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砂原雑音
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Novels by 砂原雑音

優しさを君の、傍に置く

優しさを君の、傍に置く

【BLではありません】 石畳の洒落た通りは、街灯もアンティーク感を漂わせて全体のイメージを敢えて統一しているのがわかる。 夜は尚更異国の雰囲気を感じさせ、それに倣った店構えが並ぶ中、その店はひっそりとそこにあった。 今はもう照明の落とされたガラス張りの大きな店舗と店舗の間、半畳ほどの狭いステップから地下に繋がる階段を降りていく。 暗がりをランプの灯りが照らす中、重厚そうな扉を押し開くと…… その店には、男も女も骨抜きにする美人の「バーテンダー」がいる。 「僕が泣いても、やめないで」
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Chapter: Last story あなたがいなければ《5》
助産師に抱かれた赤ん坊の余りの小ささに、陽介さんは戸惑ったのか手を出しかけて結局止まる。「や、やっぱり頑張ったのは真琴さんだし、真琴さんから」「いいですよ、泣くほど心配したんだから陽介さんから」「や、でも」「助産師さんが困ってらっしゃるから、ほら」動揺して、僕と赤ん坊とを何度も交互に見た後。 陽介さんは、両手をごしごしと自分のシャツで拭いてから、意を決したように差し伸べる。 身体をがっちがっちにしながら、助産師の手から赤ん坊を受け取ると、陽介さんは大きく目を見開いてじっと手の中の存在を見つめた。「貴方が抱っこすると、尚更小さく見えますね」「ほんと、ちっさい……ふわふわする」ぎし、ぎし、とまるでおもちゃのロボットみたいに不自然な動きで、僕のところに近づくと、腰を屈める。 僕は少し身体を起こして、その腕の中を覗き込んだ。「ほんとだ、ちっさい」「めちゃあったかいっす……あ、口開けた」「女の子だって」「ん、色白できっと真琴さんみたいに別嬪さんだ」「髪は真っ黒だ……陽介さんの髪ですね」顔立ちは、まだよくわからない。 けれど、生まれたばかりにしてはとても綺麗な肌の色をしていて、髪質は陽介さんと同じ艶やかな黒髪だった。「……ありがとう、ございます。真琴さん」「うん?」「俺の子だ……」「……うん……ちょっ、涙! 涙!」またぼたぼたと、今度は赤ん坊の上に涙を落とすものだから、僕は慌ててタオルを陽介さんに顔に押し付けた。「もう! いい加減泣きすぎです」「だって……良かった、ふたりとも無事で、良かった……もう、こんな怖いのはたくさんっす……」この数十時間で、今は僕よりも憔悴して見える彼は、もうこんな怖い思いはしたくない、という。 けれど。「そんなこと、言わないで」心配をかけたのは申し訳ないけれど、もうこれきりがいいみたいなことを言わないで欲しい。 小さな子の頬を指で擽ると、まるで吸い付くみたいに口を開いて寄せてくる。 こんなに愛おしいのに。 寂しいことを言わないで。「大丈夫、何度でもちゃんと産んでみせますから」くぁ、と小さなあくびをして、まだぎこちない動作で身じろぎをする。 眠いのかな。 目が開かないかな。 まだ余り見えてないかもしれないけど、目を合わせてみたい。 僕が赤ん坊の僅かな仕草に
Last Updated: 2025-10-31
Chapter: Last story あなたがいなければ《4》
【高見真琴】はっきりとした記憶があるのは、破水した辺りまでだ。ぱしゃんと身体の中で水が弾けた感覚がして、これが破水なのかとすぐにわかったけれど、水が抜けだす感覚とぎゅううっとお腹を思い切り絞られるような痛みに混乱して、泣きながら陽介さんにしがみついた。「破水、したっ!」すぐに助産師を呼んでくれて、LDRへ移される。そこからは、痛みと疲労と恐怖の繰り返し。朦朧とした意識の中で、何度か言葉を交わしたり水を飲ましてくれたりしたことはぼんやりと、そんなことがあったかな、という程度だ。真っ白い世界の中で、意識が行ったり来たり揺れながら、僕は少し後悔していた。あの時陽介さんが買ってきてくれた焼肉弁当ちゃんと最後まで残さずに食べれば良かった。空腹を感じる余裕もないし、そんなに食べたいわけじゃないけど、もう何の力も残ってなくてカラッカラだった。痛みが襲うタイミングで、助産師が何かを言ってて、多分いきんでとか言われてるんだろうけど……もう力が入らなくて、ただ苦しい痛みが身体を通過していくだけ。「真琴さん!!」やけに悲痛な声で名前を呼ばれて、弾かれたように目を開けた。息が荒くて苦しい。喉に入り込む空気が冷たい。天井が見えた。随分長いこと目を閉じたままだった、そんな気がする。いつの間にか鼻にエアチューブをつけられていて、心臓がばくばく激しく鳴っていて。「高見さん! 気が付いた?!」さっきは確かに、陽介さんの声だったんだけど、今は助産師の声か主治医の声か聞き取りにくくてよくわからない。けど、こくこくと頷いた。いろんなことを言われたけれど、ちょうどまた陣痛が襲ってきてそれどころじゃなくなった。ただ説明されてわかったのは、今頑張らなければ赤ちゃんが出てこれない、ということだ。何度か陣痛を越えて、また気を失いそうになったけど今度はすぐに次の痛みで目が覚めた。いきまなければ、という意識が働いたのだと思う。最後に痛みの種類が変わった。腰の骨が軋んで、叫びそうな痛みだったけど。赤ちゃんが出て来ているのが感覚で伝わったから耐えられた。するといきなり痛みから解放されて、全身の力が抜ける。「生まれましたよ! 元気な女の子ですよ」助産師のその声も、酷くほっとしたようなものだった。女の子。女の子か、なんだかそんな気はしてた。泣き声が小さいよう
Last Updated: 2025-10-31
Chapter: Last story あなたがいなければ《3》
甘かった。朝になっても夕方になっても生まれず、陣痛が強くなるばかりでそのまま、また夜を迎えてしまう。途中、余りに痛かったのか怖かったのか、真琴さんが泣きながらしがみついてきて「破水、したっ!」と叫んだ。その後すぐにLDRに映ったが、それから一体、ちゃんとお産が進んでいるのかどうかもわからない。握り合わせた手の指が甲に食い込み、食いしばった歯の隙間から泣き声のような悲鳴が漏れる。「真琴さん、真琴さんっ……」もう、頑張ってと言うのも辛くて、名前を呼ぶしかできない。真琴さんは陣痛の僅かな合間に、ぐったりと身体の力を抜いた。助産師が真琴さんの足の間から顔を出して、彼女の腰を擦った。「赤ちゃんが中々進んでこないわねぇ」「それ、まだまだかかるってことっすか」陣痛が治まっている間も、真琴さんの膝はずっとカタカタと震えている。もう、体力なんて残ってるとは思えない。これ以上続いたらどうなるんだ。先の見えない不安が苛立ちを呼んで、多分それが声に出ていたんだと思う。「……陽介さん」破水してからの陣痛が余程辛いのか殆ど喋らなくなっていた真琴さんが、じっと目を瞑ったまま俺を呼んだ。「はい! なんすか、水? どこか擦る?」「貴方、僕に付き合って何も食べてないでしょう。少し、休んできて」「何言ってんすか、大丈夫ですよ。真琴さん、水飲んで。ジュースが良い?」みず、と唇が動いたので、ストローの吸い口を真琴さんの口元に持っていく。「ちゃんと一緒にいます。ね」出来るだけ明るい声でそう言った。こんな時に真琴さんに気を使わせるなんて、情けない。大丈夫、きっと大丈夫だ。俺が不安になってどうする、と必死で頭の中を切り替える。けれど深夜。もう叫ぶ力もいきむ力もない、そんな状況になった時。真琴さんが、不意に意識を飛ばした。最初はてっきり、脱力しているだけかと思った。けど、手を握れば握り返してくれていたのが、指がぴくりともしなかった。「真琴さん? 真琴さん?」俄かに助産師の顔色が変わる。内線で主治医に連絡を取ったり指示をもらったりしながら。意識の混濁が、とかレベルが、とか。酸素濃度が、とか。MRI、とか。心音が、とか。よくわからない、わからないけどとてもいい状況とは思えない言葉が並ぶ。心臓が煩いくらいに走り出し、冷や汗が噴き出した。「ま
Last Updated: 2025-10-31
Chapter: Last story あなたがいなければ《2》
こんこん、とノックをして病室のドアを開けたら、真琴さんが大きなお腹を抱えながら部屋の真ん中に立っていた。「陽介さん? まだ仕事中じゃ……」驚いた声を上げた真琴さんは、お産用に買った裾の長いネグリジェみたいなパジャマには着替えていたが、表情は全くいつも通りで汗一つ掻いてない。「落ち着かなくて仕事にならなくて……それより真琴さん、陣痛はどうなってんすか。今何分置き?」「それが……その」真琴さんは、ちょっと頬を染めて恥ずかしそうに目を逸らした。「十分間隔でお腹が張るから、病院に連絡して来てみたんだけど、まだ陣痛というには弱いらしくて。前駆陣痛、らしいです」「え……じゃあ、まだ?」はあ、と気が抜けた。「でも、この流れで始まることも多いからせっかく来たんだし泊まって行きなさいって先生が。すみません、診察の後もう一度連絡入れとけばよかったですね」よいしょ、と真琴さんがベッドに両手をついて、ゆっくりと腰を下ろす。愛しそうにお腹を眺めながら、少し残念そうな表情を浮かべた。「やっとかな、と思ったんですけど」「へへ……楽しみで何も手に付かないっすね」俺も真琴さんの正面に跪いて、すっかり大きくなったお腹を両手で撫でて耳を当てた。少し前まではよく動いていて、こうしていると時々ぽこっと蹴られたりしたけれど、数日前からすっかり大人しくなってしまった。出産が近づくとそういうものらしいが、それならそれで、早く出て来てくれないと心配になってしまう。「真琴さんの中が居心地いいんだろうなあ、気持ちはわかるけど」「……貴方が言うと、なんか変な意味に聞こえるんですが」いやいや。変な意味もちょっとあるけど。口をお腹に当てて、お腹の中の赤ん坊に話しかける。「早く出て来いよー。どっちに似てるでしょうね」「さあ……男か女かも気になりますね」「真琴さんに似てくれたら、男ならイケメン、女なら絶世の美女間違いないけど」男か女か、生まれた時の楽しみにとっておこうということで、敢えて聞かなかった。どっちでもいいけど、やっぱり最初は女の子かな。真琴さんに似た女の子、めっちゃ可愛いだろうな。お義母さんにちっさい頃のアルバム見せてもらったけど、「天使か!」と思うくらいに可愛かった。「僕は、貴方に似てほしいです」「え、俺に似てもあんま良いとこないっすよ。見ましたよね、子供
Last Updated: 2025-10-31
Chapter: Last story あなたがいなければ《1》
【高見陽介】まとめた書類とデータを、とん、と机でそろえて女性社員に手渡した。「じゃあ、このままサポート頼むな」「はい。主任の方は、大丈夫ですか? いくつか仕事引継ぎしときましょうか」「あー、大丈夫。なんかあった時はわかるようにはしてあるし連絡は取れるようにしとくから」ありがとうな、と言いながらつい、目はデスクの上に置かれた携帯画面をチラ見する。今のとこ、連絡はなし。今週入ってからこんな風にそわそわしているのを、周囲にはしっかりと見られてしまっているのだが、落ち着けと言われても無理があるというものだ。案の定、笑われてしまった。「もうじきですよね?」「ん、じき、っていうかもう予定日は過ぎててさ」もういつ陣痛が始まってもおかしくない、はずなんだけど。今週中に陣痛が始まらなければ、陣痛促進剤を使うか考えなければいけないと言われた、と真琴さんが言っていた。出来ればそういうのは使いたくないから、と一生懸命歩いたりしてるけれど、それはそれで心配だ。ただでさえ細いのに、妊娠しても体重が増えなくて、お腹ばっかり大きくなって真琴さん自身は逆に痩せたように見える。ふらついてこけたりしないだろうか。「楽しみですね。立ち合いされる予定なんですよね?」「あー、うん。タイミング合えばなあ、と」つい、へにゃっと顔がだらしなく崩れる。自覚はあるけどどうしようもない。主任になって部下が出来てからは、多少キリッとするようにはしてんだけど、仕事中でも真琴さんや子供の話を振られると、ダメだ。結婚して4年、やっと授かった子供だった。なかなかできなくて真琴さんは何度も落ち込んだりして、いろんなことがあったから、妊娠したと確認した時は二人で泣いた。ずっと、二人っていうのもいいかなって思ってた。けど、いざ自分の子どもが出来るとなると、やっぱ……感慨深いものがある。「いざ、って時は皆でカバーできるので、遠慮なく言ってくださいね」「おお」ありがとう。と、礼を言おうとした時だった。携帯が机の上で振動する音がして、思わず画面にくぎ付けになる。「奥様ですか?」慌てて携帯を手に取ると、画面をスライドさせる。着信画像は、間違いなく真琴さんで、仕事中だから気を使ってくれたんだろう、通話着信じゃなかった。『入院することになりました』『慌てなくても大丈夫なので、仕事
Last Updated: 2025-10-31
Chapter: モテモテとヤキモキ《4》
◆真琴さんが休憩している間、チェストプレスを使いながら夕食の時に彼女に言われたことを思い出していた。外で働きたいという気持ちはわからなくもない。今までは、接客という仕事でたくさんの人と話をしていたのが、急に世の中から置いてきぼりにされたような、そんな感覚にもなっているのじゃないかと思う。だから、決して悪いことではないし、いつか怯えることなく外に働きに出ることができれば、いい。と、真琴さんに言ったのは本音半分、建前半分、だ。正直に言っちゃうと、俺以外の男なんか怖いままでもいいと思うし、近づけなくていいと思うから、働きになんて出なくていいと思う。かなり本気だけど、間違った要望であることもわかってるから口には出さなかった。でもまだ早いって、それはほんとに。週に二日、佑さんとこで働いて、俺とこうしてジムに来たりしてさ。俺と佑さん以外にも、真琴さんには繋がりが必要なのも理解はしてる。唯一の友人である翔子が、春には留学して暫く会えなくなる、という寂しさもあるんだろう。すぐ近くで、女の子の二人組が仲良く話しているのが目に入る。ああでもないこうでもないとマシンの使い方で四苦八苦しながらも楽しそうで。ああいう友人関係が、彼女には翔子しか居ないのだ。その点は、確かに心配だった。「あの、すみません」ぼけっとしていると、女の子の一人が話しかけてきた。「ちょっと、これの使い方わからなくて……わかります? 良かったら教えて欲しくて……」「あ、いいっすよ」よっこらせ、と、腰を上げて機械から抜け出した。俺に話しかけて来た女の子はぱっと表情を明るくする。「良かった! ごめんなさい、インストラクターさんにはなんか聞きにくくて……いちいち呼びに行くのも面倒だし」「あー、確かに。ここ、割りと勝手にさせてくれる分、こっちからは頼みにくい雰囲気っすよね」一方、もう一人の女の子はこっちの話に笑顔で頷いたりして合わせてはいるものの、視線がちらちら他を気にしていて落ち着きがない。なんだろうな、とはちらっと思ったけど余り気にも留めてなかった。「ここに座って、足こっちに引っ掛ける。で、ここを持って……」「ああ!ボート漕ぎみたいな?」「そうそう。鍛える筋肉は全身だったかな……全身運動だから結構キツいかも。調節ここでできるから」「やってみます! ありがとうござ
Last Updated: 2025-10-31
君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー

君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー

受験の失敗で自分に自信が持てず、閉じこもりがちだった綾。 そんな綾が再び外の世界に目を向けたのは、通りすがりに一目ぼれした花屋カフェがきっかけだった。 臆病だけど本来は明るい性格の綾が人と触れ合い、関わって成長していく。 再び歩きはじめるために 必要なものは何でしょう アルバイト店員 三森 綾 19歳 元は大手商社のエリートだったらしい オーナー兼マスター 一瀬 陵 30歳 無表情で一見冷ややかなその人 時折見せる優しさに 綾は少しずつひかれていく パティシエ 片山信也25歳 チャラい外見と言葉遣いで不真面目に見られがちだが 実は案外気遣い屋 失恋したばかりの綾に わかりやすい程真っ直ぐな愛情表現を示してくれる
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Chapter: afterstory 木香薔薇の純真《7》
大体のことの成り行きを説明すると、なんとなくそれだけで少しほっとしてしまってつい深いため息が落ちた。一瀬さんに話したからって、どうにかなるわけではないのだけれど、ただ話すことで感情の折り合いをつけたかった。「次、娘さんが来られたらありのまま伝えるしかないですね」「……そう、ですよね」「貴女の責任ではないでしょう。家族の問題にまで深入りは出来ませんよ」「はい……」一瀬さんの言うことは、もっともだ。わかってるのに、ついつい、首を突っ込んでしまいそうになる理由はなんだろう。あの女性に対しても、親近感が湧くというか、つい応援したくなるというか。黙り込んだ私を心配してか、信号待ちで一瀬さんが少しハンドルに凭れ掛かり様子を窺うように私の顔を覗き込む。「咎めているわけではないですよ? 貴女が自分を責めることはないということです」少し、目尻が下がってる。心配してくれているのだと思うと、嬉しくて口元が緩んだ。「大丈夫です、わかってます」「なら、良いですが。私はいつも、言葉が足りない気がして」と、少し意外な言葉が付け加えられて、驚いて目を瞬く。そんなことを気にしているとは、思ったこともなかったから。「そんなことは、ないです」本当は、今の私達の関係の曖昧さに関して言えば、確かに、もっと言葉が欲しいと思う。だけど、言葉で欲しいと伝えて、無理に聞きたいわけでもない。それに、それ以外の事柄で言えば、一瀬さんの表情の変化は確かに乏しいけれど、私はわかる。出会ったばかりの頃は、確かにいつも不機嫌そうに見えて、あまり話してもくれないし怖かったけれど。あれからもう、四年近く経つのだろうか。そういえば、あの見るからに不機嫌そうな最初の印象といい、清瀬さんは一瀬さんと少し印象が似ている。思い出してクスクス笑っていると、むす、と今度は確かに不機嫌な声が返ってきた。「……そんなにおかしいですか」「あ、いえ。すみません、おかしい、というか、少し似てるんです」「似てる?」「清瀬さんと、一瀬さんが。初対面の時の雰囲気とか」私がそう言うと、なぜだか彼は少し複雑そうな、困惑気味の横顔を見せた。「そんなに似てますか」「いえ、私がちらっと思っただけですけど……結構、素敵な方ですよ?」何か失礼な言い方をしただろうかと、慌てて取り繕ったような言い訳をしてしまう。
Last Updated: 2025-08-27
Chapter: afterstory 木香薔薇の純真《6》
……私は何か、間違ったんだろうか。何か余計なことを言ってしまったのだろうかと、清瀬さんとの僅かな会話を頭の中で繰り返し思い出す。やっぱり、出過ぎたことを言ってしまった?今度娘さんが来店されたら、なんて言えばいいんだろう。一日の終わり、厨房の後片付けをしている途中なのだが、ついつい思考回路が飛んで手が止まる。「おい!」「はいっ?!」いきなり鋭い声が飛んできて慌てて背筋を伸ばすと、すぐ目の前に小山さんがいた。驚いて目を瞬かせると、小山さんが呆れたため息を落とした。「お前、ぼんやりし過ぎ。余ったプリン、持って帰るかって聞いてんだけど」どうやら、いきなりではなく何度も声をかけてくれていたらしい。「あ、もらいます! 嬉しい、いいの?」「一個しかないから食って帰ってもいいけど……つか、お前時間大丈夫?」「え?」「いつもより遅くなってるけど」言われて壁の時計を見上げると、確かにいつもならとうに店を出ている時間だった。「わ、ほんとだ……」「大丈夫かよ」「大丈夫。電車はまだあるし、遅いついでにプリン食べて帰る」「じゃなくて……まあ、いいや。じゃあ、帰り」「綾さん」こんこん、とノックの音がして、小山さんの言葉を遮るタイミングで声がする。カウンターの方から、一瀬さんが顔を覗かせていた。「もう遅いので、後で車で送ります。後片付けが終わるまでもう暫く待っていただけますか」「え、あ、一瀬さんが、ですか?」「勿論、そうですが」「あ、ありがとうございます!急いで帰る用意を……」「いえ、まだ片付けが残ってるので、プリン食べて待っててください」そう言って、また頭を引っ込めて店舗の方へ戻って行った。一瀬さんが、車で送ってくれる。フラワーコーディネートの仕事の時には、荷物が大変だろうと送り迎えをしてくれるけど基本カフェからの帰りに送ってもらったことは今までなかった。彼はは片付けが終わった後も多分、売上の計算だとか記録だとかたくさんあるようで、住居スペースである二階にも戻らず、一階で最後まで仕事をしていることが常だからだ。デート……というか二人でお出かけする時は勿論、何度も乗せてもらったけど。「……一瀬さんが、送ってくれるって」「そうかよ。良かったな」「どうしよう……」「何が」苛ついた声が帰ってきたけど、私は既に緊張し始めて酷くそわ
Last Updated: 2025-08-18
Chapter: afterstory 木香薔薇の純真《5》
ずっとお見舞いを受け取り拒否していたのを、なぜ今回に限り受け取ってくれたのか。その謎は、すぐに解けた。「やあ、こんにちは」「あ……こんにちは」以前と同じ場所、同じベンチで、具合が悪いのかと私が勘違いしたあの男性が座っていた。あの日と同じように、ペットボトルの水を持って。「今日もお散歩ですか?」「ええ。今日は幾らか、暑さがマシですかね」確かに、幾分和らいで感じるのは風が少し流れているせいだろう。だからといって、陽射しは相変わらず真夏のものに変わりはない。「風があって心地は良いですけど、日焼けしませんか?」近づいて、また日傘を差しかけた。腕に引っ掛けた、花束を入れたショップバッグが揺れる。気付いた男性が、指で指し示しながら私を見上げた。「失礼ですが、花束の宅配ですか?」「え? あ、はい。そうなんです」どうして、誰かのお見舞いではなく花屋だとわかったんだろう。首を傾げた私に、質問が重ねられる。「”また”清瀬巧宛でしょうか」「えっ……、そうです内科に入院されてる清瀬巧さんという方に……」そこでようやく、気が付いた。「もしかして、清瀬さんですか?」「申し訳ない、暑い中届けていただいて。ここで受け取らせていただいてもよいですか?」清瀬さんが苦笑いをしながら、私に向かって小さく会釈をし、それから手を差し出した。「あ、はい! どうぞ、こちらです……えっと……どなたかから、とか」「娘でしょう。ご迷惑をおかけしてます」清瀬さんは苦笑いをしながら、ショップバッグを受け取って中を覗く。黄色い姫向日葵の花が、太陽の光の下で一層色鮮やかで、まぶしく見えた。「あの、ずっと受け取り拒否されてたのに、どうして?」「偶々ですよ、あの日お嬢さんが日傘を差しかけてくれた時、手にしていたショップバッグを覚えていまして」「あ……やっぱり」「ええ、暑い中届けてくださって、熱中症の心配までしてくださったのに、と思うと」初めて見た時は、少し気難しさを感じる人だと思ったけれど、本当は優しい人なのかもしれない。私が「ありがとうございます」と頭を下げると、「こちらこそ」と会釈してくれる、その表情は優しかった。なんだかちょっと、最初のころの一瀬さんの印象に似ている、と思ったら少し懐かしさと親しみも沸いてくる。そのせいか、結局私は一瀬さんに言われたにも拘
Last Updated: 2025-08-12
Chapter: afterstory 木香薔薇の純真《4》
あの女性は、それからほんの数日後にまた店に現れた。もうじきランチタイムも終わろうかという二時少し前。店はまだ少し混雑気味で、紗菜ちゃんと私でホールを、厨房を小山さんと一瀬さんで回していた。「あ……いらっしゃいませ!」カラコロとカウベルを鳴らして入って来た女性に気が付いた時、私は空いたテーブルを片付けてランチの皿をカウンターまで片付けに行く途中だった。すぐに目が合って互いにぺこりと会釈をする。「すみません、少しお待ちくださいね」またブーケのご注文だろうか。だとしたら、先日の花束はちゃんと受け取ってもらえたのかもしれない。そう思うと嬉しくて、汚れた皿を流し台に置くとすぐにフロアに戻る。女性は紗菜ちゃんに案内されたのか、さっき片付けたばかりのテーブルに席を取っていた。「あのお客様、綾さんとお話ししたいって」「あ、うん。多分、こないだのブーケのことかな」「ランチのご注文はいただいたので、通しておきますね!」と、紗菜ちゃんが伝票をぴらっと見せてから入れ違いにカウンターに入って行き、私は女性の方へ近づいた。「先日はありがとうございました。受け取ってくれたんですよ、やっと!」女性は私に向かってぺこりと頭を下げ、弾んだ声でそう報告してくれた。もしかして、そのためにわざわざもう一度来店してくれたのだろうかと、私もつい嬉ししくなって声のトーンが上がる。「本当ですか?! 良かった、てっきりまた拒否されてお客様の方へ戻されたんじゃないかと心配していたんです」そう言うと、女性は若干気まずそうに眉尻を下げ、苦笑いをした。「すみません……看護師から聞いたんですよね」「あ……まあ。すみません、ご事情は少しだけ、お伺いしました」お客様から聞いた事情ではなかったのについぽろっとこぼしてしまい、私も小さく頭を下げる。女性は、「いいえ」と軽く顔を振ると、今度はちゃんと名乗ってくれた。「小児科医をしております、清瀬と申します。先日は名前も告げずにすみませんでした」「いえ、看護師さんにお話したらすぐにわかっていただけたし、それはいいんですが……」「私からって知ったらまた受け取ってもらえないかもって、つい咄嗟に。よく考えればすぐにバレるんですけど」「すみません、娘さんからみたいですって私言っちゃったので……でも受け取ってもらえたんですね」「そうなんです、
Last Updated: 2025-08-06
Chapter: afterstory 木香薔薇の純真《3》
いきなり知らない人間がお花を届けても戸惑わせてしまうだけだろうと、まずはナースセンターを訪ねてみた。「すみません。お花を託って来たのですが……」「お見舞いですか?」「いえ、実は花屋のものなんですが、こちらに入院されてる清瀬さんという方に届けて欲しいと言われて……勝手に病室を訪ねていいものか迷ってしまって」私が成り行きを説明すると、看護師さんは困ったように眉を八の字にした。「あー……」「すみません。送り主の方のお名前がちょっと……娘さんらしいということしか」「あ、それは大丈夫です、わかってますので……」「は?」どういう事情なのか、意味が分からなくて首を傾げているうちに、別の年配の看護師さんが近寄って来た。「女性ですよね? 髪は長くて三十代くらいの」「そうです、ご存じなんですね、良かった」どうやら、看護師の間ではちゃんと認知されてるらしいことに、ほっとした。ショップバッグに入れたまま花束を二人の看護師に見せ、どうしたものかと指示を仰ぐ。「こちらなんです。いきなり花屋が患者さんの様子もわからず病室に行くのもどうかと思いまして、もしよかったら看護師さんの方から渡していただければ……」「大丈夫ですよ、お預かりします」苦笑いをしながら、年配の看護師さんが私の手からショップバッグを受け取ってくれたのだが。「清瀬さんは、拒否されるんですけどね」困ったものです、とため息をついていた。「えっ……だったら、それご迷惑なんじゃあ」「ちゃんと清瀬さんには見せて、それから先生にお返ししときます。その女性、ここの医師なんです」―――――――――――――――――――――――――――――――――「ここに注文に来られた時も、もうずっと帰ってないって言ってたし……何かわけありみたいな感じですよね」無事にナースセンターに花束を預けることができて店に戻り、一部始終を一瀬さんに報告した。お客様もちょうどいなかったので、カウンターの中で休憩も兼ねさせてもらっている。手の中には、アイスティのグラス。浮かんだミントの葉が、涼し気に揺れた。「清瀬さん、受け取ってくれたらいいんですけど……今までも、娘さんからの差し入れ全部拒否されてたそうなんです」「そうですね。娘さんの気持ちが通じると良いですが」一瀬さんは、賄い様のアイスコーヒーを作りながら話を聞いてくれて
Last Updated: 2025-07-25
Chapter: afterstory 木香薔薇の純真《2》
結局、今店にある花で花束のオーダーを承ることになり予算や色合いなどを女性と打ち合わせる。「では、すぐにお作りしますね」「あの、実は持ち帰りではなく、届けていただきたいんです」「配送、ということですか?」「そういう扱いになるんでしょうか、やっぱり。その……すぐそこの市民病院なんですけど」と言って、女性は窓の外を指差す。ここからは見えないけれど、確かにその病院は歩いて五分もかからない場所だ。「お見舞いに行かれる、というわけではないんですか?」「ええ……ちょっと、時間がなくて。あの、いつでもいいんです、お手隙の時に届けていただけたら、と」そういった申し出が今までなかったため少し迷ったが、もうすでに会計もいただいてしまっている。一瀬さんに聞いてからの方が良いだろうかと思ったけれど、ちょうどいま接客中だった。「わかりました。後で良ければ。お名前をお伺いしてもよいですか?」届け先のお名前と病室は何も問題なくメモに書いて渡してくれたのだが。「あの、お客様のお名前もよろしくおねがいします」というと、彼女はあからさまに焦った顔をした。まさかそんな表情をされるとは思っておらず、私の方も戸惑ってしまい首を傾げてもう一度尋ねる。「あの、お届け先の方に、どなたからの贈り物かお伝えしないといけないので」「いえ。それは、いいの。知り合いからとでも適当に伝えておいて」「ええっ?」「会計は済ませてあるんだし、それで構わないでしょう? ごめんなさい、急いでいるので、後はよろしくお願いします」突然、かたくなな態度になって女性はバッグを肩にかけなおすと、くるりと背を向ける。「あ、あの! でも!」確かに、会計は済んでいるけれど。本当にこれでいいのだろうか?対応を考えているうちに女性はそそくさと店を出て行ってしまって、慌てて呼び止めた声はカウベルの音と空しく重なった。受けてしまった仕事なのだ、行かない選択肢はない。ランチタイムの後の暇な時間帯に、一度店を抜けさせてもらい市民病院へと花束を届けることになった。五分ほどの距離とはいえ、真夏の強い日差しにすぐに汗が噴き出してくる。日傘は差していてもアスファルトからの照返しで、肌がじりじりと熱かった。「あっつい……」と、思わず零れた独り言も、弱弱しい。早く建物の中に入ってしまおうと、急ぎ足で病院前にたどり着
Last Updated: 2025-07-24
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