Memories of Rain〜春の雨が運んだ約束〜

Memories of Rain〜春の雨が運んだ約束〜

last updateLast Updated : 2025-05-26
By:  皐月紫音Updated just now
Language: Japanese
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県内の進学校に通う一年生、鳴海漓音は小学校の頃から勉強はできるが、人と関わることを好まず、自分の世界へと閉じこもりがちだった。 このまま学生らしいことをすることもなく、そこそこの良い大学に進学し、できるだけ人と関わらない仕事に就くのだろう。 自分の将来は、こんなものだと達観する漓音は雨の中、一人で最寄り駅の桜の木を眺めていた。 そんな彼の前に一人の不思議な女性が現れ……。

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Chapter 1

Chapter.I

春を感じさせない濁った空から、しとしとと、途切れることなく雨が降り続ける。

駅の裏手側にある古びたベンチに背を預け、一人の少年が空を見上げて座っていた。

高校指定の制服の上に濃紺のピーコートを羽織り、色素の薄いほっそりとした右手は時折り、ベンチに置かれたスマホを操作している。

ぽたり、ぽたりと、冷たい雨が左手に握られたビニール傘へと落ちてゆく音に少年は、じっくりと耳を傾けた。

左右非対称(アシメントリー)――左眼側だけが極端に長い濡羽色の髪。

その合間からは、京紫色の瞳が覗く。

それは神秘的で、同時に伶俐な雰囲気を漂わせる。

彼の視線――その先には連日の雨に打たれ続け、少しずつ散りつつある、淋しげな一本の桜の木があった。

予報によれば、今週末には、強い雨と風が街を襲うはずだ。

おそらくはその時、ほとんど散ってしまうだろう。

小さく、か細い嘆息が、少年の口から漏れ出た。

駅の裏手にある桜の木は、少年が暮らす街の小さな観光名所となっている。

近年は桜の時期になると、雨が多くなるために、花見へとゆけなかった人達からも好評だ。

今も、電車を待つ人々が、無言のままに、雨に晒される桜の花を見つめている。

この季節だけは、桜を楽しめるようにと、駅の椅子もそっと向きを変えられていた。

少年は雨の日の桜が好きだった。

雨音が人々の声(ノイズ)をかき決してくれて、雲の色も、葉を揺らす音さえも、どこか物悲しい。

瞬きを繰り返す間に、花弁が一枚、また一枚と剥がれてゆき、水溜りへと静かに沈んでゆく。

自分が居るその場所が、まるで世界から、隔離されているような気持ちなる。

だが、もうじき、駅の周辺は帰宅ラッシュで騒がしくなる頃だ。

そろそろ、帰った方が良いだろう。

黒いショルダーバッグを肩にかけると、青年は音さえも立てることなく、ベンチから静かに立ちあがった。

――「もう帰っちゃうの?」

「えっ?」

まだ冷たい春の風が、暖かな生命の息吹を乗せた声を運んできた――。

振り返ると、黒いマキシ丈のワンピースが視界に映り込んだ。

胸元まで伸びたウェーブのかかった白金色(プラチナブロンド)の髪が、空を舞う桃色の花弁の中で、ゆるやかになびく。

薄桃色の艶っぽく小さな唇が、悪戯っぽく弧を描いた。

少年よりも、わずかに大人びた顔に浮かぶのは、どこまでも澄み切った木漏れ日のような微笑みだった。

「あ、〝春〟――」

そこまで口に出して、急いで少年は口をつぐむ。

気がつけば、彼女の微笑みに、すっかりと警戒を解かされていた。

彼女の笑みも、纏う空気も、花弁のような唇から紡がれた――たった一片の言の葉(ことば)さえも、季節を一瞬で、冬から春に塗り替えるほどの力があった。

自身の口から、思わずこぼれた言葉に、言いようのない羞恥の感情が湧いてくる。

——何を言ってるんだ、僕は……。

少女漫画じゃないんだし……。

女性は、それを揶揄うこともなく、ベンチに腰を下ろすと、パチリとした灰色(アッシュグレー)の瞳を、こちらへと向ける。

「ねぇ、君も好きなんでしょ? 雨の日の桜。もう少し一緒に見ようよ」

少年は、人付き合いを好まない。

こんな風に誰かに誘われても、普段ならば絶対に断るだろう。

避けられない場面でも、相手に気を遣ったりはせず、場の空気を悪くしてしまっても気に留めなかった。

だが、なぜだか、彼女の言葉には逆らうことができなかった。

これが、〝雰囲気に呑まれる〟ということなのかもしれない。

「ってかさ、あんた傘は?」

「えへへ、忘れちゃった。君のに入れてくれるかな?」

「今日、朝から降ってたのに何やってんの。まぁ、別にいいけど……」

少年は左手で女性へと傘を差し出した。

こんなことも今までの自分ならば、まずしないことだ。

それも今さっき会ったばかりの相手に。

どうにも、彼女を相手にすると調子が狂う。

「あと、あんたその格好寒くないの?」

「あぁ、あまり気にしてなかったかな」

「はぁ、これからもっと温度下がるんだからこれ着て」

少年は自分が着ていたコートを脱ぐと、溜息交じりに女性へと差し出す。

「えぇ〜! いいよ! 君が風邪引いちゃうし」

「そういうのいいから。隣で女性に、そんな格好されてる方が困る」

「それじゃあ遠慮なく……」

まるで、それが、かけがえのない宝物ででもあるかのように。

彼女は、それを受け取ると、とても幸せそうな笑みを浮かべた。

春の日差しを受けて、蕾だった花々が、一斉に花開いたように――その場が、ふわりと温もりに包まれたような気がした。

それからしばらくは、どちらが言葉を発するでもない、だが、決して居心地の悪いものではない、ただ、静謐な沈黙の時が流れた。

「こういう時って何を話すのが正解なんだろ?」

女性は指を口元に当てて、「うーん」と小さく唸りながら、くりくりとした瞳で空を仰いでいる。

「人を誘っておいて何も考えてないわけ……? まぁ、普通は自己紹介とかするんじゃない?」

「そっか! 頭良いね! じゃあ君の名前は?」

天啓を得たりとでもいうように、手を叩き、目を輝かせる彼女に、少年は肩を落とし嘆息した。

「僕は鳴海漓音(なるみ りおん)。お姉さんは?」

「漓音! 素敵な名前だね! 私かぁ、うーんと……あ、雨野桜子(あまの さくらこ)?」

「何で疑問系だし。ってか、それ絶対に偽名だよね?」

「むぅ、失礼な。素直じゃない子は、お姉さん嫌いだぞ」

「素直じゃないのは今更だから。まぁ別に、いいけどさ。よろしく、雨野さん」

漓音がそう呼ぶと、なぜか彼女はわずかに眉をひそめ、不満げな眼差しを漓音の顔へと向ける。

「何……?」

「さ・く・ら・こ」

「はっ?」

「だから! 桜子って呼んで!!」

灰色(アッシュグレー)の双眸が鋭さを増し、頬は今にも、ぷくりと音を立てて風船のように膨らみそうだ。

「桜子……さん」

「〝さん〟は余計だけど良し!」

桜子は両手の指を重ね合わせて、花が咲くような満開の笑みを浮かべた。

春風に乗せて、ふくよかな桜と瑞々しい白葡萄(マスカット)の香りが、漓音の鼻腔を満たした。

あまりにもな気まぐれ――。

異性はおろか、同性とすらまともな付き合いをしてこなかった漓音には、彼女のような女性の相手は難易度が高過ぎる。

――でも、そんなに嫌ではないかな。

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Chapter.I
春を感じさせない濁った空から、しとしとと、途切れることなく雨が降り続ける。 駅の裏手側にある古びたベンチに背を預け、一人の少年が空を見上げて座っていた。 高校指定の制服の上に濃紺のピーコートを羽織り、色素の薄いほっそりとした右手は時折り、ベンチに置かれたスマホを操作している。 ぽたり、ぽたりと、冷たい雨が左手に握られたビニール傘へと落ちてゆく音に少年は、じっくりと耳を傾けた。 左右非対称(アシメントリー)――左眼側だけが極端に長い濡羽色の髪。 その合間からは、京紫色の瞳が覗く。 それは神秘的で、同時に伶俐な雰囲気を漂わせる。 彼の視線――その先には連日の雨に打たれ続け、少しずつ散りつつある、淋しげな一本の桜の木があった。 予報によれば、今週末には、強い雨と風が街を襲うはずだ。 おそらくはその時、ほとんど散ってしまうだろう。 小さく、か細い嘆息が、少年の口から漏れ出た。 駅の裏手にある桜の木は、少年が暮らす街の小さな観光名所となっている。 近年は桜の時期になると、雨が多くなるために、花見へとゆけなかった人達からも好評だ。 今も、電車を待つ人々が、無言のままに、雨に晒される桜の花を見つめている。 この季節だけは、桜を楽しめるようにと、駅の椅子もそっと向きを変えられていた。 少年は雨の日の桜が好きだった。 雨音が人々の声(ノイズ)をかき決してくれて、雲の色も、葉を揺らす音さえも、どこか物悲しい。 瞬きを繰り返す間に、花弁が一枚、また一枚と剥がれてゆき、水溜りへと静かに沈んでゆく。 自分が居るその場所が、まるで世界から、隔離されているような気持ちなる。 だが、もうじき、駅の周辺は帰宅ラッシュで騒がしくなる頃だ。 そろそろ、帰った方が良いだろう。 黒いショルダーバッグを肩にかけると、青年は音さえも立てることなく、ベンチから静かに立ちあがった。 ――「もう帰っちゃうの?」 「えっ?」 まだ冷たい春の風が、暖かな生命の息吹を乗せた声を運んできた――。 振り返ると、黒いマキシ丈のワンピースが視界に映り込んだ。 胸元まで伸びたウェーブのかかった白金色(プラチナブロンド)の髪が、空を舞う桃色の花弁の中で、ゆるやかになびく。 薄桃色の艶っぽく小さな唇が、悪戯っぽく弧を描いた。
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Chapter.II
「りっくんはさ、雨の日の桜のどこに惹かれる?」 「りっくんって……。そうだな――」 桜子と隣り合って座る漓音は、風と雨に晒されて、ひらり、ひらりと花弁を落としてゆく桜へと静かに視線を向けた。 「単純(シンプル)に晴れの日みたいに周りが騒がしくないってのもあるし、物静かな空間が、一人で考え事をするのに適してるというのもある。でも、それ以上に僕には、この桜の在り方が気高いと思うんだ」 「気高い……?」 「うん、人生と同じだよ。こちらが特に何かをするわけでなくても、この雨や風のように生きていれば、多くの外圧や困難がふりかかってくる」 漓音は、ひとつ、ひとつ、ゆっくりと言葉を選びながら、ありのままの気持ちを紡いでゆく。 瞳に憧憬を滲ませ、達観するように切なげな横顔を、桜子は静謐な面持ちで見つめていた。 「それでも桜は誰にも頼ることも、助けてもらうこともなく、最後まで誇り高く咲いて、そして美しく散っていく。そんな姿が僕には、あまりにも眩しく思えるんだ――」 本当に不思議だった。 普段、家族や同級生とさえも話すことを避けがちな自分が、今日初めて出会った彼女の前では、こんなにも自分の中にある想いを言葉にして、伝えることができる。 もっとも、自分のような捻くれて利口ぶった人間が、雑に思考をこねくり回して吐き出した言葉を、彼女のような常に陽の光の側に立つ人が、どう受けとるかまではわからないが――。 「驚いた……。りっくん、詩人とか向いてるよ。私、ちょっと恥ずかしくなって来ちゃった」 「なんで桜子さんが恥ずかしがるんだよ、バカにしてる?」 「ち、違うよ! 本当に凄く素敵な感情の吐露だったと思うし……なにより嬉しかったよ!」 桜子は頬を真っ赤に染めあげ、うちわのようにした手でパタパタと扇いでいた。 「いや、御礼を言われる意味もわからないから」 「でもさ……りっくんって友達居ないでしょ?」 突如、放たれたあまりにも直球な一言に漓音は顔をしかめるも、事実なので反論はできない。 それに、友人と呼べる存在が居ない理由が、自分にあるということくらいは、とっくに自覚している。「あ、ごめんね。でも、持ってる世界観、纏っている空気が人を寄せ付けない、必要としてない感じがして……まぁ、お姉さんは少し気になったのです」「間
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Chapter.III
「りっくんにはさ、りっくんのまだ知らない可能性が、いくらでもあるんじゃないかな?」「僕が、まだ知らない可能性……?」「例えばだけど、知ってるかな? アイスランドでは国民の約半分が、妖精を信じているんだよ」「えっ? ちょっと待って、何のはな……」「いいから聞く!」 「あ、はい……」 教師のように人差し指を立てた桜子より放たれる圧に、漓音は続く言葉を発することができなかった。「他にもスパゲッティの怪物を信仰対象にしてる宗教だってある。イギリスのグラストンバリーには、魔法使いや妖精が暮らしてるとか。そして……なんと、北海道の小樽には、現地から魔法のかかった品々を仕入れて……魔女が販売してる店もあるらしいわ」 顔に、それこそ魔女のような怪しげな笑みを浮かべる桜子の口から語られるのは、どれも漓音が聞いたこともない、にわかには信じがたい話ばかりだった。「僕が詩人なら、桜子は小説家に向いてるよ。それこそ、そんなの御伽話の世界じゃないか。それ、本当の話なわけ?」「えっーと……多分?」 額に汗を浮かべた桜子は、少し困ったように、自信なさげな微笑みを浮かべる。「いや、何で疑問形だし……」「だって、私は……ここから動けないし実際には見てないもの……」 桜子の語気は、だんだんと弱く、頼りないものへとなってゆく。 彼女の過去を自分はあまりにも知らない。 こうして明るく振るまっているが、もしかしたら何かの病気や怪我で、あまり動き回れないのかもしれない。 二人の間には会話の糸口を探す、気まずい沈黙が走る。 それは自己紹介をする前に話題を探していた時のものとは別種のものだ。 沈黙を先に破ったのは、今回は桜子だった。 「とにかく! 世界には、まだ私達が想像もつかないようなことが、たくさんあるのです! こんなことも知らない、りっくんごときが達観するなんて百年早いのです!!」「なんか、すごいディスられてない?」 「ふふん、私は、りっくんよりも遥かに長い年月を生きてきて、いろいろと知ってるからね」 「いや、そこまで年齢変わらないでしょ」 空気は変わったが、未だに心に汚泥が溜まっているような、言い表せない息苦しさがあるのも事実だった。 それでも、この時間を、このまま終わりにはしたくないと思った。「そこまで言うならさ、桜子の知ってるこ
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