Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜

Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜

last updateLast Updated : 2025-07-10
By:  皐月紫音Updated just now
Language: Japanese
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エテルヴォワ王国の名門、ヴァルメール学院に通う17歳の少年、レイフ・ヘーデンストローム。 王国では珍しい白銀の髪に、鋭く光るガーネットのような真紅の双眸を持ち、校則違反なんてお構いなしにシルバーアクセサリーを身に付ける彼は、その目立つ容姿と悪評のせいで“不良”と噂され、学院の中ですっかりと孤立していた。 そんなある日、学院に新任の歴史教師が赴任してくる。 深い紺青色の長髪と、夜の光と闇を閉じ込めたように輝くタンザナイトを想起させる瞳。ヴィオレタ・ウルバノヴァと名乗るその女性教師は、人間離れした美貌を湛えながら、どこか濃密な死の気配を纏わせていた。 そして彼女との出逢いが、レイフの止まっていた時間を動かしてゆくことになる――。

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Chapter 1

Prologue

【|冥界《オルクス》】

明けることなき夜――|菫色《ヴァイオレット》の空が支配する、幽玄なる幻想美の世界。

天を貫かんばかりの壮麗な尖塔をいただく城、古代の神殿を想起させる濡羽色の柱が連なる霊廟――|黒瑪瑙《オニキス》に酷似した鉱物を利用して創造された建築群が、夜の闇と星の光を閉じ込めた墓標のように建ち並んでいる。

この地には|天界《カエルム》へとゆくことが赦されなかった罪深い魂が、|行《ゆ》き着く。

ここで己の罪を償い、魂を浄化しなければ天界へと旅立つことはかなわない。

その機会さえも与えられない穢れた魂は、永劫に封印されることになる――。

◆◇◆◇

窓から射し込む、わずかな薄明かりが照らす静謐な空間。

|燕尾服《テイルコート》に身を包む傷だらけの男女の集団が、温度を感じさせない|黒瑪瑙《オニキス》の床に転がっていた。

「や、やっと着いたぁ〜!」

「私達、生きてるのよねっ!? これ夢じゃないのよねっ!??」

「厳密には死んでいるかと……」

「今は、そんな冥界ジョークはいいのよっ!!」

——「はぁ〜、三百年ぶりの来客かと思えば……。冥王も、ずいぶんと騒がしい犬どもを送りつけてきたわね」

艶やかさを纏う気怠げな声音が聞こえたのは、遥かに上方から。

床に倒れる男たちの目前には、一段一段が彼らの半身ほどもの高さを誇る黒瑪瑙に酷似した鉱物で作られた階段が、そびえ立っていた。

階段の上へと視線をやれば、背の高い濡羽色の椅子があるのが見える。

椅子の背と座板には深い菫色のベルベット素材が使われ、古めかしい気品が漂う。

一国の王が腰掛ける玉座のように優美な椅子には、声の|主人《あるじ》であろう女性が、肘を突いて優雅に腰掛けていた。

腰下まで伸ばされた紺青色の髪の奥からは、精気を感じさせない|灰簾石《タンザナイト》のような紫紺色の瞳が、男たちを|睥睨《へいげい》している。

光沢感のある濡羽色のドレスから惜しげもなく、白雪のように純白のほっそりとした肢体を晒す姿は、あまりにも冷艶で、男たちは思わず息を呑んで、その場に立ち尽くした。

「それで……はぁぁ〜。貴方たちは、何の用があって来たのかしら?」

優美な仕草であくびを漏らすと、いかにも退屈なものを見る目で、女性は男たちを見つめ直す。

性別を問わず、人々を魅了して惑わす人間離れした冷艶な美貌。

それを間近で見て思わず、魅了されそうになっていた彼らだが、この態度には流石に思うものがあったようだ。

死神たちの額には、ピキリと青筋が浮かんだ。

「あのですね……。そういうことは、こちらを〝攻撃〟する前に聞いてもらえますかね!?」

「そうですよ! 私たちを殺す気ですか!? あんまりです、ウルバノヴァ様!!」

「声が大きいわ……。不敬よ」

「申しわけありません! って、そうじゃないですっ! もう少しで私たち、本当に死ぬところだったんですよっ!?」

彼らの怒りも無理もないことだった。

|死霊省《プルガトリオ》の|死神《リーパー》である彼らは、冥界を統治する冥王の使者として、彼女――ヴィオレタ・ウルバノヴァの邸宅へと遣わされた。

しかし、彼らを待っていたのは、数々の|罠《トラップ》であった。

恐ろしいのは、その圧倒的|種類《バリエーション》の豊富さだ。

邸宅は外から見える部分など見せ掛けに過ぎず、その内部は迷宮そのもの。

巨大な落とし穴に身体を容易く焼き切るレーザートラップ。

頭上から突如として岩石が落下してきたかと思えば、次には黒狼の群れが襲いかかる。

仕舞いには三頭の竜が出現し、彼らは死を覚悟せざるを得なかった。

そこから、どの様にして彼らが、この邸宅の主人が居る間まで辿り着いたのか……それはここでは語るまい。

「ヴィオレタ・ウルバノヴァ様――私はレオニダス・ペトロウと申します。本日は冥王の使者として、参上いたしました」

彼らを代表して、壮年の落ちついた雰囲気の男性が前に出て頭を垂れた。

ヴィオレタは男性を見つめると、露骨に表情を歪めて見せた。

「チッ! 殺り損ねたか……(ボソッ)」

「聞こえてますからねっ!?」

「昔から、あんた達が来る時は決まって、ろくな話じゃないのよ……。それで何の用かしら……?

こっちとら絶賛、『不労所得あざっす! 冥界最強の死神でしたけど世界救ったんで辞めました。冥王の|脛《すね》をかじって、人生楽勝隠居でスローライフ送ってますけど何か?』状態なんだけど」

「な、何ですか、その意味はわかるんですが、わからないような、わかりたくないようなそれは……」

「現世ではこんな感じのタイトルの書籍が売れているらしいわよ……。世も末ね……」

「現世の連中は何をやってるんだ……」

 ヴィオレタの言葉に頭を抱える彼らは皆、外見こそは若いが、死んだ時の姿そのままに|死神《リーパー》として転生している。

 そのために実年齢は遥かに上である者が、ほとんだ。

 現世の文化は、理解に苦しむのも仕方ないだろう。

「って、そんな話をしてる場合ではないのですっ!

隠棲なされたあなた様が、|冥界《オルクス》の問題に関わる気がないことは私たちも承知しています。

ですが、もはや、あなた様に頼るほかないのです。ですから、こうして恥を忍んで訪ねさせていただきました……」

男性――レオニダスは跪き、臣下の礼を取る。

彼に続き、他の死神たちも同様に跪いた。

ヴィオレタは苛立ちを隠そうともせず、しばらく彼らを睨みつけた|後《のち》に静かに嘆息した。

「一応、要件だけは聞いてあげるわ……」

「感謝致します! ウルバノヴァ様……今、|冥界《オルクス》は〝500年前〟のあのとき以来の危機を迎えています」

〝500年前〟という|単語《キーワード》に、ヴィオレタの夜の闇と光を凝縮したような|灰簾石《タンザナイト》の双眸が大きく見開かれる。

「まだ、これは〝私たち〟の間でしか共有されていない情報です。先日――パウロ陛下が、〝元ヴァルモリア公クロヴィス〟の手によって崩御されました」

「クロヴィスですって!? あの男を外に出したというの……!?」

勢いよく立ち上がったヴィオレタによって、がたりと音を立てて椅子が倒れる。

憎悪の色を纏わせた鋭い視線を受けながら、レオニダスは沈痛な面持ちで言葉を紡いでゆく。

「はい、お隠れになったパウロ前陛下はクロヴィスの力を利用して、自身の権力拡大を目論みました。

地上には500年ぶりに〝|蒼い月《ペイルムーン》〟が出現しました。

|冥界《オルクス》・|天界《カエルム》・|現世《サエクルム》は再び繋がり、パウロ前陛下は冥界が主導する世界を作ろうと……ぐっ!?」

レオニダスは、それ以上言葉を続けることができなかった。

空中に出現した|紫色《ししょく》の光を纏う漆黒の魔法陣――そこから生み出された鎖が彼を縛りあげていたからだ。

「愚かな……。あれだけの犠牲を出しながら、冥王家はあのときから何も変わっていないのね」

「レオニダス様!」

「ウルバノヴァ様! やめてください!

レオニダス様は今の冥界に必要な方なのです! 罰ならば私たちが受けますから!!」

「やめるんだ、お前たち……。この責は私が背負う……!!」

「そんな……」

ヴィオレタへと詰め寄り、懇願する部下たちを、レオニダスは厳格な声音で制止した。

「ぐっ……! め、冥王家と、それを近くで仕えながら止めることのできなかった我々の罪は消えません。

それを承知で、ど、どうかお願い致します。クロヴィスを止めてください。

今、あの男を倒せる死神は……冥界にあなたを除いては、居りません……」

怒りさえも消え去り、氷のように冷たい視線を彼に投げかけるヴィオレタは、右腕を上空へと掲げて、指を一度弾いた。

次の瞬間、鎖は|紫色《ししょく》の光の粒子へと変換され消えてゆき、解放されたレオニダスの身体はその場に崩れ落ちた。

「レオニダス様――!!」

部下たちが肩を支えて起こしたレオニダスは息も絶え絶えで、表情からも血の気が抜け落ちていた。

「いいわ、あの男は私が殺す……。でも、それは世界のためなんかじゃないわ。これは私のけじめだから」

レオニダスの耳朶を打つ彼女の声音は、ひどく寂しげで諦観の色に満ちている。

500年前のあの日から、彼女の〝時〟は止まったままなのだ。

その苦しみと痛みは、どれほどのものだろうか。

少なくとも、今自分の身体を走る痛みなどとは、比べものにもならないだろう。

そして〝彼女たち〟にすべてを押し付けて、その心を踏み|躙《にじ》って|護《まも》られた平和を享受してきた自分たちには、それを|慮《おもんぱか》る資格もないのだ。

レオニダスは、ただ深々と頭を下げることしかできなかった。

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last updateLast Updated : 2025-07-10
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