しく家まで送るという。ハンドルを握る彼は、気まずい空気を払拭するように口を開いた。「寧々、あの子に悪気はなかったんだ。ただの悪戯心だよ。いちいち目くじらを立てなくても、お前が大人になって譲ってやれば丸く収まるだろう?」まただ、と思った。昔、私がピアノを弾いていると、決まって依莉は邪魔をしに来た。めちゃくちゃに鍵盤を叩く彼女と私が喧嘩になると、修はいつも「依莉は子供だから」と言い訳し、結局私をピアノから引き剥がすのだ。私はシートに身を沈め、目を閉じた。もう反論する気力さえ湧かない。マンションの下へ着いた頃、ふと明日のことが気になり、私は彼に声をかけた。「兄さん。明日のこと、お父さんと忘れないでね……」「わかってるよ」修は私の言葉を遮り、乱れた襟元を直してくれながら頷いた。「もちろん覚えてるさ。ちゃんと準備はしてあるから、お前は安心して休養してくれ」翌朝、私は霧の立ち込める霊園へと足を運んだ。だが、墓前に立った瞬間、抱えていた花束が手から滑り落ちた。母の眠る墓石が、見るも無惨に汚されていたからだ。鮮血を思わせる真っ赤なペンキが、冷たい石の表面にぶちまけられていた。信じられない光景に、私は我を忘れて駆け寄った。袖口で必死にペンキを拭い取ろうとするけれど、乾いた塗料はこびりついて離れない。その時、ポケットの中でスマホが震えた。依莉からだ。添付されていたのは一本の動画だった。画面の中は、墓地とは対照的な、光溢れるリビングルームだった。父が依莉の肩を愛おしそうに抱いている。修が笑顔でケーキにナイフを入れている。そして、私を裏切った元婚約者の周防聖(すおう ひじり)までもが、楽しげに拍手を送っていた。テーブルの中央に鎮座しているのは――小さなサボテンの鉢植えだ。「私の可愛いサボテンちゃん、一歳のお誕生日おめでとう!パパ、お兄ちゃん、聖さんも、ありがとう!」依莉の甘ったるい声が、墓地の静寂を切り裂く。頭を鈍器で殴られたような衝撃に、私はその場に立ち尽くした。私はペンキの汚れもそのままに、実家へと取って返した。リビングに踏み込むと、父が不機嫌そうに腕時計を指差した。「やっと来たか。家族揃って依莉のサボテンの誕生日を祝ってやろう
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第3話
父の顔色は怒りで土色に変じ、振り上げられた手が私の頭上で止まる。「……殴りなさいよ」私は一歩も引かず、冷ややかな瞳で父を見据えた。「その手が下された瞬間、あなたとの親子としての情は、完全に断ち切られるわ」父の手が空中で硬直し、やがて力なく下ろされた。私は鼻で笑い、依莉を指差す。「その女は母の墓石を汚したのよ。これくらいの制裁じゃ軽すぎるくらいだわ」「寧々、何の話だ?何か誤解があるんじゃないか……」修が慌てて割って入るが、私は聞く耳を持たず、霊園の管理事務所から入手した監視カメラの映像を再生しようとした。「いい加減にしろ!」バシィ!私の手からスマホが叩き落とされ、床に激突した画面が蜘蛛の巣状に砕け散り、暗転した。父は目を血走らせ、怒号をあげる。「依莉も私の大事な娘だ、そんなことをするはずがない!寧々、お前には心底失望したぞ。こんな捏造までして……出て行け!今すぐ私の目の前から消え失せろ!」私はその足でオフィスへ戻ると、自分の描いた全てのデザイン画と顧客データを回収した。そして「療養先」にとあてがわれていたマンションへ戻ると、私の荷物が廊下に放り出されていた。管理人に聞けば、オーナーである依莉から「即刻退去させるように」と連絡があったらしい。私はファイルケースを握りしめる手に力を込めた。瞳の奥から、未練という名の光が完全に消え失せる。そう、如月家の施しなど、もう何一ついらない。けれど、私の才能、私の成果、私自身のものだけは――誰にも奪わせない。近くのビジネスホテルにチェックインを済ませると、私はスマホを取り出し、明日のフライトを予約した。行き先は、決めてある。翌朝。ホテルを出たところで、私は思わず足を止めた。そこに立っていたのは、聖だったからだ。彼は有無を言わさず私のスーツケースを奪い取ると、困惑する私に矢継ぎ早に言葉を並べた。「寧々、依莉ちゃんのやり方は酷すぎたよ。怒るのも無理はない。……どこへ行くつもりなんだ?送るよ」「結構よ、私は……」「僕が悪かった。君がここに泊まってるって調べて、わざわざ謝りに来たんだ。せめて罪滅ぼしくらいさせてくれよ」私の拒絶を遮り、彼は半ば強引に私を助手席へと押し込んだ。車内には重苦しい沈黙が流れていた。彼が差し出
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第4話
「お兄ちゃん!パパ!ここよ、ここ……うぅっ……」依莉の声色は、瞬く間に怯えきった被害者のものへと切り替わっていた。麻袋越しに、彼らのやり取りが手に取るように聞こえてくる。「怖かった……もう二度と会えないかと思った……」「誰だ、こんな真似をしたのは!私の大事な娘を!」父の怒声が響く。まるで猛獣の咆哮だ。「あいつよ」依莉のすすり泣く声が続く。「他の男たちは聖さんが追い払ってくれたけど、主犯格はまだそこに……私に酷いことを……パパ、怖かった……」心臓が早鐘を打つ。――違う、私よ。喉が張り裂けんばかりに叫ぼうとした。――寧々なの、気づいて!「私の娘に指一本でも触れた代償は、高くつくぞ!」父の殺気立った声が聞こえた次の瞬間、強烈な衝撃が腹部を襲った。ドスッ、という鈍い音とともに内臓が軋む。私は声にならない悲鳴を上げ、芋虫のように体を丸めて激痛に耐えた。冷たい汗が止めどなく吹き出す。「うぅぅ……っ!」猿ぐつわの隙間から、掠れた嗚咽が漏れる。「この期に及んでまだ動くか!クズ野郎が!」修の冷酷な声とともに、足音が近づいてくる。「どこのどいつだ。顔を拝んでやる」恐怖と痛みに震えながらも、私の心に一筋の希望が灯った。そうだ、袋を開けて。中身が私だと分かれば、きっと助けてくれるはずだ。お願い、早く気づいて――!「お兄ちゃん!やめて!」依莉の引き裂くような絶叫が、修の手を止めた。「見ないで!お願いだから!……あんな奴の顔、二度と思い出したくないの!」彼女は錯乱したように泣き叫び、修にしがみつく。先ほどまでの冷酷さはどこへやら、修の声はたちまち甘やかで優しいものに変わった。「分かった、分かったよ。俺が悪かった。もう見ないから、落ち着きなさい」その瞬間、私は絶望の底へと突き落とされた。助かるはずだった最後の糸が、依莉の一言で断ち切られたのだ。「警察に突き出す必要もない。こんなクズ、社会的に抹殺する方法ならいくらでもある」修は吐き捨てると、うずくまる私に再び蹴りを叩き込んだ。脇腹に突き刺さる鋭い衝撃に、全身が痙攣する。肉体の痛みよりも、実の兄にゴミのように扱われる事実が、心臓を抉り取られるように痛かった。「ねえ……お兄ちゃん。こんな奴、手足が動くかぎ
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第5話
医師の手によって、慎重にギプスが取り外されていく。久しぶりに外気に触れた右足が、おずおずと地面を踏みしめた。その瞬間、足裏から伝わる床の冷たさに、私は軽いめまいを覚えた。恐る恐る体重をかけ、一歩、二歩と歩いてみる。――痛くない。「……治った。やっと、治ったんだ」安堵の呟きに、傍らで見守っていた叔父の白川靖之(しらかわ やすゆき)が目頭を押さえた。「よかった……本当によかった。もし後遺症でも残っていたら、姉さんがあの世から俺を罵り倒しにくるところだったよ。『この役立たずの弟!』ってな」冗談めかして言う声は、ひどく湿っぽく震えている。鼻の奥がつんと熱くなり、私は彼の胸に飛び込んだ。「叔父さん、ありがとう……本当に、ありがとう」三ヶ月前。私と連絡がつかないことを不審に思った叔父が、夜通し飛行機を飛ばしてこの街まで駆けつけてくれなかったら。そして、あの廃倉庫を突き止めてくれなかったら。今頃私は、あの汚れた麻袋の中で腐り果てていたに違いない。「馬鹿だなぁ、寧々」叔父は、まるで幼子をあやすように優しく私の背中をさすった。「礼なんていらないさ。俺がもっと早く見つけてやれれば、お前にこんな地獄を見せずに済んだんだ」叔父の目から涙がこぼれ落ちる。母が亡くなったあの時、無理やりにでも私を連れ去っておけばよかったと、彼は何度も悔やんでいた。溢れ出る涙を拭おうともせず、私は首を横に振った。「ううん、違うの。私が頑固だったから……あの時の私は、何も分かっていなかった。でもこれからは、ずっと叔父さんの側にいるから」「ああ、そうしろ。ずっとだぞ」叔父は私の涙を親指で拭い、愛おしそうに微笑んだ。その日の夕食の席で、叔父がぽつりと語った。この三ヶ月の間、父から何度か私の安否を尋ねる電話があったらしい。その度に叔父は、「どの面下げて掛けてきた」と怒鳴りつけ、二度と関わるなと叩き切ったという。父と修が直接訪ねてきたこともあったが、門前払いを食らわせて屋敷の敷居すら跨がせなかったそうだ。「それから、例の娘だが……ここ最近、とんと表舞台に顔を出していないらしい」私は湯気の立つ紅茶を一口啜り、静かに目を閉じた。まぶたの裏に浮かぶのは、倉庫で見せた依莉のあの残忍な笑み。私はカップをソーサーに戻すと、薄
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第6話
私は、鼻で笑ってしまった。彼の口から紡がれる「心配」という言葉が、吐き気を催すほど白々しく響く。私は優雅な所作で椅子に腰を下ろすと、射るような流し目を彼に向けた。「……兄さんのおかげで、折られた脚の骨が時々うずくのよ。雨の日なんかは特にね」その一言で、修の顔からさっと血の気が引いた。彼はうろたえたように視線をさまよわせたが、それでも諦めきれないといった様子で、対面の席に重く腰を下ろした。私から目をそらすまいと必死だ。「俺たちも……あれから調べたんだ。まさか、あの時、袋の中にいたのが……」修は口をパクパクと開閉させたが、肝心の言葉をどうしても吐き出せないようだった。兄が、実の妹の脚を自らの手でへし折ったのだ。衆人環視の中で認めるには、あまりに残酷で、あまりに恥ずべき事実だろう。私は小首をかしげ、とびきり無邪気で残酷な笑みを向けてやった。「私だったのよ。兄さん、誰だと思って殴り続けたの?……それとも、可愛い依莉のためなら、誰の脚を何本叩き折ろうがどうでもよかったのかしら?」「寧々!」テーブルの上で拳を握りしめ、修がしわがれた声を絞り出す。「違う、あの時は依莉のことで頭がいっぱいで、冷静じゃなかった……俺が馬鹿だったんだ。信じてくれ、もしお前だと分かっていれば、俺は自分の脚を折ってでも……!」「はい、そこまで」私は彼の懺悔をばっさりと切り捨て、椅子の背もたれに深く体を預けた。「兄さん。ここは一条グループの会議室であって、教会の告解室じゃないわ。あんたの安っぽいお涙頂戴劇なんて、三文芝居も見飽きたところよ」「寧々……お前が信じてくれないのも、無理はない。分かってる」修の目元が赤く滲む。「今回、白川側の代表デザイナーがお前だと知って、俺はここに来たんだ。どうしてもお前と話がしたくて」「ふうん」私はテーブルを指先でトントンと軽く叩きながら、気のない相槌を打つ。「私が自分の手で、如月建設にとどめを刺すところを見に来たのね?」「なっ……」「今の如月は倒産寸前でしょう?このプロジェクトを逃せば、もう後がない。まさに最後の命綱ってわけだ」私はにっこりと微笑んで宣言する。「残念だけど、その命綱、私が断ち切らせてもらうわ」修の瞳孔がきゅっと収縮するのが見えた。彼は信じられないもの
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第7話
彼は私の手を握ろうと腕を伸ばしかけ――けれど触れる寸前になって、ためらうように指を引っ込めた。「寧々、少し話せないか。いや、いっそ家に帰ろう。お前、家政婦のサチさんが作る筑前煮が好物だっただろう?言えばすぐにでも作らせるから」私は彼を冷ややかに見下ろす。「あら。てっきり私に返すものがあって待っていたのかと思ったわ」修は虚を突かれたように一瞬ぽかんとしたが、やがて自嘲気味に笑った。「……ああ、そうだよな」彼はスーツのポケットから小さなジュエリーボックスを取り出し、私に差し出した。蓋を開けると、そこには母の形見の翡翠のネックレスが収まっていた。胸の奥に温かいものが広がり、張り詰めていた気が少し緩む。退院後、叔父が探しに戻ってくれた時には見つからなかったものだ。十中八九、あの家の誰かが持ち去っていたのだろうと思っていたが、案の定だった。私はパチンと蓋を閉めると、そのまま踵を返して歩き出した。「待ってくれ!」修が私の手首を掴む。「寧々、本当にお前は……家が恋しくないのか?」「家?」あまりの滑稽さに、つい声を出して笑ってしまった。私は乱暴に腕を振り払い、彼の拘束を解く。「あれが私の家だとでも?冗談でしょう。私はあなたたちが『家』と呼ぶあの場所で、殺されかけたのよ。もっと正確に言えば……兄さん、あんたの手で殺されかけたの」修の喉仏が大きく上下した。鋭利な刃物のような私の言葉に貫かれ、彼はよろめくように半歩後ずさり、体をふらつかせた。「父さんが倒れたんだ……急性心筋梗塞で、三度も心肺停止になって、やっと一命を取り留めた。父さんもすごく後悔してるんだ、どうしてもお前に一目会いたいって……」私は足を止めない。振り返りもしない。あの男が死のうが生きようが、私には何の関係もないことだ。母が危篤の時、彼は海外での商談が外せないと言って帰ってこなかった。でも後になって知ったのだ。商談などではなく、依莉を連れて海外へバカンスに行っていたことを。母は最後まで父の帰りを待ち続け、その願いも叶わぬまま息を引き取った。いま彼が苦しんでいるのなら、それはすべて自業自得というものだ。「寧々!」背後で、修が崩れ落ちそうな声で叫んだ。「お前はまだ如月家の人間だろう。どうしてそこまで非情になれるんだ!」
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第8話
唐突な問いかけに、聖はぽかんと口を開けた。だが、航は即座に主意を汲み取ったようだ。聖の襟首を無造作に掴み上げると、有無を言わさず池の畔まで引きずっていき、そのまま勢いよく蹴り落とした。ドボォン!派手な水柱が上がる。「ぶはっ、ううっ……!」晩秋の水温は容赦がない。聖は全身を震わせながら水面から顔を出し、必死の形相で岸にしがみつこうとした。私はゆっくりと近づき、縁石にかかった彼の指先を、ヒールの底で冷酷に踏みつけた。「前回はあなたが水をご馳走してくれたものね。だから今回は私が、水をたっぷりと奢ってあげる。遠慮せず、そこで頭を冷やしなさい」聖の顔色が変わった。あの日、車内で私に睡眠薬入りの水を手渡し、意識を奪った卑劣な行いを突きつけられたのだと理解し、その瞳が恐怖で染まる。彼は骨まで凍みる冷水に浸かりながら、ガチガチと歯を鳴らすばかりで、もはや岸に上がろうとする気力さえ失っていた。屋敷に戻ると、執事が恭しく出迎えてくれた。「お帰りなさいませ、お嬢様。靖之様より伝言がございます。如月建設の資金が、ついに底をついたとのことです」それから一週間も経たないうちに、如月建設の倒産は決定的なものとなり、経済ニュースの一面を飾った。債権者たちが如月の実家を取り囲み、連日借金の返済を叫ぶ怒号が響いているという。叔父は自慢のコレクションからヴィンテージものの白ワインを開け、上機嫌で乾杯してくれた。芳醇な香りが舌の上で広がる。それはまるで、私の胸の内で果てなく広がっていくカタルシスのようだった。ふと、テーブルの上のスマートフォンが震えた。画面に表示されたのは、父・隆の名前だった。通話ボタンを押すと、長い沈黙が流れる。やがて、しわがれた声が漏れ聞こえてきた。「……寧々。会えないか」「場所は?」指定されたのは、目立たない路地裏にある会員制クラブの個室だった。ドアを開けると、ソファに深く沈み込んだ父の姿があった。数ヶ月会わないうちに、彼は10歳以上も老け込んだように見えた。髪はすっかり白くなり、かつての威厳ある背中は小さく丸まっている。私が入室すると、彼はどこかぎこちなく立ち上がり、媚びるような笑みを浮かべてメニューを差し出した。「寧々、よく来てくれたね。さあ、何でも好きなものを頼みなさい。父さんが
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第9話
私は何も答えず、窓の外で舞う落ち葉に目をやった。深まりゆく秋の風は冷たく、カサカサと乾いた音を立てて葉を転がしていく。ノックとともに叔父が入ってくると、航は一礼して静かに部屋を出て行った。「……何を考えているんだ?寧々」私は手元でペンをくるりと回し、ふっと笑う。「考えていたの。もし如月隆がこのまま死んだら、依莉は正真正銘の殺人犯ね。……将来、二人の墓石に赤いペンキで落書きをしたら、さぞかし『綺麗な』絵が描けるんじゃないかって」叔父は困ったような、それでいて温かい手つきで私の頭を撫でた。「よせ。あんな連中の墓を汚すために、お前の手を汚す価値もない」その時、執事が恭しい態度で入室してきた。「お嬢様。周防聖さんが面会を求めております。門の前で四時間も跪いたまま、お会いできるまで一歩も動かないと……」私は視線を落とし、画用紙の上に最後の一線をシュッと引く。「伝えて。周防家を守りたいのなら、ただ跪いているだけじゃ足りないわ――とね」「かしこまりました」夜の帳が下り、闇が深まる頃。私はモニターに映し出される映像を冷めきった目で見つめていた。門前のカメラには、車のトランクから重そうな麻袋を引きずり下ろす聖の姿が映っている。彼はそれを玄関前に乱暴に放り出した。航が部下を率いて確認に向かう。袋の口が開かれ、中身が露わになる。――あざだらけになり、見るも無惨な姿をした修だった。彼の右脚は、かつての私のように、あり得ない方向へと捻じ曲がっていた。私は瞬き一つせず、その画面を凝視し続けた。「お嬢様、如月修です」インカム越しの航の声も硬い。「頭部への打撃痕、肋骨の骨折が二箇所、そして右脚の骨が完全に砕かれています」私は立ち上がり、凝り固まった体をほぐすように大きく伸びをした。「……あとは叔父さんに任せるわ。こういう危険な害獣たちよ、一匹残らずきっちりと始末をつけてもらいましょう」「承知いたしました」結末は、あっけなく訪れた。聖は傷害容疑で逮捕され、そのまま収監された。周防家は如月家に続くように没落し、すべての資産を競売にかけられ、一家離散の憂き目に遭った。修はどうにか一命を取り留めたものの、右脚に深刻な障害が残り、二度と松葉杖なしでは歩けなくなった。彼は絶望のあまりアルコー
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