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Chapter.III

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-05-26 13:01:19

「りっくんにはさ、りっくんのまだ知らない可能性が、いくらでもあるんじゃないかな?」

「僕が、まだ知らない可能性……?」

「例えばだけど、知ってるかな? アイスランドでは国民の約半分が、妖精を信じているんだよ」

「えっ? ちょっと待って、何のはな……」

「いいから聞く!」

「あ、はい……」

教師のように人差し指を立てた桜子より放たれる圧に、漓音は続く言葉を発することができなかった。

「他にもスパゲッティの怪物を信仰対象にしてる宗教だってある。イギリスのグラストンバリーには、魔法使いや妖精が暮らしてるとか。そして……なんと、北海道の小樽には、現地から魔法のかかった品々を仕入れて……魔女が販売してる店もあるらしいわ」

顔に、それこそ魔女のような怪しげな笑みを浮かべる桜子の口から語られるのは、どれも漓音が聞いたこともない、にわかには信じがたい話ばかりだった。

「僕が詩人なら、桜子は小説家に向いてるよ。それこそ、そんなの御伽話の世界じゃないか。それ、本当の話なわけ?」

「えっーと……多分?」

額に汗を浮かべた桜子は、少し困ったように、自信なさげな微笑みを浮かべる。

「いや、何で疑問形だし……」

「だって、私は……ここから動けないし実際には見てないもの……」

桜子の語気は、だんだんと弱く、頼りないものへとなってゆく。

彼女の過去を自分はあまりにも知らない。

こうして明るく振るまっているが、もしかしたら何かの病気や怪我で、あまり動き回れないのかもしれない。

二人の間には会話の糸口を探す、気まずい沈黙が走る。

それは自己紹介をする前に話題を探していた時のものとは別種のものだ。

沈黙を先に破ったのは、今回は桜子だった。

「とにかく! 世界には、まだ私達が想像もつかないようなことが、たくさんあるのです! こんなことも知らない、りっくんごときが達観するなんて百年早いのです!!」

「なんか、すごいディスられてない?」

「ふふん、私は、りっくんよりも遥かに長い年月を生きてきて、いろいろと知ってるからね」

「いや、そこまで年齢変わらないでしょ」

空気は変わったが、未だに心に汚泥が溜まっているような、言い表せない息苦しさがあるのも事実だった。

それでも、この時間を、このまま終わりにはしたくないと思った。

「そこまで言うならさ、桜子の知ってること――もっと教えてよ」

 小さく紡がれた漓音の言葉は春風に乗り、夕暮れ時の空へと飛び去ってゆく。

桜子の目が見開かれ、周囲の時間さえも止まったようにその表情(かお)が固まった。

それでも次の瞬間には、夕焼け空のように朱く染まった頬に満面の喜びを浮かべていた。

「うん、もちろんだよ」

「それじゃ今日はもう遅いし、また明日」

◆◇◆◇

次の日も、そのまた次の日も漓音は桜の木へと足を運んだ。

桜子は本当に多くのことを知っており、漓音を驚かせた。

実際には、そのほとんどが、胡散臭い都市伝説レベルのものだったのだが……。

いわく、ルーマニアには、この世界の真実が記録された電子図書館があり、アメリカが情報公開を求めている。

 いわく、南極にはエノク書に記された堕天使が封印されている。

こんな話をまともに信じるほど、漓音はロマンチストではない。

なぜ、彼女の知識はこんなにも偏っているのか。

それでも桜子と過ごす時間ほど、楽しいものは自分の人生には無かった。

周りのもの全てが、彼女と一緒に居るとキラキラと輝いて見えるのだ。

桜子が、その話をしたのは二人が出会ってから四日目のことだ。

「私ね、一つ忘れられない物語があるの――」

「物語?」

「うん、数年前に女子高生が、ここで読んでいたイギリスの小説」

〝【世界樹】と呼ばれる巨大な樹がありました

その樹が放つ光の粒子は、天命を全うせずに死んだ全ての人を生き返らせる力がありました

あるとき、戦いで重傷を負った一人の騎士が、世界樹へと運ばれました

神秘の力は、容易く彼の傷も癒しました

そこで彼は一人の女性と出逢い、恋に落ちます

厳格な騎士の父に知られぬようにと、二人は世界樹のもとで密会を重ねました

ですが、戦争が二人を引き裂きます

騎士は戦場から、何通もの手紙を彼女へと送りました〟

「話はここで終わり。日本では続きの翻訳もされてないんだって」

「続きが読みたいの?」

「うん」

「僕が探してくる」

「えっ――」

漓音の発した言葉に、息を呑むように桜子の目が見開かれた。

「僕が探してきて、桜子に読むよ。一度くらい海外生活を経験してみても良いし」

「えっ!? 流石に急過ぎない……?」

「この世界の広さを知れって言ったのは桜子だろ」

「そっか……。りっくんはすごいね」

そう思うのならば、それは全て君のおかげだとは、この時の漓音は言えなかった。

「それじゃあ約束――」

気がつけば桜子の顔がすぐそばにあり、桃色の花弁のように艶っぽい唇が漓音の額に、そっと触れた。

固まる漓音の隣で桜子は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ふふ、おまじないだよ」

次の日、いつもの木の下に桜子の姿は無く、桜も全て散っていた。

漓音は次の春を待たずに高校を中退し、イギリスの高校へと編入した。

両親には怒られるどころか、やっとやりたいことを見つけたのかと泣かれて、流石に驚いた。

だが、桜子の言っていた小説は、なかなか見つからなかった。

卒業が迫る中、漓音は将来性のあるアフリカ市場との結びつきが強いフランスで、国際ビジネスを学ぼうと決心する。

桜子の影響で、もっと世界に目を向けてみようと思えたから。

結局、桜子の話していた小説が見つかったのは、イギリスで過ごす最後の一年のことだった。

それは本国でもかなりマイナーな小説だった。

小説を読み終えた漓音は、最速で日本へ帰国する便のチケットを購入した。

飛行機に乗る前日も機内で彼は一睡もできなかった。

足元がおぼつかず、手を震わせ、いっそうと細くなったように見える身体を近くの人に支えられながら、漓音は空港へと降り立った。

急ぎ捕まえたタクシーの車内で、小説の内容が漓音の精神を蝕むように、脳裏でリフレインされる。

〝騎士の手紙には三年間の戦争中、一度も返事はありませんでした

それでも騎士の彼女への想いは変わりませんでした

戦いは多くの犠牲を出し、騎士の友人も多くが命を落としました

戦争が終われば、きっと世界樹が彼らを生き返らせてくれる

彼女にだって会える

それが騎士の唯一の希望でした

ですが――

和平の後に騎士が見たのは葉が黒く染まり、地面と同化するように横倒しになった世界樹でした

人類は世界樹の力を使い過ぎたのです

悲嘆に暮れる騎士の前に、一人の男が現れました

彼は騎士の幼馴染でした

騎士の父から命(めい)を受けて、騎士を見張っていたそうです

ですが、命令よりも友情を選んだ彼は、二人の関係が誰にも邪魔されないように動いていました

女性が騎士に伝えた住所は、どこにも存在せず、手紙は届きませんでした

ですが、手紙は全て彼が女性へと届け、そして彼女の言葉も代わりに書き留めていたのです

彼が取り出したのは、三年に及ぶ彼女の言葉を書き留めた紙の束でした

どうか怪我をしないでください

何があっても自分を責めないでください

どんなに辛くても生きてください

私は身勝手な女です

こんなことを言って、貴方を傷つける私を許してください

貴方を愛しています

貴方も私を愛してるのならば、これが最後のお願いです

どうか私を忘れてください

さようなら〟

女性は世界樹そのものだったのだ。

タクシーから飛び降りた漓音は、無我夢中で走った。

外は、あの日のような雨だった。

強風が吹きつけ、泥水が容赦なく、服を汚してゆく。

息が苦しくて、脇腹にかつて経験したことのない痛みが走る。

胸が、ドクドクと高鳴って、背筋を嫌な冷たさが駆け抜けた。

何をこんなに焦っている。

これはあくまで小説だ。

彼女――桜子がよく話していた物語(フィクション)と同じだ。

もう少し、あと少し、きっと彼女はそこに居る。

「桜子――――!!!!」

駅の近くということも忘れ、漓音は大切な愛しい人の名を叫ぶ。

そこに、あの美しい桜の木は無かった――。

あるのは、小さな切り株だけだ。

隣に立つ看板には、冷たい文字で駅の西口を作るために切る事になったと説明があった。

「……そんなのってないだろ!!」

――「りっくん?」

何年も聞いてなかった温かくて、少しだけ悪戯っぽい幼さを残した声――。

涙を拭うことすら忘れて、振り返れば、もう見ることはないと思っていた彼女――桜子が立っていた。

だが、彼女の身体は既に膝の辺りまでが消えていた。

残された身体も、どんどんと薄くなってゆき、儚げなその姿は、今にも霧のように空気中に溶けて、消えてしまいそうだ。

「あはは、また少し痩せたかな? でも嬉しいな。あの〝約束〟を果たしに来てくれたんだよね」

「あぁ、でも君は……」

「うん、ごめん。私にとって、りっくんとの時間はとっても、とっても特別なものだったから」

「謝る必要なんかない!」

「りっくん?」

「僕の方こそ、僕の方が君から、あまりにも沢山のものをもらった!!」

「そっか、嬉しいよ……本当に。ねぇ、もう時間が残されてないんだ、本を読んでほしいな」

腰元までが桃色の粒子へと変換され、桜子の存在は一層と希薄になる。

「わかった……」

これを読み終えれば全てが終わる。

漓音は、一つ一つの言葉(フレーズ)を、何度も詰まらせながら、それでも想いをそこに乗せて紡いでゆく。

言葉を発する度に、彼女との思い出が、色をつけて甦る。

「〝貴方を愛しています〟」

その続きを読むことは、漓音にはできなかった。

雨音の中に、堪え切ることができず、嗚咽が響く。

「続けて――りっくんの言葉で」

「僕は、僕は……君を決して忘れない。ありがとう、桜子、君に出逢えて、恋をしてよかった。君を好きになって……よかった!」

「私もだよ、君のことが大好き」

満面の笑みと共に桜子の体は、桃色の粒子へと変わり、空へと昇ってゆく。

今度は誤魔化さない。

彼女へのこの想いも、彼女と過ごした時間も、自分の宝物だから。

漓音は空を見上げながら、彼女に恋した自分の心を誇るように涙を流した。

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