LOGIN結婚して四年、周防 舞(すおう まい)(旧姓:葉山)の夫はふたりの結婚を裏切った。彼はかつて好きだった女性を狂ったように追いかけ、若い頃の後悔を埋め合わせようとした。 舞は彼を心から愛し、必死に引き止めようとした。 けれど、夫はあの女を抱き寄せながら冷笑した。「舞、お前には女らしさが微塵もない。その冷たい顔を見てると、男としての気持ちなんてこれっぽっちも湧かない」 その瞬間、舞の心は音を立てて崩れ落ちた。 もう未練はなかった。彼女は静かにその場を去った。 …… 再会の日、周防京介(すおう きょうすけ)は彼女を見ても、かつての妻だとは気づかなかった。 舞はデキる女の鎧を脱ぎ捨て、しなやかで艶やかな女性へと変わっていた。彼女のもとには名だたる者たちが群がり、権力者として名高い九条慕人(くじょうぼじん)でさえ、彼の舞にだけは微笑んだ。 京介は正気を失ったかのようだった。彼は毎晩、舞の家の前で待ち、小切手や宝石などのプレゼントを贈り続け、挙げ句の果てには心まで差し出そうとした。 周囲の人々が舞と京介の関係を不思議がると、舞はさらりと笑った。「周防さん?あの人なんて、私が寝る前に読んで閉じた、ただの本よ」
View More大晦日の年越しの膳は周防本邸で囲むことになっていた。一族が集まり、屋敷の中は賑やかな笑い声に満ちていた。独り身の者もいれば、すでに家庭を持った者もいる。その中で、章真だけがどこか場違いだった。ほんの数口だけ箸をつけると、すぐに椀を置き、外の庭へ出て煙草を吸った。夜気はひどく冷えていた。男はコートを羽織り、縁側に腰を下ろして、ゆっくりと煙を吐きながら、遠くに上がる花火を見つめていた。あまりにも鮮やかで、眩しいほどに明るい。夜空の中で、思うままに咲き誇っている。彼は結安のことを考えていた。今、彼女はどこにいるのだろう。たった一人で、寂しく年を越しているのだろうか。彼女は、彼のそばに残るくらいなら、一人でいることを選んだ。それは彼を嫌っているからなのか。恐れているからなのか。それとも、憎んでいるからなのか?章真は気づいてしまった。そのどれであっても、自分には到底受け入れられないのだと。だから、彼女を行かせた。それは、本気で好きになってしまったからだった。庭には、いつの間にか子どもの姿が増えていた。夕梨と寒真の幼い娘、ひかりだった。従兄にあたる章真は子供をひょいと捕まえると、そばへ引き寄せ、そっと頭を撫でてから、分厚いお年玉袋を渡した。ひかりはまだ幼い。彼とはずいぶん年が離れている。同じ世代とはいえ、ほとんど年下の子どものように可愛がられていた。お年玉を渡すと、章真は小さな背を軽く叩き、自分で遊んでおいでと促した。けれど、ひかりはその場に立ったまま、綺麗で有能な従兄を見上げ、大きな目をぱちぱちと瞬かせた。「お兄さん、結安さんのことを考えているの?お兄さんは、結安さんのことが好きなの?」章真は思わず笑った。「ませたことを言うな。おまえに、好きというのが何か分かるのか?」……ひかりはとても真剣な顔で答えた。「好きっていうのは、忘れられないこと。暇な時もその人のことを考えて、忙しい時もその人のことを考えて、どんな時でもその人のことを考えるの。その人がいないと楽しくなくて、夢の中にも出てくるの」章真は笑った。「どこでそんな言葉を覚えた?」ひかりは胸を張って答えた。「ドラマでそう言ってた」ひかりはそう言うと、すぐに走っていき、子祈と一緒に手持ち花火で
三十分後。章真はその中古ブランド店へ到着した。宇佐美が店の前で待っている。彼が近づくと、宇佐美は静かに腕時計を差し出した。章真はそれを受け取り、掌に載せる。一目で分かった。結安のものだ。間違えようがない。毎日のように見ていた。彼女の腕に巻かれていた時計だった。店主は記憶を辿りながら話し始める。「一か月くらい前ですね。若い女の子が売りに来たんです。保証書も付属品も全部揃っていましたし、本物でした。本来ならプレミア価格が付く品なんですが、その子は半額程度でいいと言ったんです。ただ一つ条件がありましてね。現金を一度に受け取らず、何回かに分けて持っていきたいと。こちらとしては断る理由もありませんでしたから了承しました」店主は少し考えてから続ける。「ああ、そうだ。最後に取りに来たのは一週間前です。それ以来は来ていません。連絡先も残していませんでした」……章真は黙ったまま腕時計を見つめていた。その時だった。目尻から一筋の雫がこぼれ落ちる。――生きていた。結安は生きていた。相変わらず憎たらしくて。相変わらず狡猾で。相変わらず人を苛立たせるのが上手い。絶対に捕まえてやる。捕まえたら、たっぷりとお仕置きをしてやる。それから俺の子供を孕むまで部屋に閉じ込め、二度と外の空気を吸えないようにしてやる。――そうだ。俺はきっとそうする。なのに、その言葉を口にすることがどうしてもできなかった。生きていると分かった。無事だと分かった。あの薄情な小娘が、どこかでちゃんと生きていると分かった。それなのに、なぜ連れ戻そうとしないのか。章真は何度も何度も自問した。――だが、その問いに対する答えだけは、どうしても見つからなかった。その時、宇佐美は見てしまった。章真の目に滲む涙を。思わず息を呑む。――社長が泣いている。章真は腕時計を握ったまま、わずかに顔を上げた。そして自嘲するように笑う。「……残りたくなかったんだろうな。自由にしてやれ。結安は賢い。きっと、どこにいても生きていける。もし見つけたら伝えてくれ。大学の学籍は残してある。いつでも戻って勉強できる。それから……俺はもう追わない。もう迷惑もかけない。……それで
職員は書類に目を通した。そして穏やかに微笑む。立花結安の保護者。ならば、この人物が葉山章真なのだろう。だが次の瞬間、その表情はわずかに曇った。一か月ほど前、大きなニュースになった件を思い出したのだ。立花結安の失踪。どうやら今も見つかっていないらしい。しかも目の前の男は兄でも親族でもない。世間が噂する、あの関係の相手だった。とはいえ、相手は大学にとって重要な支援者でもある。無下に扱えるはずがない。章真は低い声で言った。「彼女の代わりに入学手続きをしたい」「かしこまりました」職員は慌てて対応に入る。入学登録と学費納入を終えた後――章真はさらに四十億円を寄付した。大学施設の建設資金として。その見返りとして、結安の学籍は永久に保全されることになった。一年後でも。二年後でも。三年後でも。彼女が戻ってきさえすれば、いつでも学業を再開できる。まだ若い。学ばずに何をするというのか。すべての手続きが終わり、章真が大学を去った後。職員たちは小声で話し始めた。「あのニュースの人だよね?」「そうそう。相手の家族を不幸にしたうえで、一緒になろうとしたって話」「結局、彼女は逃げちゃったんだろ?二か月も探してるのに見つからないらしい」「今日来たのも、何か気持ちの拠り所が欲しかったのかもな」「でも、あれだけ探してるなら本気なんだろうな」「……今さらだけどね」「最初からちゃんと向き合えばよかったのに」章真は車へ乗り込んだ。わずか二か月。それだけで見違えるほど痩せていた。後部座席に身を沈め、煙草に火をつける。窓の外には学生たちが行き交っていた。若く、清楚な少女たち。その姿を見るたび、無意識に結安を探してしまう。細い腰。長い黒髪。どこか似た面影。その時だった。前方を歩く一人の少女が目に入る。黒髪。華奢な背中。細い腰。――結安。心臓が激しく脈打った。煙草を消すことすら忘れたまま車を飛び出す。数歩で追いつき、その細い手首を掴んだ。少女が振り返る。最初は不機嫌そうな顔をしていた。だが高級車と整った容姿の男を目にすると、たちまち表情を変える。しかし――章真の瞳から光が消えた。違う。結
邸宅中がひっくり返されたような騒ぎになった。それでも結安は見つからなかった。その夜、章真は持てる人脈も資金もすべて投入して彼女を捜した。だが午前四時になっても成果はない。街中を掘り返すように探しても、結安の痕跡はどこにも見当たらなかった。やがて周防家も一ノ瀬家も巻き込まれる騒ぎとなる。翔雅は息子を見ながら深くため息をついた。「だから言っただろう。あの子は引き留められないって」あの瞳を見れば分かる。賢い子だった。しかも二人の間には消せない因縁がある。どうして心から章真の傍に留まろうと思えるだろうか。いつかは去る。ただ、それだけの話だった。「今となっては、無事でいてくれればいいが……」翔雅は眉をひそめる。「金も持たずに出て行った二十歳そこそこの娘が、一人でどうやって生きていくんだ」京介も激怒していた。杖で章真を何度も叩きながら怒鳴る。「早く見つけろ!見つけたら自由にしてやれ!これ以上あの子を追い詰めるな!」煌々と輝くシャンデリアの光が章真の顔を照らしていた。一睡もしていない。疲労は極限に達している。それでも彼は止まろうとしなかった。誰もが言う。――諦めろ。――手放せ。だが、できるはずがなかった。どうして結安を手放せる。彼女だって自分を想っていたはずだ。そう信じていた。雲城市への出張も取りやめた。代わりに副社長を派遣し、自分は立都市に残る。結安を捜すためだった。さらには大規模な捜索指揮本部まで立ち上げた。懸賞金は一億円。ただ一つ。結安の手掛かりを得るためだけに。しかし――一週間が過ぎた。一か月が過ぎた。それでも何一つ見つからない。結安は消えてしまった。まるで最初から存在しなかったかのように。どうやって姿を消したのか。どこへ行ったのか。誰にも分からない。生きているのかどうかさえ。若く美しい女性が一人で世の中を渡っていく。何が起きても不思議ではない。だが誰も章真には言えなかった。事故に遭ったかもしれない。命を落としたかもしれない。あるいは海外へ売られた可能性だってある。誰も口にはしない。しかし章真自身は考えてしまう。考えずにはいられなかった。一か月後に
深夜、輝は会員制クラブで泥のように酔っていた。この夜だけでワインの売上は二千万円——支配人は数字にほくそ笑みながらも、肝心の客が不機嫌で、今にも店を壊しかねない気配に冷や汗をかいていた。そこで、最も気が利く若い子を呼ぶ——輝の昔馴染み、晴香だった。華奢な身体つきの彼女は、そっと輝の隣に腰を下ろす。彼はソファの背に仰け反り、頬にうっすら紅を差し、喉仏が規則的に上下している。男らしい色気が滲んでいた。晴香はその姿に思わず鼓動を早めるが、余計な感情は抑え、甘やかな声を落とした。「ご一緒にいただきます。何かお悩みなら、お話しください。少しは気が楽になるかも」輝は黒い瞳をわず
帰り道、娘はずっと不満げに父を責め立てていた。輝は繰り返し謝り続け、ようやく車の前に辿り着く頃になって、茉莉は心を和らげて彼を許した。彼は名残惜しそうに娘を抱きしめ、何度も頬に口づける。そして視線は瑠璃と、その腹部へ。言いたいことは山ほどあったが、子どもの前では飲み込むしかなかった。「パパ、また会いに来るよ」茉莉は素直に頷く。輝は腰をかがめ、丁寧に娘をチャイルドシートへ乗せ、シートベルトを直す。そのまま小さなお腹を撫でた。罪悪感と愛しさが入り混じる。「もう痛くないよ」娘の無垢な一言に、男は危うく涙を落としそうになった。瑠璃も車に乗り込み、黒い窓ガラスがゆ
輝が英国へ発った。その日、瑠璃の母は茉莉を連れて空港まで見送りに来ていた。午後三時発の便。瑠璃も、ひっそりと足を運んでいた。澄み渡る青空と白い雲の下、彼女は滑走路を見つめる。一機の銀灰色の旅客機が轟音を響かせて駆け上がり、空へと吸い込まれていく。その響きは、まるであの頃——熱く燃え上がった恋そのものだった。機体はやがて小さくなり、見えなくなる。指先は鉄柵を握り、目にうっすらと涙が滲む。……長く立ち尽くした後、瑠璃は車に戻り、エンジンをかけようとした。その時、ダッシュボードの脇でスマートフォンが震えた。岸本からのメッセージだった。午後四時にウェディングドレ
輝が英国へ発ってから、もう一ヶ月が経っていた。年の瀬が迫っても、帰国の知らせはない。瑠璃は迷いながらも、何度か電話をかけてみた。だが繋がらず、代わりに会合の席で秘書の白川と顔を合わせた。「帰ってくるのは……年明け半ば頃ですね」あと半月——細かく詮索するのも気が引けて、瑠璃は軽く世間話をしてその場を離れた。会所の廊下は明るく、煌びやかな光に包まれていた。背後で、白川がふっとため息を洩らしたのに、瑠璃は気づかなかった。……個室に戻ると、場の空気はちょうど良く温まっており、岸本が二人の投資家を上手くもてなしてくれていた。酒はすべて岸本が引き受けている。「いやぁ
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