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皐月紫音
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Novels by 皐月紫音

Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜

Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜

【完結保証】エテルヴォワ王国の名門、ヴァルメール学院に通う17歳の少年、レイフ・ヘーデンストローム。 王国では珍しい白銀の髪に、鋭く光るガーネットのような真紅の双眸。校則違反なんてお構いなしのシルバーアクセサリー。その目立つ容姿と悪評のせいで、彼は“不良”と噂され、学院の中ですっかりと孤立していた。 そんなある日、学院に新任の歴史教師が赴任してくる。 深い紺青色の長髪と、夜の光と闇を閉じ込めたように輝くタンザナイトを想起させる瞳。ヴィオレタ・ウルバノヴァと名乗るその女性教師は、人間離れした美貌を湛えながら、どこか濃密な死の気配を纏わせていた。 そして彼女との出逢いが、レイフの止まっていた時間を動かしてゆくことになる――。               ※男女比5:5で楽しめるファンタジーを目指して書きました!是非、ご一読ください!!
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Chapter: Aurora-epilogue-《夜明け》
◆◇◆◇ 冷たく、細い、なにか糸のようなものが頬を撫でる。 柑橘系の凜とした香りが、鼻腔を刺激する。 その香りは、ゆっくりと深みのある甘いものへと変化してゆく。 美酒に溺れるかのような、心地良い微睡みのなかにレイフは居た。 陽光の一切、射さない闇夜にあっても、自然と起きる時間が来たのだと告げるように、身体に血がめぐってゆくのを感じる。 まぶたが開き、真紅の双眸があらわになった。  視線を少し上げれば、そこには夜の光を凝縮したような双眸があり、レイフは思わず息を呑む――。  先を見通すことのかなわない、幽玄な煌めきは|灰簾石《タンザナイト》のそれを想起させる。 黒い革張りの|寝台《ベッド》の上――互いの息が感じられ、香りが混じり合い、唇さえもが重なり合いそうな距離で、レイフはヴィオレタと見つめ合っていた。 レイフの格好は、普段から部屋着としてもよく着る黒いシャツをボタンをはずして羽織り、ヴィオレタはといえば寝巻きであろうサテン素材のネグリジェを着ていた。 特別に鈍い方というわけではないと自覚しているレイフは、即座に状況を察した。  どくどくと、鼓動がやかましいほどに鳴り響き、高まり続ける身体の熱が、さらに酔いを回すように、現実から意識を隔離させてゆく。 高揚する意識は視線を、さらなる悦楽へと導いてゆく。 その先には、桔梗の花弁を想起させるヴィオレタの唇があり、漏れ出る吐息は香り高く深みのある|葡萄酒《ワイン》のそれと似ている。 額や頬に触れる、ヴィオレタの髪から感じる鎖のような冷たさが唯一、レイフの意識を現実へと繋ぎ止めていた。 ――「そろそろ、離してくれるかしら……」 それまで、人形のように目前に寝ていたヴィオレタの唇から、はじめて言葉が発っせられた。 視線をずらし、そこでようやくレイフは気がついた。 自身の左手が力強く、ヴィオレタのたおやかで、ほっそりとした右手を握り締めていたことに。 すっーと急速に熱が身体から引いてゆき、レイフの意識は現実へとようやく引き戻された。 「わ、悪い!!」 身体を起こしたヴィオレタは、身なりを整えながら、聞こえよがしに溜息をひとつ吐く。 おまけに絶対零度の視線を向けながら、右手をひらひらと動かしているあたり、相当にご機嫌はななめのようだ。「その、改めて悪かった……。俺、なにか
Last Updated: 2025-09-30
Chapter: Nox. XVI『物語の結末』V
「君の身体にこうして剣を突き立てるのは、三度目になるかな」 まるですべての音が止まったかのように――ただ、静かな時間が流れる。 レイフの胸へと剣を突き刺そうとした、クロヴィスの表情にわずかな戸惑いの色が浮かんだ。 レイフの真紅の双眸が大きく見開かれる。 その瞳は、欠片も闘争心を失っていない。 伸ばした右手が、大鎌の鎖を掴む――。 次の瞬間、漆黒の鎖がクロヴィスの手に蛇のように巻きついた。 「なっ――!?」 瞬く間に柄が、レイフの手へと戻る。 「だったら……これで、やっとお前に借りを返せるな」 振り返りざまの勢いのままに、大鎌はクロヴィスの腹部から肩にかけてを斬り裂いた。 「っ――」 まるで熟成された|葡萄酒《ワイン》のように、どこまでも澄んだ血液がレイフの身体にこびりつく。 「ふふふ……」 自身の身体から溢れるそれを手ですくうクロヴィスの表情は、どこか安堵するように穏やかだった。 「お前……」 「ありがとう、レイフ。これで良いんだ。……君の手をとるのは、今からでも遅くはないかな?」 「あぁ、もちろんだ……」 再び差し出されたレイフの右手――それを今度こそ、クロヴィスは取った。 |曹柱石《マリアライト》を想起させる双眸が見つめるのは、レイフと――その背に広がる空だ。 「なんで君に負けたのか、それが今ならわかる気がするよ。レイフ、君のゆく道には数多の光が輝いているのだね」 〝「笑って、私の世界一素敵な弟。大丈夫、あなたはすごく強くて優しい人よ。あなたが選んだ道ならば、どんな闇夜でもきっと、数多の星々の光が照らしてゆくはずだから」〟 脳裏に甦るのは、昨夜の|記憶《メモリア》――。 星々の光のもとで姉が、くれた|宝物《ことば》。 昔は、姉の存在しかなかった。 どんな時も、自分にとっては唯一の|北極星《道しるべ》のような存在。 だが、今は無数の星々が、自分が歩むことができる幾多の道を照らし出してくれている。 「だったら、お前もこれからはそのうちの一つになりやがれ」 「あははっ! それは|好《い》いね。本当に……」 ぐったりと、クロヴィスの手からは力が抜けてゆき、瞳からも精気が抜け落ちてゆく。 その身体が落下せぬようにと、レイフはクロヴィスの背に手を回して支え
Last Updated: 2025-09-29
Chapter: Nox. XVI『物語の結末』Ⅳ
レイフは鎖を振り抜き、いくつもの斬撃を落とすも、そのすべてを迎撃することはできなかった。 「があぁぁっ!!!!」 避け切ることのできなかった斬撃が、レイフの肩や足に無数の傷を残してゆく。 一瞬、苦痛に意識が飛びかける。 だが、ここで止まるわけにはいかない。 今、ここに立っているのは自分だけの力ではないのだ。 ――道を繋いでくれたヤツらのためにも、俺はこんなところで引けねぇんだよ! 「うおぉぉっ――!!!!」 大鎌に再び、極大の瑠璃の光を纏わせ、レイフはクロヴィスへと投擲する。 一瞬、二人の視線が重なり、レイフはクロヴィスの瞳に先ほどのものと同様の諦観に似た感情を見た気がした。 クロヴィスへと到達する寸前――大鎌は、その刃から光を失った。 それに伴い、勢いも半減した大鎌をクロヴィスは易々と弾き飛ばす。 「っ……!!」 「ふふふ、どうしたんだい、レイフ? そんな殺意が乗ってない刃で僕を斬れるとでも思う? もしかして、僕の境遇を聞いて同情でもしちゃったのかな?」 揶揄うような口調と対照的な自嘲するような微笑み。 その奥に潜めた感情は、自分自身でも気がついていないものなのか、はたまた自ら封じ込めて押し殺したものなのか。 自分にとって、目前に立つ相手――クロヴィス・リュシアン・オートクレールというのは、どのような存在なのだろうか。 彼は蒼月の女神の悪意と狂気から生まれた存在だ。 恩師であり、今は愛する女性でもあるヴィオレタの人生を彼は狂わせた。 |否《いや》、ヴィオレタだけではないだろう。 多くの人々が、彼のせいで命を落とした。 今も、自分が彼を倒すことができなければ、かけがえのない友人や姉、大切な人々が明日を迎えることができないのだ。 だが――。 確かに自分は今、クロヴィスに対して情と呼べる感情を抱いていた。 瞳を閉じれば、この数日間――クロヴィスとともに過ごした時間が甦る。 そして、戦いの|最中《さなか》で幾度となく刃を交えた。 その中で、思い込みかもしれないが、ほんのわずかに彼の心に触れることができた。 自らを狂った欠陥品であると評し、その狂気を隠そうともしない。 常に飄々と振る舞い、その心の奥底は見せない。 そんな彼を理解しているなどということを言うつもり
Last Updated: 2025-09-28
Chapter: Nox. XVI『物語の結末』III
 レイフとクロヴィスは、互いの得物を手に構えて、一定の距離を取りながら向かい合う。 ひりひりとした突き刺すような空気に、レイフの額を冷たいものが伝ってゆく。 ぽちゃり。 額から透明な雫が一滴、地上へと溢れ落ちる。 聞こえるはずのない、湖面に波紋が広がるような音が、鼓膜を揺らした。 レイフとクロヴィスは同時に、互いの武器を振るう。――『|断罪の三日月《ルーナス・クレシエンテ》』!! 「「はあぁぁぁっ――!!!!」」 レイフが勢いよく鎖を振るえば、極大の瑠璃色の光を纏う大鎌が周囲の風さえも巻き込みながら、クロヴィス達へと放たれてゆく。 それを迎え撃つように、二人のクロヴィスが振り抜いた|剣《つるぎ》からは、白銀の斬撃波が放たれた。 瑠璃色の大鎌と白銀の斬撃――それは宙で激突し、双方の使い手を吹き飛ばしかねないほどの衝撃波を発生させる。 レイフの表情が歪み、相対するクロヴィスは愉悦を感じさせる微笑みを浮かべる。「感情という致命的な|欠陥《エラー》を抱えてしまった|女神《オルテンシア》は、必然とそれを排除しようとした。最も、効率の良い方法は……それを自身から切り離してしまうことだった。彼女は自身の骨から新たな分身となる女神を創造した。そして自身の欠陥をそれへと移したのさ」  一人のクロヴィスが、女神の|物語《ファーブラ》を紡ぐ間にも、レイフは動き出していた。 かつて、担当教員から「人の話は最後まで聞くように」と注意されたこともあるが、そのようなことを気にする相手でもないだろう。 物語の進行に関係なく、レイフとクロヴィスは踊り続けるだけだ。 夜の始まりを想起させる瑠璃色の光を身に纏い、漆黒の翼をはためかせるレイフの身体は加速してゆく。 瞬く間に物語の語り手となっていたクロヴィスの背へと、レイフは移動した。 風の中で白銀の髪が踊り、敵の命を刈り取らんと大鎌が振るわれる。「甘いね――」 鈴の|音《ね》のような声音が響き、両者の間に割って入ったもう一人のクロヴィスの剣が、レイフの大鎌を受け止めていた。 「俺は甘党なもんでな……」「いや、そんな言ってやったぜ、みたいな顔されてもなぁ〜」 優美な挙動でレイフと鍔迫り合いを演じるクロヴィスが、呆れた様子を見せる。 すると左眼の視界の端が、白金色の閃光を捉える。 それは、こちらを目掛
Last Updated: 2025-09-26
Chapter: Nox. XVI『物語の結末』II
「くっ……」「むかーし、むかーし、まだすべてが闇の中にあった時代のことです。僕たちが生きるこの|宇宙《ウニウェルスム》。それはひとつの小さな|焔《ほのお》――〝|太陽《ソル》〟の誕生とともに始まった」  激しさを増す|鍔《つば》迫り合いの中で、クロヴィスは我が子に寝物語を語る母のように穏やかな声音で、レイフの耳元で囁く。 レイフは大鎌を握る手に力を込め、|剣《つるぎ》を弾くと、蹴りで距離を取って強引に鍔迫り合いを終わらせる。 そのとき、左眼の視界が新たなクロヴィスの分身の姿を捉えた。「太陽の化身である女神――〝オルテンシア〟は、この宇宙を管理し、秩序を維持するための|歯車《システム》としての役割を担っていた。僕たちのこの宇宙は、あくまでもひとつの生命の可能性であり、その外には夢幻の可能性が広がっている。その並行する世界は、あるひとつの場所に繋がっているとも」 瞬く間に接近したクロヴィスは、レイフの懐へと|剣《つるぎ》を突き込もうとする。 一瞬、後の光景を想像して、レイフの背を氷柱で刺されたように、冷たいものが駆け抜けていった。 だが、レイフは即座にその妄想を思考から振り払う。 これも彼女のおかげだろう。 「ナメんじゃねぇ――!!」 レイフは右手に構えていた大鎌を上空から左側へと回転させてゆき、|絡《から》め取るようにクロヴィスの剣を受け止め、その勢いで上空へと弾いた。 間髪を入れずに右腕を捻り、死神の力で強化された|膂力《りょりょく》で大鎌を上空へと投げる。「っ――!?」  同時にレイフの身体は前方へと動き出す。 「はあぁぁっ――!!!!」「くっ――!?」  一瞬のうちに間合いを詰めたレイフの左足が、クロヴィスの側頭部へと炸裂する。 意識を刈り取られたクロヴィスの身体は、静かに地上へと落下したいった。 だが、次の瞬間には先ほど鍔迫り合いを演じたクロヴィスが剣を構えてレイフへと迫っていた。「オルテンシアは、あくまで世界を維持するための自我なき|歯車《システム》に過ぎない。彼女が自らの〝骨〟から産み落とした女神たちもそうだ。でも、そんな完全無欠のはずだった歯車に、たったひとつの〝|欠陥《エラー》〟が生じた。この宇宙の創造主である太陽の化身――そのさらに上位に位置するであろう存在さえも、予期しなかったであろう致命的な|欠
Last Updated: 2025-09-25
Chapter: Nox. XVI『物語の結末』I
「あぁ、俺にもあんたにも譲れないものがある。だからここで決着だ――!!」 レイフは腰を落とし、鎖鎌の柄を右上段に構える。 クロヴィスの六枚の翼が開き、空に白金色の光が粒子となりて舞う。 古き友に向けるかのような親しみさえも感じさせる微笑みを口元に浮かべ、クロヴィスは離魂剣をレイフへと向けた。 刹那の沈黙の|後《のち》、最初に動いたのはレイフだった――。 漆黒の翼をはためかせ、高度をさらに高く上げてゆき、雲を突き破り、レイフはクロヴィスの上を取る。 クロヴィスは右手に握った剣を下ろし、ただ、静かにレイフを見つめていた。 一呼吸の|後《のち》、レイフは大鎌を上空へと投擲した。 鎖を振り回せば、鋭利な風鳴り音が空に響き渡った。 その|速度《スピード》は次第に加速してゆき、刃のように鋭い風が渦を発生させる。 次の瞬間、勢いをつけた大鎌は上空より弾丸の如き勢いでクロヴィスへと振り下ろされた。「はあぁぁぁ――!!!!」「僕達の最後の|舞踏《サルターティオー》と行こうか――」  振り下ろされた大鎌は、瑠璃の光を纏わせてゆき、それはクロヴィスの頭上に到達するころには、その身体を易々と呑み込むほどに巨大なものとなっていた。――『|断罪の三日月《ルーナス・クレシエンテ》』!! 頭上を見上げるクロヴィスの菫色の双眸が見開かれる。 その|表情《かお》に、以前の余裕さえも感じさせる微笑は既に存在しない。「っ――!?」 間一髪――左へと身体をずらすことで、クロヴィスは斬撃を回避する。 ぽたりと、紅い雫がクロヴィスの頬を伝い、地上へと落ちてゆく。 だが、その次の瞬間、レイフの背筋を冷たいものが駆け抜けた。 クロヴィスの菫色の双眸が爛々と輝き、その表情に歓喜の笑みが浮かんでいたからだ。 彼は、そのほっそりとした指で、自身の頬から血をすくうと、ぺろりと口に含んだ。 まるで上等な|葡萄酒《ワイン》を舌で転がすように。「ふふふっ……あははっ――!!!!」「あんた、マジでイカれてんぜ」「だって仕方ないじゃないか。本当はもっと手間をかけて、じっくりと愛情を注いで君という花を育てたかった。君の命を摘み取ったとき、僕がどれだけ絶望したか君にはわからないだろ?」「わかりたくもねぇな」 「ふふ、残念だな。そうやって〝棘〟があるところも好みなのだけれど。でも
Last Updated: 2025-09-24
Memories of Rain〜春の雨が運んだ約束〜

Memories of Rain〜春の雨が運んだ約束〜

県内の進学校に通う一年生、鳴海漓音は小学校の頃から勉強はできるが、人と関わることを好まず、自分の世界へと閉じこもりがちだった。 このまま学生らしいことをすることもなく、そこそこの良い大学に進学し、できるだけ人と関わらない仕事に就くのだろう。 自分の将来は、こんなものだと達観する漓音は雨の中、一人で最寄り駅の桜の木を眺めていた。 そんな彼の前に一人の不思議な女性が現れ……。
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Chapter: Chapter.III
「りっくんにはさ、りっくんのまだ知らない可能性が、いくらでもあるんじゃないかな?」 「僕が、まだ知らない可能性……?」 「例えばだけど、知ってるかな? アイスランドでは国民の約半分が、妖精を信じているんだよ」 「えっ? ちょっと待って、何のはな……」 「いいから聞く!」 「あ、はい……」 教師のように人差し指を立てた桜子より放たれる圧に、漓音は続く言葉を発することができなかった。 「他にもスパゲッティの怪物を信仰対象にしてる宗教だってある。イギリスのグラストンバリーには、魔法使いや妖精が暮らしてるとか。そして……なんと、北海道の小樽には、現地から魔法のかかった品々を仕入れて……魔女が販売してる店もあるらしいわ」 顔に、それこそ魔女のような怪しげな笑みを浮かべる桜子の口から語られるのは、どれも漓音が聞いたこともない、にわかには信じがたい話ばかりだった。 「僕が詩人なら、桜子は小説家に向いてるよ。それこそ、そんなの御伽話の世界じゃないか。それ、本当の話なわけ?」 「えっーと……多分?」 額に汗を浮かべた桜子は、少し困ったように、自信なさげな微笑みを浮かべる。 「いや、何で疑問形だし……」 「だって、私は……ここから動けないし実際には見てないもの……」 桜子の語気は、だんだんと弱く、頼りないものへとなってゆく。 彼女の過去を自分はあまりにも知らない。 こうして明るく振るまっているが、もしかしたら何かの病気や怪我で、あまり動き回れないのかもしれない。 二人の間には会話の糸口を探す、気まずい沈黙が走る。 それは自己紹介をする前に話題を探していた時のものとは別種のものだ。 沈黙を先に破ったのは、今回は桜子だった。 「とにかく! 世界には、まだ私達が想像もつかないようなことが、たくさんあるのです! こんなことも知らない、りっくんごときが達観するなんて百年早いのです!!」 「なんか、すごいディスられてない?」 「ふふん、私は、りっくんよりも遥かに長い年月を生きてきて、いろいろと知ってるからね」 「いや、そこまで年齢変わらないでしょ」 空気は変わったが、未だに心に汚泥が溜まっているような、言い表せない息苦しさがあるのも事実だった。 それでも、この時間を、このまま終わりにはしたくないと思
Last Updated: 2025-05-26
Chapter: Chapter.II
「りっくんはさ、雨の日の桜のどこに惹かれる?」 「りっくんって……。そうだな――」 桜子と隣り合って座る漓音は、風と雨に晒されて、ひらり、ひらりと花弁を落としてゆく桜へと静かに視線を向けた。 「|単純《シンプル》に晴れの日みたいに周りが騒がしくないってのもあるし、物静かな空間が、一人で考え事をするのに適してるというのもある。でも、それ以上に僕には、この桜の在り方が気高いと思うんだ」 「気高い……?」 「うん、人生と同じだよ。こちらが特に何かをするわけでなくても、この雨や風のように生きていれば、多くの外圧や困難がふりかかってくる」 漓音は、ひとつ、ひとつ、ゆっくりと言葉を選びながら、ありのままの気持ちを紡いでゆく。 瞳に憧憬を滲ませ、達観するように切なげな横顔を、桜子は静謐な面持ちで見つめていた。 「それでも桜は誰にも頼ることも、助けてもらうこともなく、最後まで誇り高く咲いて、そして美しく散っていく。そんな姿が僕には、あまりにも眩しく思えるんだ――」 本当に不思議だった。 普段、家族や同級生とさえも話すことを避けがちな自分が、今日初めて出会った彼女の前では、こんなにも自分の中にある想いを言葉にして、伝えることができる。 もっとも、自分のような捻くれて利口ぶった人間が、雑に思考をこねくり回して吐き出した言葉を、彼女のような常に陽の光の側に立つ人が、どう受けとるかまではわからないが――。 「驚いた……。りっくん、詩人とか向いてるよ。私、ちょっと恥ずかしくなって来ちゃった」 「なんで桜子さんが恥ずかしがるんだよ、バカにしてる?」 「ち、違うよ! 本当に凄く素敵な感情の吐露だったと思うし……なにより嬉しかったよ!」 桜子は頬を真っ赤に染めあげ、うちわのようにした手でパタパタと扇いでいた。 「いや、御礼を言われる意味もわからないから」 「でもさ……りっくんって友達居ないでしょ?」 突如、放たれたあまりにも直球な一言に漓音は顔をしかめるも、事実なので反論はできない。 それに、友人と呼べる存在が居ない理由が、自分にあるということくらいは、とっくに自覚している。 「あ、ごめんね。でも、持ってる世界観、纏っている空気が人を寄せ付けない、必要としてない感じがして……まぁ、お姉さんは少し気になったのです」
Last Updated: 2025-05-26
Chapter: Chapter.I
春を感じさせない濁った空から、しとしとと、途切れることなく雨が降り続ける。 駅の裏手側にある古びたベンチに背を預け、一人の少年が空を見上げて座っていた。 高校指定の制服の上に濃紺のピーコートを羽織り、色素の薄いほっそりとした右手は時折り、ベンチに置かれたスマホを操作している。 ぽたり、ぽたりと、冷たい雨が左手に握られたビニール傘へと落ちてゆく音に少年は、じっくりと耳を傾けた。 |左右非対称《アシメントリー》――左眼側だけが極端に長い濡羽色の髪。 その合間からは、京紫色の瞳が覗く。 それは神秘的で、同時に伶俐な雰囲気を漂わせる。 彼の視線――その先には連日の雨に打たれ続け、少しずつ散りつつある、淋しげな一本の桜の木があった。 予報によれば、今週末には、強い雨と風が街を襲うはずだ。 おそらくはその時、ほとんど散ってしまうだろう。 小さく、か細い嘆息が、少年の口から漏れ出た。 駅の裏手にある桜の木は、少年が暮らす街の小さな観光名所となっている。 近年は桜の時期になると、雨が多くなるために、花見へとゆけなかった人達からも好評だ。 今も、電車を待つ人々が、無言のままに、雨に晒される桜の花を見つめている。 この季節だけは、桜を楽しめるようにと、駅の椅子もそっと向きを変えられていた。 少年は雨の日の桜が好きだった。 雨音が人々の|声《ノイズ》をかき消してくれて、雲の色も、葉を揺らす音さえも、どこか物悲しい。 瞬きを繰り返す間に、花弁が一枚、また一枚と剥がれてゆき、水溜りへと静かに沈んでゆく。 自分が居るその場所が、まるで世界から、隔離されているような気持ちになる。 だが、もうじき、駅の周辺は帰宅ラッシュで騒がしくなる頃だ。 そろそろ、帰った方が良いだろう。 黒いショルダーバッグを肩にかけると、少年は音さえも立てることなく、ベンチから静かに立ちあがった。 ――「もう帰っちゃうの?」 「えっ?」 まだ冷たい春の風が、暖かな生命の息吹を乗せた声を運んできた――。 振り返ると、黒いマキシ丈のワンピースが視界に映り込んだ。 胸元まで伸びたウェーブのかかった|白金色《プラチナブロンド》の髪が、空を舞う桃色の花弁の中で、ゆるやかになびく。 薄桃色の艶っぽく小さな唇が、悪戯っぽく弧を描い
Last Updated: 2025-05-26
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