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砂原雑音
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Novels by 砂原雑音

君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー

君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー

受験の失敗で自分に自信が持てず、閉じこもりがちだった綾。 そんな綾が再び外の世界に目を向けたのは、通りすがりに一目ぼれした花屋カフェがきっかけだった。 臆病だけど本来は明るい性格の綾が人と触れ合い、関わって成長していく。 再び歩きはじめるために 必要なものは何でしょう アルバイト店員 三森 綾 19歳 元は大手商社のエリートだったらしい オーナー兼マスター 一瀬 陵 30歳 無表情で一見冷ややかなその人 時折見せる優しさに 綾は少しずつひかれていく パティシエ 片山信也25歳 チャラい外見と言葉遣いで不真面目に見られがちだが 実は案外気遣い屋 失恋したばかりの綾に わかりやすい程真っ直ぐな愛情表現を示してくれる
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Chapter: afterstory オシロイバナの小心《5》
うう……せめて、ジーンズくらいもうちょっと小奇麗なもの履いてくればよかった。せめて、と腕まくりしたまま忘れてたブラウスの袖を直していると、一瀬さんが車を降りてしまった。あわわあわわと、急いでもう片方の袖も直し終えたところで、助手席側のドアが開く。「では、早く行きましょうか。綾さんのお腹の虫がまた泣き出す前に」「……それはもう、忘れてくださいよ」またからかわれたと拗ねて口を尖らせる私に、一瀬さんが冗談混じりの軽口を叩きながら、手を差し出した。「私も少々、限界なんです。下手したら合唱しかねませんから」……夢みたいだ。一瀬さんに、こんな風にしてもらえるなんて。ふわりと、心が浮き立つ。まさに夢見心地で、私はその手に自分の手を重ねた。落ち着いた雰囲気の、古民家を改造したようなレストランはしっとりと大人の雰囲気で、少しだけ緊張したけれどすぐに慣れた。イタリアンなのに、出て来たのがお箸だったからかもしれない。装飾も兼ねてなのか棚にはずらっとたくさんのワインが並べてある。「そう言えば、一瀬さんはお酒って飲めるんですか?」「そうですね、付き合い程度ですが」あ、すごく似合いそう。水割りとか、ワインとか?と、勝手に想像していたのだけど、棚のワインをちらりと一瞥した一瀬さんの言葉は予想に反したものだった。「まあ、私はビールか日本酒が殆どですけど」「えっ?! そうなんですか」「……そんなに意外ですか」あからさまに驚いた反応の私に呆れたのか、一瀬さんは苦笑いをする。「綾さんの目には私はどんな風に映ってるんでしょうかね、たまに不思議に思いますよ」「どんなって、見たまんまです。大人で、いつも落ち着いてて」「お酒はワインかブランデーでも嗜んでそうな?」「あは……すみません。そんな風に見えました」「ただのおっさんなんですけどね。貴女から見ればそれこそくたびれた」「えっ、くたびれたなんて思ったことありません!」とんでもない!素敵だなあと思いこそすれ、そんな風に見えたことなんて一度もない。それだけは主張しなければと、つい勢い余ってテーブルに乗り出し気味に答えたら、またくすりと笑われた。ほんと、私は一瀬さんに比べて落ち着きがない。それを笑われたのだろうと、落ち込みつつきちんと腰を落ち着けて椅子に掛け直す。だけど、呆れられたわけではなかった
Last Updated: 2025-06-12
Chapter: afterstory オシロイバナの小心《4》
荷物を片付けて掃除をして、建物を出ると一瀬さんはすたすたと駅とは逆方向へ行く。どこへ行くのだろう、と後ろを着いて行くのだが、大荷物の殆どを一瀬さんが持ってくれているのに、彼の方が足が速い。着いた先は、コインパーキングだった。「えっ、一瀬さん、車で来られてたんですか」「勿論です。そういう綾さんは……電車だったんですね、もしかしなくとも」「は、はあ……車、持ってないですから」「この大荷物で……本当、呆れます」深々と溜息をつかれ、しゅんと肩を竦める。すぐ傍の黒い車から、ぴぴ、と音がして電子ロックが外された。「どうぞ」と、ドアを開けて促されたそこは、助手席側だった。躊躇っても仕方ない。「お邪魔します」ぺこんとお辞儀して、シートに乗り込む。……うわ、やわかい。車の種類は良くわからないけど、外から見た感じは派手でも特徴的でもなかった。けど、内装はなんだか重厚感溢れる感じで、シートの座り心地が良い。もしかしてすごい高級車だったりするのかな。でも外車とかなら、ハンドルは逆なんだよね?ついキョロキョロと車内を見渡してしまう。一瀬さんは後部座席に私の荷物を置くと、運転席に乗り込んだ。「それでは、何が食べたいですか」「なんでも、食べます」正直お腹が空きすぎて、本当になんでも構わない。この狭い車内で、また腹の虫が鳴くのを聞かれる前に、早く食べ物をお腹に入れてやらなければいけない。あんな恥ずかしいのはもう嫌だ。「食事のあと、アジサイ寺にでも行きませんか」車を走り出して少ししてからだった。信号待ちで、一瀬さんが徐にそんなことを言う。「アジサイ寺ですか?」「はい。ちょうどいま見頃だそうで」そして空模様を運転席の窓から覗き込みながら、続けた。「……降ってきそうですが。アジサイなら、雨も似合うでしょう」私もつられて窓の外を見る。すぐ上の空はまだ薄く青空が覗いているけれど、西の方は灰色の雲が覆っていた。「あ、傘」「ありますよ、一つですが大き目だから問題ないと思います」「……そ、ですね」一瀬さんは問題ないと言うけれど私からすれば、大ありだ。雨が降って欲しいのか欲しくないのか、わからない。心臓がとくとくとく、と忙しなくて落ち着かない。誘ってくれて、嬉しい、けど。どうして急に、という不安もちょっとあった。これは……デー
Last Updated: 2025-06-10
Chapter: afterstory オシロイバナの小心《3》
くるくるくる、と頭の中で一瀬さんの言葉が回る。それを正しく理解するには、少しの時間を要した。これは、もしかして……デートのお誘いなのだろうか?それとも昼休憩的な。あ、でも。今、仕事が終わったら、って、言った。そう気づいた途端、ぶわわっと体温が上がって体中から汗が噴き出した。「あ、あああのっ、えっと」「今日のご予定は?」一瀬さんの声は至極淡々としたもので、私一人が体温を上げているような気がしてならない。「予定は、ない、です。ここだけ」だけど私がどもりながらもそう返事をしたら、ほんの少しだけ眼鏡の向こうで目元が緩んだのが、わかった。とても小さな変化だ。私じゃなければ、きっと見落としていた。早くしなくちゃ。せっかく誘ってくれて、手伝いにまで来てくれているのに余り待たせちゃいけない。それからは、急いで支度をした。広げたレジャーシートの上に、順に花を広げて汲んできてもらったバケツの水で水切りをする。明日の個展初日は勿論、期間中できるだけ長く花を保たせてあげないといけない。丁寧に仕上げたいけれど、もたもたすると逆に花を傷めてしまう。広げたデザイン画と実際の花を見比べながら、茎の長さを整える。てきぱきと作業をするうち、はじめは見られながら仕事をするのに緊張していたけれど、そんなことはすっかり気にならなくなっていた。途中から、一瀬さんの存在も忘れるくらいに集中していて。「できた……」全体像を眺めデザイン画と照らし合わせ、ホッと息を吐いた時、「綺麗ですね」と声をかけられて、思い出したくらいだった。わっ、と控えめではあるが、驚きの声を上げた私に、一瀬さんが苦笑いをする。「……忘れてました?」「いえ、そんな! その、ちょっと夢中になりすぎて」「集中されてましたからね」そうだ、すっかりお待たせしてしまったと、慌てて足元を見た。早く、片づけてしまわなければ。切った枝や葉があちこちに散らばっているのを、持参のミニ箒とちりとりで集めていて、ふと一瀬さんが微動だにしていないことに気が付いた。「一瀬さん?」振り仰ぐと、じっと私の創作した花を見つめたままで、不思議に思って名前を呼ぶ。呼ばれて初めて我に返ったかのように、一瀬さんは足元の私を見て同じようにしゃがんだ。「片づけますか。ゴミは私がまとめます」「どこか、変ですか?」「と
Last Updated: 2025-06-06
Chapter: afterstory オシロイバナの小心《2》
紗菜ちゃんに先に休憩に行ってもらい、私は一瀬さんに手伝ってもらって出来上がったブーケの撮影をすることにする。「すみません、ちょっと斜めに持っててくださいね」黒のエプロンを背景代わりにして、デジカメで撮影する。少し角度を変えて何枚か撮っていると、少し上の方から一瀬さんの声がした。「先日お電話があった、個展会場の花の活け込みは明日ですか?」「はい。お店も定休日だし、丁度良いと思って」専門学校を先に卒業した先輩の伝手のおかげで、ぽつぽつとフラワーデコレーションの仕事をいただいている。私はあくまでこのお店flowerparcの店員としてお仕事を受けたいと一瀬さんにお願いしたから、依頼は全てお店を通してもらっていた。といっても、まだ二つ目だけれど。依頼主の人とデザインの打ち合わせは済んでいるし、花も手配済みなので後は向こうで実物を仕上げるだけなのだけど、やっぱりまだ緊張する。デザイン画と違うとか言われたらどうしよう。今撮ったブーケの画像をデジカメの液晶画面で確認しながら、緊張を吐き出したくて溜息をついた。「画像、オッケーです。持っててもらってありがとうございます」「……お手伝いしましょうか?」「えっ? いえ、ちゃんと綺麗に撮れましたから……」一瞬、一瀬さんの言う「お手伝い」が今の新しいブーケの撮影のことなのかと思ったが、どうやら明日のことのようだった。「明日、おひとりでは大変でしょう」「いえ、大丈夫です。折角の定休日なんだし、一瀬さんはゆっくり休んでください」デジカメから目線を外して、一瀬さんを見上げた。ほんの少し眉根を寄せた表情に、何か気を悪くさせてしまっただろうかと首を傾げる。「綾さんも、一週間ぶりのお休みでしょう。それに確か先週の休みも打ち合わせじゃありませんでしたか?「大丈夫です! 好きなことですし、打ち合わせなんてほんの二時間程度でしたし」どうやら心配をかけてしまっていたみたいで、私は慌てて首を振って大したことではないと主張した。さすがに明日は、二時間というわけにはいかないだろうけれど。余計に気を遣わせてもいけないし。そう考えて敢えて言わずにいると、一瀬さんが小さく溜息をついた。ような、気がした。「……では、明後日は綾さんはお休みにしてください」「えっ? 大丈夫です、ちゃんと」「休んでください。一日くらい私
Last Updated: 2025-05-31
Chapter: afterstory オシロイバナの小心《1》
恋をした。一世一代の大決心で告白をしたけれど貴方は返事をくれなかった。私から見て貴方はとても遠くに感じるくらい大人で貴方から見たら、きっと私はとても小さな存在だったのだろうと思うどんなに私が走っても年の差は埋まらないしそれでも走って走って代わりに埋められる何かを探した約束の二度目の告白を果たすために********************************「ありがとうございます。 私も好きですよ」拍子抜けするほどにあっさりと手に入ったらしい彼の心二年越しの恋は両想いで始まった……のでしょうか?温度が足りない。――――――――――――――――――――――――――――今年の梅雨は、どうやら空梅雨という予想らしい。テレビの中で、気象予報士のお姉さんが「もしかすると」を強調して話していた。初夏の気候が梅雨明け後の真夏を思わせる気温の高さで、既に日傘が手放せない。六月に入っても週間天気予報はずっと晴れの予報だった。「今日も暑そうですねぇ」アルバイトの高見紗菜ちゃんが、窓の外の陽射しを見ながらそう言った。ここ花屋カフェFlowerparcは通りに面した全面がガラス張りになっていて、陽当たりもよい。強い陽射しは通りに並ぶ街路樹が和らげてくれるが、さすがにこの頃は眩しすぎてロールカーテンを窓の半分ほどまで降ろしていた。「ああ、やだやだ。またこの陽射しのなか大学まで行かなくちゃいけないのぉ」「良かったら日傘貸しましょうか?」項垂れる彼女に、私、三森綾はくすくす笑いながら日傘の提案をしたけれど。「必須アイテムですよ!当然持ってます!それでも暑いんです」と、再度行きたくないアピールをした。確かに陽射しは防げても体感温度は余り変わらないかもしれない。アスファルトからの照り返しは直撃なわけだし、大学までそれほど遠くなくても間違いなく汗だくにはなりそうだ。紗菜ちゃんは、近くの女子大生らしい。講義の無い時間帯を選んで、割とまめにシフトに入ってくれている。作業台で撮影用の花束を作りながら話していると、紗菜ちゃんが手元を覗き込んでくる。「スィーツプレートとセットのミニブーケですか?」「そう。季節も変わるしそろそろ新しいパターンにしましょうかって、ことになって。可愛い?」今作っているのは定番のガーベラの花
Last Updated: 2025-05-30
Chapter: 最終話 恋するチューリップ《6》
ことんと目の前のカウンター席に湯気の上がるカップが二つ置かれた。それに目を落としているうちに、マスターは私のいる客席側まで出てきて、スツールの一つに座り身体ごと私に向いた。私はまだ混乱して突っ立ったままで、久しぶりに間近でみる一瀬さんの顔を見ることも出来ず。手の中で、かさりと音がした。チューリップの花束を包むクラフトペーパーが、つい力の入った指先で形を変えた音だった。花束を見下ろして、ようやく思い出す。私はあの夏の約束を、守りに来たのだ。「あの……一瀬さん」「はい」「私、頑張りました。専門学校、ちゃんと卒業して」「はい、知ってます。おめでとうございます」言いたいことは、たくさんある、けど。花束から視線を上げると優しい一瀬さんの瞳と出会って、涙が溢れそうで声が震えた。「あ、ありがとうございます! それから……あ、ウェディング関係の仕事も、少し回してもらえるかもしれなくて」「それは、すごい」自分があれからどう変わったのか、何を伝えるべきなのか。焦ってしまってしどろもどろになって、また余計に混乱して。緊張して噴出した汗に益々混乱する私に、すっと手が差し伸べられた。「え……」「座りませんか。焦らなくても、ゆっくりお伺いしますから」落ち着いた声音に、誘われるように片手を出せば、軽く引かれて隣の椅子に促される。カウンターに背を向けて座る一瀬さんと店に溢れる花を眺めることができる、久しぶりの私の居場所。一瀬さんの目が店内を一周して、ほうっと息を吐く。両手を組み合わせて膝の上に置き、目が閉じられた。「卒業式の次の日には、来てくれるものかと」「え……」まさか……待っていてくれたのだろうか。驚いて見開く視界の先で、一瀬さんがゆったりと穏やかに笑い、再び目を開けた。「そろそろあなたと、こうして花でも愛でながら お茶がしたいと思っていました」漂う珈琲の香りの中で、きゅっと抱きしめたチューリップの花束が腕の中で存在を主張する。涙を堪えて震える唇が、上手く言葉を紡いでくれない。だけど私はまだ、大切なことを言ってない。俯いて、真っ赤なチューリップを両手でしっかりと持ち直す。ゆらゆら揺れる赤い花びらにぽたぽたと落ちた私の涙ごと、彼の方へ差し出して。長い長い冬の間、温め続けた想いを告げる。どうかこの赤い花を私の想いと一緒に受
Last Updated: 2025-05-29
優しさを君の、傍に置く

優しさを君の、傍に置く

【BLではありません】 石畳の洒落た通りは、街灯もアンティーク感を漂わせて全体のイメージを敢えて統一しているのがわかる。 夜は尚更異国の雰囲気を感じさせ、それに倣った店構えが並ぶ中、その店はひっそりとそこにあった。 今はもう照明の落とされたガラス張りの大きな店舗と店舗の間、半畳ほどの狭いステップから地下に繋がる階段を降りていく。 暗がりをランプの灯りが照らす中、重厚そうな扉を押し開くと…… その店には、男も女も骨抜きにする美人の「バーテンダー」がいる。 「僕が泣いても、やめないで」
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Chapter: だから言わんこっちゃない!《3》
げほん、ごほんと、痰の絡んだ咳が携帯電話の向こうで聞こえる。「風邪?!」『す……すんませっ、なんとか気合で治そうと思ったんす……け……ど……』語尾に力が無くなったかと思うと、数秒の沈黙の後、またげほごほと激しい咳の音がした。「ちょっ……大丈夫ですか?」『けほっ……すんません。すげー行きたいのに、慎さんに移したら、と思うと』「熱は? 病院は行ったんですか」ところどころに鼻を啜る音と咳が混じっていて、声が全体的に弱々しい。結局既読が付かないまま朝を迎えて、電話が鳴ったと思ったら風邪を引いてしまったと言う。『昨日、仕事早めに終わって病院行って、インフルエンザではなくって、薬は貰ったんすけど……』「は?!……昨日から?! なんで言わないんですか!」『すんません……だって、どうしても、遊園地が……熱さえ下がったら行けるかもって』「そんなことはどうでもいいんです馬鹿!」めそめそと泣きそうな声に一言「寝てなさい!」と付け足して、通話を切った。馬鹿だ、ほんとに馬鹿!昨日なら僕も休みだったのに、なぜ言わない!男の一人暮らし、体温計はあるんだろうか。なんか、「俺は風邪引かないっすから!」とか言って何も持ってない気がする。念のため体温計と水枕と。どれくらいの熱なのかを結局聞きそびれたけど、途中でスポーツドリンクとゼリーを買って。あ、冷蔵庫に冷えピタがあった。トートバッグの中に必要な、思い付く限りのものを放り込んで、一番上に返せていなかったワイシャツをビニール袋に入れてから乗せる。陽介さんのマンションの場所は、ちゃんと覚えている。よくもあの時、連れてってもらっていたものだ。駅を降りてから、一本道だったはず。外観はあまり覚えてないけど、なんとかなるだろう。コートを羽織って真新しいスニーカーを引っ掛けるようにして履くと、僕は慌てて部屋を出た。スポーツドリンクのペットボトルやらゼリーやら、水物ばかりで重たいスーパーの袋を引っ提げて、迷わずに陽介さんのマンションの前に着いたものの。携帯にメッセージを送っても反応が無い。熟睡してしまっているのかもしれない。「……しまった」勢いで来てしまったけれど、よく思い出せば僕は「寝てなさい」と言っただけで、今から行くとは一言も言わなかった気がする。インターホンを押してもやっぱり反応はなく、余り何度
Last Updated: 2025-06-12
Chapter: だから言わんこっちゃない!《2》
貴方に比べれば大抵のものは小さくて可愛く見えるでしょうけど。一般的に、僕は可愛らしい部類には入らないと思うけど。それでも、彼が嘘やお世辞を言ってるようには見えなくて、本気で可愛いと思ってるんだろうと信じてしまう。それが、すごく、くすぐったい。二つ並んだ大小の手を見ていたら、いつも大型犬さながらに嬉しそうに懐いて来る姿が浮かんで頬が緩んだ。約束の遊園地には、きっと並んで歩いても僕と彼は普通のカップルには見られない。友人かゲイカップルといったところだ。多分それでも陽介さんは、楽しそうに笑ってる。そんなことを考えながら、手とか服越しに触れてる肩や腕に伝わる体温が心地よくて、いつの間にか僕もすっかり寝入ってしまい。次に目が覚めた時には僕はベッドに寝かされていて、陽介さんは帰ってしまった後だった。”ワイシャツが見つかんなかったのでスエットの上借りて行きます”と置手紙を残して。もしかしたら見つからなかったんじゃなくて、洗濯機の中だろうと気が付いても開けちゃいけないと思ったのかもしれない。中には陽介さんのワイシャツしか入ってなかったから、開けてくれて構わなかったんだけど。それに、起こしてくれたらよかったのに。少し首を傾げたけれど、きっと彼もいい加減疲れが溜まっていて早く帰って休みたかったのだろうと、納得した。―――――――――――――――――――十二月というのは、ただでさえ客の多い稼ぎ時で、特に九時以降くらいから忙しくなる傾向にある。忘年会シーズンで、一次会若しくは二次会まで終えた後での来店が多いからだが。クリスマスイブ前後はカップル客も多く、その後すぐに十二月最後の土日があり、立て続けの忙しさに僕の方も余り余裕がなくなっていた。陽介さんもさすがの忙しさに遠慮したのか終電を待つことなく帰って行って、ゆっくり話すこともできないまま。二十八日の朝方、年末最後の客が帰り、漸く仕事納めとなった。「はいよ、十二月分」「ありがとうございます」佑さんから、給料袋を受け取った。当然の如く、今どき現金手渡しだ。然し乍ら、今月は少ないはずである。先日の飲み比べの代金を、給料天引きでお願いしていたからだ。「あれ?」「なんだ? 少ないとかいうなよ」「少ないのはいつものことだけど、此間の飲み代が引かれてない」正味酒代程度にしてくれたとしても
Last Updated: 2025-06-10
Chapter: だから言わんこっちゃない!《1》
【神崎慎】ただでさえ、しょっちゅう店に来て大丈夫なのかと思っていたのに。この頃の陽介さんは毎日来店し、毎日深夜遅くまで店に居て、僕は客がいれば相手をすることもできないのにそれでも居る。休日前は当然の如く、閉店まで居て朝まで……つまり僕が部屋に戻るまで一緒に居たがって、最初は付き合うとはこういうものかとも思ったが。これでは、陽介さんは寝る時間が殆ど取れてない。寝れるときに寝てます、とかなんとか言っていたけれど、どうだか。身体を壊しちゃ、元も子もないではないか。今夜も一時間で帰れと言ったのに、結局終電を逃すまで、居た。翔子さんが来た辺りから何かそわそわした視線が飛んで来るから、僕のことを気にしているのは伝わってきたけれども。全く気にならないと言えば嘘になるけれど、気にしたって仕方がないし普通に接客するしか僕にはできない。漸くラストの客が帰って、軽く伸びをしてから肩を回す。「陽介待ってるだろ、後は片付けとくから部屋行ってやれば」「いい。寝てるはずだし、片づけぐらいやる」「どうだかなー……好きな女の部屋に居て寝れるほど無欲なタイプにも見えないけどなー……」……だったら尚更ここにいる。部屋に二人きりになって、そういう雰囲気になる勇気はない、まだ。全部片付けてから、そーっと部屋に様子を見に行くと。「ベッドを使ってくださいと、言ったのに」気が引けたのだろうか、それとも僕が終わるのを待っているつもりだったのだろうか。出しておいたスエットには着替えているけれど、ソファの足元に座って大きな身体を凭せ掛けて眠っていた。近くでしゃがんで顔を覗き込むと、すー、と静かな寝息が聞こえる。起こすのは可哀想になるくらい、気持ちよさそうに熟睡して見えた。かといってベッドに運ぶなんて芸当ができるわけもない。仕方なく毛布を引っ張ってきて足元から肩まで、かけようとしたのに足りなかった。ついでに言うなら、佑さんのお古のスエットもつんつるてんだ。全く丈が足りてない。……サイズ、幾つくらいなんだろう。脱いであったワイシャツを洗濯乾燥で回しておいて、シャワーを浴びて戻ってきても、彼はまだ眠っていた。当然と言えば当然なのだ、彼の寝不足はもう慢性化しかけているのじゃないだろうか。また近寄って、起こさないように気を遣いながらも彼の目の下に少し触れた。ぴくん、と
Last Updated: 2025-06-09
Chapter: 「陽介さんは怖くない」絶賛アピール実施中《4》
時間を確認して、すぐに悟る。「だめだ、走っても間に合わねっす……あのOLさんがまだ居るから、てっきりまだ時間あるもんだと……」「あの方は家が近くなので、終電も関係ないんです」まあ、でもそれならそれで、始発までここに居座る理由が出来た、と俺は逆に喜んでいたくらいなんだけど。慎さんは、怖い顔をして数秒黙り込み。「……暫く、待っててください」と言い残して、ふいっとカウンターの奥の慎さんの部屋の方へ一度消えてしまう。やべ、いよいよ本気で怒らせたかもと気が気じゃなくて、すぐに戻って来た慎さんに話しかけようとしたけれど、彼女はそのままOLさんの方へ行ってしまった。それから数分程、変わらず話をしていた様子だったが、女性が席を立って化粧室に向かった時だった。「陽介さん」とカウンターの中から手招きをされた。「え、なんすか」「こっち。今なら、誰も見てないですから」カウンターの中へ入るように促され、近寄ると手を引っ張られて、前にも一度だけ入ったことのある扉の奥へと押し込まれる。「あの、慎さん?」「一度入ったから知ってるでしょう? あのお客さんは多分、朝方まで帰らないのでまだ長くなります。スエットも出してあるし、ベッド使ってもらっていいです」言われたことを把握するのに、一瞬時間がかかってしまった。が、つまり。ベッドを使っていいから休んでいろ、ということらしい。休めるか!余計興奮するわ!じゃ、なくて!そりゃ、どうせ休みだし朝までいたら慎さんと一緒に居られる、とか考えてはいたけれど。「いや、大丈夫っすよ。慎さんまだ仕事してるのに」「僕は貴方が仕事してる時に寝てるんですちゃんと!」どん、と胸を突かれて迫力負けしてしまう。その一瞬で下から睨みあげられて、また言葉を飲み込む羽目になる。「さっきから貴方が何か申し訳なさげなのは伝わってますが、僕はバーテンダーだし貴方の元カノが来たところでちゃんといつもどおり接客するだけのことです、貴方が気に病むことではありません、それと」それと。とそこで、一旦言葉を区切り、彼女は目線を落とすと眉間に皺を寄せたまま、少し頬を染めた。「……心配してるんですこれでも。伝わりませんか」「え……」「少し、隈が出来てるし。この前は、僕のせいで無茶な酔わせ方をしたし、心配してはいけませんか」いけないことなんてありませ
Last Updated: 2025-06-06
Chapter: 「陽介さんは怖くない」絶賛アピール実施中《3》
「そう言ってくださると嬉しいです。同じものにします?」「うん、まずはそれー!」二人は随分と柔らかい雰囲気で会話をしていて、そのことに少々面食らう。翔子が一人で「無神経にべらべらしゃべってごめん」と謝りに来た、というのは慎さんから聞いていた。だけどまさか、こんな打ち解けた雰囲気になっているとは予測していなかった。……やべえ。なんかすげえ、居心地が悪い。俺のオアシスのはずが。そろりと視線を外して、佑さんへ目を向けると、にたあっと意地の悪い顔でほくそ笑んでいた。「今日あたり、アカリちゃんも来るんじゃね?」やめてくれ!!!!「え、誰々、アカリちゃんって」「陽介の合コン相手で、元彼女志願者」「ちょっ! 誤解を招く言い方しないでくださいよ」「全く誤解じゃねーだろそのままだろ」アカリちゃんはアカリちゃんで、微妙に何考えてんのかわかりにくいし、そこに翔子も加わったらと思うと、ぞっとする。慎さんだって、本当はどう思っているんだろう。接客だから涼しい顔をしているだけ、じゃないんだろうか。わかんねー。ハラハラするけど、こんな事態になったのは誰のせいだ俺の所為か。「うっわ、サイテー。合コン相手連れて来るとかする? そんな無神経とは思わなかった」「……うるさい」無神経の代表格みたいな奴に言われた!と言い返してやろうと思ったが、慎さんの前で余り絡みたくもなく、顔を背けて佑さんの方へ向ける。これ以上絡むくらいなら、佑さんの嫌味笑いでも見ている方がマシだ。「可愛い人ですよ。大事なお客様ですし。どうぞ」と、慎さんの声がして、コトとグラスが置かれた音も聞こえる。「それより、例の彼とはその後どうなりました?」「あっ! そうそう聞いてよう! せっかくのクリスマスなのに、仕事だってデートもしてくれないんだよー!」多分、わざと逸らしてくれたんだろう。しかし逸れた先で、なんかついさっきどこかで聞いたような愚痴に思わず酒を吹きそうになった。その後、暫く翔子の愚痴に付き合っていた慎さんだったが、ちらほらと他の客も見え始め佑さんも慎さんも、俺や翔子にだけ構ってるわけにもいかなくなり。「ねえねえ陽ちゃん」「なんだよ話かけんな頼むから」「そんな神崎さんに気使わなくてもいいじゃない、つまんない」「いや、普通つかうだろ……」そんな拗ねた顔は今の彼氏に向け
Last Updated: 2025-06-03
Chapter: 「陽介さんは怖くない」絶賛アピール実施中《2》
「え、ダメですかどうしても」「ですから昼間だけなら」「それじゃあ、慎さんが寝る時間なくてしんどいじゃないすか。佑さん……」「だめ。クリスマス前後はダメ。マジで客増えるんだよ」「えーーー、マジすか」頼みの綱の佑さんにも断られ、カウンターに突っ伏す。「じゃあ、じゃあせめて今夜閉店まで居ても……」「ダメです」それも瞬殺されて、ごん、とカウンターに頭を打ち付けた。「大体、貴方さっき僕に寝る時間云々おっしゃいましたけど……貴方の方こそ最近ろくに寝ない生活を送ってるの、わかってますか」「大丈夫っすよ、俺は」「大丈夫じゃありません。根拠のない『大丈夫』を言わないでください」ギロッと睨まれて、出掛けた言葉を飲み込んだ。根拠は俺の体力です、と言ってもとても理解は得られそうにない。「……慎さんの言いたいことは、わかります」「だったら……」「でも俺は、慎さんとイベント事をちゃんとしたいしデートもしたい。ちょっとでも時間を合わせたいしその為なら寝不足なんて大した問題でもないし」カウンターに上半身を預けたまま、そう言って顔を上げた。慎さんは、ぐっと口を真一文字に結んで言葉を失い、頬を染める。よし、もうひと押しと、更に言葉を続けた。「それに、約束したじゃないっすか。遊園地! 次は遊園地に行こうって言ったじゃないっすか」「それは、確かに言いましたけどっ……」「なんか、仕事の忙しい彼氏に構ってもらえなくて我儘言ってる彼女みたいだな」横から佑さんの突っ込みが聞こえたが、ほっといてくれ。誰が何と言おうと、女々しいと言われようと俺は!慎さんと!一緒に居たい!デートがしたい!遊園地も行きたい!したいことがいっぱいなんだよ!眉尻を下げた困惑顔の彼女が、言葉が見つからないのかぱくぱくと唇を空振りさせる。じっと見上げる俺の視線に、たじろぎながらも慎さんは再びカレンダーに目線を移した。「……陽介さんは、年末はいつが仕事納めですか」その言葉に、俺も一緒になってカレンダーを覗き込む。「あ、28日が最後ですね」「僕は、その日は定休日だし翌日からお正月の三が日が過ぎるまで店はお休みなんです」「まじすか!」さすがに、正月くらいは休みだろうと思ってたけど。こういう店って、年末ぎりぎりまでやってるもんだと思っていた。なんか、ほら。カウントダウンパ
Last Updated: 2025-05-31
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