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影畑凛星
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Novels by 影畑凛星

再会した幼馴染は狂犬極道若頭になっていた上、なぜか私を飼い主と呼んで逃がさないのですが?~契約結婚から始まる極上溺愛~

再会した幼馴染は狂犬極道若頭になっていた上、なぜか私を飼い主と呼んで逃がさないのですが?~契約結婚から始まる極上溺愛~

借金のカタにとヤクザに売られた私。 連れていかれた先にいたのは…小学校の頃の幼馴染!? 優しかった彼は、今や周囲を震え上がらせる狂犬のような若頭になっていた。 怯える私を抱き寄せて彼が言う。 「コイツは俺のオンナにする」 どういうこと!? 戸惑う私に彼がささやく。 「いいか、俺と結婚しろ」 プロポーズの理由は「面倒な女との婚約を避けるため」らしいけど…それにしては独占欲がヤバすぎる。 彼はなぜか私を「飼い主」と呼んで跪き、絶対に逃がさないとささやく。彼の本当の想いとは――? 契約結婚から始まる、甘く危険な極上溺愛ロマンス!
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Chapter: 孤立の気配
最初は、些細なことだった。目が合ったと思ったらそらされたとか。普通に挨拶しただけなのに、急にみんながよそよそしく解散してしまっただとか。でも――それも、もう1週間。同じようなことが何度も繰り返されることを思うと、どう考えても、私の気のせいのようには思われなかった。「何かあったのかな……」ぼやく私に、組員たちもなんだか気まずそうに見える。これはもしかして、何か知っているんじゃないかと思うけど……。どうなんだろう?気になるけど、さすがに向こうから言ってくるわけでもないことを、無理に聞き出すわけにもいかない。フラストレーションは溜まっていく一方だった。「あら、どうしたの? 情けない顔」そこにやってきたのは聡美さんだった。最新ブランドの可愛い服を着て、ショッピング帰りなのか、ブランドのショッパーをたくさん持っている。「貧乏くさいからみんなに避けられるんじゃないの? いつ買ったのよ、その服」くすくす。聡美さんが笑い声を立てた。私は恥ずかしさに泣きたくなった。今日、着ていた服は、私が家から持ってきたものだった。別に気に入っていたわけじゃないけど、シンプルでよく着ていたから……つい、今日も着てきてしまった。よく考えたら、買ったのはずいぶんと前だった。「妻に古臭い格好をされると、俊の格が傷つくのよ? そのくらいのこともわからないの?」「そうなんですね。教えてくださって、ありがとうございます」私は頭を下げた。実際、聡美さんの言うのは正論だろうと思う。角鵜野組では、いつもお姉さんたちは綺麗な格好をしていた。普段の服装みたいなのに、アクセサリーだってちゃんとつけて、化粧もして。普段から化粧をする習慣がなかったせいで、身支度に毎日1時間以上かかる私とは大違いだった。「あーあ。なんで俊はあなたがいいのかしら? 私の方が絶対に俊にふさわしいのに」聡美さんがため息をこぼす。言われてみると本当にそうだった。華奢で綺麗で可愛らしくて。それなのにゴージャスな感じのする彼女は、確かに、俊くんの隣に並ぶと私よりも映えるだろうと思った。「ねえ、なんで黙ってるわけ? ちょっとくらい何か言いなさいよ」私が黙っているのが気に障ったみたいだった。聡美さんが私の腕をきつくつかむ。「っ……」爪が食い込んだ。私は思わず声を漏らす。「何よ、我慢しち
Last Updated: 2026-04-23
Chapter: つかの間の平和
「幸子」俊くんが私を抱きしめて、ごろごろと喉を鳴らす猫のように甘えて来る。それ自体は嫌じゃない、けど……。どうしてもさっきの光景がフラッシュバックしていた。床に倒れていた男の人。血が流れていて、手足もぐんにゃりしていて。まさか死んではいないだろうけど――「大丈夫か? 怖かったよな」よしよしと私を撫でる手は相変わらず優しかった。家に帰ってきてからもずっとそうだった。俊くんは私を抱きしめ、甘やかし、ダメ人間にでもしようとしているみたいだった。「もう大丈夫だ、あいつはもう二度と現れねえよ」「俊くんが痛めつけたから?」「まあ、それもあるな」俊くんがくしゃっと笑った。それも、って。やっぱり、他の理由もあるってこと?「そんな顔するなって……。なんだよ、そんなにあいつが心配なのか?」「えっ?」思いがけない言葉に、私はびっくりして声を上げた。だって、私はあの男の人の顔さえよく覚えていない。ナイフにしか目が言っていなかったから……。「俺の心配より、知らない男の心配かあ」俊くんがあえて拗ねたよな声を出している。それが冗談なのは明らかだった。私は笑いながら俊くんに頬を寄せる。「なんかさ、妬けるんだよな」「あんな変な人のことなのに?」「だからだろ。だって俺と帰ってきたってのに、お前、ずっとあいつのことばっかだ」俊くんが私の肩に顔をうずめた。「俊くん……」確かに、それもそうだった。衝撃が大きすぎて、そればっかりになっていたのかもしれない。それに色々と聞きたいこともあった。あの人とは、どういう知り合いなの、とか。「あいつはなー……、別に、俺のほうに何かあるわけじゃないんだけどな」「そうなの?」「毎回なんだよな。多分、聡美あたりにそそのかされて……、何でそうなるんだか知らないけど、お前を襲うんだよ」「私を?」意味が分からなくて聞き返すと、俊くんは首を振った。「いや。まあ、なんか、変な奴なんだろ。聡美もさ、そろそろ諦めたらいいのにな」「好きな人のことって、そんなに簡単に諦められたりしないと思うよ」「そうは言ったってさ……、もう俺、既婚者なんだぜ? 指輪だって外したことねえし」そう言って見せてきた俊くんの指輪には、うっすらと血の跡が残っていた。顔をしかめそうになるけど、一生懸命こらえる。俊くんだって、別に、わざと
Last Updated: 2026-04-22
Chapter: 混ざりこむ悪意
「大丈夫か?」俊くんが私に向かって手を伸ばしてくる。怯えながらも頷くと、俊くんはそのまま私の腕をつかんで引き寄せて、ぎゅっと抱きしめてきた。「悪い、怖がらせたな」「う、ううん……」私は首を振るだけで精いっぱいだった。このドキドキは、怖いからだけじゃない……。そう思うと、なんだか、頬が熱くなるような気がした。「俺が一緒に来てたらよかったな」「え、でも、それっておかしいんじゃない? これは女子会なんだし」「そりゃあそうだが……。俺はお前が心配なんだよ」俊くんに優しく言われると、ちょっとホッとした。怖かったのは怖かったけど、こうした気遣いがあれば少しだけ安心できる。「大丈夫、お姉さんたちもかばってくれたし」「そうなのか?」俊くんがお姉さんたちを見る。「まあ、もともと素人の子だっていうし」「あたしたちみたいに慣れてないもんね」「大丈夫だった?」みんな口々に私を心配してくれる。そのことが嬉しかった。「私もお姉さんたちみたいに強くならないと」「お前はそんなことする必要はねえよ。俺が全部、なんとかしてやる。これだって……本当はわかってたんだ」最後のほう、ものすごく小さく付け加えられた言葉。わかってたって、どういうこと?やっぱり極道には極道の情報網があるっていうことなんだろうか。困惑していると、俊くんが私を急に抱き上げた。「きゃっ!」驚いて声を上げると、俊くんが声を上げて笑う。「今日はもう帰ろうぜ」「え、でも」「ここはあたしたちが片づけとくよ。ね、うちの人を呼ぶから」「ああ。任せていいか?」俊くんが足元に転がる男を見る。男はすっかり気を失っている様子だった。血まみれの様子に私は怯えてしまって、小さく息をのむ。「ほら、ここは怖いだろ」よしよし、と俊くんが私の頭をなでる。「そんな、子ども扱いしなくたって」「子ども扱いじゃないって」そうは言うけど、完全に私は子供みたいだった。俊くんに目隠しされながら、そのまま歩きだされてしまう。「あ……、お姉さんたち、ごめんなさい!」謝ると、お姉さんたちは笑いながら手を振った。どこかから持ってきたタオルなどで男が縛り上げられている。割れたガラスを片付ける人たち、テーブルを起こす人たち……。みんなそれぞれ、何事もなかったかのように後片付けを始めていた。俊くんはそれ
Last Updated: 2026-04-21
Chapter: 危険な男
「おい、藤堂俊の女ってのはお前か!」男が私に向かって近づいてくる。お姉さんたちが私を背中に庇ってくれる。ハイヒールを脱いで構えたり、近くのテーブルからナイフを取って構えたり。でも相手が持っているのは本物のナイフだ。テーブルに用意されているような、ケーキを切るためのナイフじゃ絶対に歯が立たない……!「あの、何が目的なんですか!」恐怖を押さえて私は声を上げた。「あっ、ちょっとあんた!」お姉さんが慌てて声を上げる。でもここでは、私が一番立場が上の男のオンナなんだから。ここは私がしっかりしないといけないだろう。そう思って、まっすぐに顔を前に向けた。「何が目的だあ? だから言ってんだろうが、藤堂俊を出しやがれってよお!」ドカッ!男が椅子を蹴飛ばした。テーブルに当たって花瓶が倒れる。ガシャーン!大きな音が響く。高価そうな花瓶が割れて、花が床に散らばった。こぼれた水が広がっていく。「乱暴はやめてください」私は重ねて言った。話し合いが通じる相手にはどうしても見えなかったけど、でも、何もしないわけにはいかない。せめて、何ができるのかくらい……!「うるせえ!」そう思ったけど、無駄だった。男はナイフを振りかぶって、私に向かって飛び掛かって――「おい、何してやがんだよ」その前に、襟首を捕まえられていた。男の後ろに俊くんが立っている。「お前、藤堂!」振り返ってナイフを突き刺そうとする男を、俊くんはそのまま床に叩きつけた。「ぐあっ」潰れたような声を上げる男を、二度、三度と床にたたきつけ、ナイフを手から奪った。「俺の質問に答えろ」ドサッ!ナイフが床に突き立てられる。「何してやがんだ、って俺が聞いてんだぞ? なんで答えねえんだ? あ?」「ふざけやがって、俺はなあ、お前が……」「だから、答えろっつってんだろ!」「ぐえっ」俊くんが男の手を踏みつける。そのままぐりぐりとかかとで押しつぶすようにしながら、男の首を掴んで持ち上げた。「なんで俺の質問に答えられないんだ? なあ? 痛い目見なきゃわかんねえか?」「ちょっと脅したくらいで俺が」「だから答え以外しゃべんなっつってんだろうがよ!」顔を正面から床に打ち付ける。血が飛び散って、ものすごい音がする。私は思わず顔を覆った。「見なくていいよ」お姉さんたちが私をか
Last Updated: 2026-04-20
Chapter: 突然の襲撃
聡美さんは表面上、大人しくしているように見えた。ただ、だからといって安心できるわけでもなかった。お姉さんたちは表面上私に親切に振舞ってくれているようには見えたけど、どこか底が知れないというか……。私に対して、心を開いてくれているような気配がなかった。やっぱり、私じゃ力不足だったのかも。お姉さんたちは長年、極道である彼らを支え続けている。でも私は――つい最近、やっと俊くんと出会って、突然、彼と契約結婚することになった。その理由になっている聡美さんについては、確かに、これは困るだろうとは思っている。今日だって、私が主催者だっていうのに、敵意バリバリの目線を向けてきているし……。針の筵って、多分、こういうことを言うんだろうなと、今、聡美さんのちくちくした目線を受けながら実感していた。「そういえば、最近、うちの人が新しいビジネスを始めたんだけど――」黙っている私に、お姉さんの一人が話を振って来る。「ちょっと変わったビジネスなのよ。ヤクの取引は昔からよくあるじゃない? でも最近のは、現物じゃないらしくって」「何それ、後で郵送でもするってわけ?」「ううん、そうじゃないの、なんかスマホで送るみたいな……」私は相槌を打つでもなく、ただニコニコしていた。だってヤクって、麻薬のことだよね……?そんなディープな話、どうやってついていけばいいのかわからない。困ってしまう。――と、ちょうどそのとき。「おいこらあああ!!」怒声と共にドアが蹴破られた。「な、何!?」「ちょっと、アンタは慣れてないんだから下がってなさい!」思わず立ち上がった私を、かばうようにお姉さんの一人が押さえこんだ。それが正しかったことを示すかのように、飛び込んできた男が私たちひとりひとりをじっとりとした眼差しで見つめている。「てめえら、角鵜野組のヤツらの女たちだなァ!?」「だからどうしたってのよ。アンタ、こんなことしてタダで済むと思ってんじゃないでしょうねえ!?」「ハッ! 組が怖くて暴れられっかよ!」男が壊れたドアの破片を蹴り上げる。私はお姉さんたちにかばわれながら、身を縮こまらせるしかなかった。「てめえらには用はねえんだ! 男のほうを出せ!」「はぁ!? わが身可愛さに自分の男を売るような女はねえ、この中にはいないよ!」「そうだそうだ! ふざけんじゃないわよ
Last Updated: 2026-04-19
Chapter: 小さな亀裂
お礼の贈り物もそろそろ来なくなって、やっと落ち着いたころ。他の組員の妻や恋人や愛人たち――そんなみんなとのお茶会が開かれることになった。お茶会と言っても格式ばったものではなくて、カフェを貸し切ってのアフターヌーンティー。そこでどんなお茶を用意するように手配するのか、お菓子やケーキはどうするのか。そういうことで私の価値がはかられる――らしい。詳しいことは、よくわからないけど……。とにかくそういうことだということで、私はお茶会の準備に追われることになった。お店の人との打ち合わせ程度だから、まだ楽だったけど、そもそもパーティーの主催なんて初めてのこと。でも若頭の妻ともなれば、これから公的な付き合いも増えて来る……。そう思えば、最初が非公式の集まりで良かったのかもしれなかった。◇◆◇「悪くないじゃない」――そう、私は忘れていた。組員の妻や恋人たち、ということは、組長の娘である聡美さんも当然、参加資格があるってことを……。「変な店を選ばれたらどうしようかと思った。あなたって、もともと貧乏人じゃない? こういうの、詳しくないでしょう?」「あ、あはは……」私は乾いた笑いを漏らすしかなかった。実際、聡美さんの言う通りではある。私は紅茶なんか、ずっとリプトンのイエローラベル。大容量のお得品の女だ。……。「でも、紅茶はお店の人に進めてもらって、俊くんと一緒にどの紅茶が合うか一緒に考えてもらったりしたんです」「何それ、自分ひとりでこんなことも考えられないわけ?」「だんだん慣れていこうと思います、見守っていていただければ……」私は深々と頭を下げた。正直、聡美さんの言動には頭に来るけど、いちいち付き合っていたら身が持たない。ここは適度にあしらって、下手に出て、相手の怒りを買わないようにしなくちゃ……。「でも、慣れてないのにこんな素敵にできるなんてすごいじゃない?」そう言って空気を変えてくれたのは、少し年上のお姉さんだった。ちょっと派手目の化粧で、巻き髪がかっこいい。いかにも大人の女という感じの人だった。「うちのなんか、お茶しに行くって言うとコメダとかよ」「わかる、あとはなんかスタバ」「スタバ行けば許されると思ってるところあるわあ」「でもファミレスに連れていかれるよりいいんじゃない?」彼女の言葉をきっかけに、場がワイワイと盛り上が
Last Updated: 2026-04-18
冷徹CEOとの離婚後、私は夫の忠実な部下と恋に落ちた

冷徹CEOとの離婚後、私は夫の忠実な部下と恋に落ちた

――離婚してください。 3年間、冷徹CEO・黒崎涼の妻として尽くし続けた唯。 夫は家庭を顧みず、冷たい言葉と無視の毎日。心は限界を迎えていた。震える手で離婚届を差し出すと、涼は迷いなくサインをし、「好きにしろ」と言い放った。 その一言で結婚生活は終わった。家を出た唯の足取りは軽やかだった。やっと自由を手に入れた——これからは自分の人生を生きられる!そんな唯の新しい道を、影から静かに支え続けた男がいた。 涼の忠実な部下・高倉櫂。 彼の温かなサポートで、唯の眠っていた才能が少しずつ花開いていく。 一方、涼は、元妻の笑顔を遠くから見て後悔に駆られていた。 今になって彼女の大切さに気づいた——でも、もう遅い。
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Chapter: 決意の前夜
夜が静かに更けていた。唯は、リビングのソファに一人で座り、広い部屋をゆっくりと見回した。照明を落とした室内は、いつもより広く、冷たく感じる。高級な家具、大きな窓から見える夜景、キッチンのピカピカのカウンター。すべてが黒崎家の「完璧さ」を象徴しているのに、唯の心はどこも温かくなかった。唯は膝の上に置いたクッションをそっと抱きしめ、3年間の結婚生活を静かに振り返った。出会った頃、唯はフリーランスのデザイナーとして一生懸命働いていた。黒崎グループのプロジェクトで涼と初めて顔を合わせたとき、彼の冷たい視線の中に、少しだけ興味のようなものが感じられた気がした。プロポーズは突然で、言葉は「君なら問題ないだろう」だった。唯はそれを「信頼されている」と受け止めた。結婚式は豪華だった。たくさんの人が祝福してくれた。でも、あのときすでに一方通行だったのかもしれない。唯は笑顔で涼の隣に立ち、夫の腕にそっと手を添えたが、涼の手は唯の手にほとんど力を込めなかった。結婚後の日々は、唯が一方的に与え続けるだけの時間だった。毎朝の完璧な朝食。深夜に帰ってくる涼のために温め直した夕食。アイロンをかけたスーツ、揃えたネクタイ、忘れられない記念日や誕生日に用意した手紙やケーキ。唯はいつも笑顔を絶やさず、「大丈夫よ」と自分に言い聞かせてきた。でも、涼からは何も返ってこなかった。「ありがとう」の言葉はほとんどなく、「今日はどうだった?」という唯の質問には「疲れた」の一言。誕生日を忘れられ、記念日をスルーされ、風邪を引いて倒れても「大事な会議がある」と帰ってこなかった。「全部……私だけが頑張っていたんだ」唯は小さく呟いた。胸の奥が痛いほど締め付けられる。涼は唯を「妻」として必要としていた。家事を完璧にこなし、表向きの妻役をきちんと果たし、黒崎家の顔を汚さない存在として。でも、唯という一人の人間として、愛したり、気遣ったり、興味を持ったりしたことは一度もなかった。唯は立ち
Last Updated: 2026-04-24
Chapter: 小さなきっかけ
唯は最近、毎日のように離婚届をを引き出しから出して眺めていた。まだ記入はしていない。ただ、見つめているだけだった。でも、その紙の存在が、唯の心に静かな重みを与え続けていた。その日、午後二時過ぎに零の母親・麗子から電話がかかってきた。「唯さん、ちょっと時間ある? 今から来てちょうだい。銀座のいつものホテルラウンジで待っているわ」拒否はできなかった。唯は「わかりました」と答え、急いで身支度を整えた。前回の呼び出しからまだ一ヶ月も経っていない。胃が重くなる。胸がざわついた。ラウンジに着くと、麗子はいつものように窓際の席に座っていた。でも今日はひとりではなかった。隣に、もう一人の女性が同席していた。佐倉彩音——涼の元恋人だ。唯の足が一瞬止まった。彩音は優雅に微笑みながら、手を軽く振った。「こんにちは。今日はお義母様に誘っていただいたの」――お義母様。その言葉に背中が冷たくなった。彼女は涼の妻ではない。それなのに、まるでもう妻にでもなったような態度。そして唯を見る麗子の眼差しも、妻ではない――もっと別の何かを、見るような目をしていた。麗子はコーヒーカップを置き、冷たい視線を唯に向けた。「座って。話があるの」「はい……」唯は背筋を伸ばして席に着いた。心臓の音が自分でもはっきり聞こえる。麗子はすぐに切り出した。「唯さん、あなた最近、涼に何か変な態度を取っていない? 家の中がなんとなく冷たいって、涼から聞いたわよ」ギクリとした。離婚届を入手してから、確かに唯はこれまでとは変わっていたからだった。「妻としてもっと気を遣いなさい。黒崎の家にふさわしくない振る舞いは許されないのよ」唯は唇を軽く噛んだ。「私は……いつも通り、精一杯やっているつもりですが……」完璧な妻ではなかったかもしれないけど。少なくとも唯は、いつも通りに頑張っていた。涼が答えてくれないのも、いつも通りではあったけれど。すると彩音が、甘い声で言葉を継いだ。「でも、涼さんったら最近すごく疲れているみたいよ。きっと家庭のことがストレスになっているんじゃないかしら?」「そう……ですか?」「ええ。唯さん、あなた、もっと明るく振る舞った方がいいわ。私だったら、もっと涼さんの気持ちを考えてあげられるのに……」彩音は意味ありげに微笑み、続けた。「実はね、涼さん
Last Updated: 2026-04-23
Chapter: 涙の夜
それから数日。夜が、唯を静かに蝕んでいた。その夜も、唯は一人でベッドに横たわっていた。まだ涼は仕事中らしい。集中しているのだろう。書斎からは、微かな物音すら聞こえない。天井の模様をぼんやりと見つめながら、唯は布団を胸まで引き上げた。体は温かいはずなのに、心が凍えるように冷たい。(今日も……何もなかった)唯は目を閉じた。瞼の裏に、今日の出来事が浮かんでくる。朝、唯がいつものように完璧な朝食を並べたとき。涼は新聞を広げたまま、一言も「いただきます」と言わなかった。唯が「おはようございます」と声をかけると、ただ「ん」と鼻を鳴らしただけ。コーヒーカップを置く音が、まるで唯の存在を無視するように響いた。昼過ぎ、唯がスーパーから重い買い物袋を抱えて帰宅した。エレベーターで同じマンションに住む黒崎グループの従業員の奥さんが「社長夫人、いつもお疲れ様です」と笑顔で声をかけてくれた。唯は笑って返したが、家に入った瞬間、力が抜けた。袋を床に下ろし、ソファに崩れ落ちる。社長夫人だなんて。そんな立派な立場じゃなかった。野菜を洗うシンクの水音だけが、部屋に虚しく響いた。夜、唯がリビングで洗濯物を畳んでいると、涼が珍しくスマホを置いて声をかけてきた。「明日の予定は?」唯の胸が少しだけ跳ねた。「特に何も……。何かご用ですか?」すると涼は、ため息をついた。「いや、いい。忘れろ」そのまま立ち上がり、自分の部屋へ入っていった。ドアが閉まる音が、唯の心に小さな亀裂を入れた。忘れろって何?自分から聞いたのに、なんでそんなに自分勝手に会話を打ち切れるの?最近、唯はまるで自分が人間に戻っていくかのように感じていた。これまでは黒崎家の妻として、何もかも封じ込めていたけど――それ以外のことも、していいんだって。そう思った。それなのに
Last Updated: 2026-04-21
Chapter: 静かな反抗
唯は朝の六時半に目を覚ました。 いつものようにキッチンに立ち、涼の好物の焼き鮭を丁寧に焼く。 味噌汁の具はわかめと豆腐、ほうれん草のおひたしも完璧に水気を切って並べる。 テーブルセッティングも隙がない。 毎朝の完璧なルーチン。 黒崎家の妻として、必ずこなすべきだと自分に言い聞かせ、三年間も続けてきたのと同じ仕事。でも、今日は少し違った。 涼の好美の味になるように、味付けを調整しなかった。 心の中で、静かに距離を置いていた。(全部を捧げる必要なんてないんだ)涼がダイニングに現れる。 新聞を広げ、唯の顔もろくに見ずに箸を動かす。「なんだ? 味が薄いな」唯は静かに返した。「すみません。次は気をつけます」声はいつも通り、穏やかだった。 でも、胸の奥では小さな反抗の芽が、静かに息を吹き返していた。 以前なら「もっと頑張ろう」と自分を責めていたのに、今はただ「そうか」と受け流すだけ。涼は変化に気づかない。 いつものようにコーヒーを一口飲んで、スマホでスケジュールをチェックし、すぐに会社へ出かけてしまった。 玄関のドアが閉まる音が響いた後、唯はようやく肩の力を抜いた。(今日も、無事に終わった)唯は食器を洗いながら、ふとキッチンの隅に視線を落とした。 そこに、以前使っていたスクラップブックが埃をかぶって置いてある。 結婚してから、デザインの仕事は全部やめてしまった。 涼に「妻として家を守れ」と言われてから、フリーランスの頃の自分は封印されたはずだった。でも、今は違う。 唯は手を拭き、スクラップブックをそっと手に取った。 ページを開くと、昔描いたデザインが並んでいる。 指で線をなぞるだけで、胸が少し軽くなった。(やっぱり、私……デザインが、好き)唯はリビングのソファに座り、こっそりペンを握った。 ちゃんとした紙はなかったから、チラシの裏を使った。 新聞は読んでいる涼だけど、広告
Last Updated: 2026-04-20
Chapter: 元恋人の影
唯はカフェから帰宅したその夜の間中、スマホの画面をぼんやりと見つめ続けた。真っ白な、離婚届のテンプレート。そして――翌日の午後。インターホンが鳴った。唯はエプロンを外しながら玄関へ向かった。宅配かと思いきや、モニターに映ったのは見知った顔だった。長い黒髪をストレートにして、ブランドもののコートを完璧に着こなした女性。化粧は濃すぎず、でも存在感が強い。いかにもキャリアウーマンという雰囲気なのに、どことなくセクシーさもあった。――佐倉彩音。涼の元恋人で、今も黒崎グループで働いている。「こんにちは」流石に知り合いともなると、ドアを開けないわけにも行かない。仕方なくドアを開けると、彩音は微笑んだ。でも、笑顔なのに、目が笑っていない。「久しぶりね」「お久しぶりです……」「突然ごめんなさい。でも、話しておきたくて」彩音は勝手に靴を脱ぎ、リビングへ入っていく。唯は止めることもできず、ただ後ろをついていった。ソファに腰を下ろした彩音は、優雅に脚を組んだ。唯とは違う、長くて肉感的な足。ストッキングの光沢がなまめかしかった。今も涼とは繋がっていると、この間言っていたけれど――それはどういう意味なのか、と思うと苦しくなった。彼は唯には触れない。それなのに……。「あなた、三年も涼さんの妻をやってきたんでしょう? お疲れ様ね」声は甘いのに、棘がある。「あの……、何か、ご用なんですか?」そう言うしかなかった。彩音の態度はあまりにも傍若無人だったし、意味が分からなかった。「これを見て」彩音はバッグからスマートフォンを取り出し、写真を一枚見せた。若い頃の涼と彩音が、笑いながら並んでいる。性的な写真が出て来るのかと思って怯えていた唯
Last Updated: 2026-04-19
Chapter: 親友との会話
唯はカフェの扉を押し開けた。柔らかなドアベルの音が響く。足取りは軽かった。窓際の席で手を振っているのは、大学時代からの親友・美咲だった。「唯!  久しぶりー! 」美咲は急に抱き着いてくる。そんなところも昔と変わっていなくて懐かしかった。「もう、三年ぶり? 結婚してからは全然会えなくて寂しかったよ」 唯はいつものように柔らかな笑みを浮かべ、美咲の背中を優しく叩いた。 「ごめんね、美咲。涼さんの仕事が忙しくて、私も家のこととかで……」「そうなんだ、まあ家も広そうだもんね」美咲は冗談めかして言った。くすくすと二人で笑いあってから、向かい合って座った。店内は午後の柔らかな日差しが差し込み、観葉植物の緑が落ち着いた雰囲気を演出している。唯は今日も完璧に身支度を整えていた。淡いベージュのニットに膝丈のスカート、髪は丁寧にまとめて、夫・黒崎涼の妻として恥ずかしくないように完璧に装った。今、誰が唯を見ても、きっと褒めてくれる。そう思いながら支度をして出てきた。でも、美咲はそんなことには気づいた様子もない。ただ、じっと唯を見つめた。「なんか、雰囲気変わった?」「そう?」「服装とか」「それは……、涼さんに言われて」昔着ていたような服は、妻にはふさわしくないからと全部捨てられて、新しい服を買い与えられていた。上等で、どこに出しても恥ずかしくない服。でも、私らしくはない……。ふいにすべりこんできた寂しさに、唯は無理やりふたをして笑った。つられたのか、美咲も笑う。ちょうどそのとき、注文のカフェラテが運ばれてきた。受け取ると、美咲がついに本題と言わんばかりに口を開く。「で、どう?  結婚生活」「普通だと思うよ」
Last Updated: 2026-04-18
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