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Chapter.II

作者: 皐月紫音
last update 最終更新日: 2025-05-26 12:47:08

「りっくんはさ、雨の日の桜のどこに惹かれる?」

「りっくんって……。そうだな――」

桜子と隣り合って座る漓音は、風と雨に晒されて、ひらり、ひらりと花弁を落としてゆく桜へと静かに視線を向けた。

「単純(シンプル)に晴れの日みたいに周りが騒がしくないってのもあるし、物静かな空間が、一人で考え事をするのに適してるというのもある。でも、それ以上に僕には、この桜の在り方が気高いと思うんだ」

「気高い……?」

「うん、人生と同じだよ。こちらが特に何かをするわけでなくても、この雨や風のように生きていれば、多くの外圧や困難がふりかかってくる」

漓音は、ひとつ、ひとつ、ゆっくりと言葉を選びながら、ありのままの気持ちを紡いでゆく。

瞳に憧憬を滲ませ、達観するように切なげな横顔を、桜子は静謐な面持ちで見つめていた。

「それでも桜は誰にも頼ることも、助けてもらうこともなく、最後まで誇り高く咲いて、そして美しく散っていく。そんな姿が僕には、あまりにも眩しく思えるんだ――」

本当に不思議だった。

普段、家族や同級生とさえも話すことを避けがちな自分が、今日初めて出会った彼女の前では、こんなにも自分の中にある想いを言葉にして、伝えることができる。

もっとも、自分のような捻くれて利口ぶった人間が、雑に思考をこねくり回して吐き出した言葉を、彼女のような常に陽の光の側に立つ人が、どう受けとるかまではわからないが――。

「驚いた……。りっくん、詩人とか向いてるよ。私、ちょっと恥ずかしくなって来ちゃった」

「なんで桜子さんが恥ずかしがるんだよ、バカにしてる?」

「ち、違うよ! 本当に凄く素敵な感情の吐露だったと思うし……なにより嬉しかったよ!」

桜子は頬を真っ赤に染めあげ、うちわのようにした手でパタパタと扇いでいた。

「いや、御礼を言われる意味もわからないから」

「でもさ……りっくんって友達居ないでしょ?」

突如、放たれたあまりにも直球な一言に漓音は顔をしかめるも、事実なので反論はできない。

それに、友人と呼べる存在が居ない理由が、自分にあるということくらいは、とっくに自覚している。

「あ、ごめんね。でも、持ってる世界観、纏っている空気が人を寄せ付けない、必要としてない感じがして……まぁ、お姉さんは少し気になったのです」

「間違ってないよ。桜はさ、その場所から動いて逃げることはできないよね?」

「そうだね、どんなに願っても、どこにも行くことはできない」

言葉の後に漏れ出たのは、か細く、小さな、この静寂に包まれた空間でなければ、聞き逃してしまいそうな嘆息。

長く優美な印象を与える、まつげが伏せられ、ほんのわずかに、彼女の表情へと影が差した気がした。

その顔は、ひどく淋しげなものに思えて、漓音は思わず、柄にもない言葉を発しようとしてそれを飲み込んだ。

まだ、自分には、そこまで踏み込む資格はないと思ったから。

思考を振り払うと漓音は、中断した言葉を再び、紡ぎ出す。

「でも、だからこそ、桜は必死で生きてるんだ。僕は雨が降れば傘を差すし、風が強ければ家から出ない。人と関わって、無理して合わせて、余計な重荷が増えるくらいなら、最初から自分が、一番楽で苦しまない道を行くよ」

「そっか」

「僕、昔から勉強はそれなりにできたんだ。多分、大学も良いところに行けると思う。その後は、給料が良くて人とできるだけ関わらないで済む仕事をしようと思ってる」

さっきまで普通に見ることができた桜子の顔――それをなぜか、今は見ることができなかった。

彼女が、まだ何かを言葉を発する様子はない。

できることならば、この会話を早く断ち切ってしまいたかった。

「……くだらないヤツだと思う?」

その言葉を振り絞るのには、想像以上の勇気が必要だった。

今の自分は一体、どんな顔をしているのだろうか、声はちゃんと出ていただろうか。

まだ、微かな冷気を含んだ春の風が吹き、二人の視線の先を桜の花弁が踊ってゆく。

「くだらないなんて思わないよ。ありきたりな言葉だけど、人それぞれに生き方があって、それがどこに繋がってるのか、それは誰にもわからない」

漓音は少しだけ、胸のつかえが取れた気がした。

それが、肯定されたことによる安堵からなのか、慰めだとしても彼女に嫌われなかったことへの浅ましい感情によるものなのかはわからない。

「何より、りっくんはこうして私という一人の相手と、ちゃんと関係を結べる人だもの」

漓音の瞳から、光り輝く雫が一滴、地面へと落ちてゆき、水溜りへと波紋を広げた。

前髪が隠してはくれない右の瞳――降り続ける雨だけが唯一、破裂しそうなほどに膨らんだ漓音の胸の内を誤魔化してくれた。

「でもね……りっくん自身が、その選択を受け入れられてないのに、自分の世界をそこで完結させようとしてるのは、ちょっと納得できないかなぁ〜」

「えっ――?」

「なので、お姉さんは、ちょっとだけ、お節介をしようと思います!」

ガバッと効果音が付きそうなほどに勢い良く、傘から飛び出した桜子は、泥水が体へと跳ねるのも気にせず、雨の中へ駆け出した――。

一層と勢いを増してゆく雨が、容赦なく桜子の体を濡らしてゆく。

「ちょ、何してんのさ!?」

「あはは、楽しい〜!!!!」

漓音が制止する声も無視して、桜子は雨の中で両手を広げると、くるくると踊り出した。

一瞬にして、そこは彼女のために用意された舞台(ステージ)へと様変わりする。

喝采をあげるように降り注ぐ、雨を一身に受けて、彼女は光の世界を舞う。

「ねぇ、りっくんもこっちおいでよ! 雨もすっごく冷たくて、とっても気持ち良いよ!!」

揺れる桜を背に彼女は、まるでダンスに誘うかのように左手を差し出した。

そこには、このわずかな時間で何度も、いとも簡単に漓音の殻を破ってみせた、あの木漏れ日のような微笑みがあった。

「ったく、桜子、君って本当に……めちゃくちゃだ!!」

傘を投げ出し、立ち上がった漓音は、新しく買ったばかりのスニーカーを泥水に濡らしながら、桜子へと向かい駆け出した――。

その速度は、一歩、また一歩と速くなってゆく。

吹きつける風が、体を押し返そうとしても、構うものかと、彼女のもとへと走った。

雨水が、ばしゃりと目に跳ねる。

リズミカルな雨音が耳を満たしてゆく。

風が運ぶ雨の匂い(ペトリコール)が、鼻を刺激する。

もう一歩、あと一歩――伸ばされた漓音の右手が、がっしりと桜子の色素が抜け落ちたかのように白く、たおやかな手を掴んだ。

もう離さないとでもいうように、優しく握り締められた手から伝わった熱に、彼女の双眸が大きく見開かれた。

時が止まった。

胸が、かつて経験したことがないほどに、やかましく高鳴っている。

この感情の名を漓音は知っていた。

なのに、それを言葉にする勇気は無くて――。

京紫と灰色(アッシュグレー)の瞳が、互いを映し出して、一瞬の静寂が支配した世界では、雨音さえも消え去っていた。

二人の世界を止めた、一瞬の奇跡、魔法――それが解けたとき、雨脚が少しずつ、弱まっていくのを漓音は感じた。

「嘘だろ? さっきまで、あんなに強かったのに。予報だって夜まで止まないって言ってたはず……」

漓音の戸惑いも無視して、徐々に雨が止んでゆくと、今度は隠れていた太陽が姿を現した。

曇天に出現した太陽が放つ、わずかな祝福の光が桃色の花々を照らしてゆく。

花を覆う雨粒は、その一つ一つが、磨きあげられた宝石のように輝いていた

「ね? りっくんの世界と他の人の世界は、こんなに簡単に繋がるんだよ」

――〝カタリ〟と音を立てて、隔離されていた漓音の世界が、あるべき場所へとはめ込まれた。

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