Chapter: 第51話:忍び寄る人物桜生が私の部屋を去ってから、どのくらいの時間が経っただろう。 離れは本邸よりも静かで、ゆったりした時間が流れている。これまでに、これほど時計を確認しない時間はあっただろうか。私と桜生の歩み道は本当にこれでよかったのか。そんなことを繰り返し考えていた。 すると、私のスマートフォンのメッセージの通知音が鳴った。 スマートフォンを手に取ると、山川からだ。 『レナ代表。深夜に申し訳ございません。ただいま離れ周辺を黒川さんと巡回しておりますが、何やら本邸の敷地門辺りで騒ぎが起きたようです。今、黒川さんが本邸へ駆けつけています。連絡が入り次第、メッセージを送ります。レナ代表は、このまましばらく部屋から出ないようお願いします。僕はレナ代表の部屋の近くで待機します』 海皇星家はかなり広い土地を所有している。その屋敷の敷地門辺りで騒ぎがあった? 一体、何があったのか。黒崎グループが何か商談を考えて訪れることもありそうだけど、こんな遅い時間に? 失礼にも程ある。それに、桜生のお父様は現在、黒崎グループ関係との仕事を受けていないと言っていたはずだ。 数十分経過した。 スマートフォンのメッセージ通知音が鳴った。 『黒川さんから連絡が入りました! どうやら花川様が門にいるそうです「レナに会わせてくれ」と使用人や護衛の方に言っているそうです』 これはどうしたらいい。 私はこの屋敷に居ないことになっている。別の誰かに誘拐されていると伝えてある。だから、大成さんと顔を合わすわけにはいかない。 山川からメッセージが入った。 『レナ代表! とにかく部屋を出ないでください。今、黒川さんと状況を確認しています』 私は山川へ返信をする。 『山川さん。大成さんがここに居ることを、探知機とかそんな機械で分かったってことよね? そうしたら、いつまでもここでジッとしているわけにはいかないかもしれない。だから、門へ向かいます』 送信をタップして、私はスマートフォンを片手に部屋を飛び出した。 玄関に向かい、ドアの前で「行ってきます」と呟く。 小さな声でも反応する音声認識に驚きながらも、桜生と一緒に歩いた日本庭園を一人、走り抜ける。 唇を交わした周辺で足を止めた。一瞬でも、幸せだと思った場所。でも、今は桜生のことが分からない。立ち止まったからと言って
Last Updated: 2026-09-10
Chapter: 第50話:すれ違い「桜生。今一度、しっかり現状を知ってほしいの。私と山川さんと黒川さんは、これまでずっと一緒に仕事をしてきた仲間。一から、いいえ、ゼロから一緒に積み上げてきたの。それは知っているよね?」 「詳しくは、あまり知らないが。三人がいつも一緒であることくらいは知っている」 「で、何が言いたいかというと。私は何度も誘拐や連れ去り未遂のような出来事が多かったの。今回、桜生やお父様やお母様のお陰で、色々見えてきたでしょう」 「そんなこと、俺にだって分かる」 「以前から防弾チョッキのようなものを身につけて対策するのもありじゃないかって、山川さんの提案があって、防弾チョッキをおしゃれ着のようにできると、ストーカーに悩まされている人やそうなる可能性のある女性たちには心強いよねってことで新規プロジェクトとして、手を組ませてもらったわけ」 「防弾チョッキを、おしゃれ着に? レナらしいな」 ようやく、桜生は理解してくれた。 私はホッとため息をついた。 ずっと、一緒に居たならここまで話をする必要もなかったのかもしれないけれど、一から十まで話さなければいけないと思うと気が遠くなりそうだ。 「桜生はどうして、私と山川さんに何かあると思ったわけ?」 私のことをずっと好きでいてくれたことは理解しているけれど、今の桜生を見ていると独占欲の塊にしか見えない。この先、愛していける自信なんてない。なくなる。 それは、私を縛り付けるだけの存在へと変わってしまいそうだから。 「俺とレナの新居に、男を、夜に入れてほしくないだけだ」 桜生の言葉はあまりにもストレートだった。 逆に言えば、私は桜生から信用されていないということにもなる。どうしたら、分かってもらえるのだろうか。本当に、私のことを好きなのかも疑わしい。ご両親から『レナちゃんを守ってあげて』とか『レナちゃんと桜生は結婚するようになる』とか、そう言われて勝手に好きだと思うようになったのではないか。 「桜生、本当の気持ちを教えて?」 「……」 桜生は何も言わなかった。 私の質問がおかしいのかもしれない。 「私のこと本当に、好きで愛していて、だから結婚したいと思ってくれているの?」 そう口にしてみたら、私は卑怯な女だと思った。 自分の口から、桜生のことが好きですとも愛しているとも言わないで、相手の気持ちだけを聞こうとしてい
Last Updated: 2026-09-09
Chapter: 第49話レナと山川さんは二人並んで奥の廊下へ消えていく。 二十時に男と女が一つの部屋に二人っきり。 そんなことあっていいものか。 しかも、俺とレナの新居だ。 確かに、レナのボディーガード兼運転手ではあるが、山川さんは俺よりも年下だ。 若い男の方がいいに決まっている。 俺はレナの部屋の扉に耳をくっつけた。 微かに聞こえる声。 「レナ代表。先ほどキャッチした情報ですが……」 山川さんの声だ。 何をキャッチしたんだ。 「えっ? 山川さんそれ、本当の話なのですか?」 レナ、何が本当の話なのか、もう少し声を張ってくれ。 俺には全く聞こえない。 「レナ代表。例のものですが、サイズもおそらくレナ代表にぴったりかと」 「本当ですか! 早急に手配をしてくださったのですね。これはもう、逃げられないですね」 「それに、今夜の予定ですが、本当に二人きり……?」 「構わないわ」 「万が一のときは、しっかりとここに捕まってください。絶対に離れないでください」 「これからも、ずっと山川さんのそばにいるにきまっているでしょう!」 「どんなことがあっても、あなたを抱えて守り抜きますから」 俺の怒りが…… 全部聞いたぞ。 俺と結婚式を挙げることになっているレナは、俺には一言も言わなかった言葉を、山川さんには言っていた。 何が『サイズだ』 誰から『逃げられない』と言ったんだ。 誰と今夜過ごすつもりなんだ。 ふざけるな。 俺は、レナの部屋の扉のドアを開けた。 「桜生!」 驚くレナと平然とした顔で俺を見る山川さん。 「何を話していた。俺には聞かれては困ることか!」 「ちょっと、桜生。何を怒っているの?」 俺はレナと隣り合わせに座っている山川さんの肩を押して、その隙間に無理やり体を滑り込ませた。 「海皇星……様?」 その余裕たっぷりの山川さんを見て、俺はより確信した。 こいつも、レナのことが好きなんだと。 「俺たちは結婚する。レナの仕事の話は俺にも共有する必要がある」 「桜生、それは違うと思うけれど」 レナはそう言って、山川さんへ視線を向けた。 気持ちのいいものではないな。 「レナ、違わない。現に、俺とプロジェクトを進めていることだ」 「そのプロジェク
Last Updated: 2026-09-08
Chapter: 第48話日本庭園を私たちは手をつないだまま、離れへと戻ってきた。 玄関を前に、私と桜生は顔を見合わせた。 「桜生、『ただいま』と言えば開くけれど、二人同時に言ったらどうなると思う?」 桜生は首を傾げた。 「音声で認識しているからな。二人同時でも開くんじゃないか。だけど、そこまで精密に作るには、現代には難しいだろうしな」 桜生は左手を顎に当てて、更に考えていた。 「母さんがどこに注文をしかにもよるな。これが、花川コンピューターが関わっていれば、かなり正確に動作はするはずだ。癪に障るが」 「えっ! 大成さんにお願いしているとなると、誰の家の特注品か分かってしまうよね?」 私がそう言うと、桜生の顔が青ざめた。 「そうなると、ここも安全ではないのかもしれないよ。桜生、どうする?」 「今は、家に入る必要はある。試しに、二人同時に『ただいま』と言ってみてもいいかもな」 「二人同時にやってみよう! 桜生!」 私は少し面白そうに、桜生の顔を見上げた。 「ああ。もしそれでシステムが誤作動を起こすようだったら、もう一度、本邸へ戻ろう」 「もし、誤作動もなかったら、花川コンピューターに注文したと思う方が正しいのかもしれないね」 「花川コンピューター以上もしくは、同等なコンピューター会社が他にも二社ほどある」 「えっ? そうなの? どことどこなの?」 私は、花川コンピューター以外にも優れたコンピューター会社があることを知らなかった。大成さんの記事ばかりを見ていたとしても、どこかで人から人で耳にするはずなのだけど。それに、テレビなりラジオなりでも流れていそうなのに。 「高知コンピューター、高森コンピューターだろ。他にもいるぞ」 「その二社も、私たちと同じくらいの年齢が副社長とか?」 「大体、親世代から引き継ぐからな。一代で築きあげた会社は高知だ」 IT業界の裏側を知り尽くしている桜生にとっては簡単な質問だったに違いない。 「一代で築いたってことは、高知のトップは相当やり手なのね」 「ああ。一代目社長は幼少期からコンピューターにハマったと聞く。当時は『変な子』と言われていたらしい。興味のあるものには執念で技術力を身につけたんだろうな。お坊ちゃん揃いやうちみたいな古い財閥系とはちょっと毛色が違う」 桜生は自
Last Updated: 2026-09-07
Chapter: 第47話:嫉妬する桜生「君たちは離れで休むといい。後は任せてくれ」 お父様がそう言うと、桜生は何も言わず私の腕を掴んだ。 「桜生、乱暴に引きずらないようにしなさいよ」 お母様はそう言った。 桜生は振り返りもせず、私の腕を掴んだままダイニング・サロンを後にした。離れに向かうまでに日本庭園の道。 「桜生? 何も言わないって珍しいこともあるんだね」 私は沈黙に耐え切れず、そう言った。 「……」 桜生は何も言わない。 「桜生らしくない気がする」 すると、桜生は歩みを止めた。 「レナ、お前。どれだけ色目を使ってんだよ」 「色目……?」 身に覚えのないことを言われると、この先何も言えないのだなと思った。 「そうだ。黒崎グループからも連絡先を聞かれたんだろう」 「聞かれたけど、教えていないから」 「その後は、会ったりしたか?」 「私も時間ないから、一日だけのCM撮影。だから、その後会うこともない」 私がそう言うと、桜生はスマートフォンを出した。しばらく何かを検索していた。 「これ、だろう。そのCMってさ」 一年ほど前のことだから、すっかり内容のことを忘れていた。 夕暮れのオフィスビルを舞台にした、都会的なワンシーン。 それは、次世代のシステム開発を率いる若き天才リーダー役の男性俳優と、私が演じた広報担当者が、プロジェクトの成功を祝してグラスを合わせ、そして、まるで唇が重なり合っているように見えるロマンチックな演出。 当時の監督が「一番ドラマチックに見える奇跡の瞬間だから」と、アングルにこだわって撮影した場面。 実際には数センチの距離を保っていたし、カットがかかった瞬間に互いに距離を取ったけれど、今のこの画面を切り取れば、どう見てもキスをしているようにしか見えない。 「このキスで、隼人がレナに落ちたんだな」 黒崎グループ副社長の名は、隼人さんだった。 「これは……」 違うと言おうとした瞬間、桜生が私を強く抱き寄せた。 「隼人との、キス。どうだったんだ」 桜生の声は、震えているように聞こえた。 「だから、違う」 「隼人は、イケメン御曹司ランキングで三位だからな」 「桜生は一位でしょう。何を心配しているの?」 そう言うと、私を抱きしめた手を緩めて互いの顔を見合わせた。 「人気ランキング一位の俺でも、レナの心の中で一位でないと意味がない
Last Updated: 2026-09-07
Chapter: 第46話「よし、話はまとまった」 お父様はそう言って、話を締めくくった。 ダイニング・サロンから大成さんへ折り返した。 コール1回目で、大成さんは電話に出た。 「レナ。今、どこにいる?」 「大成さん……それが、分からないの。目隠しされていたから」 本当は桜生の家だし、私が倉庫にいないことは大成さんも知っているはずだとお父様の想像通りのはず。 「さっき、レナは手が離せないと言ったが……」 大成さんにそう言われて、墓穴を掘ったと思ったけれど、 「誰かに、そう言えと言われたのか?」 桜生がドスドスと足音を響かせた。 私が話せない状態であることを大成さんに知らせるための演技をしてくれている。 「い、痛い」 桜生が私の右手の甲をつねった。 「大丈夫か! 何された?」 今度はお母様が楽しそうに、フォークとナイフをカチンカチンと鳴らし始めた。 「刃物……? 犯人の顔、分かるか?」 「何か黒い布みたいなものを被っているから、分からない。だけど、体格は男性かも」 「分かった。位置情報を送ってくれ」 大成さんがそう言った瞬間に、お父様が音声変換する機械を使用した。 「レナを渡さない。俺たちのものだ」 てっきりお父様は『身代金を用意しろ』と言うのかと思っていたら、全く違ったことにお母様も私も口を手で押さえた。 「令嬢が言っていたある人とは、お前たちか!」 大成さんが強い口調で言ったことから、お父様のスイッチが入ったようで、口を閉じる気配がしない。 「ある人? 誰のことだ」 それは、私たちも知りたいこと。耳を澄ましていると、 「お前たち、黒崎グループの人間か?」 大成さんも私たちと同じ人物を想像していた。 「黒崎グループ? そいつらもレナを欲しがってんだな」 「あんたらは誰なんだ」 大成さんはそう言った。 「花川コンピューターの人間が、誘拐したと聞いている」 お父様が言った。 「それは、違う。囲い込むだけだ」 「山城家が絡んでいるな。 ディナーの際、不審な動きがあった。君が、何も知らないのなら、もう終わりだ」 お父様はそう言って、通話ボタンを押そうとした。 「レナを奪えると思うな! 二度とかけてくるな」 桜生が最後にそう叫んで、プツリと通話を切断した。「あの様子だと、大成の方も山城令嬢に一杯食わされているな」 お父様が
Last Updated: 2026-09-06
Chapter: 第20話:華条家の令嬢華条家。 格式高い日本庭園を抜け、私は御門智久、漆原誠二、剣持烈と共に応接間へ通された。 静かな足音が廊下から近づいてくる。襖がゆっくりと開いた。 華条玲華は、黒髪を揺らしながら、私を見る。 そして、ゆっくりと微笑んだ。 「ようこそ、お越しくださいました」 その笑みは美しい。だが、どこか相手の内側まで見透かすような冷たさを秘めている。 私は静かに華条玲華を見つめ返した。 「突然の訪問、失礼する」 華条玲華は私ではなく、御門智久へ一度だけ視線を向けた。 「御門様までご一緒とは本当に、美園様を?」 御門智久は穏やかに笑う。 「ええ、玲美様は婚約者ですから」 華条玲華の瞳が僅かに細くなった。だが、それ以上は何も言わない。 私は静かに口を開いた。 「単刀直入に聞こう」 華条玲華は小さく頷き、 「何でしょう」 笑みを絶やさずにそう言った。 「華条家について知りたい」 私がそう言っても、華条玲華の笑みは崩れない。肝の据わった女であるのは、前世と変わりないことは分かっている。 「……家の歴史について、でしょうか」 「それもある」 私は一歩踏み込む。 「千年前まで遡って聞きたい」 その瞬間だった。 華条玲華の指先が、茶碗を持つ手でほんの僅かに止まった。 それはほんの一瞬だった。だから、普通なら見逃すほど小さな変化だ。 やはり、この女も知っている。先祖代々受け継がれているのだろう。 ここで終わらせず、さらに心理戦を続ける。 華条玲華はすぐに微笑みを取り戻した。 「面白いことを仰いますのね」 「華条家は由緒ある家柄ですが、千年前となると、さすがに伝承程度しか残っておりませんわ」 私は茶碗へ視線を落とした。 「そうか」 「ええ」 応接室は沈黙に包まれた。 互いに相手の出方を窺う。どの時代でも同じだ。 その静寂を破ったのは御門智久だった。 「玲華様」 華条玲華が穏やかに視線を向ける。 「何でしょう」 「一つだけ、お聞きしても?」 「どうぞ」 御門智久は笑みを浮かべたまま尋ねる。 「玲華様は、『王妃・美雪』という名をご存じですか」 その瞬間、華条玲華の表情から、初めて笑みが消えた。 「……なぜ、その名を」 華条玲華の声が低く震える。 千年前の「あの女」と重なる。やはり間違いない。華条玲華もまた
Last Updated: 2026-07-20
Chapter: 第19話:婚約者地下室から戻った翌朝。 朝食を取っていると使用人が慌てて駆け込んでくる。 「玲美様!」 「御門様がお見えです!」 私が少し目を細める。 (御門智久……) あの男を見ると、不思議と胸が落ち着く。理由は分からないが、その立ち振る舞いや、私を見つめる眼差しが、どうしても影山を思い出させるのだ。同じ人物だとは思わない。それでも、魂のどこかで懐かしさを覚えてしまう。 そこへ漆原誠二が耳打ちする。 「玲美様。昨日お命じになった華条家ですが、すでに調査を始めております」 私は小さく頷く。 「報告は後だ。今は御門様を優先する」 応接室へ入る。 御門智久が立ち上がる。 「玲美様。お加減はいかがですか」 私は静かに座る。 「心配を掛けた」 御門智久は少し笑う。 「三日も眠っていた人とは思えませんね」 その言葉に、私も小さく笑みを返した。 不思議だった。御門智久と向き合っていると、胸の奥に張りつめていたものが少しだけ和らぐ。その安心感が、なぜ生まれるのか。まだ私にも分からなかった。 御門智久が真剣な顔になる。 「玲美様。一つ、お聞きしても?」 「何だ」 「あなたは……本当に玲美様ですか」 部屋の空気が止まる。 漆原誠二と剣持も表情を変える。 私は御門智久を見る。 御門智久は話を続ける。 「目覚めてからも、更に別人のようです。ですが、今の玲美様の方が好きです」 「……そうか」 好き。その言葉に戸惑ったわけではない。 私が気になったのは、その続きを御門智久が口にしなかったことだ。 婚約を申し出たのか、天条律から私を奪ったのか。 あの場で迷いなく手を差し伸べた理由は、本当にそれだけなのか。それとも、まだ私の知らない理由があるのか。いまだに、この男が何を隠しているのか読めない。 私は静かに御門智久を見つめた。 バタバタと廊下を駆ける足音が近づいてくる。 「失礼いたします!」 使用人が息を切らせながら頭を下げた。 「玲美様、天条律様がお見えです!」 部屋の空気が、一瞬で張り詰めた。 御門智久は静かに立ち上がる。 「……来ましたか」 この時期を待っていたかのように、御門智久はそう言った。 私はゆっくりと立ち上がる。 「ちょう
Last Updated: 2026-07-20
Chapter: 第18話:王妃・美雪の告白冷たい風が、地下通路を静かに吹き抜ける。 剣持烈が携帯用のライトを掲げると、その先の石室が淡く照らし出された。部屋の中央には石の台座。その上には、何もない。 「……遅かったか」 私は静かに呟く。 帳簿は、もうここにはない。誰かが、私たちより先に持ち去っている。 「王妃様……」 かすかな女の声が、石室の奥から聞こえた。 「誰だ!」 剣持烈が庇うように私の前へ立つ。 漆原誠二も周囲を警戒する。 そして、石壁の陰から、一人の若い女性がゆっくりと姿を現した。年は二十歳ほど。質素な着物姿。しかし、その立ち居振る舞いには、どこか気品が漂っている。 女性は私の顔を見るなり、その場へ膝をついた。 「……ようやく、お戻りになられたのですね」 その声は震えていた。 私は思わず息を呑む。 「そなたは……」 女性は深く頭を下げる。 「王妃様付きの侍女、紗月でございます」 その名を聞いた瞬間、胸の奥が大きく脈打った。 影山が語っていた。命を懸けて王宮から情報を流していた、一人の女官。 私は一歩近づく。 「紗月……生きていたのか」 紗月は静かに顔を上げる。 「いいえ」 穏やかな微笑みだった。 「私は、とっくの昔に命を終えております」 漆原誠二と剣持烈が顔を見合わせる。 二人は言葉を失う。 紗月は私だけを見つめていた。 「ですが、この場所を守る使命だけは、魂に刻まれておりました」 私は静かに目を閉じる。 「そうか……」 やはり、千年経っても終わっていなかったのだ。 紗月はゆっくりと口を開く。 「影山は最後まで王妃様を探しておられました」 私は何も言えなかった。 「あの帳簿も、命を懸けて守り抜かれました」 「では帳簿は」 「奪われました」 静かな一言だった。 「ほんの数日前です」 私は拳を握る。 やはり、現代にも、この帳簿を追っている者がいる。 「玲美様……」 漆原誠二が恐る恐る口を開いた。 「今のお話は……一体……」 私は二人を見つめた。 もう隠せない。いや、隠していては、この先へ進めない。 私は静かに息を吸う。 「誠二。烈」 二人が姿勢を正す。 「今から話すことは、到底信じられる話ではない」
Last Updated: 2026-07-19
Chapter: 第17話:新たな味方か?封じられた地下室冷たい風が、地下の奥から吹き抜ける。 その風に混じる薬草の香りだけが、私の鼓動を速めていた。 「烈」 「はい」 「明かりを」 剣持烈は無言で携帯用のライトを取り出し、暗闇へ光を向けた。 細い通路が、地下深くまで続いている。壁は石造り。だが、美園家の地下とは思えないほど古い。まるで、この屋敷より先に造られていたかのようだった。 「玲美様」 漆原誠二が静かに壁へ触れる。 「この石……かなり古いものです」 私は壁へ手を添えた。冷たい。 その冷たさに触れた瞬間、炎、燃え落ちる宮殿、悲鳴、血。 思わず額を押さえる。 「玲美様!」 剣持烈が私を支える。 「……大丈夫だ」 違う。これは頭痛ではない。石に残された記憶が、私へ流れ込んできただけだ。 「進もう」 私は歩き出した。 通路の奥へ進むほど、薬草の香りは濃くなる。 そして、コツ……また音がした。 三人が立ち止まる。 今度は確かだった。誰かが歩いている。だが姿は見えない。 「追いますか」 剣持烈が小さく尋ねる。 私は首を横へ振った。 「いや」 敵の領域で追うほど愚かではない。追うのではなく、相手に見せる。 「誠二」 「はい」 「灯りを消せ」 「……?」 二人は一瞬戸惑った。 それでも従う。地下は闇に包まれた。耳だけが冴える。風、水滴、そして、衣擦れ。 (そこか) 私は静かに口を開く。 「隠れていても構わぬ」 返事はない。 「だが、お前は私たちを見ている」 私の声だけが響くが、静かだ。 「ならば聞こう」 私は暗闇へ向かって告げた。 「お前は敵か」 数秒。 誰も動かない。カタン……何かが床へ落ちた。音は一つ。そして再び静かになる。 剣持烈が素早く灯りを点ける。 床には、一本の古びた木札が落ちていた。 私は拾い上げる。 そこに刻まれていた文字を見て、息を呑む。 『影』 「……影山」 その名ではない。だが、前世で私が与えた名の最初の一文字。 まるで、『ここまで来られるなら続きを見せよう』そう告げられているようだった。 「玲美様」 漆原誠二が奥を照らす。 通路の先には、もう一枚の石扉が静かに佇んでいた。その中央には、美園家の家紋ではない紋章が刻まれている。 私は思わず呟いた。 「これは……」 前世の王宮で、一度だけ見たこと
Last Updated: 2026-07-19
Chapter: 第16話:残された帳簿「……前世?」 漆原誠二が静かに問い返した。 私は小さく息を吐く。 「いや、まだ説明はできぬ」 今話しても信じるはずがない。 夢――ではない。あれは、夢では済ませられない。薬草の匂い、影山の声。そして、女官が命懸けで守った帳簿。どれも現実だったかのように鮮明だ。 それよりも先に、確認しなければならないことがある。 私はゆっくりと息を整えた。 「烈」 「はい」 「私は、どれほど眠っていた」 「三日です」 (三日……) 思っていたより短い。では、 「あの後は、御門智久と天条律はどうなった」 「天条様と御門様は、玲美様が倒れられたあと、美園家の医者が到着するまでご一緒に付き添われました」 剣持烈は続ける。 「その後、お二人とも毎日のように玲美様の容体を確認するために屋敷へ訪れております。今日はようやくお目覚めになられたので、まだ誰にも連絡しておりません」 私は静かに頷いた。 (……時間は進んでいる) 前世だけが流れていたわけではない。現代も、私を待たずに動き続けていたのだ。 「誠二」 「はい」 「影山という名に、心当たりはあるか」 漆原誠二は僅かに眉を動かした。 「……影山、ですか」 「知っているのだな」 「いいえ。同名の者は数え切れないほどおります。ただ……」 漆原誠二はそう言い、そばにいる剣持烈へと視線を送った。 剣持烈も僅かに眉を動かしている。 「ただ?」 「玲美様が、その名を口になさるとは思いませんでした」 私は視線を逸らし「忘れて……」そう言いかけて、首を振った。 違う。忘れてはいけない。触れなければ、今の美園玲美と私、美雪との因果が更に膨れ上がるだけだ。 「誠二」 「はい」 「美園家に古い帳簿は残っていないか」 漆原誠二はそう問われて、右斜め上へと視線を上げた。 「帳簿……ですか?」 「何十年も前でも構わない。商談記録でも、寄付でも、資産台帳でもいい。特に、先代以前の資料を見たい」 漆原誠二は少し考え込んでいた。そして、再度、剣持烈へ助けを求めるよう視線を投げた。 「地下資料室なら、古い保管庫がございます。ですが、今では誰も使っておりません」 示しを合わせたように、剣持烈がそう答えた。 (
Last Updated: 2026-07-18
Chapter: 第15話:最初の一手「……ご命令を」 影山が膝をついたまま、そう言った。 王宮では、誰も私の命令など望まない。だが、この男は違う。 私が何を命じるか、それだけを待っている。 この国はまだ眠っている。ならば、起こしてやればいい。 「影山」 「はい」 「今、民は何を一番恐れている」 影山は迷わなかった。 「飢えです。次に、重税。そして徴兵」 私は静かに頷く。 やはり律王は変わっていない。恐怖で民を縛ろうとしている。 「民は飢えれば従うと思っているのであろう」 「……はい」 私は小さく笑った。 「愚かな王だ」 王とは、民を支配する者ではない。民に支えられて初めて王となる。 その理を、律王は最後まで理解できなかった。 「影山」 「はい」 「残っている商人は」 「まだ七割ほどは我らに恩義を感じております」 「農民は」 「各地の村長たちも」 「薬師は」 「皆、密かに連絡を取り合っております」 私は息を吐いた。 思った以上に残っている。律王は私を殺しても、根までは切れなかった。 「ならば始めよう」 影山の瞳が揺れる。 「まずは税を払えなくなった村へ食糧を流せ」 「しかし、それでは我々の蓄えが」 「構わぬ」 私は影山を真っ直ぐ見た。 「金はまた稼げる。だが、人は死ねば戻らぬ」 影山は深く頭を下げた。 「承知いたしました」 「それと」 私は少しだけ考える。 律王は必ず民を監視している。露骨に動けば潰される。 だから、 「私の名は出すな」 影山が顔を上げる。 「え……」 「死んだ女が民を救うなど、不気味であろう」 思わず影山が笑う。 「確かに」 「救ったのは旅の商人でも、名もない篤志家でも構わぬ。私の存在は、まだ闇の中でいい」 「はい」 影山はすでに次の動きを考え始めていた。 この男は優秀だ。命令を一つ出せば十を動かす。だから私は安心して任せられる。 その時だった。 コンコンと、扉が小さく叩かれる。 影山が一瞬で表情を消した。 「誰だ」 影山が出入り口に向かって、強い口調で言った。 「薬を届けに参りました」 若い娘の声だった。すると、影山は私を見る。 私は静かに頷いた。
Last Updated: 2026-07-17
Chapter: 第70話:温かな光の中で(最終話)車から降りてマンションを見上げると、リビングの窓からあたたかな灯りが漏れていた。 静かに玄関の鍵を開けると、足音に気づいた仁さんが、弾かれたように廊下へ走ってきた。 「璃子! おかえり、無事だったか!?」 「仁さん……」 心配でたまらなかったという顔をした仁さんは、璃子のもとへ駆け寄ると、力強く璃子のお腹を圧迫しないように優しく抱きしめてくれた。その温もりに包まれた瞬間、今日一日張っていた緊張の糸が、ふっと解けていくのが分かった。 「……うん、ただいま。全部、終わりました」 リビングで温かいお茶を飲みながら、麗香専務と直樹に告げた最後の言葉、そして二人との完全な決別について報告した。 仁さんは静かに耳を傾け、最後に璃子の手をぎゅっと握りしめてくれた。 「よく頑張った、璃子。君が過去のすべてにちゃんと向き合ってケジメをつけたこと、本当に誇りに思う……これからはもう、過去に怯える必要なんて何もない。俺たちの未来だけを見つめていこう」 「はい……っ」 仁さんの温かい言葉に、瞳から静かに涙が溢れ落ちた。 けれど、それは悲しい涙ではなく、心が満たされていく温かい涙だった。 ◇ 数日後。体調がすっかり安定した休日、私たちは仁さんのご実家を訪れていた。 「お義父さん、お義母さん。今日はおふたりにお伝えしたい大切な報告があって来ました」 お茶を淹れてくれた義母と、少し緊張した面持ちで座る義父に向かって、仁さんが真っ直ぐな瞳で告げた。 「璃子の体に、新しい命が宿りました。妊娠二ヶ月です」 「まあ……っ!」 両手を合わせて瞳をまん丸に輝かせた義母。 「本当か……!?」 目を見開きそう言って義父は口が開いたままだった。 一瞬の静寂の後、義母は両手で口元を覆って目を出涙で濡らし、義父は破顔して深く頷いた。 「おめでとう、璃子ちゃん……! 体は大丈夫なの? つわりは? 無理しちゃダメよ!」 義母は璃子のお腹に手を触れながらそう言った。 「ありがとうございます、お義母さん。聖子さんや頼人さん、みんなが過保護なほど守ってくれているので大丈夫です」 「そうか、そうか……。ゴタゴタもあって、君には苦労ばかりかけてしまったな。これからは真壁家総出で、君と赤ちゃんを守るからね」 義父のあたたかい言葉に、
Last Updated: 2026-07-22
Chapter: 第69話:それぞれの終着点麗香専務が警備員に連れられてスタジオを去った、その日の夕方のことだった。 頼人さんと黒岩さんに「今日はもう早く帰りなさい」と促され、聖子さんに車で送ってもらうためにスタジオの裏口を出たとき、建物の陰から、ボロボロのコートを着た一人の男がふらりと姿を現した。 「……璃子」 掠れた声に振り返ると、そこにいたのは直樹だった。 かつては身だしなみに人一倍気を使っていたはずの直樹は、髪も肌も荒れ果て、高級そうだったブランド物のスーツはヨレヨレに汚れている。 麗香専務が言っていた通り、別のパトロンに乗り換えたものの、すぐに使い捨てられて放り出されたのだろう。その目は酷く充血し、怯えたように泳いでいた。 「直樹さん……」 「璃子、頼む、僕を助けてくれ……! 僕は麗香に騙されていたんだ! あいつが桐島の権力で僕を脅すから、僕は従うしかなかったんだよ……っ。僕が本当に愛していたのは、今でも君だけだ!」 ――意外だった。 これまで、直樹は自分のことをずっと『俺』と言っていた。 付き合っていた頃、「社会人になったら『僕』と言った方が印象がいいよ」と璃子がどれだけ提案しても、プライドが邪魔をするのか、直樹は頑なに受け入れずずっと『俺』を通していたのだ。 それが、今は『僕』と言っている。 この人に一体何があったら、プライドの塊だった男が、こうも変われるものなのだろうか。 必死に璃子に媚びるように言い訳を並べ立てる直樹を見つめながら、璃子の胸に湧き上がってきたのは、怒りでも憎しみでもなかった。ただ、言いようのない『哀れみ』だけ。 (直樹さんは、そんな人じゃなかったのに……) お金と権力という魔力に魅せられ、自分を見失い、泥沼に落ちてしまった目の前の男。その引き金が麗香専務との出会いだったとしても、最終的にその道を選び、プライドすら売り払って変わってしまったのは、直樹自身。 直樹は璃子の手へ縋り付こうと手を伸ばしてきたけれど、隣にいた聖子さんが鋭い目つきでその手をピシャリと叩き落とした。 「近寄らないでくださるかしら。芹沢直樹さん」 聖子さんの言葉はとても強く、これまでにないほどの低い声だった。 「璃子! お願いだ、あの返却請求代行の会社で、僕を雇ってくれ! 僕なら君の右腕として、いくらでも役に立てる! 昔みたいに、二
Last Updated: 2026-07-22
Chapter: 第68話:どうして、麗香専務が……あの一件から、璃子は聖子さんに半ば強制的に休暇を言い渡され、自宅で安静に過ごしていた。 『璃子ちゃん、今はとにかく身体が第一よ。初期の無理は絶対に禁物。一週間は自宅で大人しくしていなさい』 聖子さんはそう言って怒っていたけれど、会社の様子が気になって、どうしてもじっとしていられなかった。体調が落ち着いているのを見計らい、三日振りにオフィスに出社した璃子は、会議室の前に漂う異様な空気に足を止めた。 (まだ……いらっしゃるの?) ドアを少しだけ開けると、そこには三日前と変わらない、張り詰めた空気が満ちていた。 そして、璃子の姿が視界に入った瞬間。 パイプ椅子に座っていた麗香専務の目が、カッと見開かれた。 「璃子……! 璃子さん……っ!!」 立ち上がった麗香専務は、遮ろうとした頼人さんや黒岩さんの手をすり抜け、狂ったような勢いで璃子に向かって駆け寄ってきた。 「きゃっ、」 璃子が身をすくめるよりも早く、麗香専務はその場に崩れ落ちるように床に膝をついた。そして、璃子のスカートの裾、剥き出しの膝を、痛いほどの力で掴んできたのだ。 「麗香専務が……!?」 「お願い、お願いよ。如月さん! 私をここで雇ってちょうだい……!」 見上げんばかりに璃子にすがりつく麗香専務の目からは、大粒の涙がボロボロと溢れていた。完璧だったメイクは完全に崩れ、かつて桐島ホールディングスの頂点に君臨していた面影なんて、どこにもない。 「私にはもう、本当に何もないの……! 桐島家からも追放されて、仕事も、お金も、住む場所すら失ったわ! 知識も努力もしてこなかった私を、外の会社は誰も見向きもしてくれない! でも、あなたなら優しいでしょう。私を見捨てたりしないでしょ!? お願い、ここで働かせて! 何でもするから……っ!!」 涙と鼻水に塗れながら、プライドの破片すらなく璃子に泣きつく元・専務。その無様な姿に、背後で明衣ちゃんが息を呑み、黒岩さんがいつでも引き離せるように身構えるのが分かった。 聖子さんが「離れなさい!」と激昂しかけた、その時。 璃子は自分の膝を掴む麗香専務の、小刻みに震える冷たい手を見つめながら、静かに息を吸い込んだ。 「皆さん、ありがとうございます。……でも、大丈夫です」 璃子は周囲の皆を見回し、それから、足元で泣き崩れる麗香専務をまっすぐに見据えて言った
Last Updated: 2026-07-22
Chapter: 第67話:堕ちた女の無様な懇求私、横田明衣。 頼人さんと聖子さんが「この案件を預かる」と言ってくれた翌日のことだった。 黒岩さんが指定したBlue Code Studioの緊迫した会議室。 ついにあの女が姿を現した。 「……お久しぶりです、皆さん。それから、横田さんも」 コンコン、という力ないノックの後に部屋に入ってきた人物を見て、私は自分の目を疑った。 そこにいたのは、かつて私が桐島ホールディングスで嫌というほど見上げてきた、あの完璧で冷酷な麗香専務の面影を無くした一人の女性だった。 ハイブランドのスーツはどこか型崩れしていて、いつも完璧にセットされていた髪は少しパサついている。何より、出会う人間すべてを見下していたあの傲慢な瞳が、今は怯えたように泳いでいた。 「本当に、一人で来たのね。……座ったら、麗香さん」 聖子さんが冷ややかな声をかける。麗香専務はビクッと肩を揺らし、促されるままに椅子へ腰掛けた。その手は、自分の膝の上で小さく震えている。 「単刀直入に聞こう。仁と璃子ちゃんが席を外しているこのタイミングで、うちのサイトに『白紙の依頼』なんて不気味な真似をしてまでここへ来た目的は何だい? 聖子は『直樹の返却か謝罪か』なんて言っていたけれど」 頼人さんがデスクに肘をつき、綺麗な指を組んで麗香専務を見据える。その目は、憐れみすら含まない、ただの観測者のそれだった。 麗香専専務は乾いた唇を戦慄かせ、何度も喉を鳴らした。そして、目の前にいる宇佐美と山城のトップ、そして黒岩さんと私を見回し、ついに消え入りそうな声で本音を吐き出した。 「……私を、ここで雇ってほしいの」 「「え……?」」 私と黒岩さんの声が綺麗にハモった。 あまりにも予想とかけ離れた斜め上の言葉に、頭の回転が追いつかない。 「雇ってほしい……? あなたが、このBlue Code Studioで、働きたいと言っているの?」 私が呆然としながら問い返すと、麗香専務はプライドを粉々にへし折られた顔で、惨めに視線を落とした。 「……桐島家から、縁を切られたわ。仕事も、役職も、住む場所も、すべて剥ぎ取られた。今の私は、ただの『元・桐島』。私には、何も残っていないのよ……!」 感情を爆発させるようにそう言うと、麗香専務はデスクに両手をついて、私たちに向かって深く頭を下げた。あの、世界の中心にいるかのように
Last Updated: 2026-07-21
Chapter: 第66話:最強の盾と、暴かれる影「皆さん、聞いてください! 璃子代表、病気じゃありませんでした! 体調ももう落ち着いているそうです!」 私、横田明衣がオフィスの中心でそう声を張り上げると、張り詰めていたスタジオの空気が一瞬で歓声へと変わった。 「本当ですか!?」「よかった……!」と涙ぐむスタッフもいる。詳しい理由はまだ秘密だけど、黒岩さんの言った通り、まずはみんなの不安を吹き飛ばすことができてホッとした。 「それから、もうすぐ頼人さんと聖子さんが、大事な用件でこちらに見えるそうです。会議室を使うので、お二人が来られたらすぐにお通ししてください」 そう付け加えると、みんな「お、差し入れかな?」「また面白い井戸端会議が始まるぞ」と、黒岩さんの狙い通りにすっかりリラックスした様子で頷いてくれた。 みんなの笑顔に背を向け、私はそっと会議室へと入る。 そこには、すでにプロジェクターの準備を終え、険しい顔で腕を組んでいる黒岩さんが待っていた。 それから十分も経たないうちだった。 トントン、と会議室のドアが小気味よく叩かれ、事前の連絡通りに二人の人物が姿を現した。 「明衣ちゃん、黒岩くん。おめでたい話の最中に、ずいぶんと物騒なヘルプ要請ね」 華やかなハイブランドのスーツを着こなし、凛とした微笑みを浮かべて入ってきたのは聖子さん。そのすぐ後ろから、「相変わらずここは落ち着くね」と、仕立てのいいジャケットのポケットに片手を入れながら、大人の余裕を漂わせた頼人さんが続く。 宇佐美ファイナンシャルグループ代表と、山城グループの事実上のトップ代行。 部屋に入ってきただけで、そこが小さなスタジオの会議室であることを忘れさせるような、圧倒的なオーラが満ちていく。 「お忙しいところ、急な呼び出しに応じていただき感謝します、頼人さん、聖子さん」 黒岩さんが深く頭を下げると、頼人さんはひらひらと手を振ってそれを制した。 「水臭いな、黒岩くん。僕たちは一度手を引いたとはいえ、ここは僕と聖子が立ち上げに関わった大切な場所だ。それで? 仁と璃子ちゃんが病院にいる隙を狙って、うちのシステムに飛び込んできたっていう不気味なコンタクトはどこからだい?」 頼人さんの目が、一瞬で冷徹なビジネスパーンのそれへと切り替わる。 黒岩さんが無言で頷き、リモコンを操作してプロジェクターの
Last Updated: 2026-07-21
Chapter: 第65話:依頼内容、空白スマートフォンの画面を閉じ、私・横田明衣はオフィスのデスクで、深く、深く安堵の息を吐き出した。 さっきまで心配で張り裂けそうだった胸の奥が、黒岩さんの「これ以上ない吉報」という言葉で一気に温かくなる。詳しい理由は戻ってからと言っていたけれど、あの黒岩さんがそこまで言うのだ。きっと、璃子さんと仁さんにとって、これ以上ないくらい幸せな理由に違いない。スタジオの皆にも早く伝えて安心させてあげたい。そう思った。 思ったのだけれど――。 私の視線は、再び目の前のPCモニターへと引き戻される。そこに映し出されている「返却請求代行サイト」の管理画面を見た瞬間、せっかく温まりかけた指先が、嘘のように冷たくなっていくのを感じた。 「これ……どういうことなの?」 ぽつりと漏らした私の声は、静かなオフィスに力なく消えた。 私たちが運営する『返却請求代行サイト』は、本来、悪質な取引先から回収できない機密データや、不当に持ち逃げされた契約書、あるいは不当な関係を断ち切るための書類などを、システムとロジックの力でスマートに「返却請求」するための窓口だ。 けれど、数分前に飛び込んできたこの問い合わせは、これまでのどんな案件とも、その異質さが違いすぎていた。 画面に並ぶ、奇妙な文字をもう一度なぞる。 【ご依頼内容】空欄(白紙) 【備考・詳細】 『どうしても、Blue Code Studioのトップである代表に直接、会いしたい。お会いできるまで、何度でもアプローチします』 それだけだった。 依頼内容も、請求対象も、希望工期も、すべてが白紙。 問い合わせフォームの最後に添えられたその一文には、名前こそ匿名になっているものの、画面越しに喉元へ刃を突きつけられているかのような、異常なまでの執着と傲慢さが満ちていた。 それに、璃子さんの名前を出さずに、わざわざ『代表に会いたい』と書かれている。失礼にも程がある。サイト内にはしっかり璃子さんの顔写真も、自己紹介から会社案内まで載せているのだから。 何より不気味なのは、発信元のIPアドレスのログだった。 セキュリティを幾重にもすり抜けて残されたその暗号化データの片隅に、かつて私が身を置いていた古巣『桐島ホールディングス』の役員専用回線を示す、特殊なコードが混ざっていたのだ。 (麗香専務……?) 私の脳裏に、あの冷酷無比なト
Last Updated: 2026-07-21