――――――――――――――――――――――――最初は殆ど一目惚れみたいなものだった。バーテンダーとしてカウンターに立つ慎さんは、格好良くて綺麗で仕草もスマートで女の子が憧れるのもよく分かったし、男から見ても「いい男」だった。すっと伸ばした背筋が綺麗で、あんな洒落たバーでどんな客とも気後れせず話し相手をするとこなんて、年下とは思えないくらい貫禄があった。だから、未だに俺も敬語が抜けないんだろうか。だけど、バーテンダーじゃない素の慎さんを少しずつ知って、そこからまた少しずつ、殻に皹が入って。ぱらぱらと剥がれ落ちて、そこにいたのは普通の女の子だった。繊細で臆病で、ちょっと融通が利かなくて、強がって見えて実はコンプレックスの塊で、素直じゃないけど優しくて、甘えん坊で泣き虫でちょっと癇癪持ちの。傷ついた女の子だった。どこに惹かれたかって言われるとわからない。その全部が可愛く思えたし、守らなくてはと思った。知れば知るほど、好きになる。店では男で通しているから、誰彼構わず俺の恋人だと自慢するわけにはいかないけれど……いや、俺はいいんだけど彼女の仕事の障害になってはいけないし。そんな秘密も、彼女の本質を知るのは俺だけだ、と思ったら優越感は生まれる。彼女のトラウマは、やっぱりそう簡単にはいかなかった。俺の宝物になったあの夜から、半年と少し。今でも女の格好はしたがらないし、男に対する警戒心は強い。俺に限って言うなら、恐怖心は拭えたと思う。急に抱きしめたりしても狼狽えなくなったし、ディープキスで震えたりもしなくなった。だけど、恐怖心が和らげば、露わになって見えてきたのは身体に刻み込まれた『嫌悪感』だった。毎回ってわけじゃないけど、急に何かを思い出すのか気乗りのしない顔になって、そんな時は大抵、うっかり触れると発作的に振り払われたり引っ掻かれたりする。そうなると、今度は自分がショックを受けて激しく落ち込む。俺は気にしないって言うのに。だって、女の子の身体って彼女に限ったことでなく、繊細なものだと思うし。だけど発作的な、自分で抑制できないその衝動が、彼女にはショックなようで。そんなことを、半年余りの間で何度か繰り返した結果。「陽ちゃあん。今、別れてるって聞いたよー、どうすんの?」先日、ついに別れ話が切り出された。もう翔子の耳に入っ
―――――――――――――――――――――――――――――いつもと違う朝だった。このところになく、妙に頭も身体もすっきりしていて、それでいて疲労感は残ってるしまだ眠い。なんだろう、と思うけどまだ寝てたいし目を開けずにいたら、なんか薬品の匂いもしてきた。腕にひりひりするような痛みも感じて、眉を顰めた時。ぐすぐすと、鼻をすするような声が聞こえ、何事かと目を開けて驚いた。目の前で、真琴さんが半泣きの顔で俺の腕に絆創膏を貼ろうと悪戦苦闘しているところだった。「真琴さん?」「あ……」絆創膏を手に、真琴さんが顔を上げる。目が合ったのはちょっとだけで、すぐにばつが悪そうに目を逸らしてしまったが、その拍子にぽろっと涙が一粒落ちた。「な、なに泣いてんすかっ」「別に、泣いてな……ちょっ! 起きるな! バカ!」慌てて起き上がったら素っ裸を晒してしまい、彼女が真っ赤な顔でぎゅっと目をつぶる。「布団! 布団被って!」「あ、すんませっ!」あたふたと布団の中に逆戻りしたけど。よく見れば、真琴さんもまだ毛布一枚に包まったままだった。「……あの、真琴さん?」「腕、出して」布団に収まったのを確認したからか、顔の赤味は収まってきたけれど、今度は拗ねたような凹んでいるようなそんな顔だ。言われるままに、腕を差し出したが。「別に、たいして痛くもないっすよ」「そんなわけない。消毒もせずに寝たでしょう、化膿したらどうするんですか」どうやら、薬品の匂いは傷口を消毒してくれたらしい。普段救急箱なんか開けることないから、消毒液なんてものが入っていたことも覚えてなかった。真琴さんは相変わらず、絆創膏を貼ろうと色々向きや大きさを考えているみたいだが、どう貼っても傷が粘着テープのところに当たる。唇を噛みながら、ああでもないこうでもないとしている姿は可愛いけれど、さっきの涙が気になって。「貼らない方が、渇いてすぐ治りますって」「でも」「それよりもうちょっと、だらだら寝ませんか」手を取って、ベッドの中に誘った。「え……や、あの」「もうちょっと、うつらうつらするだけ」また、みるみるうちに赤くなる。真琴さんはこういう時、言葉より表情とか顔色のがすごく正直だ。毛布に包まったままおずおずとにじり寄ってくる。ころん、と転がったところを掛布団の中に引っ張り込んだ。
【高見陽介】大事に大事に、したかった。恋は盲目、っていう言葉は本当だったんだろうなと、今更ながら納得する。俺が思うのと実際の意味とは、ちょっと違うかもしれないが。絶対俺が守るんだと、心に決めてた。もう何の不安もないように、大事に大事にして、寂しい思いをさせないように。俺の世界はすっかり真琴さんを中心に回っていて、それを苦しいとも面倒とも思ったことはなかったし、傍にいられればそれでよかった。真琴さんの『初めて』だって、絶対俺がもらうと決めてたよ、当然。だけどそれは、もっとずっと、先の話で良かったんだ。だって、トラウマなんてそんな簡単なものじゃないだろう?真琴さんは言葉少なだけど、ちゃんと俺のこと好きだと思ってくれてることは知ってるよ。だからって、好きな男に抱かれて治るとか、そんなもんじゃないだろう。無理して頑張って、受け入れて、余計に怖くなったらどうしよう?不快感しか残らなかったら?痛みしか残らなかったら?そんな簡単に、踏み出せることじゃないだろう。もっとゆっくり、時間をかけて不安が消えて、怖いこともゆっくり忘れて俺の心配なんてしなくていいからその時が来たら、ちょっと二人で贅沢なデートしてベタでいいから、普通に女の子が喜びそうなシチュエーションを用意して真琴さんがそんな俺にいつも通りの呆れた顔をして、それでもちょっと嬉しそうに照れ笑いでも見せてくれたら俺も嬉しい。幸せだと思える夜を、ちゃんと、俺が。「じゃあ、いつになったら震えなくなるのか教えてくれ」泣かせたくない、苦しませたくない。そう思って来た彼女が、苦しそうにそう
とろん、と蜜みたいに蕩けた意識で甘い言葉を聞く。膝裏を持ち上げられあられもない格好をさせられたのに戸惑ったけど、そのままぴったりと肌を重ねられ、その体温の心地よさに浸る。「好きです」「ん……」僕も、と応えたかったのに、彼の口の中に消えた。彼の両腕に頭を囲われ、優しく髪を撫でられながらキスを受け止める。その空間は、今まで知らなかった幸せな空気に満ちていた。熱く疼き続けるその場所に、それ以上の熱が宛がわれた時、すぐにその意味を悟り身体がおびえたのは一瞬で。目の前にいるのが陽介さんだと、目が勝手に確認して安心する。陽介さんが僕に教えてくれた。何度も何度も、僕が怯えるたびに、怖がる度に彼が、声で、キスで、僕を呼んで、自分の姿を確認させたから。「好きです、真琴さん」「ん……」「も……苦しい、欲しい」その声がまるでうわ言のようで、改めて陽介さんの表情を見上げて驚いた。ずっと、自分のことに精一杯でまるで気付いていなかった。短く熱い息を吐きながら額にじっとりと汗を滲ませ、苦しげに眉を寄せ。「……欲しい。真琴さ……」虚ろな目で、今すぐ繋がりたい衝動を抑えながら、僕の赦しを待っている。ずっとその衝動に抗いながら僕の身体を愛撫して、僕の準備が出来るのを待っていたんだ。そう気付いた時にまた、正体不明の疼きに襲われる。今までよりも一層強く、まるで彼の声に応えるように、下腹部が鳴いた。「……いいよ」「真琴さん……」
「真琴さん」その度、彼が僕の名前を呼び返す。 響きは同じなのに、女の僕を呼ばれているような気がして、お腹の奥がきゅうっと切なく鳴いた。 この感覚の正体が、よくわからない。 でも余計に涙が出て、せつなくて苦しい。 陽介さんが、胸元に顔を埋めた。 胸にぬるりと舌の感触が触れた時、僕の手は咄嗟に抵抗するように、彼の頬を引っ掻いた。「ごめ……っ」陽介さんの頬に一筋、赤いひっかき傷が走っていた。 無意識の、反射的な行動に自分でもショックで、またボロボロと涙が零れる。 だけど陽介さんはまったく動じることなく、僕の手を捕まえて宥めるように指先を舐めた。「陽介さ……」何度も舐めて、慰めて、そしてまた、胸を舐めては肌を吸い快感を誘う。 丁寧に何度も何度も、舌が、唇が同じ場所を刺激する。 じわ、と下腹部が熱くなり、怖いくらいだったはずの愛撫がいつしかもどかしく、気付くと膝をすり合わせていた。身体の奥に燈った熱が、じわ、じわ、と寄せては引く波のように そうして少しずつ、広がっていく。 僕が何度、叩いても引っ掻いても、陽介さんは力づくで抑えるようなことはしなくて、だけど絶対離したり手を止めたりもしなかった。 ひ、ひ、と小さく漏れる悲鳴が、自分でもわかるくらいに甘さを含んでいて恥ずかしい。 胸を吸い、甘噛みしていた唇が鎖骨から首筋を辿り、腰を撫でていた手が太ももを撫で膝を割る。 濡れていると、自分でもわかる敏感なその場所に指先が触れた途端だった。「いやっ!」ばちばちっ、と目の前で火花が散った。 ただの残像だったはずの記憶が、乱暴に指でかき回された記憶が肌に蘇る。&n
ベッドのサイドテーブル近くで陽介さんがリモコンを操作すると、ぱっと急に飛び込んだ光に目が眩む。まだよく見えないうちに、バサッと上着を脱ぎ捨てた音がした。片手でネクタイを緩めながら、真正面から彼が近付き膝でベッドに上がる。見上げた表情は欲に支配されていて、僕を見下ろす目は熱くて虚ろだった。未知の事柄か、陽介さんの知らない一面か、どちらにかわからない。畏怖を抱いて、身体が無意識に後退りをするけれど、すぐに腕を取られて抱き寄せられた。指が背中のファスナーを辿り、一息に下ろされる。ふっと息が軽くなったような感覚に目を瞬く。気付くと背中の素肌に彼の手が触れていた。「あっ」両手で素肌に触れながら、布地を剥がすように肩まで撫でる。ぞわ、と腰がざわめいた。肩が露わにされ、もはや腕だけで引っかかっているワンピースが全部落ちてしまいそうで、咄嗟に胸元を押さえてしまう。そこから、なぜか彼の反応が無くなってそろそろと目線を上げた。「……陽介さん?」飢えた獣みたいな、熱を孕んだ目で短く息を繰り返す。彼は僕の手を、じっと見つめていた。「くそ、なんで」ぐしゃぐしゃと、片手で髪をかきむしりながら、ぎゅっと目を瞑り苦しげな声を吐き出す。「怖くて仕方ないくせに、あんな挑発すんなよ!」俯くと、胸元を押さえる手が震えてた。手だけじゃない、がちがちに身体は固まって思うように動かない。「あっ……」手の感覚を確かめようとしたら、ワンピースの布を取り落として腰まで落ちてしまい慌てて腕だけで胸を隠した。