Chapter: 第31話「深夜の執務室、眠れる森の経理係」証人であった職人、ミラーが謎の死を遂げてから二日。 公邸の空気は重く沈んでいた。そんな中、私の元に一つの小包が届いた。「リアナ様。表門に『ファンからの差し入れ』と称して、これが置かれていたそうです」ルーカス様が持ってきたのは、高級菓子店の包装紙で包まれた重たい箱だった。 危険物探知は済ませてあるという。私は訝しみながら包装紙を解いた。 蓋を開けると、詰まっていたのは砂糖菓子ではなかった。「……あら」古びた紙幣の束。 ……金貨で運べば、荷馬車が一台必要になる金額だ。それを、こうして小箱一つに収めてしまえるのだから、紙幣とは便利なものだと思う。 一万ベル札が、ぎっしりと隙間なく詰め込まれていた。 ざっと見て、束が十個。「一億ベル、ですね」その上に、一枚のカードが添えられていた。 『賢明な判断を期待する。これを持って田舎へ帰れ。さもなくば、次は貴様の番だ』典型的な買収工作、兼、脅迫状だ。 一億ベル。 私の借金を二回完済してもお釣りが来る金額。「……馬鹿にするな」背後で、低い声が響いた。 アレクセイ様だ。彼もまた、箱の中身を覗き込み、氷のような冷気を放ち始めていた。「たったの一億ベルか? 私の補佐官の口を封じる対価が、これっぽっちだと?」 「ええ、同感です。あまりにも市場価格を無視しています」私は冷静に頷き、愛用のそろばんを弾き始めた。「計算してみましょう。もし私が手を引いて偽造金貨が流通すれば、ハイパーインフレで三ヶ月後にはこの一億ベルは紙屑です。さらに敵の追手を差し向けられる確率は九九%。逃亡生活の警備費や慰謝料まで現在価値に割り引くと、どう考えても赤字です」私は最後に、バチン! と決定的な音を立ててそろばんを止めた。「結論。この提示額は、私の人生と命を買い叩きすぎています。最低でも国家予算の三割、かつ非課税での一括払いくらい提示してもらわないと、交渉のテーブルにも着けません」私が真顔で言い放つと、アレクセイ様は呆気にとられた顔をし、それからフッと口角を上げた。「……ククッ、ははは! 国家予算の三割か! 強欲で結構! 一億ベルなど、君の価値の消費税にもならん」「ええ。経理係をナメないでいただきたいです」私は箱の蓋を乱暴に閉じた。「この金は『証拠品』として押収します。雑収入として計上できないのが残念ですが」 「……待て
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Chapter: 第30話「王立造幣局への潜入、機械の鼓動を聞け」王立造幣局。 王都の北東、厚い石壁に囲まれたその施設は、国の心臓部だ。 普段は鼠一匹通さない要塞だが、今日の空気は違っていた。「ようこそお越しくださいました、宰相閣下」造幣局長の男が、脂汗を拭いながら出迎えた。 その目は泳ぎ、笑顔は引きつっている。 無理もない。「氷の宰相」が事前通告なしの抜き打ち監査に来たのだから。「仕事中すまないな。……少し、工場のラインを見せてもらいたい」 「は、はい! もちろんでございます! ですが、現在はメンテナンス中の区画が多く……」 「構わん。稼働している機械だけでいい」アレクセイ様は局長の言い訳を一蹴し、私に目配せをした。 私は無言で頷き、眼鏡の位置を直した。 今日の私は、ただの補佐官ではない。「監査官」だ。重厚な二重扉が開かれると、熱気と騒音が押し寄せてきた。 巨大なプレス機が一定のリズムで金属板を打ち抜き、数百人の職人たちが黙々と作業をしている。 一見すると、何の変哲もない工場の風景だ。「こちらが第一ラインです。ここでは五千ベル銀貨を……そしてあちらが、一万ベル金貨を製造する第三ラインでございます」局長が早口で説明する。 私は工場の隅々まで目を凝らした。 床の清掃状況、資材の積み上げ方、職人たちの手つき。 どれもマニュアル通りに見える。帳簿上の数字だけでなく、現場の風景もまた「綺麗」に整えられていた。「いかがでしょう、閣下。何も問題はないかと」 「そうだな。見た目は完璧だ」アレクセイ様が私を見た。「どうだ?」という問いかけだ。 私は工場の中央で立ち止まり、ゆっくりと目を閉じた。|視覚情報《ノイズ》を遮断し、聴覚を極限まで研ぎ澄ます。 工場の騒音は、私にとっては数字の羅列だ。(……聞こえる)第一ライン、正常。 第二ライン、正常。 そして、第三ライン──金貨の製造ライン。ガシャン、ッ、ドン。……ガシャン、ッ、ドン。(……見つけた)私は目を開けた。 そして、迷うことなく第三ラインのプレス機の前へと歩き出した。「あ、あの、補佐官殿? そちらは危険ですので……!」局長が止めようとするのを無視し、私は作業中の若い職人の前で足を止めた。 二十代半ばくらいの、真面目そうな青年だ。 彼は私の姿を見て、ビクリと手を止めた。「……その機械、止めてください」 「えっ、あ、はい……」機械が停止し、周囲
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Chapter: 第29話「悪貨は良貨を駆逐する、しかし私の計算は駆逐されない」王宮の最深部にある「王の間」。 円卓を囲むのは、国王陛下をはじめとする各大臣たち。 その末席に──場違いなほど地味な服を着た、リアナが立っていた。「……以上が、本日正午に市場で発見された金貨の分析結果です」私は震える手で眼鏡を押し上げ、一枚の金貨を円卓の中央に置いた。「規定重量二〇・〇グラムに対し、実測値一九・五グラム。中心部に鉛合金が混入されています。 極めて高度な技術で鋳造されており、素人が見抜くことは不可能です」私の報告に、財務大臣のマクシミリアン・バロン・グレイ伯爵が不快そうに鼻を鳴らした。「宰相閣下。このような小娘の妄言を聞くために、我々を緊急招集したのですか? たかが金貨一枚の不良品でしょう。職人の手元が狂っただけではありませんか」 「手元が狂って、鉛が混入するわけがないだろう」アレクセイ様が私の隣に立ち、氷のような視線で大臣を一瞥した。「続けろ、リアナ。この『一枚』が意味する未来を、彼らに教えてやれ」 「はい」私は深呼吸をし、背後の黒板に向き直った。 チョークを握る。「皆様。『悪貨は良貨を駆逐する』という法則をご存知でしょうか」カッカッカッ! 私は黒板にグラフを描き始めた。「もし、この『軽い金貨(悪貨)』が市場に大量に流れたら、誰もが『重い金貨(良貨)』を手元に隠し、『軽い金貨』だけを使おうとします。損をしたくないからです。その結果、市場からは『良貨』が消え、『悪貨』だけが溢れかえり、商人は金貨の価値を信用しなくなって商品の値段を上げます」 「物価高騰……インフレーションか」 「はい。ですが、ただのインフレではありません」私は赤いチョークに持ち替え、グラフの上に一本の線を垂直に引いた。「信用崩壊による『ハイパーインフレ』です。私の計算では、この偽造金貨が市場の三割を超えた時点で、通貨への信用は地に落ちます。現在の流通速度から推測すると……その『Xデー』は、あと三ヶ月後です」「さ、三ヶ月!?」 「はい。三ヶ月後には、パン一個の値段は現在の百倍、一万ベルになります。庶民は餓死し、暴動が起き、国は機能不全に陥ります。……これが、私の計算が導き出した『死のシナリオ』です」シン……と、会議室が静まり返った。 パン一個が一万ベル。その数字のリアリティが、大臣たちの楽観を粉砕したのだ。「……馬鹿な。たかが小娘の計算だろう
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-05
Chapter: 第28話「 軽すぎる金貨、重すぎる陰謀の再来」「……いい天気ですね」王都の大通り。澄み渡る青空の下、私は新しい眼鏡の位置を直しながら呟いた。 隣を歩くアレクセイ様は、変装用の伊達眼鏡をかけ、平民風のジャケットを羽織っている。 今日は公務の合間の息抜きという名目で、私の買い出しに無理やりついてきたのだ。「ああ。君と歩くには悪くない日和だ」 「荷物持ち、ありがとうございます。でも、そろそろ重いでしょう?」 「この程度、書類の束より軽い」アレクセイ様の手には、洗剤、トイレットペーパー、保存食の缶詰などが詰まった買い物袋が提げられている。 国の宰相に何を持たせているんだと護衛のルーカス様が遠くで頭を抱えているが、本人が「君の生活を支えている実感が湧く」と言って聞かないので仕方がない。「さて、最後にお釣りをもらって帰りましょう」私は馴染みの乾物屋で支払いを済ませた。 ……あれ? 私はふと、先ほど別の店でお釣りとして受け取った「一万ベル金貨」に目をやった。 見た目は新品同様に輝いている。 王国の紋章が刻印され、目視で確認できる限り、完璧な本物に見える。私はその金貨を指先で摘み上げた。チャリッ。軽い音がした。 本当に、ごくごく僅かな違和感。 普通の人間なら「気のせい」で済ませるレベルの、指先に残る感触の差異。「リアナ? どうした、また値切り交渉か?」アレクセイ様が不思議そうに覗き込んでくる。 私は答えず、その金貨を掌に乗せ、目を閉じた。 全神経を指先の触覚に集中させる。(……計測開始)私の脳内にある天秤が揺れる。 左皿には、正規の一万ベル金貨。規定重量二十・〇グラム。 右皿には、今ここにある金貨。天秤が、左に傾いた。 右が軽い。(……十九・五グラム)〇・五グラム足りない。 たったそれだけ? いいえ、違う。 |金《ゴールド》の比重を考えれば、この大きさで〇・五グラムも軽くなるはずがない。 中身が違うのだ。 表面は本物の金でコーティングされているが、中心部に比重の軽い安価な金属──鉛や銅が混ぜられている。「……閣下」私の声が震えた。 冷や汗が背中を伝う。「どうした。顔色が悪いぞ」 「……この金貨、どこで手に入れたか覚えていますか?」 「さっきの……帽子屋のお釣りだったか? それがどうかしたのか」 「ニセモノです」私が断言すると、アレクセイ様の目が鋭く細められた。 彼は即座に
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Chapter: 第27話「瞳の奥の光、眼鏡という名の封印」パキッ。乾いた音が、執務室の静寂を切り裂いた。 私が床に落ちたペンを拾おうとした、その時だった。 長年連れ添った相棒──ツルをセロハンテープで三箇所補強し、レンズには無数の傷が入った年代物の丸眼鏡が、ついに重力と経年劣化に負けて崩壊したのだ。「あ……」私はフレームが真っ二つに割れた眼鏡を拾い上げ、絶望した。「嘘でしょう……。まだ償却期間(寿命)まで半年はあったはずなのに」 「寿命というか、それはもう遺物の域だったぞ」デスクの向こうで、アレクセイ様が呆れたように言った。「ちょうどいい。新しいのを買え。経費で落としていい」 「ありがとうございます。……ですが、納品されるまでの間、どうしましょう」私の視力は極めて悪い。眼鏡がないと、世界は色彩のぼやけた光の粒と化す。「まあ、今日は執務室から出なければいい話です。閣下、お昼休憩の際は私の手を引いて……閣下?」返事がない。 ぼやけた視界の中で、銀色の光(アレクセイ様)が、なぜか固まっている。「……リアナ。顔を上げろ」 「はい?」言われるがままに顔を上げる。 アレクセイ様が近づいてくる気配がした。 彼の指が、私の顎に触れる。「……やはり、凶器だな」彼が低く呻いた。「君は、その眼鏡を『封印』として使っていたのか?」 「封印? いえ、ただの視力矯正器具ですが」 「……鏡を見てみろと言いたいが、見えないんだったな」アレクセイ様は深いため息をつくと、脱ぎ捨ててあった自分のジャケットを手に取り、バサッ! と私の頭から被せた。「むぐっ!? な、何をするんですか!」 「隠蔽工作だ。いいかリアナ、その顔で一歩も外に出るな。窓際にも立つな。誰とも目を合わせるな」 「視界ゼロです! 窒息します!」私がジャケットから顔を出そうとすると、彼は慌てて私の目を手で覆った。「だめだ! その無防備な瞳を晒すな!」 「仕事になりません! どうしたんですか、急に!」 「……君の裸眼の破壊力が高すぎるんだ。ただでさえ美しいのに、焦点が合わずにとろんとしたその瞳で見つめられたら……男どもは一撃で落ちる」彼は真剣そのものの声で言った。「君という『国家機密』が漏洩する緊急事態だ」「失礼します、閣下。財務省からの決裁書類をお持ちしました」タイミング悪く、執務室に若い文官が入ってきた。 アレクセイ様は舌打ちし、
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Chapter: 第26話「その噂、否定させていただきます」「……ねえ、聞いた? アインスワース公爵家の噂」王宮の回廊を歩いていると、給湯室の陰からヒソヒソ声が聞こえてきた。 足音を忍ばせ、聞き耳を立てる。「聞いたわよ。あの『氷の宰相』が、どこかの貧乏令嬢に骨抜きにされているんですって?」 「ええ。なんでも、彼女の機嫌を取るために、国庫の金を横流しして貢いでいるとか……」 「まあ! 公爵家の資産も底をついて、破産寸前だという話よ。愛に狂うと、男は駄目になるのねぇ」クスクスという嘲笑。 私は手に持っていた書類の束を、グシャリと握り潰した。(……許せない)私が「貧乏令嬢」と馬鹿にされるのはいい。事実だからだ。 だが、許せない点が一つある。『アレクセイ・フォン・アインスワースが、女一人に貢いだ程度で破産する』このデマだ。 これは、彼の資産管理を任されている私の「経理係としてのプライド」に対する、重大な侮辱である! 私がついているのに破産? ふざけるな。彼のポートフォリオは、利回り年五%の超優良経営だ!「……ルーカス様」 「は、はい。なんでしょう、その鬼のような形相は」背後に控えていた護衛騎士のルーカス様が、私の殺気に後ずさる。「今すぐ、移動式の黒板を用意してください。チョークは三色。指示棒も忘れずに」 「は? これから会議ですか?」 「ええ。……『公開訂正講義』です」私は眼鏡をカチャリと押し上げ、噂話の発信源である「貴婦人たちのお茶会」がある方角を睨みつけた。「数字の読めない有閑マダムたちに、真の『富豪』の桁の違いを教えて差し上げます」王宮のサロン・ド・ローズ。 有力貴族の夫人たちのお茶会の話題の中心は、もちろん宰相閣下のスキャンダルだ。バンッ!!優雅な空間に似つかわしくない轟音と共に、扉が開かれた。 入ってきたのは、地味な灰色のドレスを着た眼鏡の女と、巨大な黒板を担いだ騎士団長クラスの男だ。「な、なによ貴女は!?」 「不躾な! 衛兵を呼びなさい!」騒然とする夫人たち。 私はそれを無視し、サロンの中央に黒板をドンと設置した。「お楽しみ中、失礼いたします。宰相補佐官付経理係、リアナ・フォレストです」私は指示棒をパシン! と黒板に叩きつけた。「只今より、巷で流布されている『アインスワース公爵破産説』についての、訂正会見を行います。……ルーカス様、チョークを」 「あ、はい……(俺、
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-04