受験の失敗で自分に自信が持てず、閉じこもりがちだった綾。 そんな綾が再び外の世界に目を向けたのは、通りすがりに一目ぼれした花屋カフェがきっかけだった。 臆病だけど本来は明るい性格の綾が人と触れ合い、関わって成長していく。 再び歩きはじめるために 必要なものは何でしょう アルバイト店員 三森 綾 19歳 元は大手商社のエリートだったらしい オーナー兼マスター 一瀬 陵 30歳 無表情で一見冷ややかなその人 時折見せる優しさに 綾は少しずつひかれていく パティシエ 片山信也25歳 チャラい外見と言葉遣いで不真面目に見られがちだが 実は案外気遣い屋 失恋したばかりの綾に わかりやすい程真っ直ぐな愛情表現を示してくれる
View More大体のことの成り行きを説明すると、なんとなくそれだけで少しほっとしてしまってつい深いため息が落ちた。一瀬さんに話したからって、どうにかなるわけではないのだけれど、ただ話すことで感情の折り合いをつけたかった。「次、娘さんが来られたらありのまま伝えるしかないですね」「……そう、ですよね」「貴女の責任ではないでしょう。家族の問題にまで深入りは出来ませんよ」「はい……」一瀬さんの言うことは、もっともだ。わかってるのに、ついつい、首を突っ込んでしまいそうになる理由はなんだろう。あの女性に対しても、親近感が湧くというか、つい応援したくなるというか。黙り込んだ私を心配してか、信号待ちで一瀬さんが少しハンドルに凭れ掛かり様子を窺うように私の顔を覗き込む。「咎めているわけではないですよ? 貴女が自分を責めることはないということです」少し、目尻が下がってる。心配してくれているのだと思うと、嬉しくて口元が緩んだ。「大丈夫です、わかってます」「なら、良いですが。私はいつも、言葉が足りない気がして」と、少し意外な言葉が付け加えられて、驚いて目を瞬く。そんなことを気にしているとは、思ったこともなかったから。「そんなことは、ないです」本当は、今の私達の関係の曖昧さに関して言えば、確かに、もっと言葉が欲しいと思う。だけど、言葉で欲しいと伝えて、無理に聞きたいわけでもない。それに、それ以外の事柄で言えば、一瀬さんの表情の変化は確かに乏しいけれど、私はわかる。出会ったばかりの頃は、確かにいつも不機嫌そうに見えて、あまり話してもくれないし怖かったけれど。あれからもう、四年近く経つのだろうか。そういえば、あの見るからに不機嫌そうな最初の印象といい、清瀬さんは一瀬さんと少し印象が似ている。思い出してクスクス笑っていると、むす、と今度は確かに不機嫌な声が返ってきた。「……そんなにおかしいですか」「あ、いえ。すみません、おかしい、というか、少し似てるんです」「似てる?」「清瀬さんと、一瀬さんが。初対面の時の雰囲気とか」私がそう言うと、なぜだか彼は少し複雑そうな、困惑気味の横顔を見せた。「そんなに似てますか」「いえ、私がちらっと思っただけですけど……結構、素敵な方ですよ?」何か失礼な言い方をしただろうかと、慌てて取り繕ったような言い訳をしてしまう。
……私は何か、間違ったんだろうか。何か余計なことを言ってしまったのだろうかと、清瀬さんとの僅かな会話を頭の中で繰り返し思い出す。やっぱり、出過ぎたことを言ってしまった?今度娘さんが来店されたら、なんて言えばいいんだろう。一日の終わり、厨房の後片付けをしている途中なのだが、ついつい思考回路が飛んで手が止まる。「おい!」「はいっ?!」いきなり鋭い声が飛んできて慌てて背筋を伸ばすと、すぐ目の前に小山さんがいた。驚いて目を瞬かせると、小山さんが呆れたため息を落とした。「お前、ぼんやりし過ぎ。余ったプリン、持って帰るかって聞いてんだけど」どうやら、いきなりではなく何度も声をかけてくれていたらしい。「あ、もらいます! 嬉しい、いいの?」「一個しかないから食って帰ってもいいけど……つか、お前時間大丈夫?」「え?」「いつもより遅くなってるけど」言われて壁の時計を見上げると、確かにいつもならとうに店を出ている時間だった。「わ、ほんとだ……」「大丈夫かよ」「大丈夫。電車はまだあるし、遅いついでにプリン食べて帰る」「じゃなくて……まあ、いいや。じゃあ、帰り」「綾さん」こんこん、とノックの音がして、小山さんの言葉を遮るタイミングで声がする。カウンターの方から、一瀬さんが顔を覗かせていた。「もう遅いので、後で車で送ります。後片付けが終わるまでもう暫く待っていただけますか」「え、あ、一瀬さんが、ですか?」「勿論、そうですが」「あ、ありがとうございます!急いで帰る用意を……」「いえ、まだ片付けが残ってるので、プリン食べて待っててください」そう言って、また頭を引っ込めて店舗の方へ戻って行った。一瀬さんが、車で送ってくれる。フラワーコーディネートの仕事の時には、荷物が大変だろうと送り迎えをしてくれるけど基本カフェからの帰りに送ってもらったことは今までなかった。彼はは片付けが終わった後も多分、売上の計算だとか記録だとかたくさんあるようで、住居スペースである二階にも戻らず、一階で最後まで仕事をしていることが常だからだ。デート……というか二人でお出かけする時は勿論、何度も乗せてもらったけど。「……一瀬さんが、送ってくれるって」「そうかよ。良かったな」「どうしよう……」「何が」苛ついた声が帰ってきたけど、私は既に緊張し始めて酷くそわ
ずっとお見舞いを受け取り拒否していたのを、なぜ今回に限り受け取ってくれたのか。その謎は、すぐに解けた。「やあ、こんにちは」「あ……こんにちは」以前と同じ場所、同じベンチで、具合が悪いのかと私が勘違いしたあの男性が座っていた。あの日と同じように、ペットボトルの水を持って。「今日もお散歩ですか?」「ええ。今日は幾らか、暑さがマシですかね」確かに、幾分和らいで感じるのは風が少し流れているせいだろう。だからといって、陽射しは相変わらず真夏のものに変わりはない。「風があって心地は良いですけど、日焼けしませんか?」近づいて、また日傘を差しかけた。腕に引っ掛けた、花束を入れたショップバッグが揺れる。気付いた男性が、指で指し示しながら私を見上げた。「失礼ですが、花束の宅配ですか?」「え? あ、はい。そうなんです」どうして、誰かのお見舞いではなく花屋だとわかったんだろう。首を傾げた私に、質問が重ねられる。「”また”清瀬巧宛でしょうか」「えっ……、そうです内科に入院されてる清瀬巧さんという方に……」そこでようやく、気が付いた。「もしかして、清瀬さんですか?」「申し訳ない、暑い中届けていただいて。ここで受け取らせていただいてもよいですか?」清瀬さんが苦笑いをしながら、私に向かって小さく会釈をし、それから手を差し出した。「あ、はい! どうぞ、こちらです……えっと……どなたかから、とか」「娘でしょう。ご迷惑をおかけしてます」清瀬さんは苦笑いをしながら、ショップバッグを受け取って中を覗く。黄色い姫向日葵の花が、太陽の光の下で一層色鮮やかで、まぶしく見えた。「あの、ずっと受け取り拒否されてたのに、どうして?」「偶々ですよ、あの日お嬢さんが日傘を差しかけてくれた時、手にしていたショップバッグを覚えていまして」「あ……やっぱり」「ええ、暑い中届けてくださって、熱中症の心配までしてくださったのに、と思うと」初めて見た時は、少し気難しさを感じる人だと思ったけれど、本当は優しい人なのかもしれない。私が「ありがとうございます」と頭を下げると、「こちらこそ」と会釈してくれる、その表情は優しかった。なんだかちょっと、最初のころの一瀬さんの印象に似ている、と思ったら少し懐かしさと親しみも沸いてくる。そのせいか、結局私は一瀬さんに言われたにも拘
あの女性は、それからほんの数日後にまた店に現れた。もうじきランチタイムも終わろうかという二時少し前。店はまだ少し混雑気味で、紗菜ちゃんと私でホールを、厨房を小山さんと一瀬さんで回していた。「あ……いらっしゃいませ!」カラコロとカウベルを鳴らして入って来た女性に気が付いた時、私は空いたテーブルを片付けてランチの皿をカウンターまで片付けに行く途中だった。すぐに目が合って互いにぺこりと会釈をする。「すみません、少しお待ちくださいね」またブーケのご注文だろうか。だとしたら、先日の花束はちゃんと受け取ってもらえたのかもしれない。そう思うと嬉しくて、汚れた皿を流し台に置くとすぐにフロアに戻る。女性は紗菜ちゃんに案内されたのか、さっき片付けたばかりのテーブルに席を取っていた。「あのお客様、綾さんとお話ししたいって」「あ、うん。多分、こないだのブーケのことかな」「ランチのご注文はいただいたので、通しておきますね!」と、紗菜ちゃんが伝票をぴらっと見せてから入れ違いにカウンターに入って行き、私は女性の方へ近づいた。「先日はありがとうございました。受け取ってくれたんですよ、やっと!」女性は私に向かってぺこりと頭を下げ、弾んだ声でそう報告してくれた。もしかして、そのためにわざわざもう一度来店してくれたのだろうかと、私もつい嬉ししくなって声のトーンが上がる。「本当ですか?! 良かった、てっきりまた拒否されてお客様の方へ戻されたんじゃないかと心配していたんです」そう言うと、女性は若干気まずそうに眉尻を下げ、苦笑いをした。「すみません……看護師から聞いたんですよね」「あ……まあ。すみません、ご事情は少しだけ、お伺いしました」お客様から聞いた事情ではなかったのについぽろっとこぼしてしまい、私も小さく頭を下げる。女性は、「いいえ」と軽く顔を振ると、今度はちゃんと名乗ってくれた。「小児科医をしております、清瀬と申します。先日は名前も告げずにすみませんでした」「いえ、看護師さんにお話したらすぐにわかっていただけたし、それはいいんですが……」「私からって知ったらまた受け取ってもらえないかもって、つい咄嗟に。よく考えればすぐにバレるんですけど」「すみません、娘さんからみたいですって私言っちゃったので……でも受け取ってもらえたんですね」「そうなんです、
いきなり知らない人間がお花を届けても戸惑わせてしまうだけだろうと、まずはナースセンターを訪ねてみた。「すみません。お花を託って来たのですが……」「お見舞いですか?」「いえ、実は花屋のものなんですが、こちらに入院されてる清瀬さんという方に届けて欲しいと言われて……勝手に病室を訪ねていいものか迷ってしまって」私が成り行きを説明すると、看護師さんは困ったように眉を八の字にした。「あー……」「すみません。送り主の方のお名前がちょっと……娘さんらしいということしか」「あ、それは大丈夫です、わかってますので……」「は?」どういう事情なのか、意味が分からなくて首を傾げているうちに、別の年配の看護師さんが近寄って来た。「女性ですよね? 髪は長くて三十代くらいの」「そうです、ご存じなんですね、良かった」どうやら、看護師の間ではちゃんと認知されてるらしいことに、ほっとした。ショップバッグに入れたまま花束を二人の看護師に見せ、どうしたものかと指示を仰ぐ。「こちらなんです。いきなり花屋が患者さんの様子もわからず病室に行くのもどうかと思いまして、もしよかったら看護師さんの方から渡していただければ……」「大丈夫ですよ、お預かりします」苦笑いをしながら、年配の看護師さんが私の手からショップバッグを受け取ってくれたのだが。「清瀬さんは、拒否されるんですけどね」困ったものです、とため息をついていた。「えっ……だったら、それご迷惑なんじゃあ」「ちゃんと清瀬さんには見せて、それから先生にお返ししときます。その女性、ここの医師なんです」―――――――――――――――――――――――――――――――――「ここに注文に来られた時も、もうずっと帰ってないって言ってたし……何かわけありみたいな感じですよね」無事にナースセンターに花束を預けることができて店に戻り、一部始終を一瀬さんに報告した。お客様もちょうどいなかったので、カウンターの中で休憩も兼ねさせてもらっている。手の中には、アイスティのグラス。浮かんだミントの葉が、涼し気に揺れた。「清瀬さん、受け取ってくれたらいいんですけど……今までも、娘さんからの差し入れ全部拒否されてたそうなんです」「そうですね。娘さんの気持ちが通じると良いですが」一瀬さんは、賄い様のアイスコーヒーを作りながら話を聞いてくれて
結局、今店にある花で花束のオーダーを承ることになり予算や色合いなどを女性と打ち合わせる。「では、すぐにお作りしますね」「あの、実は持ち帰りではなく、届けていただきたいんです」「配送、ということですか?」「そういう扱いになるんでしょうか、やっぱり。その……すぐそこの市民病院なんですけど」と言って、女性は窓の外を指差す。ここからは見えないけれど、確かにその病院は歩いて五分もかからない場所だ。「お見舞いに行かれる、というわけではないんですか?」「ええ……ちょっと、時間がなくて。あの、いつでもいいんです、お手隙の時に届けていただけたら、と」そういった申し出が今までなかったため少し迷ったが、もうすでに会計もいただいてしまっている。一瀬さんに聞いてからの方が良いだろうかと思ったけれど、ちょうどいま接客中だった。「わかりました。後で良ければ。お名前をお伺いしてもよいですか?」届け先のお名前と病室は何も問題なくメモに書いて渡してくれたのだが。「あの、お客様のお名前もよろしくおねがいします」というと、彼女はあからさまに焦った顔をした。まさかそんな表情をされるとは思っておらず、私の方も戸惑ってしまい首を傾げてもう一度尋ねる。「あの、お届け先の方に、どなたからの贈り物かお伝えしないといけないので」「いえ。それは、いいの。知り合いからとでも適当に伝えておいて」「ええっ?」「会計は済ませてあるんだし、それで構わないでしょう? ごめんなさい、急いでいるので、後はよろしくお願いします」突然、かたくなな態度になって女性はバッグを肩にかけなおすと、くるりと背を向ける。「あ、あの! でも!」確かに、会計は済んでいるけれど。本当にこれでいいのだろうか?対応を考えているうちに女性はそそくさと店を出て行ってしまって、慌てて呼び止めた声はカウベルの音と空しく重なった。受けてしまった仕事なのだ、行かない選択肢はない。ランチタイムの後の暇な時間帯に、一度店を抜けさせてもらい市民病院へと花束を届けることになった。五分ほどの距離とはいえ、真夏の強い日差しにすぐに汗が噴き出してくる。日傘は差していてもアスファルトからの照返しで、肌がじりじりと熱かった。「あっつい……」と、思わず零れた独り言も、弱弱しい。早く建物の中に入ってしまおうと、急ぎ足で病院前にたどり着
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