Chapter: Nox.VIII『絆の道標、再び逢うときまで』II ◆◇◆◇ 二階にある自室の|露台《バルコニー》に一人立つレイフの視線の先には、蒼白く淡い輝きを放つ蒼月と、その周りに貴婦人のドレスのように広がる星々があった。 澄んだ秋の空気が、身体に染み込んで今日という一日で疲弊した身体と心を癒してゆく。 ――「さっきはびっくりしたわよ」 柔和な声音に声音に振り返れば、背に漆黒の|夜会装束《ナイトドレス》を身に纏わせたスカディが立っていた。 シースルー素材の袖からは、皺も傷もひとつとして存在しない純白のほっそりとした手が覗く。 血の繋がった姉弟と頭では理解していても、思わず目を逸らしてしまいそうになるほど、月と星の灯りを一身に受けて立つ今宵の彼女は魅惑的だった。 髪を軽く払うような仕草のひとつさえも、たおやかで、|艶《あで》やかで――思わずレイフは息を呑んだ。 レイフの隣へと歩いてきたスカディは、露台の手すりへと手を添えて夜空を見上げる。 「でも嬉しかったわ。レイフが二人をお父さん、お母さんなんて呼んだの本当にいつぶりだったかしらね」 「それはもう言うんじゃねぇ。……何も聞かないのか?」 「あら、私から聞いた方が良いのかしら?」 視線を隣へとずらせば、互いの真紅の双眸が溶け合うように重なり合う。 彼女は、いつだって誰よりも自分に優しく、そして厳しい。 今の自分が置かれているあまりにも特殊な状況、これをどう説明すれば良いのだろうか。 そして胸中に溢れる、たくさんの彼女への想い――。 それは、まるで砂時計のようにレイフには思えた。 時間は刻一刻と残酷なほどの速度で過ぎ去ってゆくのに、きらきらと色をつけて伝えたい想いは積もってゆく。 溺れてしまいそうなほどに。 ――もしも、姉貴に俺が最後に誠意を示せるとするならば、それは誤魔化しの言葉や下手くそな美辞麗句などではないはずだ。 「姉貴、今からめちゃくちゃなこと言うぞ」 そう前置きした後、一度大きく深呼吸をすると、一息にレイフは続く言葉を言い切った。 「学校に新しく来た怠け者の歴史教師が死神だった。どうやら冥界の偉いヤツがこの世界を侵略して、女神達の世界にまで喧嘩を売りにいこうとしてるらしい。んで、いろいろあって、俺も死神ってやつになっちまった。だから、ちょっとそのクソ迷惑な悪巧みしてるヤツをぶっ飛ばしに行ってく
Last Updated: 2025-09-04
Chapter: Nox.VIII『絆の道標、再び逢うときまで』II ◆◇◆◇ フランとまるで本当の兄妹のような戯れ合いを満喫したレイフは、珍しく父と母、そして姉との四人での|夕食《ディナー》を囲んでいた。 普段レイフは両親とは時間をずらして一人で食べるか、姉と二人だけの食事をしている。 レイフの目前には、癖毛風に整えられた白銀の髪と、程よく鍛えられた細身の身体を持つ40代半ばの美丈夫が座っていた。 レイフの実父であるヴィーダル・ヘーデンストロームだ。 母であるイングリッド・ヘーデンストロームは、北国の朝に見える霜のような輝きを放つ白銀の髪を、さらさらと揺らめせ、鋭い真紅の双眸をわずかに不満げに尖らせていた。 口元に常に笑みを携えて柔和な雰囲気を纏うスカディを除けば、ヘーデンストローム家は全員が、故郷イスダルール帝国の主要民族であるネヴェリム民族の特徴が外見によく表れていた。 ヴィーダルの容姿と所作から醸し出す雰囲気は、そこら辺の国々の王侯貴族よりもよほど凛々しいものだ。 イングリッドも同様に怜悧な美貌に相応しい気高さと傲慢さ、そしてそれ以上の気品を備えていた。 両親の出自は決して身分という点で言うならば、誇れるものではない。 だが、何も知らずに高貴な一族に連なる者と言われてしまえば疑う者はいないだろう。 まさに今の食事の席は、悪の大帝国を支配する皇族の夜会として後世に絵を残しても良さそうな一場面だった。 こうして家族四人が揃っても決して大した会話があるわけではない。 スカディとヴィーダルが事務的に意見を交わしながら仕事の話をする。 イングリッドが社交界での愚痴を話し出せば、ヴィーダルは煩わしそうにそれを聞き流す。 夫の冷たい反応に、さらに気を悪くした彼女が、次に狙いを定めるのはスカディだ。 母の扱いを心得ているスカディは、笑顔で相槌を打ちながら所々で上手に質問を差し込む。 今日が特別というわけでもなく、これはいつもの見慣れた光景だった。 時折、スカディはレイフにも話を振るものの、場の空気のせいか、彼は家族での食事の席となると、つい素っ気ない返事をいつも返してしまっていた。 両親から優しさや愛というような温かな感情を感じたことは、今まで一度としてない。 自分を家族として扱ってくれたのは、スカディとフランだけだった。 今日まで自分が何不自由なく生きて
Last Updated: 2025-09-03
Chapter: Nox.VIII『絆の道標、再び逢うときまで』I ◆◇◆◇ クロヴィスとルーカスは、ともにレイフ達の前から姿を消した。 眷属の蛇によって、丁寧に地上へと下ろされたヴィオレタの瞼はわずかに腫れていた。 蛇の頭部は、それをどこか気遣わしげに見つめている。 そうしていると、どこか娘を見守る母親のようでもあった。 どこか張り詰めていた空気がなくなり、脱力したレイフはその場にぐったりとしゃがみ込んだ。 だが、その後はまた別のものが場を支配する。 まるで嵐が過ぎ去ったかのような静寂と、どこか居た堪れない重苦しい空気がレイフとヴィオレタの間に漂っていた。 こんなとき、一体何を話すのが正解だというのだろうか。 本当は聞きたいことが、たくさんある。 ヴィオレタは明日、ルーカスと向き合い戦うことができるのか。 いや、そんなことは別に重要なことではなかった。 仮に彼女が戦えないのだとすれば、そんな重荷は自分が全部背負えば良いだけだ。 どれだけ、かっこつけたことを言ったとしてもヴィオレタにとって、ルーカスはどういう存在なのか――結局はそれが一番、自分の中では引っかかっていた。 彼女と居て、このような空気や気持ちになるのは初めてのことだ。 否、こんなことはレイフの人生において初めてのことだった。 「貴方も今日は、もう帰って眠りなさい」 「お、おう。でも、あんたは……」 当のヴィオレタの言葉により、レイフの意識は思考の渦から強制的に引き戻された。 「私は……こちらはこちらで準備があるわ。明日は陽が昇る前に――【聖クロワ教会】で落ち合いましょう」 「わかった……」 「今は一人にしてちょうだい。考える時間が必要だわ」 レイフが続く言葉を発する時間は与えられなかった。 ヴィオレタの言葉と視線が、それを制したためだ。 「貴方にも、まだ別れを告げないといけない相手が残っているでしょ? 今日を逃せば、もう会えないわよ。だから悔いは残さないようになさい」 陽が沈みきる前のわずかな時間、空を満たす瑠璃色の光――それさえもカーテンで隠してしまうように。 ヴィオレタは感情の温度を排した冷たい声音で、レイフにそう告げると背を向けて歩き出す。 その淋しげな背にかけるべき言葉を、今のレイフは持っていなかった。 ◆◇◆◇ 陽が沈み、蒼白い月明かりが左右対称の巨大な庭
Last Updated: 2025-09-02
Chapter: Nox.VII『放課後の密会《デート》』Ⅳ「おう、俺だ!ってのも変だが……お前の上司だったルーカスだ。本物だぜ? 一応な」 男――ルーカスの返答にヴィオレタは、しばらくの間、続く言葉を発することができずにいた。 柳眉を伏せ、ほっそりとした肢体を振るわせ、杖を頼りに彼女は何とか立っていた。「なんで……なんで、生きていたなら言わないのよ」「あぁ、厳密に言えば生きてたってわけじゃねぇ。まぁ、いろいろ複雑で……大体は、あいつのせいだ」 ルーカスが視線を向けた先に居るのは、無邪気な微笑みを口元に携えたクロヴィスだ。「あぁ、そうそう。ルーカスくんを責めないであげてね。ほら、彼は僕の|離魂剣《アエテリス》によって死んだだろ? だから、その魂は剣に吸収されたわけだよ。そして身体の方は|死霊庁《プルガトリオ》に回収された」「まさか……」 クロヴィスの話に、ヴィオレタの双眸が大きく見開かれる。「あはは、流石に勘が良いね。ご明察、偉大なる冥王家の御歴々は、こう考えたわけだよ。離魂剣で吸収した魂を、もとの身体に戻すことは可能かってね――」 「魂を管理する立場にありながら、恥知らずの俗物どもが……」「いやぁ〜、本当に笑っちゃうだけどさ、そもそも本来は天界に還るべき魂を喰らう離魂剣こそが許されざる魔剣なわけじゃん? それから魂の解放を試みるってのは、あながち死神としては間違ってないと思うよ。まぁ、そもそもその魔剣を創った本人が言うなって話だけどさ〜、あはは!!」 ひとしきり手を叩いて笑った後、クロヴィスは、まるで教師かのように指を立てて周囲を見渡す。 「さて、ここからが大切なお話だよ。彼らに提案された僕は、もちろん快諾した。なんと言っても、おもしろそうだったからね〜。でも、この試みは原理的には可能だったんだけど、大半の死神は生き返った後に精神が壊れちゃって使い物にならなくなっちゃったんだ。やっぱり魂を弄ぶのは禁忌に触れることなのではないのかと、実験に率先して参加していた死神たちまで日々おかしくなっていく姿は傑作だったなぁ」「大概イカれてんぜ。あんた……」 「ふふふ、褒め言葉と受け取っておくよ」 当時を想い出して破顔するクロヴィスに、レイフは嘆息するしかなかった。 純粋な好奇心を行動原理にしている分、この男の悪意は見えにくい。 男の名は――ルーカスと言った。 その名にレイフは覚えがある。
Last Updated: 2025-08-31
Chapter: Nox.VII『放課後の密会《デート》』III レイフは手元に続けて三枚のカードを出現させると、先ほどの一枚とともに空へと放った。 カードは意思を持つかのように四方へと散ると、瑠璃色の魔法陣を展開する。 間髪を容れず魔法陣からは漆黒の鎖が生み出され、一斉にクロヴィスを拘束しようと迫った。「甘いよ!」 クロヴィスは、前方に右手をかざす。 瞬く間に、|金色《こんじき》の光が出現し、それは彼の身体を守るように障壁へと変化した。 パリン、と硝子が砕け散るような音が響き渡る。 次の瞬間には障壁へと衝突した鎖は宙に弾け飛び、塵となり霧散していた。「カルロス、グィネヴィア――|行《ゆ》きなさい!!」「「はっ――!!」」 ヴィオレタの号令を受け、二人の|死神《リーパー》が駆け出す。 カルロスと呼ばれた赤毛の大柄な男は、手元に巨大な|戦棍《メイス》を出現させると、それに|焔《ほむら》を纏わせてゆく。「はあぁぁっ――!!!!」 怒声とともに空中へと飛び上がったカルロスは、背後よりクロヴィスの頭部へと戦棍を振り下ろす。「ふふっ――」 瞳を閉じて宙へと静かに佇むクロヴィスの口角が、わずかに上がる。 次の瞬間、彼の姿は茜色の空に消失した――。「なっ!?」 カルロスの真紅の双眸が、大きく見開かれた時には既にクロヴィスの姿は彼の背にあった。「遅いよ」 瞬く間に移動したクロヴィスは、腰元の剣の柄へと手をかける。 だが、その手が|剣《つるぎ》を抜くことはなかった。「おや、これはこれは……」 剣と彼の手が、時の流れから隔離された彫像のように凍りついていたからだ。 ――「そうは、させない」 凛とした冷たい声音が響き、彼の隣へと|白縹色《しろはなだいろ》の閃光が飛来した。 グィネヴィアと呼ばれた女性の死神だ。 動けずにいるクロヴィスの至近距離へと接近した彼女は、腰元から剣を引き抜く。 それは流麗な反りと、白い光を帯びた波紋が特徴的な東方の国々で〝刀〟と呼ばれるものだった。 首を狙った完璧な一閃が放たれる――。 白金色の髪が宙を舞い、クロヴィスの頬から紅い飛沫が飛んだ。「おぉ、怖い怖い!」 ぺろりと、艶やかな|虞美人草《ひなげし》のような舌で頬から垂れる血を舐めとると、彼は後方へと距離を取って躱した勢いのままに、背に月白色の光翼を生み出し飛び立つ。 光
Last Updated: 2025-08-30
Chapter: Nox.VII『放課後の密会《デート》』II その表情には、どこか寂寥感が浮かんでいた。 レイフの瞳にはクロヴィスの姿が一瞬――ヴィオレタと|重なって《ダブって》見えてしまい、必死にその空想を否定する。 先ほどの彼女とは別の|給仕係《ウェイトレス》が、クロヴィスの席に牛乳がたっぷりと注がれた|紅茶《テ・オ・レ》を運んできた。 彼は給仕係に一言、お礼を告げると、角砂糖をひとつ、またひとつと紅茶へと運んでゆく。 気がつけば、その量は小さな山ができるほどになっていた。 甘党のレイフですら、げんなりとするような量の砂糖が溶けた|紅茶《テ・オ・レ》を口に含むと、口角をわずかに上げて彼はレイフを見つめた。 「レイフ……君は何をもって、人は〝生きている〟と言えると思う?」 「それは……」 クロヴィスの問いにレイフは、すぐに答えることができなかった。 〝何をもって生きていると言えるのか〟――そんなことを過去に考えたことはなかった。 「レイフ――」 「っ――!?」 次の瞬間、彼はレイフの右手を取り、自分の胸元へと押し当てていた。 「聞こえるかい、この鼓動が? 死神にも確かに命があるだろう?」 どくんどくんと、高鳴る心音と幻惑的な光を放つ、切なげな菫色の瞳に思わず頬が熱くなり、必死に腕を振り払おうとするもクロヴィスの力には敵わない。 「僕はね、こう思うんだ。生きているかどうか、それは――〝この与えられた命を燃やし尽くすほどの美しく、無垢で醜悪な激情に、身を委ねることができているかによる〟と! その感情が愉悦でも悲哀でも、恋慕だろうとも、なんでも構わない!!」 クロヴィスが身を乗り出したことによって、唇が触れ合うほどの距離に高揚した美貌が迫る。 「僕はね、生まれついたその瞬間から〝正常〟を失っていたんだよ。自分の中に生まれた感情を満たさずにいられない。はじめて自分が、壊れているとわかったのは……そうだ、まだ僕がほんの十歳になるかどうかの子供だったときだ」 柘榴を想起させる唇から、甘美な吐息とともに|物語《フォークロア》が紡がれてゆく。 「むかーし、むかーし、とある村では領主が、それはそれはひどい悪政を敷いていました。凍えるような風が吹く冬、代官と兵隊が、この惨劇の舞台となる村へとやってきた。彼らは「年貢を納めろ」と怒声を上げて、村人たちに笑いながら、ひどい暴力を振るっ
Last Updated: 2025-08-29
Chapter: Chapter.III「りっくんにはさ、りっくんのまだ知らない可能性が、いくらでもあるんじゃないかな?」 「僕が、まだ知らない可能性……?」 「例えばだけど、知ってるかな? アイスランドでは国民の約半分が、妖精を信じているんだよ」 「えっ? ちょっと待って、何のはな……」 「いいから聞く!」 「あ、はい……」 教師のように人差し指を立てた桜子より放たれる圧に、漓音は続く言葉を発することができなかった。 「他にもスパゲッティの怪物を信仰対象にしてる宗教だってある。イギリスのグラストンバリーには、魔法使いや妖精が暮らしてるとか。そして……なんと、北海道の小樽には、現地から魔法のかかった品々を仕入れて……魔女が販売してる店もあるらしいわ」 顔に、それこそ魔女のような怪しげな笑みを浮かべる桜子の口から語られるのは、どれも漓音が聞いたこともない、にわかには信じがたい話ばかりだった。 「僕が詩人なら、桜子は小説家に向いてるよ。それこそ、そんなの御伽話の世界じゃないか。それ、本当の話なわけ?」 「えっーと……多分?」 額に汗を浮かべた桜子は、少し困ったように、自信なさげな微笑みを浮かべる。 「いや、何で疑問形だし……」 「だって、私は……ここから動けないし実際には見てないもの……」 桜子の語気は、だんだんと弱く、頼りないものへとなってゆく。 彼女の過去を自分はあまりにも知らない。 こうして明るく振るまっているが、もしかしたら何かの病気や怪我で、あまり動き回れないのかもしれない。 二人の間には会話の糸口を探す、気まずい沈黙が走る。 それは自己紹介をする前に話題を探していた時のものとは別種のものだ。 沈黙を先に破ったのは、今回は桜子だった。 「とにかく! 世界には、まだ私達が想像もつかないようなことが、たくさんあるのです! こんなことも知らない、りっくんごときが達観するなんて百年早いのです!!」 「なんか、すごいディスられてない?」 「ふふん、私は、りっくんよりも遥かに長い年月を生きてきて、いろいろと知ってるからね」 「いや、そこまで年齢変わらないでしょ」 空気は変わったが、未だに心に汚泥が溜まっているような、言い表せない息苦しさがあるのも事実だった。 それでも、この時間を、このまま終わりにはしたくないと思
Last Updated: 2025-05-26
Chapter: Chapter.II「りっくんはさ、雨の日の桜のどこに惹かれる?」 「りっくんって……。そうだな――」 桜子と隣り合って座る漓音は、風と雨に晒されて、ひらり、ひらりと花弁を落としてゆく桜へと静かに視線を向けた。 「|単純《シンプル》に晴れの日みたいに周りが騒がしくないってのもあるし、物静かな空間が、一人で考え事をするのに適してるというのもある。でも、それ以上に僕には、この桜の在り方が気高いと思うんだ」 「気高い……?」 「うん、人生と同じだよ。こちらが特に何かをするわけでなくても、この雨や風のように生きていれば、多くの外圧や困難がふりかかってくる」 漓音は、ひとつ、ひとつ、ゆっくりと言葉を選びながら、ありのままの気持ちを紡いでゆく。 瞳に憧憬を滲ませ、達観するように切なげな横顔を、桜子は静謐な面持ちで見つめていた。 「それでも桜は誰にも頼ることも、助けてもらうこともなく、最後まで誇り高く咲いて、そして美しく散っていく。そんな姿が僕には、あまりにも眩しく思えるんだ――」 本当に不思議だった。 普段、家族や同級生とさえも話すことを避けがちな自分が、今日初めて出会った彼女の前では、こんなにも自分の中にある想いを言葉にして、伝えることができる。 もっとも、自分のような捻くれて利口ぶった人間が、雑に思考をこねくり回して吐き出した言葉を、彼女のような常に陽の光の側に立つ人が、どう受けとるかまではわからないが――。 「驚いた……。りっくん、詩人とか向いてるよ。私、ちょっと恥ずかしくなって来ちゃった」 「なんで桜子さんが恥ずかしがるんだよ、バカにしてる?」 「ち、違うよ! 本当に凄く素敵な感情の吐露だったと思うし……なにより嬉しかったよ!」 桜子は頬を真っ赤に染めあげ、うちわのようにした手でパタパタと扇いでいた。 「いや、御礼を言われる意味もわからないから」 「でもさ……りっくんって友達居ないでしょ?」 突如、放たれたあまりにも直球な一言に漓音は顔をしかめるも、事実なので反論はできない。 それに、友人と呼べる存在が居ない理由が、自分にあるということくらいは、とっくに自覚している。 「あ、ごめんね。でも、持ってる世界観、纏っている空気が人を寄せ付けない、必要としてない感じがして……まぁ、お姉さんは少し気になったのです」
Last Updated: 2025-05-26
Chapter: Chapter.I春を感じさせない濁った空から、しとしとと、途切れることなく雨が降り続ける。 駅の裏手側にある古びたベンチに背を預け、一人の少年が空を見上げて座っていた。 高校指定の制服の上に濃紺のピーコートを羽織り、色素の薄いほっそりとした右手は時折り、ベンチに置かれたスマホを操作している。 ぽたり、ぽたりと、冷たい雨が左手に握られたビニール傘へと落ちてゆく音に少年は、じっくりと耳を傾けた。 |左右非対称《アシメントリー》――左眼側だけが極端に長い濡羽色の髪。 その合間からは、京紫色の瞳が覗く。 それは神秘的で、同時に伶俐な雰囲気を漂わせる。 彼の視線――その先には連日の雨に打たれ続け、少しずつ散りつつある、淋しげな一本の桜の木があった。 予報によれば、今週末には、強い雨と風が街を襲うはずだ。 おそらくはその時、ほとんど散ってしまうだろう。 小さく、か細い嘆息が、少年の口から漏れ出た。 駅の裏手にある桜の木は、少年が暮らす街の小さな観光名所となっている。 近年は桜の時期になると、雨が多くなるために、花見へとゆけなかった人達からも好評だ。 今も、電車を待つ人々が、無言のままに、雨に晒される桜の花を見つめている。 この季節だけは、桜を楽しめるようにと、駅の椅子もそっと向きを変えられていた。 少年は雨の日の桜が好きだった。 雨音が人々の|声《ノイズ》をかき消してくれて、雲の色も、葉を揺らす音さえも、どこか物悲しい。 瞬きを繰り返す間に、花弁が一枚、また一枚と剥がれてゆき、水溜りへと静かに沈んでゆく。 自分が居るその場所が、まるで世界から、隔離されているような気持ちになる。 だが、もうじき、駅の周辺は帰宅ラッシュで騒がしくなる頃だ。 そろそろ、帰った方が良いだろう。 黒いショルダーバッグを肩にかけると、少年は音さえも立てることなく、ベンチから静かに立ちあがった。 ――「もう帰っちゃうの?」 「えっ?」 まだ冷たい春の風が、暖かな生命の息吹を乗せた声を運んできた――。 振り返ると、黒いマキシ丈のワンピースが視界に映り込んだ。 胸元まで伸びたウェーブのかかった|白金色《プラチナブロンド》の髪が、空を舞う桃色の花弁の中で、ゆるやかになびく。 薄桃色の艶っぽく小さな唇が、悪戯っぽく弧を描い
Last Updated: 2025-05-26