Chapter: 真昼の帰宅「ティー! お帰りなさい!」 馬車が止まるとすぐに、家の中から駆け出してきたのはフォルティだった。「心配しましたよ!」 紫の髪をなびかせて走り寄ると、馬車から降りたばかりのテイワズの両手を取った。 赤い目はヘルフィと同じ色なのに、形が違う。 優しげに弧を描いた赤い目。 フォルティに掴まれたテイワズの手の上に、骨ばった細い指の手が触れた。「ほら、離しなさい。ティーが驚いていますよ」 ロタだった。二人の手に重なるように自分の手を置いた。黒髪が日差しに青く透ける。 そしてその後ろから、少しのんびりとした口調がかけられた。ルフトクスだ。「そうだよー、フォルったらー」「兄様のせいでしょう!」 振り返ってフォルティの手が離された。 一拍遅れて、一秒。青い目に笑みを残してロタも手を離した。 後ろから現れた茶髪が柔らかく揺れて、金色の目が細められる。「待ってたよ、ティー」「ルフお兄様」 呼べばまるで許されたように歩み寄ってきた。 余計な言葉はお互いなかった。「ただいま」「おかえり」 心地の良い風だった。陽の光は温かく、四人の兄は一様に微笑んでいた。「さ、紅茶を淹れましょうか」 ロタの言葉に頷いて、家に入った。 たった二晩。されど長い夜をいくつも越えて、旅を終えたような感慨があった。 ロタが先頭を歩いて、ルフトクスとフォルティが並んで歩く。その後ろをティーはついていき、一番最後にヘルフィが歩いている。 靴音がいくつも響いて、いつも食事をする部屋に入った。 兄たちは椅子にテイワズを座らせると、まるでもてなすようにキッチンに立った。 一人座るテイワズの隣に、ヘルフィが音を立てて座った。「なんで兄さんまで座るわけー?」「うるせぇ」 まあいいけど、とルフトクスが言って、そんなルフトクスに向かって、紅茶を取ってくださいとフォルティが言った。「お待たせしました」 青と赤の目の前で、ロタが紅茶を注いでくれる。 やはり蒸らし時間は少し少ない。茶葉と一緒に入られたシナモンの味わいは少なかったけれど、砂糖をたっぷりと入れたヘルフィには関係なさそうだった。
Huling Na-update: 2025-07-20
Chapter: 長男・ヘルフィ-2* 体が大きく揺れた気がして、テイワズは目を開けた。「起きたかよ」「お兄様」「おう」 声は真横からだった。身を預けるようにヘルフィに寄りかかっていたようだった。自分の頭がヘルフィの肩に乗っていたことを理解して、慌ててテイワズは身の回りを見渡す。 馬車の中にいた。倒れた自分を運び乗せてくれたのだろう。この行き先は、家以外にないだろう。「……魔術はそれなりに負担がかかる。何年か経ちゃ慣れるが、反動の大きさは……そりゃ……まあ、個人差だが」 突然話出されて、何を言ってるのかわからなかった。それが自分のための説明だと理解するのに数秒かかった。「魔力が強いほど反動も大きいってのが一般的だな。まあフォルは例外だが。あいつは魔力も大けりゃ天才でなんも反動がねぇ。俺様やロタ……ルフなんかはやっぱそれなりに疲労がでるよ」 知らなかった。 知識としては知っていたが、体を覆う重さまではやはり知らなかった、と思う。寝たことで幾分かは楽になったが、まだ重たさの残る体に、ヘルフィの話を実感する。「エイルは知らん。アイツ魔術使った後はその姿を見せたくねぇのか隠れがちだったしな。そもそも学校もサボりがちで使うことも少なかっただろうし」 関係ないと思っていた魔術の話が、今自分の身に降りかかっている。 望んでいた。魔力があることを。貴族の子供として。しかしその要素が──未知のものだとは。思いもよらなかった。それはあまりにも望外。 魔力は血。魔力あるものは自然と、子供が歌を覚えるように、年齢が片手ほどを過ぎると魔術が使えるようになる。 自分は?(発火や水、大地を操るなんて、できなかった。だから魔力がないと思っていた。けれど)「……けどテメェのチカラがどんなもんかはわからねぇ」 ヘルフィの言葉を聞きながらテイワズは考える。(もしかして、知らないだけで魔術を使ってた……? だって、風は目に見えない。それじゃ、気づかない) もしかして。テイワズは思い至る。(今までも、魔力があって魔術を使っていたのを気付かなかっただけ……?) 考えながら続くヘルフィの言葉を聞く。 それでも、とヘルフィは続けた。「隠した方がいいだろう」 魔力があると言えば婚約破棄もなかったのだろうか、と一瞬頭によぎった。 すぐにその考えを振り払う。今更だ。「倒れるほどの魔力だ。そう
Huling Na-update: 2025-07-19
Chapter: 長男・ヘルフィ*「テメェ逃げんな! 馬鹿!」 怒声とともに迫る声に、走りながらも、ひいっとテイワズの肩が上がる。 「お兄様が鬼気迫る顔で追いかけてくるからじゃないですか!」 暗闇の中を、金と銀が駆ける。 その様子にまばらだに道ゆく人は通りを開けた。 (さっきもいっそのこと思いっきり走ってればよかった!) その方が絡まれずに済んでいたかも、なんて思っても後の祭りだ。 なびくテイワズの後ろ髪に、ヘルフィは叫ぶ。 「テメェが止まればいいだろ!」 兄は乱暴な言葉遣いだが、優しいのを知っている。それでも立ち止まらないのは、逃げ出したことが後ろめたいからだ。 「少し一人にしてください!」 「こんな時間に一人にできるわけねぇだろ!」 二人の距離は確実に縮まっているが、それでもヘルフィはテイワズまで届かない。 幼い頃から兄たちに混ざって遊び、逃げ出すことも多かった。 それは、逃げることを十八番にするほどテイワズを俊足にさせた。 もう後少しでヘルフィの手がテイワズの肩を掴めそうだった。 道の利はない。テイワズはエイルの家の脇を通り過ぎて、森に踏み入る。 「クソッ!」 森にテイワズの影が消えて、ヘルフィが悪態をつく。それでも追いかけるのをやめなかった。 草木はテイワズに跪かない。 それでも白い手で草をかき分け、森の奥へ進んだ。ただヘルフィが足を止めてさえくれれば、テイワズも進む足を止める予定だった。 なのに兄は、立ち止まってくれない。 (もう、なんで) 不確かな足元の森の中は、ヘルフィの方に利があった。筋肉質な腕で乱暴に茂みをかきわけ、長い足で草木を踏破していく。 「危ねぇだろ、止まれって!」 「止まります!」 テイワズは振り向いて声を張り上げる。 「お兄様が止まったら!」 「テメェ……」 聞こえたヘルフィの唸り声に、テイワズはもう一度歩みを進めた。 そして、足を滑らせる。 「あっ」 足元が暗いから。注意が後ろに向いていたから──理由は複数あったが、結果は一つ。ぬかるんだ足元に気が付かず、濡れた草木に足が滑ってしまった。 「おいっ!」 ヘルフィの声が聞こえた。 ほぼ同時に、ばしゃん、と水面が割れる音が静かだった森に響く。息を顰めていた鳥が飛び立ち、俄に森がさざめいた。 転がる視界に月が見えて
Huling Na-update: 2025-06-18
Chapter: 三男・エイル-3 エイルの家を出て歩き出し、道行く人通りも増えてきたところで、エイルがテイワズに手を差し出した。「はい」 テイワズの迷いは一瞬だった。 それでもそれより早く、エイルの方が口を開いた。「こんな時間に女の子が一人だと思われたら、危ないでしょ。ほら、ね」 そう言われてその手を取った。 それにエイルの方が驚いた顔をしたから、テイワズも戸惑ってしまった。「……お兄様?」「あ、うん。なんでもないよ」 なぜ触れた手を見つめて数秒止まったのか、今も目を細めてるのか。 テイワズにはわからなかった。 気がつけば太陽は落ち、辺りは温かみのある色から冷たい色に変わろうとしている。「あはは、いい夜」 路上で演奏している人たちがいるようで、広場から音楽の音が聞こえた。 やけに視線を感じる気がするのは、特別美形な兄のせいだろう。周囲を見れば女性の一人と目があった。「どうしたの?」「なんでもありません」「あはは。ごめんね、俺よくこのあたりにいるからさ」 知り合い多いんだよねー。 と言ったエイルは、やっぱり人の心を覗いているんじゃないかとテイワズは思った。 音楽を聴いて土産物を見た。同じ国なのに土産物には地域の特色が出る。見惚れている間にエイルは店主と話をしていて、それから食材を買って帰路に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。 下がった外気に、経った時間に。 あれだけ混乱していた頭が冷静さを取り戻す。 家は大丈夫だろうか。 ルフトクスは、大丈夫だろうか。(こんな時間になってしまった) それでも、家とは違う古い扉が開いて、どこか安心してしまう自分がいた。「ごめんねー、お腹すいたよね。さっそく作るからね」 キッチンに向かう高い身長の背中の隣に、テイワズは立った。「手伝います」「あはは。いいのに……じゃあそこの野菜の皮剥いてくれる?」 テイワズが処理した野菜を、エイルが鍋に入れていく。 かぐわしい匂いが部屋に漂った頃、テイワズが部屋の窓の外を見た。 すっかり暗くなった外に、連絡しなくて大丈夫かと心配する。「さっき家の方に遣いを出してもらったから、安心して」 手元を見ながらかけられたエイルの言葉に、テイワズは驚く。「ほうら、出来上がり。さ、食べよ食べよ」 エイルは手際良く作った料理を皿に持った。 テーブルに並んだ食器が二人分
Huling Na-update: 2025-06-18
Chapter: 夕方・オスカリウス家の中「この馬鹿!」 ロタの声に、ルフトクスが顔を顰める。「うるさいなあ。……どうせ兄さんだって同じようなこと言ったでしょー?」「くっ……! オレとお前の話は別だ!」 ロタが自分のことをオレというときは余裕がない時だと、この家の者なら誰もが知っていた。 テイワズが家から逃げ出した直後、ヘルフィとロタは走り去る馬車に驚いた。その場に立ち尽くすルフトクスになんとなく事態を把握するが、午後の仕事も控えていたため、話すことができなかった。 夕方やっと、代わりの馬車で向かった仕事をこなして、兄弟四人で話していた。 戻ってきた御者に話を聞いてきたフォルティが部屋の中に入る。「エイル兄様に会いに行ったらしいです!」「は? エイルに? 居場所をどうやって……」 聞いたヘルフィが眉を顰める。 顔を上げたのはロタだった。「先日エイルの絵を見ました。そこで、東の街でエイルと思わしき画家に絵を描いてもらったと聞きました……」「は?」 ヘルフィが獰猛に犬歯を覗かせる。「なんで言わねぇんだよ」「話そうと思ってはいたのですが、タイミングが……」「ああクソッ」 銀髪を乱すヘルフィに、ロタが声をかける。「探しに行きますか?」「見つけて戻ってくるとも限らないんだよねー」「誰のせいでそうなったと思ってるんですか!」 ロタの言葉に剣呑な答えをするルフトクスに、フォルティが肩を上げた。 三人の弟の様子を見て、ヘルフィはチッと舌打ちをした。
Huling Na-update: 2025-06-18
Chapter: 三男・エイル-2 案内されたのは、広場から少し離れた住宅街の外れだった。すぐ後ろは森になっており、整備された街中とは言い難い。「ここだよ」 そう言って示されたのは、庶民の家というにも質素なつくりの一軒家だった。 オスカリウス家の屋敷の何分の一か、食事をする一部屋よりも小さそうな、古い家。「あはは、びっくりした? 家の広間より狭そうでしょ?」 テイワズの思考を見透かすかのように、エイルはそう言った。頭ひとつ以上は高いところから落とされる声に、テイワズは顔を上げる。「大丈夫、別に馬鹿にされてるなんて思わないよ。俺も思ったもん。まあ単純に、小さいよね」 エイルの微笑みにテイワズは安心する。(お兄様、変わってない) 人を見透かす感じも、それでいてすぐに安心させようとするところも。──その優しさが。(あの頃のままだ) 一体どこから話そう。 どこから生活は分岐していただろう。 エイルが扉に手をかけた。 くすんだ真鍮。古い扉が、音を立てて開かれる。「この街に来る時はこの家を借りることにしてて──あ」「エイル?」 開きかけた扉の向こう側から、声がした。 女の声だ。「…………あ、忘れてた」 狭い家は開かれた扉から室内のすべてが見える。 質素なベッドフレームの白いシーツの上に。 瑞々しい若さの女性が、いた。 その姿を見たテイワズは開ききった玄関の外で驚きに体を硬直させた。(裸!?)「おかえりなさ……って、何よその女!」 声と共に勢いよく枕が投げられた。「おっと」 エイルは片手でキャッチすると、部屋の中の女に向けて笑った。「あはは。ただいま」 白い枕をぽんぽんと叩きながら部屋の中に入る。「妹だよ妹」「妹?」 女性からの鋭い視線に、ひっ、とテイワズの肩が上がりそうになる。(いや、それはだめだ) 女として。彼の妹として。オスカリウス家の子女として。 矜持は強靭でなきゃ、意味がない。(お兄様の…………恋人?) そう思った。そんな女性に失礼な真似はできない。 息を吸う。 真っ直ぐ届けるつもりで声を出す。「あっ、あの! 私は妹のテイワズ・オスカリウスと申します」 裸の女性はシーツを纏ってテイワズの元に歩み寄った。剥き出しの方と、素足で歩く音。 エイルは余裕の笑みを浮かべ、テイワズは緊張の面持ちだった。 鼻先が触れそうなほ
Huling Na-update: 2025-06-18