LOGIN株式会社『KSインターナショナル』の社長の継子である北城彩花は、ひそかに片想いをしていた義兄・拓也の結婚式に出席するという、複雑な20歳の誕生日を迎えていた。 彩花は、「お前のその気持ち悪い感情も、全部忘れろ」と、拓也から口止め料として真珠のネックレス渡され、家族とは縁を切ることを決意する。 その晩、1人で繁華街で自暴自棄になって飲んでいた彩花は、路地裏で暴力を振るわれていたホームレスを助ける。「何か、お礼を……」と言うホームレスに対して、彩花は「じゃあ、私を抱いてください」と言い放つ。
View More「お母さん、お姉ちゃん。やっぱり、行かないといけないよね……」
十年前、亡き母の再婚に伴って、彩花には突然四歳上の兄ができた。血は繋がっていないとは言え、拓也は兄であったが、この十年、彩花は拓也にひたすら秘めた想いを抱いていた。
花柄のレースが施されたネイビーのドレスを着た彩花は、都心にある結婚式場まで何とか重い足を運んだ。会場に向かうタクシーの中で拓也から、
『渡したいものがある』
と、一言メッセージが届いた。一体何をもらうのかという疑問と、片想いをしていた兄を何とか祝わなければという憂鬱な気持ちのまま、気がつけば彩花は、結婚式場の控え室のドアの前に立っていた。
「はい」
ノックをすると、中から聴き慣れた男の声が聞こえた。彩花がドアを開けて入ると、タキシード姿で短髪をワックスで固めた拓也が鏡台の前に座っていた。「結婚、おめでとう」
彩花は心では思ってもいないことを、あえて口にした。
「ああ、ありがとう」
「何、渡したいものがあるって」
一刻も早くこの場から立ち去りたい彩花は、すぐに用件を尋ねた。拓也は何も言わずに彩花の目の前にやってきた。キリッとした目鼻立ちの拓也の顔が近づくと、そのまま大きな真珠がいくつも連なるネックレスをかけられた。ワックスのツンとした匂いが、彩花の鼻の中を刺していく。
彩花が不思議そうに拓也を見つめると、拓也は眉間に深い皺を寄せて、露骨に嫌な顔を彩花に一瞬見せると背を向けた。
「口止め料だ」
「口止め料……?」
彩花は訝しそうに真珠の一つを掴んだ。
「姉のことも、お前のその気持ち悪い感情も、全部忘れろ」
「それ、どういう意味……? 私は……」
彩花が何か言い返す前に、拓也は背を向けて、
「早く出ていけ。誤解されたくないからな」
「何、誤解って……」
これ以上、彩花には反論する気力が起きなかった。仕事で多忙な継父は頼れず、母も双子の姉も亡くなり、頼れる唯一の家族であった拓也から、まさかこんな扱いを受けるなんて。――何でこんな男に、十年も片想いしてきたんだろう。
部屋を出て、披露宴が行われる大広間に向かう彩花の顔は、とてもめでたい場に出席する親族の顔ではなかった。小学生の頃は、面倒を見てくれるたびに、「お兄ちゃんが大好き」なんて言ったものだが、今となってはそれも黒歴史に等しくなっている。義兄への片想いは、拓也自身の言動で一気に儚く散った。
アパレル事業を中心に海外にも展開を見せる株式会社『KSインターナショナル』の御曹司であり専務取締役でもあるだけに、拓也の結婚式は盛大に行われた。だが終始彩花は、感情を失ったような顔で式に参加していた。
その夜は、霧雨が降っていた。
ドレス姿のまま、コンビニで買ったビニール袋を差した彩花は、一人で夜の歌舞伎町を歩いていた。途中、カウンターバーに立ち寄り、マティーニやマルガリータなどのカクテルを何杯も飲んだ。
「お客様、少々飲み過ぎではありませんか?」
鼻の下の黒髭が妙に紳士的に見えるバーテンに、心配そうに声をかけられた。
「いえ、大丈夫です」
少し頭痛はしたが、泥酔になるほどではなかったため、彩花は飲み続けた。飲まずにはいられなかった。
店を出た頃には日付が変わり雨も止んでいたが、繁華街の夜は店や看板の灯りでまだ明るく輝いている。澄んだ大きな瞳で童顔の彩花は、顔全体を真っ赤に染めている。そんな彩花の姿は異様に目立ち、通り過ぎる男たちの目を釘付けにしていく。
「お姉さん、ちょっとどうですか?」
「お姉ちゃん可愛いね。今なら安くしとくよ」
「良い店、紹介しましょうか?」
「一発、どう?」
ホストと思われる男、客引きの男、何となくナンパしてくる男など、周囲にいる男たちが彩花に何のためらいもなく、声をかけていく。そんな男たちを、彩花は拓也と重ねていた。
――彼らは皆、義兄と同じで偽善者だ。
体目当てだったら捨て駒にされ、店で金さえ払えば後は用済みにされる。結局、優しいフリをしているだけで、自身が満足のいく結果になれば、平気で人を裏切り、捨てていく。まさしく、この男たちは義兄と同じだ、と彩花は思いながら、再び夜の街をさまよっていく。
十年間、同じ屋根の下で暮らした義兄の本性に、何故ずっと気づけなかったのだろう。そんな自分が嫌いになり、何より義兄への憎しみが強くなっていく。この感情をどこにぶつけて良いのかと思いながら路地裏に入ると、少し遠くで一人の人影が集団暴行を受けている光景が目に留まった。
「何してるの!」
酒の力、そして義兄への憎悪が募っていたこともあり、思いのほか大きい声で怒鳴った自分自身に彩花は驚いた。集団は慌てて逃げるように、夜の闇へと消えていった。
「大丈夫ですか?」
彩花が側までやってくると、ボロボロの服を着た男が一人しゃがんだままじっとしていた。暴行が原因で服が破れているのではないことは、一目瞭然だった。汗臭さが少し鼻についたが、彩花はそこまで気にならなかった。
「ありがとう……」
か細い声だった。顔はやつれ、目には正気が無いように見える。
「何か、お礼を……」
浮浪者になっても、そういう気持ちがあるのかと、彩花は感心した。
一瞬考えると、彩花は一言、男に言い放った。
「じゃあ、私を抱いてください」
周囲の人々からの説得もあり、彩花は一度隼人と直接会うことを決めた。本人に久方ぶりに会って、どんな話をしたら良いのか、そもそも病気のことを感づかれたりしないかなど、いろんなことを想定してしまっていた。 今はとにかく、隼人と向き合うことで今後のことは、その時の雰囲気や状況で判断しようと彩花は心の中で決めていた。ただ一つ、病気のことだけは決して告知しないことは定まっている。パソコン画面に向かって仕事をしつつも、脳裏は隼人のことでいっぱいであった。「じゃあ、お先に」「ちゃんと話すんだよ」 退社時間になり、さくらと健太は後押しをするように告げると、帰宅していった。一人残った彩花は、そのまま応接用のソファーで横になり、大きく背伸びをした。 約束の十九時半まで一時間半あったが、心の準備がしたかった彩花は、帰り支度をして事務所の灯りを消すと、夜の街へと歩み出していった。 十月もまもなく下旬を迎えると、少し肌寒く感じる涼しい夜になっている。太陽はほぼ沈み、街は建物の光でキラキラと輝いている。 途中、百貨店やジュエリーショップなどが立ち並ぶビルの前を通り過ぎた。頭上の化粧品の看板に大きく映る麗菜の姿が、彩花の目に留まった。化粧や衣装の着こなしから、主役クラスの女優の貫禄が看板からも滲み出ている。 ――この人と神宮寺社長が、結婚するかもしれないってことか。 彩花はしばらく立ち止まって、麗菜の映る看板を見つめていた。それ当時に、彩花の脳裏で、隼人と最初に知り合った五年前のあの夜のことから、出資プレゼンのために突然停止したエレベーターの中で遭遇したこと、プレゼン会議で資料に猛烈なダメ出しをされたこと、婚約者のフリを最初に行ったパーティーのこと、そのパーティーの晩にホテルでちょっとした痴話喧嘩をしたことなど、隼人と時間を共にした様々な出来事が鮮やかに浮かんでは消えていった。 その記憶の中で、ふと社長としてではなく、一人の人間としての弱さを見せる隼人の姿が思い出された。そして、隼人であることを確証した大きな背中の痣もまた、彩花の脳裏に鮮明に蘇る。 傍から見れば完璧な経営者である隼人だが、その裏に持つ弱さや欠点を彩花には見せていた。秘書である千晴の言っていた『初めて本当に心の底から好きになった相手』という言葉は、健太も隼人から聞かされている。そこまで公言する隼人の気持ちを
健太が帰社すると、既に墓参りから彩花は戻ってきていた。さくらと共に、資料を見ながら仕事の相談をしていた。「お帰り。いきなり出かけたから、何事かと思ったじゃん」 さくらがパソコン画面を見ながら言った。「ちょっとお呼び出しがかかってさ……」「誰に?」 怪訝な顔でさくらが見てくると、健太は彩花のほうをじっと見た。「どうしたの、健太?」 彩花が不思議そうに首を傾げると、健太は大きく息を吸って、「神宮寺社長に、呼ばれた」「何で健太が?」 パソコン画面から振り向いたさくらの眉間には深い皺が寄っている。「どうして神宮寺社長が、健太に……」 健太はじっと彩花の顔を見つめ、三十分前の出来事を告げるべきと判断した。「ジュリアンさんのことを、聞かれたんだよ」「え、ジュリアンの?」「どうして神宮寺社長がジュリアンのことを、わざわざ健太に?」「俺じゃないと、いろいろ聞けないと思ったかららしい。さくらを呼んでもどうせ断られると思ったんだって」「私に嫌われてるって自覚、あの人にあるんだ」 露骨にさくらは不機嫌そうな顔になる。「それで健太、神宮寺社長にジュリアンのこと何て話したの?」 彩花が尋ねると、健太は苦笑して、「もちろん、ただの小学校からの同級生としか言わなかったよ。俺が知ってるのは、ジュリアンさんが彩花とさくらの同級生だって情報しか知らないし」「あ、それもそうか」「けど何で、あの人はジュリアンのことを聞いたんだろうね。まさか、ジュリアンに嫉妬でもしてるのかな? 彩花が自分に振り向いてくれないから」 さくらが淡々と愚痴を言うような話口調になった。「あながち、間違ってないかも……」 健太は小声で呟いた。「神宮寺社長、おっしゃってたんだよ。彩花が、本当に心の底から好きになった相手なんだって」「へえ、あの社長でもそんな純粋な青年みたいなこと言うんだ」「あの言葉に嘘はないと思ったよ。彩花、一度神宮寺社長とちゃんと会って話してみたらどう?」「健太……」 彩花は驚くように健太を見つめた。「健太、本気でそんなこと言ってるの? 何も神宮寺社長の肩持つようなこと言わなくても良いじゃん」 飽き飽きしたようにさくらが呟いたが、健太の意志は固かった。「俺はさ、ただ彩花にはこれからも幸せでいてほしいって思うから。だって、神宮寺社長のこと好きなんで
「お電話ありがとうございます、合同会社ALIVEです。はい、あ、はい……」 昼休みに彩花が双子の姉の墓参りに出かけた同じ頃、会社の固定電話にかかってきた着信に出たのは健太だった。受話器から聞こえてくる男性の声に、健太の声が曇った。「ただいま」 下のコンビニで昼食の弁当を買ってきたさくらが戻ってきた。「はい、では後ほど。失礼します」 さくらが帰ってくると、健太は相手の用件を聞いてすぐに受話器を戻した。「ちょっと出かけてくる」 さくらに尋ねる隙も与えず、健太は最低限の荷物を持って飛び出していった。 健太は駅前にある大きなホテルのロビーへやってきた。周囲を見渡すと、一階奥のカフェスペースでコーヒーを飲んでいる男性の姿を見かけた。「お待たせしました」 健太は、その男性のもとへ歩み寄り、声をかけた。隼人だった。「申し訳ない、いきなり呼び出して」「いえ……」 健太が隼人と直接会うことは、これが初めてだった。最初の出資のプレゼン以降、隼人と直接会ってやりとりをしていたのは彩花で、中間報告会はさくらが担当した。自分と接点が全くなかった隼人が突然自分を呼びつけたことに、健太は疑念を抱いていた。 接客してきたウェイトレスにコーヒーを頼むと、単刀直入に健太は、「あの、僕に聞きたいことと言うのは? 正直、いきなり神宮寺社長から彩花でもさくらでもなく、僕に会って聞きたいことがあると言われて驚きました」 深々と椅子に座って足を組む隼人の姿を見て、これが大きな会社のトップに立つ人間の風格なのかとさえ思えてならなかった。隼人はたった四歳上なのに、落ち着いてもう少し上にも見えた。これまでホームページや雑誌に掲載された写真でしか見たことがない隼人。そんな人が自分にどんな用件で呼びつけてきたのだろうかと、まじまじと見つめてる。「どうした?」「え?」「そんなに俺のこと、気になるか?」「あ、いえ……」 彩花やさくらから、間接的に隼人のことはいろいろと聞いてきた。それだけに、つい先入観を持って、警戒する気持ちで隼人を見てしまう。「彩花と仲良くしてる、ハーフの青年のこと知ってるか?」 ジュリアンのことだと、健太はすぐに分かった。「ええ」「どういう関係だ?」「……小学校の同級生だと聞いています。彩花もさくらも、それから亡くなった彩花の双子のお姉さんとも仲が良か
月命日であるその日、彩花は亡き双子の姉である唯花の墓参りに来ていた。墓石の前でじっと座り込んだ彩花は、墓の下で眠る唯花に向かって話しかけている。「待っててね、唯花。私ももう少しで、そっちに行くから」 日を追うごとに感じる死期とその覚悟は、彩花の中で強くなっている。これまで嫌というほどの経験をしてきた中で、今ようやくさくらや健太と共にビジネスを行う幸せを掴んでいる彩花だったが、やはり自分が死ぬことを考えると、怖い気持ちも抱いている。「この十年、ずっと寂しかったよね……。いくらお母さんがいるって言ってもさ……」 北城家の墓の下には、唯花だけでなく、小学校の時に亡くなった母も眠っている。血を分けた母と妹が亡くなった今、北城家には血の繋がらない他人しかいないことを、彩花は改めて感じていた。義兄である拓也の冷酷さ、その妻である天音の自分勝手さ。考えるだけでも腹が立ってくる。 隼人や健太からは、拓也が実質的な経営を握ってから業績不振になっている話を聞いてはいるが、継父はどう考えているのかさえ気になって仕方がなかった。このまま拓也に経営を任せることが、本当に『KSインターナショナル』にとって良いことなのだろうか。小さな会社とはいえ自分も会社を経営しているだけに、継父の気持ちが知りたいと思った。 だが余命宣告の話すら家族には打ち明けておらず、五年前から家族との縁を切った彩花には、もう戻る実家はないと感じていた。このまま自分と心が通い合っている人間たちに見送ってもらったほうが、どれほど幸せだろう。家族に見送られても嬉しくはない。ここ数日、彩花はそんな気持ちになっていた。「彩花」 その声を聞いて、彩花は振り返った。「ジュリアン」「月命日だから、僕も来たよ」「ありがとう」 ジュリアンは墓の前にしゃがみこむと、線香を上げて合掌した。「彩花、ちょっと痩せた?」 病気のせいだとは、ジュリアンには言えなかった。以前のパーティーで再会してから、小学校時代を思い出すように再び交流が始まったが、余命宣告の話は伝えられなかった。せっかく懐かしい気持ちになっている彼は、元々唯花とクラスメイトだったことで交流のきっかけである。唯花を失い、次は自分までもが彼の前から永遠に姿を消すことになるという事実を考えると、これ以上ジュリアンを悲しませたくはなかった。「仕事でバタバタしてるか