Chapter: 73.搬送されて |桐生智也《きりゅうともや》は救急車とパトカーを呼んだ。 相手方は、赤信号で飛び出すのが悪いと責めてくる。 美琴が何事かと様子を見に来た。 直也が事故に遭ったと知り、美琴はオロオロするだけだった。 その姿を見て、本当に医師としての経験がないのだと思い知った。 |朝倉倫子《あさくらりんこ》と結婚している間に、直也が怪我をしたことがある。彼女は医学生時代の知識しかなかっただろうが、テキパキと様子を観察し、問診をして安心するように声をかけていた。 実に頼もしかった。 救急車には美琴が同乗した。 警察官とやり取りをしてから、智也は路肩に止めたままの車で搬送先の病院へ向かった。 運転しながら、いろいろなことを考えてしまう。 美琴は医師免許を剥奪されるのだろうか。 首席卒業にこだわって、倫子の人生を滅茶苦茶にするなんて、どういう神経をしているんだ。 ああ、倫子に詫びなければ。 ……自分は、罪を犯していない。美琴の策略に協力してしまったが、男女関係のもめ事と言い張れる内容だ。 智也は、美琴のどこを好きだったのか疑問に思ってしまった。 キラキラと輝いて、一緒に並ぶと羨望の眼差しを受けた。いつも堂々としているのに、自分の前では涙ぐみ、頼ってくるのが堪らなかった。 純粋な娘どころか、あんなに腹黒くあざとい女だったとは―― 裏切られた。「……はは」 智也は自嘲した。 息子の直也も、先ほど「裏切られた」と腹を立てていたことを思い出したのだ。 智也は、直也が運ばれた病院に到着した。 受付で教えてもらい、手術を受ける患者たちの家族控え室へ向かった。 美琴は震えて、目元をハンカチで押さえている。「大丈夫か」 美琴の肩を抱くと、智也の胸に顔を寄せてきた。 この仕草に庇護欲が湧くと思っていたな、と他人事のように思った。 美琴によると、直也は様々検査をしてから手術室に運ばれるという。「あなたがいないから、同意書のサイン、私がしたのよ」 責めるような口調が、勘に障った。「君が書いても問題ないだろう」「そ、そうだけど……」 美琴がさりげなくお腹を庇うように手を当てる。 妊婦だったことを思いだし、智也は美琴を椅子に座らせた。 手術中のランプがついたまま昼の時間が過ぎ、智也と美琴は交替で食事をすることにした。 その時間に、智也は倫子にメ
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-10-26
Chapter: 72.変えられない過去「美琴ママ? 僕を産んだのは倫子ママじゃないの?」 |桐生美琴《きりゅうみこと》は、|直也《なおや》の問いかけに答えることができなかった。「その話は、後にしよう」 |智也《ともや》が深刻な顔で言う。「なんだよ。嘘ついてたのか?」「うるさいわね。今、それどころじゃないのよ」 美琴はヒステリックに叫んだ。 前方に赤信号が見え、智也は車を止めた。 ガチャリ。バタン。 直也は車から飛び出した。信号で止まっている車の隙間を縫い、歩道を目指して走っていく。「おい、何を……!」「智也。チャイルドロックしてないの?」 美琴が助手席から怒鳴る。「もう、そんな子どもじゃないだろう」 信号が青に変わる。周囲の車が動き出し、智也も前進せざるを得ない。「路肩に止める」 智也はそう言って、少し走行してから車を止めた。「……行ってくる」 美琴がシートベルトを外さないで座っているのを見て、智也は車を降りた。 美琴は人のために動くタイプじゃない。母性本能も、結婚してからは感じない。 倫子は、実子ではないことを知りながら、直也に手をかけていた。本当の母親のように。 だから、直也も生意気なことを言いながら、どこかで本当の母親だと信じていたのだろう。 あのまま、倫子と結婚生活を続けていたらよかったんじゃないか? 初めて、そんな考えが浮かんだ。 倫子を嘘つきだと思い込んで、冷たく接していた。 それが誤解だとわかった今、心から彼女に優しくできそうな気がする。 直也が植え込みのところにしゃがんでいるのが見えた。 智也は大股で近づく。 靴音に直也は顔を上げ、睨みつけてきた。「大人なんか、嘘ばっかりだ!」 直也の目は赤くなり、涙が溢れている。 本当に、なんで美琴の嘘に簡単に騙されてしまったのだろう。虐げられるヒロインを救うヒーローになったような気がしていた。 他の奴らにはできないことだと誇らしく思った。 美琴が妊娠したときに、医師になる夢を諦められないと泣かれた。 すべてが狂いだしたのは、そこから……。 一瞬、直也を|疎《うと》ましく思った自分に気づき、智也はすぐにその感情を打ち消した。 この子だって、振り回された犠牲者なのだ。「直也。まず、家に帰ってから、話そう」 手を差し伸べたが、直也はその手を弾いた。「パパの嘘つき!」「事情があ
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-10-25
Chapter: 71.明かされる事実 |桐生智也《きりゅうともや》は、隣に座っている妻の|美琴《みこと》の二の腕を掴んだ。「優秀なお前を、|朝倉倫子《あさくらりんこ》が妬んで卑怯な真似をするって言っていたじゃないか」 美琴は顔を逸らす。「私は……理事長の娘として、首席で卒業しなきゃいけなかったのよ」「なんのために?」「白木一族の繁栄のためよ」 |白木総一郎《しらきそういちろう》は、娘夫婦のやり取りを黙って聞いていた。「じゃあ、倫子が教授たちを籠絡して、いい成績をつけさせたって話も嘘なのか?」「あんな芋臭い子にできるわけないじゃない」 美琴は開き直り、智也の手を振り払った。「お前の手柄を横取りしたって言っていたのに……違うのか? 倫子は自力で首席を取れそうだったのか?」「……そうよ。目障りだった」「何てことだ」 智也は前髪をくしゃっとかきあげた。「倫子に直也を押しつけて、お前は学生生活を送っていたんだな。良心は痛まなかったのか?」「なによ。どんな世界だってトップ争いで、足を引っ張り合うことはあるでしょ? 警戒しない方が悪いのよ」 美琴は顔を赤くして叫んだ。「美琴。落ち着きなさい」 総一郎が口を挟んだ。「お前が頑なに朝倉医師に連絡を取ろうとしない理由が、理解できた。首席候補の学生を引きずり下ろすと聞いていたが、彼女だったんだな」「そうよ」「そして、智也君。君は美琴の言葉を信じて、朝倉倫子を陥れるのを手伝った。そのまま彼女と結婚して、美琴が中退したり、未婚の母になったりする未来を防いだというわけだ」「……そういうことに、なりますかね」智也は不承不承といった様子で、肯定した。いいように利用されて、気分がいいわけがない。「つまり、共犯者だな」「な……!」 総一郎は鋭い眼光で、智也の反論を封じた。「美琴は少し早いが出産を理由に休職し、そのまま退職しなさい」「お父様! それでは、今までの努力が水の泡です」「もともと医師になるだけの実力がないんだ。化けの皮が剥がれる前に退け」 美琴は悔し涙を流した。医師免許がなければ、《《ただの美女》》だ。価値が激減する。 智也は今まで何度も美琴の涙を拭いてきた。だが、今の美琴を慰めたいという気持ちは湧いてこなかった。「元官僚や行政に詳しい顧問弁護士に相談する。大学側にどれくらい証拠が残っているか確かめたいが、やぶ蛇に
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-10-24
Chapter: 70.智也、驚愕する |桐生智也《きりゅうともや》はトーストを皿に乗せ、珈琲をカップに入れた。 今頃、美琴と直也は、白木家で朝を迎えているはずだ。 昨日、美琴が医者ではないという話がSNSに載っていたから、その対策のために白木家に泊まったのだろう。 |朝倉倫子《あさくらりんこ》と結婚していた頃は、手の込んだ朝食を食べていたことを思い出した。 身体に良いものとか、季節のものとか……。 口うるさい母も、朝食に関しては「味が濃い」くらいの文句しか言っていなかった。夕食などは田舎料理だと馬鹿にしていたけれど、食べずに箸を置くことはなかったのだ。 智也はあっという間に食事を終え、皿をカウンターに置いた。今日は家事代行の人が来る日だったか? 来なければ、明日やってもらえばいい。 智也はクローゼットに行き、今日のワイシャツを選ぶ。 倫子がいた頃は任せきりだったが、美琴と結婚してからは自分でクリーニングに出すことを覚えた。「あ、ごめん。クリーニングに出すの忘れてたかも。もう着るものがない? 途中で買っていけば?」 初めて美琴にそんな言葉を投げつけられた時は、呆気にとられてしまった。 だが、専業主婦だった倫子と、医師としても活躍する美琴を同じに考えてはいけない。「次からは気をつけてくれよ」 そう言っておいたが、気のない返事が返ってきたので怪しいと感じた。 もう何度も繰り返され、自分で気をつけるようになった。 何のために結婚しているんだ。そう思うこともある。 いや、今どきの男は、家事・育児を自分もやるべきこととして考えるもの。 自分でやればいい。 だが、ふと寂しくなる瞬間がある。妻から大切にされていない気がするのだ。 直也も、あんなに懐いていた美琴に、少し遠慮をするようになっている。まあ成長して、自分でやることを覚えたならいいことなのだが。 ネクタイを締めてリビングに戻る。 スマートフォンを見ると、義父の白木総一郎から留守電が入っていた。『今日はこちらに来てくれ。すぐに』 傲慢な、命令するような口調だ。 聞くだけでイライラする。「こっちだって、暇じゃないんだが」 そう言ったものの、午前中は社内の会議だ。 白木家で少しゆっくりしていたら、昼に家庭料理を出してもらえるかもしれない。白木家の家政婦は有能で、羨ましい。 そんな軽い気持ちで、智也は秘書に連絡
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-10-23
Chapter: 69.少しだけ見えてきた真実 花火大会から人々がはけていく中で、|朝倉倫子《あさくらりんこ》は立ち尽くしていた。「美琴は大学受験も医師免許も……手術まで替え玉……?」「現段階では真偽はわからない。この|牧野真帆《まきのまほ》と名乗る人物が、デマを書き込んでいる可能性もあるからさ」 |三枝哲郎《さえぐさてつろう》は、スマートフォンをボディバッグにしまった。「そ、そうよね」「牧野というファミリーネームは、日本にたくさんいますか?」「珍しいというほどじゃないけど、多い苗字として名前が挙がることはないね」 倫子の母はイーサンにそう答えてから、みんなに帰ろうと促した。「ほら、みんな歩いて。家に帰ってお風呂に入らないと、花火の煙の匂いがついているよ」 まばらになってきた人混みを、ゆっくりと倫子の家に向かって歩いた。「イーサン」 哲郎がイーサン・タンに小声で話しかける。「倫子の手術のスケジュールは、公表していないんだろ?」「ええ。必要ありませんから」「『再生の魔術師』ってことで有名になったから、SNSで動きが推測できるようになってるらしい」「どういうことですか?」 イーサンが眉をひそめた。「さっきの友達からの情報だけど、患者が『魔術師に執刀してもらえる』とかSNSに書くことがあるだろ? どの病院に入院しているか、何日に手術かまで書く人もいる。それがわかれば、何日頃どこにいるか予想できてしまう」「では、ヌール・ファラが九州にいたのは……」「たぶん、同じように推測したんだろう。翻訳機能が向上したから、日本語が読めなくても可能かもしれない。だが、地理的な知識がどれくらいあるのか……日本人の協力者がいる可能性も考えておいた方がいいかもな」 *** |白木総一郎《しらきそういちろう》は、ウィスキーを片手に考えていた。 大学の入学試験は、牧野真帆に美琴の替え玉をやらせた。彼女は一つ年上で、学費が工面できないから進学を諦め、アルバイトをしていたのだ。 入学さえしてしまえば、美琴も真面目に勉強すると思った。 ところが味をしめてしまったらしい。真帆に眼鏡をかけさせ、教室の端に座らせて受講させていた。 定期試験や卒業試験は本人が受験したが、学長が身内だったので、試験結果を改ざんした。 五、六年次の実習は、真帆に整形手術を受けさせて行かせた。鼻を整えて、目を少し大きくした
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-10-22
Chapter: 68.医師免許 |桐生美琴《きりゅうみこと》は夜中にたたき起こされた。「こんな時に寝ているなんて、いい気なもんだな」「お父様。お帰りなさい」 あくびをかみ殺しながらドアを開けると、ネクタイを緩めて疲れた様子で|白木総一郎《しらきそういちろう》が立っていた。「なんで電話に出なかった? 何度も電話したんだぞ」「だって、変な電話が来るんだもの」「……儂の書斎に来なさい」 美琴はカーディガンを羽織って、後に続いた。 書斎のソファに向かい合って座ると、家政婦の田中がローテーブルに紅茶を置いていった。 彼女も寝ているところを起こされたのだろうか。薄化粧をしているところが、なんとも艶めかしい。「なぜ、|牧野真帆《まきのまほ》があんな暴露をした? お前は手綱を握っていることもできんのか?」「ああ。あれね。腹いせにやったんでしょ」「どういうことだ」「私が産休に入ったら、真帆は手術を執刀することがないでしょう? 私の秘書業務も週に一日か二日ですむはずだから、その分、私のところで家政婦をしたらって誘ってあげたのよ。 それを断るものだから、彼女の母親への援助を止めたわ」「……なんだと?」「別に、ひどいことをしたわけじゃない。自由診療を、保険適用の治療に変えただけだわ」「牧野家が我々に従うのは、高度な医療を提供しているからだ。それに、そんなことをしたら確実に寿命が縮まるぞ」 総一郎の喉がごくりと鳴った。「縮まるどころか、亡くなったわよ」「お前、何を平然と……」「うちがお金を出してあげたから今まで生きていただけで、もうとっくに寿命だったのよ」 美琴は自分の爪を眺めながら、軽い口調で言った。「医師のセリフとは思えん……いや、お前は医師ではなかったな。厚生労働省に気がつかれる前にSNSを削除させようと、躍起になっていたのが馬鹿らしくなった」 総一郎はがくりと肩を落とした。「待ってよ。SNSは消させないと。真帆はどこにいるの?」「真帆の居所がつかめない。兄の|牧野拓海《まきのたくみ》も知らないと言っている」 首を横に振りながら、総一郎はため息を吐いた。 おそらく知らないと言うのは嘘だろうが、言う気はないということだ。あの強気な目つきは、母が亡くなったからかと合点がいった。「お前、自首しなさい」「え? 私何も悪いことはしていないわ。手術は一度もしていない
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-10-21
Chapter: 第十九話 イロナの日常・未来へ学園の卒業が近づいてきた。卒業と同時に結婚する同級生たちもいる。楽しそうに未来を語る様子を見ていると、マールトンとの婚約が続いていたら、自分もあの輪の中にいただろうか――そんなことを考えた。いいえ――と、首を振る。もしそうだったとしても、楽しくはなかったと思い直す。カタリンがそばにいたら、何かと邪魔されて、人の輪に入ることさえできなかったに違いない。結婚する予定がないということに、ほんの少し寂しさを覚えただけだ。だから、彼との婚約がなくなった今の方が、ずっと幸せなのだと再確認する。そんな気持ちは口にせず、事件のあとにできた友達と卒業試験の話をしよう。目の前のことに集中すべきだ。一回目には断ち切られてしまったわたくしの未来は、これからも続いていくのだから。そんなある日のことだった。「明日は来客があるから、イロナは外出しないように」夕食の席で、父がそう言った。「どなたがいらっしゃいますの?」普段なら母が尋ねるところだ。だが、何も言わないので、わたくしから父に質問した。「明日になればわかるよ」思わせぶりな口調だった。父の表情を見る限り、悪い話ではなさそうだけれど。そんなふうに呑気に構えていたわたくしは、翌日、花束を抱えて訪ねてきたガーボルを見て、目を丸くすることになった。「嘘……何、それ」「求婚しに来ました」驚いて何も言えずに立ち尽くすわたくしを見て、父が苦笑いした。「おほん。ガーボル・ヴェレシュ卿。そのような紹介は私の役目ですし、今日はあくまで見合いです。いささか気が早いかと」ガーボルは真っ赤になり、父に謝罪した。「え? 卿って……?」話を聞けば、わたくしとお見合いするため、この半年ほどで魔術爵を得ようと頑張っていたという。だから、連絡をする暇もなかったのね。そう知らされて、嬉しいという気持ちはある。けれど、それ以上に、どう表現していいかわからない感情で、ぐちゃぐちゃになっていく。二回目の人生が始まった一か月間は、起こる出来事がある程度予想できた。けれど、それも事件を乗り越える時点まで。その先は、何が起こるのかわたくしにはわからない。みんなと同じように、「まだ見ぬ日々」を生きていく。ただ、それだけだのことなのに。怖くて堪らなかった。そんな気持ちを、事情を知っているガーボルに聞いてほしかった。一緒に悩ん
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-09
Chapter: 第十八話 イロナの日常・初めての日々わたくし、イロナは二年生まではマールトンの婚約者として、いじけた日々を送っていた。カタリンには、いつから憎まれていたのだろう。彼女がマールトンを好きになる前から?。それとも、好きになったから、わたくしが邪魔になったのか。考えても答えは出ない。婚約者だったマールトンに嫌味を言われたり、無視されたりするのは辛かった。何をしても否定されているような気がして、どんどん自信がなくなっていった。いつの間にか、気が緩むと背中を丸めがちになり、廊下を歩くのも足が重くなっていた。教室でわたくしの名前が出ると、何か失敗したのか、また笑われるのかと身構える。そんな中で、カタリンが笑顔で話しかけてくれるのが救いだった。友達って、ありがたいなと心の底から感謝していた。けれど、それもわたくしを貶める前振りのようなものだった。親切そうな言葉で、わたくしに恥をかかせる。カタリンは心配そうな声を出し、他の人たちがクスクス笑う。わたくしは笑って誤魔化すことしかできなかった。自分でも、笑顔がぎこちなくなっていくのを、心の隅で自覚していた。認めたくなくて、見ない振りをしていた気持ちを……。そして、三年生の始めに毒殺未遂。いいえ。前回は、未遂ではなく、そこで人生が終わってしまった。今回は違う。魔術師ガーボルの手を借りて、わたくしは生き残った。殺されるという恐怖と、未来を覆そうとしている緊張感。手探りの中で、一緒に考えてくれる人がいる頼もしさ。あの一か月は、今までの人生で一番濃い時間だった。あの高揚感は、今後の人生でも二度と味わえないかもしれない。危機が去ってしまえば、あの夜も眠れないほどの不安も、いつかは思い出に変わる。……そう思っていたのに、何か物足りない。達成感のあとの虚脱――それもあるだろう。だが、それ以上に、ガーボルと「回避できて良かった」と喜びを分かち合いたい。そう思ってしまった。けれど、事件の直後は、詮索されないために連絡を控えようと言われていた。時を戻すという禁術を行使した魔術師が、ガーボルだと知られてはいけないから。そして、事件から一か月。捜査が一段落した頃に、ちょうど魔道具の具合が悪くなったのでガーボルを呼び出した。応接室に彼が修理道具を抱えて入ってきた瞬間、どれほどほっとしたことか。歓喜の表情を押し殺すことが、難しかっ
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-08
Chapter: 第十七話 二回目のカタリン・夢と現実イロナが変わった?生意気にも、頼んだ課題をやらなかった。そのせいで、マールトンと一緒に先生に叱られたじゃない。まったく、ふざけてる。それに、マールトンに何か言いたげに、おどおどしていたのも……ちょっと変わった気がする。以前なら、縋るような目で彼を見ていたのに。最近は、なにか違う。まるで「話しかけるな」と言わんばかりの雰囲気を出している。どういうこと?でも、幸いにして気のせいだったみたい。数日で、元のイロナに戻った。資料集めを頼めばやってくれるし、イロナが読みかけていた小説も先に読ませてくれた。私はちゃんと本を返すんだから、問題ないわよね。「友達のいないあなたと、一緒に行動してあげる」そう言って、マールトンと一緒にいられないときだけ、そばにいる。いつも通り。ただ、最近はマールトンの方がイロナと接触しようとしている。不愉快だわ。学園に通うようになって、わかったことがある。学園に通って基本のマナーを教わったところで、貴族社会では通用しない。圧倒的に足りないのだ。何か失敗すれば笑われる。「あら、それは常識以前のことかと思っていたの。言葉が足りなくて、ごめんなさいね。では説明するわ」そんなのはもう、辱めでしかない。貴族たちには暗黙の了解が多すぎる。たまに生粋の令嬢でさえ「それは知りませんでしたわ」なんて言っているのだから、果てしない世界なのだ。どうしたらいいの?そんなことを考えた末に、私はひとつの答えを出した。私に逆らえない人たちを作ればいい。その上に立ってしまえば、少しは息がつける。手段なんか、選んでいられないでしょう?そう考えたら、早々にイロナを確保したのは我ながら英断だった。課題も、資料集めも、わからないことは彼女に聞けばいい。失敗はさりげなく彼女のせいにして。そして、男子を何人か確保した。陰からさりげなく手を貸してくれる人材だ。これで、悠々自適な生活が手に入った。――そう思っていたのに。生理が来ない。最初は、明日には来るかもと思っていた。ちょっと遅れているだけ。それで一週間。あっという間に、二週間。さすがに、本格的にヤバイ気がしてきた。父親が誰なのか、わからない。手駒の中で、一番爵位が高いのがマールトンだ。他の男たちは、彼がいつまでも経ってもイロナと婚約解消してくれないから、遊んだだ
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-07
Chapter: 第十六話 一回目のカタリン・思惑初めてイロナに会ったとき、ぽやんとした子だと思った。学園に入学したものの、成り上がりと色眼鏡で見て、私を見下す貴族ばかり。そんな中で、イロナは見るからに人が良さそうだった。利用できると思って、友達になった。彼女を貴族社会に引き戻そうとする女の子たちは、当然蹴散らした。そのイロナの婚約者が伯爵家の令息だという。いいじゃない。奪い取ってやる。そう思った。そのマールトンと仲良くなってみると、イロナにノートを借りたり、課題を手伝ってもらったりしている。「じゃあ、ついでに私の分も」なんて頼んでみたら、あっさり引き受けてくれた。驚いたわ。お人好しで。イロナをのけ者にして、マールトンと二人で行動することを徐々に増やしていく。堂々と二人で登下校したり、昼食のときに、わざとイロナがわからない話題で盛り上がったり。それだけで、不思議と気分が浮き立った。初めのうちは、イロナに嫌われないよう、さじ加減に注意を払っていた。けれど、鈍い彼女は少しも疑わない。そうすると、気を遣っているのが馬鹿らしくなってくる。そうしたら、「距離が近すぎる」とイロナに注意された。私たちが揃って不機嫌になったら、イロナはすぐに意見を撤回した。そんなことなら最初から言わなければいいのに。「もう、イロナを無視してやったらどう?」「ああ。そうしたら、自分が出しゃばったことを反省するか。大人しくなって、いいかもな」マールトンは、イロナよりも私といる時の方がずっと楽しそだった。「これはいける」――そう確信した。それなのに、彼は手を出してこない。出会ってから二年も経つというのに、貴族はお行儀がいい。年頃の男なのに、妙に堅物だった。男女の仲にさえなってしまえば、あとは簡単。そう思って、最初は少し強引に関係を持った。これで、マールトンは私のもの――そう思った。それなのに、マールトンはいつまで経ってもイロナとの婚約を解消しようとしない。「婚約というのは、そんなに簡単に解消できないんだよ」そう言いながらも、マールトンは私を抱く。一度体を繋げてしまえば、あとは流されやすくなる。マールトンが煮え切らない苛立ちを、ほかの生徒で埋めていくことにした。男たちは「淑女らしくない」と私を批判しながらも、視線は胸に釘付けになっている。笑いかけて耳元で囁けば、簡単に落ちた。私を馬鹿にす
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-06
Chapter: 第十五話 二回目のイロナ・緊張今日、春期大競馬会が開催される。わたくしは、とても落ち着いてはいられなかった。きっと、マールトンが応援している騎手が優勝する。そうなれば――明日は、前回のわたくしが毒殺された日だ。授業を受けていても、まったく頭に入らない。授業が終わって馬車に乗り込むと、座席にはひしゃげた造花が置かれていた。魔術師ガーボルと初めて会った日に、彼が持って来た「色とりどりの花が咲く」魔道具だ。「魔道具を持って来てくれてありがとう。修理してもらいたいから、お店に寄ってくれる?」わたくしは平静を装いながら、御者にそう指示を出した。「ですが、あの辺りは馬車で入れません」「フードを被っていくから、大丈夫よ」大通りで馬車を降り、わたくしは路地へ足を踏み入れた。こんな場所を一人で歩くのは初めてだ。心臓がばくばくと音を立てる。目的の店には、薄汚れた小さな看板が揺れている。窓ガラスは曇り、壁には苔が貼り付いていた。ここで間違いないはずなのに、扉を叩くだけで勇気がいる。けれど、このまま立ち尽くしているのも恥ずかしい。思い切って、扉を叩いた。顔に熱が集まる気がする。きっと顔が赤くなっているわね。心の中では「た、叩いてしまったわ」と、もう一人のわたくしがいるかのように、はしゃぎ回っていた。ところが、反応がない。もう一度、今度は少し強めに叩いた。「はーい」と面倒くさそうな声が聞こえた。カチャ。ドアノブが動く音がする。「え? イロナ様?」ガーボルが驚いた顔を見せた。初めて会ったときのようにだらしない姿ではないけれど、最近見慣れた爽やかな姿とも違う。シャツは少しよれていた。「嬉しいけど、人に見られたら……」「魔道具を壊して持って来ただけの、ただの客よ」わたくしは抱えていた魔道具を差し出した。「そ、そっか。じゃあ、そこに座って」ガーボルは背もたれのないスツールを勧めてくれた。「……不安になっちゃった?」ガーボルは手早く修理を進めながら、穏やかに話しかけてくれる。「そうなの。ごめんなさいね。明日の打ち合わせはもう終わっているのに……」そう。迎え撃つ準備は整っていた。マールトンの部屋には、すでに毒の材料を仕込んである。わたくしはただ心細いだけなのだ。カタリンにも今まで通りに接するよう心がけてきた。優しげに聞こえるけれど、気をつけて聞いて
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-05
Chapter: 第十四話 二回目のマールトン・違和感時を巻き戻せた。学園でカタリンと出会う前まで戻れることを期待していたが、実際にはイロナが死ぬ一か月前だった。仕方ない。たった一月だが、生前に戻れたのだ。そう考えたところで、嫌な可能性に思い至った。もし巻き戻った先がイロナの死後だったら――背筋が冷たくなった。イロナが亡くなってから、時を巻き戻そうと思いつくまでに三年以上もの時が経っていたのだ。……危なかった。思わず冷や汗が出る。あの魔術師め。まあ、こうして生きているイロナに会えるのだから、文句を言っても仕方がない。これから先のことを考えよう。さて。この頃の俺は、カタリンと蜜月の関係になり、イロナを邪険に扱っていた。もっと前まで戻れていたら、普通に接することもできたのに……。今さら急に態度を変えるのも格好がつかない。しかし、久しぶりに学園に行くのは、少し楽しみだ。当時の勉強は面倒だったが、出された課題をこなせばすむ、ある意味では気楽な時代だった。卒業して家業を継ぐ勉強に入ると、正解のない問題ばかり突きつけられる。考えても答えが見つからず、父上も正解を知らないようだった。終わりが見えず、疲労感が果てしない。……まあ、俺が継ぐのはまだ先だ。真面目なイロナと、その実家の銀山があれば、俺の代になったら楽にやっていけるだろう。イロナなら、カタリンのように散財しないはず。家計の心配をしなくて済むだけでも、気が楽だ。……おや?乗り込んだ馬車が、学園とは違う方向へ進んでいる。「おい。どこへ向かっているんだ?」御者に声をかけると、不思議そうな声が返ってきた。「はい? いつもどおりカタリン・ヴァッシュ様のお屋敷ですが」「……そうか」ああ、そうだった。この頃の俺は、婚約者のイロナではなく、カタリンと登下校していたのだった。今思えば、おかしなことをしていたものだ。これを機に、イロナと登下校するように変えたらどうだろう。きっと彼女は目を潤ませて喜ぶはずだ。だが、そのためにはカタリンを説得しなければいけない。そんなことを考え事をしているうちに、馬車はカタリンの屋敷へ到着した。「マールトン。おはよう」カタリンは馬車に乗り込むなり、さっそく俺の腕に絡みついてきた。柔らかな胸が腕に当たる。そうそう。行き帰りの馬車は、こうでなければ。登下校はこのままでいいだろう、うん。教室に入
ปรับปรุงล่าสุด: 2026-08-04