Chapter: 第218話 強く実感する想いの深さ【杏華side】その言葉は、今の私が何より彼に伝えたい言葉だった。何度も何度も願った想い。口に出来なかったその言葉。応えてもらえなかった過去。結婚しても、目の前にいる私をまったく見てくれなかったときも、私ではない別の女性の元へ冷たく私を見捨てて去っていったあのときも、ホントはずっと願ってた。ただ、私の側にいてほしかった。それだけだった。そんな些細なことでさえ叶わなかったあの頃。だけど、今の彼になら、もしかすれば届くかもしれない。叶わなかったあの頃の想いと共に、そんな願いを受け止めてほしいと、強く願った──。【一弥side】「ただ、ここに……、このまま、側に……いてほしい……」杏華がそう呟いた瞬間、俺の胸は苦しくて押し潰されそうになった。その言葉に杏華のどれほどの想いが隠されているのだろうかと。杏華の切なそうな表情を見て、今までずっとそんなことに気づくことさえも出来ずにいた自分の愚かさを痛感する。もしかしたら今までこの言葉をずっと俺に伝え続けたいと願っていたのかもしれない──。贅沢も我儘も今まで一度だって、自分から望むことも口にすることもなかった杏華。だが、それ以外の些細な望みでさえも決して言葉にすることはなかった。それはきっと今に始まったことじゃない。過去も今も、そんなことを望む訳ではなく、何より『俺に側にいてほしい』と願う。そんな杏華が、今この瞬間俺に素直に伝えてくれたその想いと言葉。俺はその言葉を聞いて、今更だが、どんな願いでも叶えてやりたいとそう心に強く思い、そして、そんな杏華を心から愛しく感じた──。「──あぁ。わかった。どこにも行かない。ずっとお前の側にいるから安心しろ」そう言って、不安そうに見つめる杏華の片手をそっと取り、ギュッと両手で包み込むように握り締める。どうしてか、そんな杏華を見て、俺は切なくて泣きそうになった──。「嬉しい……。ありがとう。一弥さん……」すると、杏華は、ふわっと柔らかく微笑み、ホントに嬉しそうな表情をした。──あぁ、俺はこんな当たり前で些細な簡単なことを、杏華にしてやれていなかったのかと、自分が情けなくて腹が立って仕方がない。出来ることなら今すぐ過去に戻ってやり直したい。杏華が幸せそうにするたびに、俺も幸せな気持ちになると同時に、今までその幸せを与えてやれなかった後悔
Last Updated: 2026-10-30
Chapter: 第217話 ただ、側にいてほしい【一弥side】「おい! どうなんだ! 杏華は大丈夫なのか! 子供に影響はないだろうな! 無事杏華も子供たちも助かるんだよな!」「一弥落ち着け! 大丈夫だ! 杏華さんも子供も心配はない!」「ホントだろうな! こんなにぐったりしているのにホントに大丈夫なんだな !? 日本でも有数の医者のお前が誤診なんてしてみろ! 一生お前を医者の道に戻れないようにしてやるからな!」俺は同級生で昔から仲のいい、うちの家の専属医で日本でも有数の名医でもある友人の羽山恭介を自宅に呼びつけ杏華を緊急で診てもらう。「そう言ってるだろ。杏華さんは連日の緊張と疲れ、それに栄養不足による一時的な貧血と軽い脱水症状だ」「それは杏華は助かるんだよな! お腹の子供の命はどうなるんだ!」「双子の子供も心配はない! 但し今後は絶対に無理をさせるな! 彼女が嫌がってもお前がついているなら絶対無理させないようにしてやれ!」俺が必死に確認すると、恭介は俺を抑え込むように医師としての言葉を力強く返す。「……わかった」「はぁ~一弥。心配するのはわかるが、とりあえず落ち着け。忙しい中、俺をわざわざ自宅に呼びつけるなんてお前くらいだぞ。たまたま今時間が空いてたから良かったものの──」「……わかってる。助かった。杏華や子供に何かあると思ったらどうしていいかわからなくなって──」「ハハッ。あの天下の桐生一弥がそんな弱気になるときが来るなんてな。しかも、あんなに冷たくしていた別れた奥さんに対して、今じゃこんな溺愛しているとか、昔のお前からは信じられないよ」「溺愛……? あぁ……今の俺はそういうやつになるのか──」俺の部屋のベッドで寝かせ、静かに今は眠っている杏華を見つめながら呟く。「いや、それ以外ないだろ……」「そうか。こういうやつが溺愛ってやつか──。ハハ。案外悪くないな──」「えっ? お前マジ血でも入れ替わった? 別人
Last Updated: 2026-10-29
Chapter: 第216話 予期せぬ不調【杏華side】「杏華さん! おはようございます! 今日も一緒ですごく嬉しいです! またよろしくお願いします!」彼との甘い朝食の時間を過ごしたあと、レイくんとの二日目の現場にやってきた。レイくんは今日も子犬のように可愛い笑顔で尻尾を振って可愛く挨拶してくる。「こちらこそ。今日もよろしくお願いしますね」そして私も笑顔でそんな彼に応える。それから衣装に着替え、スタッフさんから今日のテーマの撮影の説明を受け、撮影が始まる。今日はレイくんの次の仕事が控えている夕方までに、三本の撮影をこなさなければならないスケジュール。だけどそんなときに限ってカメラや機材の調子が悪かったり、運ばれてくる衣装が渋滞に巻き込まれてまだ届いてなかったりと、ちょっとしたアクシデントがいくつか重なってしまう。機材のアクシデントを待つ間に熱い照明の中、季節外れの衣装を着込み、ただ待機する時間や、いざというときのために、今ある衣装でとりあえず数だけこなす撮影を続けていく。いつも以上に時間と勝負のような状況が一日中続き、忙しさと疲れで、私はお昼を食べることも出来なかった。唯一救われたのは、一緒に撮影しているレイくんが、そんな状況でも一緒に過ごしてくれ明るくその場を盛り上げて癒してくれたことで、私はその疲れを大きく感じることもなく、なんとか撮影を続けることが出来ていた。だけど、そんな時だった。三本目の撮影をしているとき、照明が眩しく感じ、少し眩暈を感じたような感覚に襲われ、ふらっとしてしまう。「杏華さん? 大丈夫ですか?」少し足元がおぼつかなくなったことに、隣にいたレイくんが気づき声をかけてくれる。「あっ、うん。大丈夫。ちょっと照明が眩しく感じちゃっただけ」「照明、ですか?」レイくんは少し不思議そうに反応する。そしてしばらくすると、目の前が少し霞んでくる。あれ、おかしいな。
Last Updated: 2026-10-28
Chapter: 第215話 一緒に感じていく幸せ「必ず俺がどんなことがあっても、これからは命懸けで、全力でお前を守る──」抱き締めながら呟くその彼の声が、少し震えながら少し切なそうに、そしてそれと同時に力強くその言葉を噛み締めるように、私の心に直接届く。彼の抱き締めるその腕から、一ミリの隙間もなく私の体に触れ耳元で囁くその声から、彼の後悔する想いや、これからの決意を感じられて、私の胸はいっぱいになる。「杏華。これからは、どんな小さな些細なことでも一緒の時間をわかち合おう。俺たちが今まで築いてこれなかった当たり前の幸せを、これからは一緒に感じていくんだ──。俺はこれからお前のためになら、どんなことだってする。お前を守るためなら、俺は自分を犠牲にしても構わない。お前を幸せにするために、俺はすべてをお前に捧げる──」彼は、私を見つめながら優しく力強くそんな誓いを告げてくれた──。「一弥さん……」ここまで伝えてくれる彼の言葉に、私はもう迷いも疑いも感じることはなかった。どんなときよりも伝わってくる彼の想いが、胸に響いて苦しくなってしまうほど──。「ありがとう……一弥さん……。……私も、一弥さんとこれから当たり前の幸せをいっぱいいっぱい感じていきたい。あなたがここにいてくれる喜びを、一緒にいられる幸せを、これからずっとずっと大切にしていきたい──」「あぁ──。嫌というほど感じさせてやる。今まで味わえなかった分、その時間以上の喜びと幸せを、これからは一緒に感じていこう──」「──うん」眩しいほど優しく微笑む彼に、私の心は陽だまりのように温かくなり心いっぱい満たされる。「フッ。すっかり朝食が冷めてしまったな」彼は抱き締めていた腕をそっと離し、私の肩にポンッと手を置きながら呟く。「あっ、ごめんなさい──! 私が余計なことをしてしまったばっかりに──!」私は焦って彼にそう伝えると、そんな私を見て今度は私の両肩に手を置きながら、私に視線を合わし、しゃがみながら目の前からじっと彼が見つめる。「いや。これからは辛いことや悲しいことがあれば、そうやって
Last Updated: 2026-10-27
Chapter: 第214話 気づいてもらえた苦しみあぁ……どうして私はいつもこうなんだろう。こうやって私は今まで彼をずっと困らせてしまっていたのかもしれない。だけど、今まではホントはずっと我慢して堪えていた。どんなに辛くて寂しくて悲しい理不尽なことがあっても、私は彼と結婚していたときは、一度も彼の前では泣いたことはなかった──。だけど……、彼が私に優しくしてくれるたび、嬉しい言葉をかけてくれるたび、私はこうやって堪えきれず想いが溢れて涙を流してしまう。辛いことはどれだけでも耐えられたのに、幸せなことは、ほんの些細なことでも耐えられなくなってしまう。それほど私はこんな幸せも喜びも今まで一度も経験したことがなかったから──。どうしよう。彼を困らせるとわかってるのに、涙が止まらない。さっきは幸せで涙が溢れていたのに、今はこんな自分が情けなくて涙を止めることが出来なかった。黙って席を立った彼の顔が、そのときどんな表情をしていたのか、私は怖くてそれ以上彼を見ることが出来なかった。私は涙を流しながら、そのまま俯いて必死に涙を堪えようとしていると──。後ろから、ギュッと彼に抱き締められた──。「──杏華。すまない……」「……え。一弥……さん……?」私は何が起きているのかわからないまま、言葉を返す。「俺が……不甲斐なかったばっかりに、今までお前にはこんな当たり前の幸せもしてやれなかった……。ホントに俺は、大バカ者だ……」私を抱き締めながら、彼は絞り出すような声で、辛そうに呟く。私は、そんな彼の言葉とぬくもりに驚きつつも、また嬉しくて涙が溢れてしまう。すると、俯いていた私の頬に流れた涙を、一弥さんが指でそっと拭う。それに気づいて顔を上げると、至近距離で一弥さんが横から私の顔を覗き込んでいた。お互いの顔が、数センチほどしか離れていないその距離で、心配そうに見つめる彼に、また私の心臓は激しく高鳴る。「杏華……。お前は、これほど、どれだけ寂しい想いをして、辛い想いをしていたん
Last Updated: 2026-10-26
Chapter: 第213話 生まれて初めてえ……、今ので彼はそんな不安に感じたってこと……?最近の彼は、私への想いが確かめられないとき、こんなふうに子犬のように寂しそうな目をして私を見つめてくるようになった。番犬のドーベル犬のように強くたくましい彼が、私の前ではこんな子犬のようになるなんて……。こんなふうにさせてるのは私なのかと思うと、すぐにでもその気持ちに応えたいとそう思ってしまう。「そんなの……、楽しみにしていたに決まってるじゃない……。私もなかなか眠れなくて、今朝も予定よりすごく早く起きちゃって、待ちきれなかったんだから……」私は少し照れくさくて、彼から視線を少しはずし、モジモジとしながら伝える。その瞬間。「ハハッ。そうか──! 杏華も待ちきれなかったのか! そうか、お前も楽しみにしてたんだな! そうだよ! この朝食は俺たちにとって特別だもんな──!」今度はまたいつもの自信満々な彼に逆戻りして、嬉しそうに微笑む彼。「そうね。私たちにとっては、特別な時間ですもの。──こんなにも楽しみな朝を迎えたのは生まれて初めてよ」嬉しそうな彼を見て、私も自然とその嬉しさを言葉にして伝える。「──そうだな。俺も、次の日の朝が来るのが、こんなに眠れなくなるほど楽しみだったのは生まれて初めてだ──」一弥さんが、その言葉を噛み締めるように言いながら、私に優しく笑いかけた。「じゃあ、さっそくいただこうか」「うん。いただきます」「──いただきます」私は目の前に並んだ豪華すぎる朝食にうっとりして目移りしてしまい、どれから食べようか思わず迷ってしまう。「──どうした。食べないのか」「あっ、こんなに豪華で美味しそうな朝食生まれて初めてで……。どれも美しくて美味しそうで、つい迷ってしまって」「──可愛いな」「えっ!?」すると一弥さんが、私を優しく見つめながら、そんな言葉を静かに呟き、彼から生まれて初めて聞くその言葉に、私は驚いて顔を上げる。
Last Updated: 2026-10-25
Chapter: 385.望んでいた幸せ⑧「ここのトマト……。食べてみない?」「え……?」「ここの店で出してる野菜。すごく新鮮でウマい野菜農家さんと提携してるんだ。だから、ここのトマト、すげぇ甘くて、ホントに果物みたいだから。だから、きっと母さんも、食べられると思う」慧さん、お母さんって呼んだ……。あたしの前では、ずっと”あの人”だったお母さん。それはずっと慧さんのその時の気持ちの現れで。だけど、慧さんの中でそれを言葉にしたということは……。うん。慧さんの中では、きっと女将さんが慧さんにしてきたことよりも、お母さんとして今改めて向き合うことの方が今は重要で難しいことだっただけなのかもしれない。だからといって、眠れなくなるほど傷ついて、大きな闇になっていたのも確かで。ここまでの気持ちになるまでは、慧さんの中で相当大きな決断だったのだと思う。だけど、あたしが女将さんの過去を伝えた時、今までの慧さんとの反応が違っていたから……。もしかしたら、その時慧さんはわかろうとしてくれたのかもしれない。ちゃんとあたしの言葉に耳を傾けて、考えて。そして自分の気持ちと向き合って、決心して。慧さんの中で、いつの間にか、あたしに対しても、女将さんに対しても、信じようとしてくれたのかもしれない。うん。きっと、あたしの言葉は届いていた……。「えぇ……。じゃあ食べてみるわ……。あなたがそれだけ美味しいと絶賛してるなら、あたしも食べてみたいわ……」女将さんも今度は嬉し涙だろうか。嬉しそうに涙を拭い、慧さんに言葉を返す。この空間と、この瞬間に、なんだか目に見えない乗り越えた何かを感じた気がした。そしていくつか慧さんがおすすめを注文してくれた中に運ばれてきたトマト料理。トマトの味をダイレクトに感じられるサラダの中にある生のトマトを口にして、慧さんの言っていた通り、とてもそれは甘いトマトで。「うわ~ホントに甘い! あたしこんなの食べたことないです!」そ
Last Updated: 2026-10-05
Chapter: 384.望んでいた幸せ⑦「てか、なんも頼んでないじゃん。なんか頼むか」少し経つと慧さんが口を開いてメニューを開き始めた。「はい」隣であたしも微笑みながら答える。「依那。何がいい?」「慧さんの “おすすめ”がいいです」「おすすめ?」「はい。このお店の慧さんのおすすめ知りたいです」「あぁ、オレのおすすめ……かぁ。うん、わかった」そう言って慧さんはメニューから選び始める。「トマト……。まだ食べられないの……?」慧さんがその言葉と共に視線を動かした先は女将さん。「えっ……? そんなこと覚えてるの……?」慧さんが女将さんに尋ねると、女将さんが驚いた反応を示す。「そりゃ、忘れないよ……。自分はトマト苦手なのに、トマト好きなオレにはいつもトマト料理作ってくれてたの……嬉しかったから……」「慧……。そんなことまで……」慧さんのその言葉にまた女将さんは目を潤ませる。そっか、女将さん、料理上手だもんな。昔から女将さんはそんな風に慧さんを喜ばせてあげてたんだ……。自分が好きじゃないのに慧さんのためにわざわざ作ってあげてただなんて……。もちろん女将さんが料理が得意ということもあるけれど、でもそれだけでは決してそこまでのことは出来ない。それだけ女将さんは慧さんを大切に想っているからこその愛情の表現だ。慧さん、ちゃんとそれわかってたってことなんだ……。そしてそれを今こうやって言葉で伝えているということが、とても意味あることで。
Last Updated: 2026-10-04
Chapter: 383.望んでいた幸せ⑥すると、遠くの方からこちらに歩いてくる女将さんが見える。「あっ、女将さん!」あたしは女将さんに笑顔で手を振る。「依那ちゃん」あたしを見つけてフワッと笑う女将さん。そして、ここまで辿り着くと、少し女将さんも緊張した表情に変わる。そんな女将さんの視線はもちろん慧さん。「今日は、お招きいただいてありがとう」女将さんは少し様子を伺うように、慧さんに声をかける。「いえ……。こちらこそ。わざわざ来ていただいてありがとうございます……。どうぞ座ってください」「ちょっと慧さん! なんか堅苦しいです!」「えっ……?」「なんかお仕事みたいです」緊張しているのはわかってはいるけど、でもあまりにも二人がガチガチで、会話もなんか仕事っぽくて。こんなんじゃ親子の雰囲気になりそうになくて、あたしはつい慧さんに指摘する。「あ、あぁ。そっか……。いや、でもいきなりはなんか……」「親子なのに?」「いや、それはそうなんだけど……」「よし。今から慧さんは女将さんに敬語はなしにしましょう」「は? いや、でも……」珍しく慧さんがずっと動揺している。だけど……、あたしも引かない!「慧さんが敬語やめないなら、あたし帰ります」「えっ!? はっ!? ちょっ、何言ってんの!?」あたしのいきなりの発言に慧さんが今度は違う動揺をし始める。「あたしが帰るのは嫌ですか?」「そりゃもちろん!」「じゃあ、そうしてくれますよね?」だけど、まだ少し躊躇している慧さん。「――ね!?」あたしはそれでも引かずに隣に座りながら慧さんをじっと見つめて更に念押しする。「あぁ~もうわかった! わかったから!」「フフ。よかった。敬語になったらすぐ帰りますからね♪」よし勝った!あたし
Last Updated: 2026-10-03
Chapter: 382.望んでいた幸せ⑤「いらっしゃい。慧くん」中に入ると、本村さんのお母さんが笑顔で出迎えてくれる。「特等席。ちゃんと用意してあるわよ」「ありがとうございます」慧さんが言葉を返して、またあの素敵な特等席まで移動する。慧さんが女将さんが来るまで少し気持ちを落ち着かせたいのと、この特等席に案内してもらう目的で、女将さんには待ち合わせを少し後にしてもらった。女将さんには入口で名前を伝えてもらうことで特等席に案内してもらえるようになっていると慧さんが教えてくれた。そっか。ちゃんと女将さんも特等席に招待したんだな……。前に慧さんが教えてくれたのは、この特等席は他の一般のお客さんには一切案内してない席だということ。慧さんがこのお店を作る時に、特別に作ったこの場所。秘密の隠れ家のようなこの空間は、慧さんのたくさんの想いが詰まっている。自分が初めてここに来れた時もすごく嬉しかったけど、今女将さんを……お母さんもこの場所に通したということが、前と違う嬉しさが込み上げてくる。慧さんは少しずつ自分から歩み寄っている。自分の人生に大きな影響を与えた人ではあるけれど、だけど慧さんは離れてしまう前は、とてもお母さんが好きだったことはわかるから……。「この席で、二人は会えるんですね」「あぁ……。うん。今日は自分にとって大切だと思ってること、全部伝えておきたいと思って……」「はい。嬉しいです」「もし。依那ともっと前に出会っていたら。依那のお母さんも、この場所に招待したかった」「慧さん……」今の慧さんは余裕なんてないはずなのに、あたしのお母さんのことまで……。「ありがとうございます……。このお店。ホント大好きだったんで、きっとそうなってたら大喜びしてたと思います」「うん……」あぁ、そんな世界が存在がしていたかもしれないと思っただけで胸が温かくなる。決して叶わない現実だけど、でも自分の中でそんな想像が出来ただけで、とても満ちた気
Last Updated: 2026-10-02
Chapter: 381.望んでいた幸せ④「まさか、この店にあの人が来ることになるなんて思ってもみなかった よ」車から降りてお店に向かいながら、慧さんはフッと笑ってそんなことを呟く。「あっ、先に来ちゃってすいません」「いや。依那があの人を連れてきてくれたから、自分もこの店で会おうと決心出来たんだ」「そっか……。なら、よかったです」「自分の中でも確かにいつかそんな日が……なんて、心の中では思っていたような気もするよ」「はい……」女将さんと会う決心をしたからだろうか、いつもより慧さんは素直な言葉を口にする。「あっ、でも、慧さんが関わった初めてのお店とか、本村さんのご両親だとか詳しいことは一切伝えてません」「そっか。うん。わかった。じゃあ、それはちゃんとオレの口から伝えるよ」「はい」「でも。柾弥んとこの叔父さんと叔母さんには伝えてあるんだ。今日会うのが母親だってこと」「そうなんですね!」「やっぱりずっと世話になってた人たちだから。母親には絶対伝えなきゃいけないことだし、二人もずっと心配してくれてたから……」「そうですよね」「オレはまだどうしていいかわからないのに、あの二人はすでに喜んでくれてさ。あの人の詳しい話、まだ何もしてはいないんだけど、それを聞かずにあんなに喜んでくれたのがさ。あぁそれだけ心配してくれてたんだなって、ホントに胸が熱くなったよ」「素敵な方たちですね」「ホントに……。あの二人のおかげでどれだけ救われてきたか……。うん。ちゃんとそれをあの人にも伝えなきゃいけないから」慧さんのその表情と話し方で、どれだけ大きい存在だったのか、わかった気がした。そしてお店の前に着くと、慧さんは一度ドアを開ける前に立ち止まる。やっぱりまだ緊張しているのかも……。「慧さん。深呼吸しましょう」「えっ?」「はい。スー。ハー」あたしは手を広げたり閉じたりして、一人深呼吸を始める。「はい。慧さ
Last Updated: 2026-10-01
Chapter: 380.望んでいた幸せ③「依那。今日はありがとな」「こちらこそ。あたしも一緒に連れてきてくれてありがとうございます」今日は慧さんと女将さんが親子として改めて顔を合わせる日。大将のお店との仕事が始まる前に少しでも今の複雑な気持ちを解消しておきたいと、慧さんが早めに仕事を調整して時間を作ってくれた。そして待ち合わせをしているお店は、もちろんこの前と同じ店の慧さんが初めてプロデュースした本村さんのご両親のお店。女将さんに前に会った時に、あの店でとは事前に伝えはしていたけれど、実はあれはただのあたしの願望で。絶対あのお店で会ってほしかったから、慧さんにあのお店で会いたいということを伝えようと思っていた。だけど、この話になった時、あたしが伝える前に、慧さんがその店でと言ってくれた。それだけであたしはもうすでに胸がいっぱいになって。慧さんの初めてプロデュースしたお店でお母さんと会うということは、きっと慧さんの中で何かを決心したからなのだと思う。きっとホントに憎んでいたりしたら、そんな大切な場所で絶対会おうだなんて思わないはず。きっと慧さんはその場所で会いたかった。きっとそういうことだと思う。「依那がいなきゃ意味ないよ。まだオレ一人だけじゃどうしていいかわからなくなる」「はい。あたしがついてるので大丈夫です!」店に向かう車の中、あたしは助手席から慧さんに元気よく伝える。あたしはいつも通りあたしでいないと。慧さんはきっとまだ複雑な想いのままいるはず。きっとその気持ちは、慧さん次第で上がりも下がりもする。不安に感じるとそっちに持っていかれてしまう。だけど今日はそういう気持ちはすべて過去に置いてきてほしくて。とにかく明るく前向きになれるように。慧さんがこの状況を自然に受け入れやすくなるように。あたしは一切不安を持つことなく、何があったとしても今の慧さんのすべてを丸ごと包み込んであげられるくらいの自分として隣でいられ
Last Updated: 2026-09-30