author-banner
壽倉雅
壽倉雅
Author

Novels by 壽倉雅

お前だけを愛したい〜契約結婚から始まる最後の恋〜

お前だけを愛したい〜契約結婚から始まる最後の恋〜

株式会社『KSインターナショナル』の社長の継子である北城彩花は、ひそかに片想いをしていた異母兄・拓也の結婚式に出席するという、複雑な20歳の誕生日を迎えていた。 彩花は、「お前のその気持ち悪い感情も、全部忘れろ」と、拓也から口止め料として真珠のネックレス渡され、家族とは縁を切ることを決意する。 その晩、1人で繁華街で自暴自棄になって飲んでいた彩花は、路地裏で暴力を振るわれていたホームレスを助ける。「何か、お礼を……」と言うホームレスに対して、彩花は「じゃあ、私を抱いてください」と言い放つ。
Read
Chapter: 第28話
 余命宣告の件を伝えてからというもの、彩花はさくらと健太に支えながら、何とか日々の業務に従事していた。 体調は日に日に悪化していく一方だったが、それでも彩花は仕事をしている間こそが自分らしくいられると思い、少しの体の不調で休みたくはないと思っていた。彩花の中では、むしろここで音を上げると、自分自身に負けることを意味すると考えていた。「彩花、大丈夫?」 さくらが声をかけてきた。「うん。これぐらいなら、何とかね」 ずっとパソコンの画面を見続けていると、時折めまいや立ち眩みが酷くなる時がある。しかし、パソコンの画面も見れないようでは仕事にはならなかったので、彩花は視界がぼやけると一旦目を閉じて、少しの休憩を取るようにしていた。「中間報告書の書類、俺が作ろうか?」 健太が名乗りを上げてきた。彩花は、隼人を始め『神宮寺ホールディングス』の役員たちに、出資を経てから現在までの中間報告をまとめた報告書を作成している最中だった。細かい数字や報告内容を考えると、それだけで大きな負担になっていた。「もう少しで終わるから、大丈夫」 少し息が荒くなっていたが、彩花は何とか笑ってごまかした。「中間報告会、私が代わりに行ってこようか?」「さくら……」「今の彩花には、中間報告会でプレゼンするのは負担が大きすぎる。かえって、向こうの人たちに余計な心配かけさせるだけだよ」「そうだよね……」「体調不良のため欠席、急遽私が代役で報告をするってことで、当日向こうの人に話せば分かってもらえるでしょ。それに、神宮寺社長だって出席するんだから」 彩花は黙ってしまった。建前上『ビジネスとしての付き合い』と言って、隼人の婚約者のフリを断ってからというもの、ほとんど連絡は取っていない。それは、仕事に関してもそうだった。また、どこかで自分の病気のことを隼人に気づかれてしまうのではないかという怖さもあった。「あの社長のことよ。彩花が体調不良だなんて聞いたら、顔色変えてお見舞いに来るかもしれないよ」 苦笑してさくらは言ったが、健太は怪訝な顔になる。「いや、その神宮寺社長も今は難しい立場にいるかもよ」 ビジネスに関する時事的な出来事に過敏な健太は、噂レベルではあるものの、隼人の両親が行おうとしている新規事業のことを把握していた。「じゃあ、共同で事業をスタートさせたら、そのもう一つの会
Last Updated: 2026-09-20
Chapter: 第27話
 ひなたとの小さな諍いがあったその日、隼人は何とか平常心を保ちながら、一日の業務を終えようとしていた。「失礼します」 ドアのノック音がして、千晴が入ってきた。「社長、明日のスケジュールの確認です」 千晴がタブレットを見せてきた。明日のスケジュールも、びっしりと埋め尽くされている。「明日も、ミーティング続きだな」「ええ」「それにしても、よくここまで無駄のないスケジュールが組めるな」 千晴が作成したスケジュールは、移動時間を含めた綿密なものだった。車での移動時間、しかも交通状況も加味したうえで作成したもののため、一つの会議が終わって、その次の会議へ移動する時も遅刻しないようになっていた。「これでも、結構考えてるんですよ。いかに、社長の時間を無駄にしないかと」「そうか……」「……社長。今朝の件、まだ気にしていらっしゃるんですか?」 思わず隼人は、千晴を見た。「社長が考えていらっしゃることは、何となく分かります。結婚のこと、焦っていらっしゃるのでしょう」 隼人は千晴に何も言い返せなかった。「しかし、こういうことは焦るほど良いことはないと思いますよ」「……お前は、誰と結婚することが良いと思う?」 隼人はふと尋ねた。すると千晴はタブレットの画面を切り、「その中に、私は含まれていませんか?」「その考えは、なかったな」 苦笑して隼人が答えた。隼人の中で、千晴は仕事において重要な存在であることは確かだったが、結婚について考えたことはなかった。「あの頃から、お前は俺のビジネスにおいて欠かせない存在だった。それに嘘はない」 ふと千晴を傷つけてしまったのではないかと思い、隼人は何とかフォローした。「ありがとうございます。社長にそう言っていただけて、十分です」 だが千晴の顔はわずかに寂しい表情をしていることを、隼人は見逃さなかった。「悪い。不快にさせたなら、謝る」「いえ、良いんです。私はこの五年、社長の苦労を見てきました。今でもこうして、社長のもとで働けること自体、ありがたいと思わなければ」 共に一から事業を立ち上げた時のことを、隼人は思い出した。小さい事務所だったが、それでも千晴が一生懸命に働いてくれて、自分をフォローしてくれていたことは、今でもはっきりと覚えている。「私が秘書の立場でこんなこと言うのはなんですが、社長には幸せになって
Last Updated: 2026-09-19
Chapter: 第26話
「私、そんな結婚許さないからね」 甲高い声で詰め寄るひなたを、隼人は半ば呆れ顔で見ていた。「お前、どこでそんな情報知ったんだよ」「園崎麗菜がイメージキャラクターを務める新規事業は、隼人兄ちゃんの両親と、うちのパパがやり始めようとしてることなんだよ。私にだって、いろんな情報入ってくるの」 自分たち親子とは違い、ひなたが父親と良好な関係を築いていることにも、隼人は腹を立てていた。「言っとくけど、隼人兄ちゃんの結婚相手にふさわしいのは、私だからね」「は?」 隼人はひなたを睨みつけたが、それでもひなたは続けていく。「だってそうでしょ。園崎麗菜っていうのは、たかがイメージキャラクターじゃない。契約期間が過ぎれば、また違うタレントを起用する可能性だってある。でも、事業をずっと続けていくんだったら、付き合いは半永久的に続くじゃない」 隼人は動じなかった。どっしりと、そのままソファーに深く座り込んで足を組むと、ひなたの反応を楽しむように覗き込む。「だが、その事業だって必ずしも上手く行くとは限らないだろ」「え……?」 ひなたは動揺するように、隼人のほうを慌てて振り向いた。「それ、どういうこと?」「お前、忘れたわけじゃないだろ。五年前、うちの会社で起きたこと」 五年前の神宮寺家のお家騒動は、当然ひなたも周知の事実だった。「まあ、それは……」「あの時だって、親父たちは俺を追い出して、意気揚々と南米への事業拡大に着手しやがった。だが、一年も過ぎればその事業が明らかに失敗だってことは明白だったんだ。今回だって、五年前の二の舞を踏むことだってある。いくらお前の父親と手を組んだ事業とはいえ、それが必ず成功するとは限らないだろ」「でも……」「事業に失敗して、お互いの親同士の中が険悪になったら、どうする? お前、耐えられるか?」 ひなたがビジネスの世界の厳しさを知らないことを把握している隼人は、逆
Last Updated: 2026-09-18
Chapter: 第25話
一週間後のある晩、『神宮寺ホールディングス』の裏口に一台のワンボックスカーが駐車された。後部座席のドアから降りてきたのは、つい先ほどまで出演中のドラマの撮影を終えたばかりの麗菜だった。運転席からは、マネージャーの野崎が降りて来た。 「園崎様、お待ちしておりました。こちらへ」 迎えのために待っていた千晴が対応し、そのまま麗菜と野崎が中へ入っていく。 「さすがは『神宮寺ホールディングス』さんですね。本社ビルも立派な造りで」 何とか会話をしようと、野崎が千晴に声をかけて来た。 「ありがとうございます。先日連絡しましたように、本日社長とお会いになるのは一時間しか時間が作れませんので、ご了承ください」 「ええ。麗菜も、明朝からまたドラマの撮影が入っておりますので、長居できないのはお互い様ということで」 「周囲の目もありましたので、裏口に停めていただくことになり申し訳ありませんでした。しかしこれも、社長のお考えがあってのことです」 「当然ですよ。堂々と表から入って、週刊誌にありもしないでまかせな記事を書かれては、麗菜のイメージダウンですからね」 隼人のいる社長室に向かう間、千晴と野崎が会話をするだけで、一緒に歩いている麗菜はただスマホを触るだけで、一言も発さなかった。 ――一言ぐらい、何か言えば良いのに。 普段テレビで見ている明るいイメージとは違っていただけに、千晴にとっては、麗菜の第一印象は良いものではなかった。 社長室の応接用のソファーで、隼人は落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしていた。 ――一時間……一時間で終わる。 とにかく隼人は、麗菜との対面を早く終わらせたかった。 ノック音がして、麗菜と野崎を従えた千晴がやってきたのは、その時だった。 「社長。園崎麗菜様が、お越しになりました」 「初めまして神宮寺社長。麗菜のマネージャーをしております、野崎と申します」 どっしりとした体形で、今にもボタンが取れそうなカッターシャツを着ている野崎が、先に名刺を渡してきた。 「神宮寺だ」 隼人は立ち上がると一言、野崎に呟いた。ふと麗菜を見るが、一向にこちらと目を合わせる様子がなく、隼人は訝しい顔になった。 「二人だけで話がしたい。席を外してくれ」 「承知しました」 「かしこまりました、ではごゆっく
Last Updated: 2026-09-17
Chapter: 第24話
 体全体を襲う鈍痛に何とか耐えながら、彩花は翌朝一番に出社した。 いつものように自分のデスクに座るのがやっとで、とてもパソコンの画面をずっと見ていられる余裕はなかった。 しかし彩花は、これから自分の病気とどう向き合うかを、昨晩から一人で考えていた。「おはよう」「おはよう」 さくらと健太が出社してきたのは、ちょうどその時だった。「あのさ、二人に話があるんだけど」 さくらと健太が訝しそうな顔をする。「ちょっと、座って」 彩花が促すと、さくらと健太は横並びで応接用のソファーに座った。彩花もやっと重い腰を上げて、向き合うようにソファーに座る。「彩花、どうしたの?」 体調が芳しくないことは、誰がどう見ても一目瞭然で、さくらが不安そうな顔で見てきた。「実は、二人に大事な話があるの」 少しの沈黙が社内に流れたが、彩花は話を続ける。「前に私、健康診断受けたでしょ。その時の結果なんだけどさ、私、本当は全然大丈夫じゃなかったの」「は、どういうこと?」「だって、問題ないって言ったじゃないか……」「ごめん。あれは、二人に心配させたくなくて、病気のこと隠してたの」「ねえ彩花。今日の彩花、顔色悪いよ。もしかして、病気って深刻なの?」「……末期の胃癌」 さくらと健太は、放心状態のように固まったままである。「病院の先生の話じゃ、余命半年だって」 返す言葉も見当たらず、さくらと健太はお互いの顔を見合いながら、何とか次に発する言葉を考えようとしている。「これ以上隠したら、余計に二人に迷惑かけちゃうでしょ。だったら前もって、私の病気のことは、さくらと健太にはちゃんと話さなきゃいけないって思ったの」「……助からないの?」 ようやくさくらが口を開いた。「若いから進行が早くてね、きっと体調が悪いのは、どこかに転移
Last Updated: 2026-09-16
Chapter: 第23話
「どうしても、会わなきゃいけないのか」 出社して社長室に入った隼人は、一緒に入ってきた千晴に尋ねた。「どういう思惑が先方にあるか分かりませんが、まずは向こうの出方を確認したほうがよろしいかと」「初めから、しっかりとこっちの考えも伝えておく必要があるな。ダラダラと親父の流れに巻き込まれたら、取り返しのつかないことになる」「そうですね……」 するとノック音がした瞬間に、雅人が険しい顔で入ってきた。「どうした?」「千晴さんから、園崎麗菜の件を聞いて、兄貴に伝えておいた方が良いと思って」「何かあったのか?」「今朝、親父たちが話してるの聞いちゃったんだよ」 雅人の話では、園崎麗菜が隼人との面会を希望しているのは、両親からの指示だと言う。「会長自ら社長と話し合っても埒が明かないと思ったのでしょう。それで、麗菜さんを直接社長の元に送り込もうという魂胆でしょう」 千晴が冷静に言うと、雅人も険しい顔をしてソファーに深く座り込んだ。「親父たちも随分なやり方するよな。我が親ながら、会社や世間のためなら家族を巻き込むなんて、なかなかの外道だなって思うよ」「まずは、会うしかないだろ。ここで変にこっちが弱腰になったり、面会を拒絶するようなことになったら、それこそ親父の思う壺だ」 両親の人間性を知り尽くしているだけに、隼人は今後の動きについて深く考え始めた。「直近で、時間取れる日はあるか?」 千晴はタブレットの画面を開いて、隼人のスケジュールを確認する。多忙を極める隼人のスケジュールは、終日びっしりと埋め尽くされている。「ゆっくり時間を取ることを考えると、来週になるかと思います」「分かった。向こうの予定も確認して、時間作ってくれ。ただ、あまりダラダラと話したくもないから、一時間で十分だ」「承知しました。では、そのように連絡しておきます」 隼人と雅人に一礼し、千晴は去っていった。「さすが、兄貴が認めてるだけあるね。相変
Last Updated: 2026-09-15
私と先輩のキス日和

私と先輩のキス日和

10年ぶりの再会から始まる小説家の先輩と編集者の後輩によるガールズラブーー出版社で小説担当の編集者をしている山辺梢は、恋愛小説家・三田村理絵の担当を新たにすることになった。公に顔出しをしていないため理絵の顔を知らない梢は、マンション兼事務所となっている理絵のもとを訪れるが、理絵を見た途端に梢は唖然とする。理絵の正体は、10年前に梢のファーストキスの相手であった高校の先輩・村田笑理だったのだ。笑理との10年ぶりの再会により、二人の関係は濃密なものになっていく。
Read
Chapter: 最終章『クリスマスのキス』 その5
マンションに帰宅した梢は、息を切らしながら勢いよくドアを開けた。笑理が玄関まで姿を現して迎えてくれた。「おかえり」「ごめん……笑理……」呼吸を荒くして、梢はその場に崩れ落ちた。「大丈夫。まだあと十分残ってる」梢の目線に合わせるように、笑理は微笑んだ。梢が腕時計を見ると、針は十一時五十分を指していた。「十一時過ぎに、梢が退社したってお父さんから連絡来たの」「そうだったんだ……」「さ、おいで」手を引っ張られ、笑理と共にリビングに来た梢はコートを脱ぎ、マフラーを外した。テーブルには笑理が用意したクリスマス料理が並べられている。「ごめん、ご飯冷めちゃったよね……」「大丈夫、レンチンすれば食べれるから」「あ……」梢が窓に目をやると、カーテン越しに雪が降りだしているのが見えた。「天気予報当たったわ、やっぱり降ってきたね」梢と笑理はカーテンをめくって、外の景色を眺めた。粉雪はどんどん強く降っていく。「外寒かったもん。多分降るだろうと思ったけど」雪を見ていた梢は、笑理からバックハグをされた。「笑理……」「梢。私、今一番幸せだよ。大好きな人とクリスマスを過ごせるんだもん」視線を感じて梢が振り向くと、笑理はじっとこっちを見ていた。お互いに微笑み合うと、そのまま優しく唇を重ね合わせた。「そうだ、笑理。私と高梨部長から、クリスマスプレゼントがあるんだよ」「プレゼント……?」梢は高梨と相談した、『指切りげんまん』映画化の件を伝えた。「え……本当なの?」唖然とする笑理に、梢は大きく頷いた。「うん。笑理、初デートの時に言ってたよね。自分の作品がメディアミックス化されることが夢だって。その夢が叶うんだよ」「ありがとう、梢&hell
Last Updated: 2025-10-26
Chapter: 最終章『クリスマスのキス』 その4
夜の八時を過ぎても梢からの連絡はなく、笑理はソファーでじっと梢の帰宅を待ち続けていた。残業で遅くなることは時々あったが、それでも梢は連絡をくれていただけに、一人の時間は妙に寂しさを倍増させている。このまま一人でイブを過ごすことになるのかと考えると、笑理は横になって思わず溜息が出てしまっていた。真由美たちの手伝いを終えて、梢が文芸部の自分のデスクに戻ったとき、時間は既に十一時を回っていた。「高梨部長、まだいらしたんですか?」文芸部には、高梨が一人残っていた。「執行役員になるまでにも、いろいろ準備とかがあってな」「春からですもんね、いよいよ」残業でやや疲れ切った顔をしていた高梨は、立ち上がると真剣な眼差しとなって、「年明けに、西園寺久子の件で延期になった映画企画のことで、配給会社と打ち合わせをする予定なんだが、三田村理絵先生のデビュー作『指切りげんまん』の映画化を提案しようと思う」梢は驚愕して、口をポカンと開けた。自作のメディアミックス化は笑理にとっても悲願であることは、梢もよく分かっていた。「高梨部長……」「俺と笑理の関係性がバレたら、職権乱用だって言われるかもしれないな。けど、あのデビュー作は本当に素晴らしいものだった。初の映画化になれば、話題にもなるだろう。父親として、あいつにはできるだけのことはしてやりたいんだ」「喜びますよ。笑理の夢だったんです、自分の作品がメディアミックス化されるの」「そうか……。この話、俺と山辺君から、笑理に対してのクリスマスプレゼントってことで本人に伝えてくれないか」梢は笑顔で大きく頷いた。「もちろんです」「執行役員になったら、今以上に忙しくなる。春までに一度、笑理と一緒に飛騨へ行こうと思う」「良いと思います。どんな事情であれ、高梨部長が笑理のお父さんということに変わりはありません。父娘なんですから」「そうだな。さ、笑理と素敵なイブを過ごしてくれ」仕事に追われていた梢は、壁に掛けられている時計を見て血の気が引いた。「え…&h
Last Updated: 2025-10-26
Chapter: 最終章『クリスマスのキス』 その3
クリスマスイブも、梢にとってはいつも通りの朝であった。笑理との朝食を終え、出かける直前には、「夕方会社出るとき、連絡するね」と言って、出勤をした。笑理もそのタイミングを見計らって、クリスマスイブの食事の準備をするようであった。笑理との同棲以降、数日に一度は笑理手作りの弁当持参だった梢は、自分のデスクで弁当箱のふたを開けた。毎回恒例とも言うべき卵焼きに、今日は豚肉の生姜焼きと昨晩の残りであるポテトサラダも入っている。「いただきます」弁当を作っている笑理の顔を思い浮かべながら箸を進めていると、真由美が走ってやってきた。「ねえ、梢。ちょっと良い」「どうしたの?」真由美の話では、『ひかりセブン』編集部のメンバーが数名、流行風邪のために会社を休むことになってしまい、明日の十七時の印刷会社への入稿に間に合わないため、各制作部署から応援をお願いしたいということだった。『ひかりセブン』といえば年明け号から笑理執筆の連載小説も始まる週刊誌でもあり、また高梨からもぜひ行くようにと背中を押されたことで、梢は弁当を早食いした後、『ひかりセブン』編集部へ駆け出して行った。午後になってすぐ、笑理は近所のスーパーへ買い出しに来ていた。野菜の価格高騰に驚きながらもカートを引いていき、カゴに食材を入れていく。『ごめん、もしかしたら遅くなるかも』梢からのLINEが届いたのは、そんな時であった。『了解。仕事ならしょうがないもんね』笑理はすぐに返信すると、再び食材を手にしながら買い物を続けていった。笑理にLINEを送った梢は、真由美の手伝いに追われている。文庫本や単行本といった文章だけが続くものを何ヶ月かに一度制作するのとは違い、週刊誌は事件や事故やスキャンダルなどの記事、有名人のコラムやインタビュー、グラビア、スポンサー広告など様々なコンテンツがカラーページとモノクロページに分かれて二百ページ近くもあるものを毎週制作しなければいけない。編集部は常に上へ下へのてんやわんやで、応援に来ている梢も複数のゲラを確認するのにもバタバタしていた。「ごめんね、梢。急にこんなこと」
Last Updated: 2025-10-26
Chapter: 最終章『クリスマスのキス』 その2
奥飛騨旅行をきっかけに梢との距離が一層縮まったことを、笑理は実感していた。旅行以降、梢との休日デートの回数も情事の回数も日を追うごとに増えていった。今晩もまた体を重ね合わせ、事後の梢は真っ暗な寝室のダブルベッドの中で、笑理に寄り添うように深い眠りについている。自分と付き合い始めてから、梢には何とも言えない色気が出始めたことに笑理は気づき、今もくっつくように眠る梢の寝顔をじっと見つめながら、胸が苦しくなるほどの愛おしい感情を抱いていた。梢の透き通るような肌もまた、笑理の多幸感をあふれさす要素になっている。笑理はふと、先月のパーティーの翌日、父である高梨と会ったときのことを思い出した。マンションから十分ほどの喫茶店に、笑理は父親を呼び寄せた。高梨は笑理を見るなり、梢のことを気にかけてくれていた。「俺がついていながら、申し訳なかった」高梨は頭を下げた。「そのことは、私がついてるから大丈夫。今日は、梢とのことをちゃんと伝えておこうと思って」「いつから、付き合い始めてるんだ?」笑理は正直に、梢が編集者として挨拶に来た時に告白をしてその日から付き合い始めたことも、十年前の卒業式の時に梢にキスをしたことも、梢の誕生日にマンションの合鍵をプレゼントして同棲を始めたことも、全て包み隠さず伝えた。「そうだったのか……」「お父さんに、反対する資格なんてないからね」笑理ははっきりと父親に伝えた。「お父さんが、西園寺久子と不倫関係だったことは知ってる。ちょうどお母さんと離婚したとき、お父さんの不倫相手だったこともね。私、ずっとあの女のこと恨んでた。テレビに映るのも不快でね。とうとう梢にまで、あんなこと……。法律なかったら抹殺してるから」久子のことを考えるほど、その憎悪の念は大きくなっていた。「『ひかり書房』から追放してよ、あの女。次期執行役員になる人なら、それぐらいのことできるでしょ。お父さんだって業界じゃ有名人だもん、今朝のネットニュースに役員就任の記事載ってたよ」高梨は黙って笑理の話を聞いている。「それと、もし梢が私とのこ
Last Updated: 2025-10-26
Chapter: 最終章『クリスマスのキス』 その1
週刊誌の連載小説の準備も着々と進み、梢も笑理も年の瀬に向かってそれぞれの役割を果たすべく奮闘していた。笑理の原稿を確認した梢は、一通り読んだうえで意見をまとめ、再度笑理宛にメールで送っていた。そして笑理は、梢からの意見を確認したうえで原稿を修正した。梢から決定稿として仕上がった原稿をメールで受け取った真由美も高梨も、それぞれ安堵し、梢は笑理の担当編集者として今が一番充実している時期であると思っていた。「君を三田村先生の担当にして正解だったよ。文章だって、楽しんで書いてるっていうのが伝わってくる」「高梨部長もそう思いますか。三田村先生らしいというか、ノリに乗って書いてるのが私にも分かります」笑理を頼むと頭を下げられてから、表向きは三田村先生と呼んでいるものの、高梨が時折父親の顔になっていることに梢は気づいていた。連載期間が長くなるため、笑理には万全の状態で執筆をしてもらいたいと思っていた梢は、帰り道の途中にコンビニへ寄ると糖分接種のためにトリュフチョコレートを購入。帰宅して夕飯を終えると、早速笑理に食べさせた。「笑理、あーんして」笑理はココアがふんだんにまぶしてあるトリュフを口にした。「はい、じゃあ次は梢」お返しに笑理も、梢にチョコを食べさせてくれた。笑理と過ごすこのひと時が、梢にとっても至福の時間である。「このトリュフ、半分食べてよ」笑理がトリュフの半分を口にくわえると、そのまま梢の方を振り向いた。「私が半分食べるの?」尋ねる梢に、笑理は大きく頷いた。梢は笑理の唇にふれないよう、ギリギリのところでトリュフをかじったが、狙ったように笑理が顔を近づけたことで、お互いの唇が触れて、一瞬ではあるものの口移しした状態になってしまった。「もう……」「狙ってやった」意地悪そうに微笑む笑理を見ながらも、梢は内心とても嬉しい瞬間で、口角が上がっていた。「ねえ、梢。今月末のクリスマス、一緒に祝おうね」笑理が提案してきた。二人にとっては、初めて迎えるクリスマスである。笑理は大きく頷いて、「も
Last Updated: 2025-10-26
Chapter: 第十一章『旅行中のキスー後篇ー』 その5
翌朝、房代と朱理に見送られ、梢と笑理は奥飛騨を去っていった。高速バスの中で仮眠をし、二日ぶりにマンションへ戻ってきたときには、日の入りが早くなったこともあり辺りはすっかり薄暗くなっていた。旅行の余韻浸りながら、梢は翌日いつも通りに出社をし、奥飛騨のお土産のクッキーを同僚たちに配った。そこへ高梨も出社してきたのでクッキーを渡すと、何かを悟ったような顔になった高梨から、後でミーティングルームに来るように言われた。「失礼します」しばらくしてミーティングルームに梢が入ってくると、既に高梨が来ていた。「奥飛騨に行ったってことは、全部知ったんじゃないのか?」高梨に唐突に言われたが、梢は冷静に頷いた。「正直、びっくりしました。高梨部長が、笑理のお父さんだったなんて」「娘たちには、今でも申し訳ないことしたと思ってるよ。もちろん、離婚した女房にもな」「西園寺先生とのことも、笑理から聞きました。笑理がやたらと西園寺先生のことを嫌っていた理由も、ようやく分かりました」「あの女とは、とっくに終わった。それだけは言っておく」「笑理、言ってましたよ……」高梨が訝しそうな顔をすると、梢は奥飛騨で笑理が祖母や姉と話した一件を伝えた。「笑理が、そんなこと言ってたのか……」「私にとっても笑理にとっても、今回の奥飛騨の旅行は良い機会になりました。敷居は高いかもしれませんが、必ず笑理と一緒に、いつかお墓参りに行ってあげてください」「ああ……」高梨は小さく頷いた。「こんなことのために呼び出してすまなかったな」と、高梨は申し訳なさそうに出ていこうとすると、立ち止まってもう一度梢のほうを振り向いた。「今更父親面なんかできない俺が言うのもなんだが、笑理のこと、よろしく頼む」深々と頭を下げた上司を見て、梢は優しく微笑んで、「笑理は幸せ者です。家族みんなから祝福されて」「山辺君……」「離婚しても、高梨部長が笑理の父親ということ
Last Updated: 2025-10-25
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status