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Novels by mako

The Last Smile

The Last Smile

届かない思いを封印して、優しい恋に逃げた過去。 その報いが今、来たのだろうか。 支え続けた夫の成功とともに、すれ違い、夫の愛人と義母に嵌められていく沙織の未来は…? 淡い恋と、儚い復讐…。そして…
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Chapter: STORY 24
「本当にありがとうございました」いくら雇い主の娘だからといって、こんなことばかりさせてしまって申し訳ない。そう思い、私は静かに頭を下げた。心のどこかでずっと感じていた遠慮や引け目が、こうして彼と向き合うたびに胸にこみ上げてくる。そんな私に、「気にしなくていい」と、穏やかな声で言ってくれた陸翔兄さま。その言葉だけで、胸がすっと軽くなったような気がした。こうして自然体でいてくれる彼に、どれだけ救われているのか、うまく言葉にはできない。料理はとても美味しく、どれも絶品で、私はすっかり食べすぎてしまった。久しぶりに味わう、気兼ねのない食事。温かくて、香りがよくて、食べるたびにほっとする。お腹が満たされると、少しずつ心までほぐれていくようだった。「ちょうど、今週末に引っ越しをしようと思ってたから、離婚できてよかった」デザートの余韻に浸りながら、何気なく口にしたその言葉に、「え?」陸翔兄さまが、ぴたりと私を見据えた。ほんの少し、空気の温度が変わったような気がした。「いつまでもホテルにいられないし、陸翔兄さまにも迷惑をかけられない。離婚できたし、お父様にも話に行かなきゃね」そう明るく言ったつもりだった。もう甘えてばかりはいられないという、けじめの気持ちも込めていた。けれど、陸翔兄さまは何も言わなかった。グラスを手に取りながらも、その瞳は真っ直ぐに私を見つめていて、何かを飲み込むように黙っていた。「どこに引っ越すか決めたのか?」沈黙を破った彼の声は、驚くほど冷静だったけれど、どこかいつもより低くて硬い気がした。「うん、芹那にも今日頼んで、仕事もさせてもらえそうだし、そこそこ会社に近いところにした」グループの本社ビルは巨大で、その中に関連企業も入っている。陸翔兄さまと同じ場所に行くことになるのは、彼もだいたい想像できるだろう。広大な敷地に、整然と並ぶエントランスとガラス張りの吹き抜け。そこには、彼の気配が色濃く残っている気がする。同じ空間で働くというのは、私にとっても覚悟がいることだった。「沙織」諭すように名前を呼ばれ、私はデザートを食べる手を止めた。「なに?」あまりにも美味しいプリンだったため、きょとんとして答えてしまったようで、陸翔兄さまは少し困ったような表情をしていた。その表情があまりにも優しくて、私は思わず笑いそうになる。けれ
Last Updated: 2026-01-12
Chapter: STORY 23
入口の前に立ち、私は一度深く息を吸い込んで気持ちを整える。鏡のないガラスに映る自分の姿を見つめながら、口角をほんの少し持ち上げて、意識的に微笑みを作る。いつも些細な変化に気づく陸翔兄さまに、余計な心配をかけたくないからだ。少しでも普段通りに見えるようにしなければ。高級レストランのドアが静かに開かれると、上品なシャンデリアの柔らかな光が視界いっぱいに広がった。光はまるで霧のヴェールのように空間を包み、優雅なクラシック音楽が耳に心地よく流れてくる。床は艶やかな大理石で、ヒールが触れるたびにコツコツと控えめな音を立てる。この場所に来るのは久しぶりだったけれど、内装の雰囲気はほとんど変わっていなくて、思わず肩の力が抜ける。「沙織お嬢様、ご案内します」見慣れたスタッフが丁寧に頭を下げる。その声に少し驚きながらも、私は軽く会釈を返した。エスコートされる形で店内を進むと、やがて視線の先に、窓際の席で待っている陸翔兄さまの姿が見えた。その姿を目にした瞬間、胸の奥から何かがこみ上げてきて、喉の奥がつっと熱くなる。ただそこに彼がいる。それだけなのに、心が大きく揺れる。もう泣きたくなんてないのに――そう思いながら、先ほど鏡の前で作った笑顔を、もう一度無理やり張り付けた。「待たせてごめんなさい」精一杯、穏やかに見せようと声を出すと、陸翔兄さまは私の表情を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。「何かあった?」その問いかけに、一瞬言葉に詰まる。どう答えるのが正解かわからない。“なかったこと”にするには、今日の出来事は少し濃すぎるし、かといってすべてを話すほど自分の気持ちが整理できているわけでもない。黙ったまま椅子に腰を下ろすと、ふと気が緩んでしまったのか、目の奥がまたじんわりと熱を帯びる。そんな自分を打ち消すように、別の言葉を口にした。「ありがとう、陸翔兄さま」「ん?」いきなりお礼を言われても意味が分からないようで、彼はメニューを開いたまま、食事をオーダーしながらも軽く返事をした。「離婚を、こんなに早く実現してくれて」その一言に、陸翔兄さまの動きが止まる。「沙織、どうしてそれを? まさか……あの男が来たのか?」驚きと怒りが混ざったような鋭い声色。すぐにメニューを閉じた陸翔兄さまの動きに、テーブル横で控えていたスタッフの男性が思わず眉を上げ
Last Updated: 2026-01-12
Chapter: STORY  22
私は淡々と尋ねたが、それがかえって彼の怒りに火をつけたらしい。 芳也の顔がみるみるうちに赤くなり、握った拳が震えているのが目に入った。「お前がやったことは――脅迫だ!」低く唸るような声で吐き出されたその言葉に、私は眉を寄せる。「……脅迫?」まったく意味がわからず、私は怪訝な表情のまま問い返した。 自分の中で引っかかるものが一切ないのに、芳也はまるで“被害者”のような顔をして、なおも語気を強めてくる。「どうやってあの弁護士を雇ったのか知らないがな、この一日で――美咲との関係を調べ上げ、証拠を突きつけて、俺に離婚届に判を押させただろう!」語尾に怒気がこもる。 唾を飛ばしながらまくし立てる彼の姿は、いつかの“自信に満ちた男”とは明らかに違っていた。――離婚届に判を押した? ――弁護士……?それはつまり、もう陸翔兄さまが手を回してくれたということなのだろう。 彼の行動力には驚かされるが、同時に少しだけ心が軽くなる。でも芳也は、それが“脅迫”に当たると言いたいようだった。 自分のしてきたことは棚に上げて、被害者ぶるなんて――最後まで変わらない人。そんなことを考えていた時だった。「――芳也!!」甲高く、けれど焦りを含んだ女性の声が響き、私たちの方へ駆け寄ってくる足音がした。視線を向けると、真っ赤なワンピースに身を包んだ美咲さんが走って来るのが見えた。 髪をなびかせ、ヒールの音を鳴らしながら近づいてくる姿には、どこかしら余裕がなく、取り乱しているようにも見える。「ねえ、何してるの! 離婚できたのに……どうして、まだ沙織さんに会ってるの!?」口調は甘さを装っていたが、完全に焦りの色が滲んでいた。美咲さんの言うことはもっともだ。 離婚が成立した今、自分の元へ芳也が来ると思っていたのだろう。 そのために必死で動いたのかもしれない。私が身売りをしていることを芳也に吹き込んで、早く離婚させたかったのだ。私が堕ちた女だと信じさせれば、自分が選ばれると思ったのだろう。 でも、こんなことになるとは思っていなかったようだ。「うるさい! 俺から離婚することはあっても、沙織からなんて許せるわけがないだろう!」その言い草に、私は呆れてものも言えなかった。 結局、彼のプライドが許さないのだ。自分が選ばれる立場でいたいだけ。
Last Updated: 2026-01-11
Chapter: STORY 21
その後、いろいろして一息ついて時計を見たタイミングで、陸翔兄さまから「20時に予約をした」との連絡が十分前にあったことに気づいた。スマホの通知履歴を確認しながら、私は思わず「しまった」と小さく声を漏らす。忙しさにかまけて、返信すらできていなかったことに、急に胸がざわついた。一日中パソコンの前に、部屋着のままで座っていた私は、慌てて準備を始めた。椅子から立ち上がると、思った以上に身体が硬くなっていて首を回した。指定されたレストランは、私が昔から好きだったイタリアンレストランで、ドレスコードがあるお店だ。白いテーブルクロスと、ほんのり香るオリーブオイルの香り、そして照明の落とされた落ち着いた空間――大学時代、何度か友人と訪れたことがある、静かで上品な雰囲気の店。まさかこんな形でまた行くことになるとは思わなかった。クローゼットを開けると、多くの洋服の中に、こうした場面も見越したようでドレスも数着あった。素材も縫製も上質なものばかりで、どれも一目で良いものだとわかる。まるで、先の展開をすべて読んでいたかのように――その配慮に、胸が少しだけ熱くなる。その中でも、シックなベージュのドレスを選び、着替える。肌なじみの良い淡い色合いが、私の表情を少しだけ柔らかく見せてくれた。露出は少ないのに、ほどよい光沢と落ち感のある素材が、自然と姿勢を正してくれる。大人の女性らしさを静かに演出してくれる一着だった。久しぶりのドレスアップとメイクだったが、意外にも上手に仕上がった気がする。ファンデーションが肌に均一になじみ、チークをのせた頬にほんのり血色が戻る。鏡に映る自分を何度も確認しながら、少しだけ口角を上げてみる。「大丈夫」と心の中で呟いたが、その数秒後、何が大丈夫なのかと思う。あんなことがあったのに、こんな風に自分のみなりを気にした自分に少し自己嫌悪になる。最低限、陸翔兄さまに恥をかかせないためだ。離婚の話をしに行くんだから。小さく息を吐くと、私はバッグを手に取り、深呼吸をしてホテルの部屋を後にした。エレベーターでゆっくりとレストランのあるフロアへ降りていく間も、少しずつ鼓動が速くなるのを感じる。久しぶりに、ちゃんとした場所で食事をする。そんな当たり前のことが、こんなに緊張するなんて――。結婚生活の中で、芳也と食事にいくことなどほとんど
Last Updated: 2026-01-10
Chapter: STORY 20
翌日、私はすぐに行動を開始した。陸翔兄さまは「しばらく、このホテルを使っていい」と言ってくれたけれど、さすがにそれは私の気持ちが許さなかった。 彼に頼めば、すぐにマンションの一室くらい手配してくれるだろう。 両親に頭を下げれば、実家に戻ることだってできる。それでも――私は、そのどちらも選びたくなかった。自分の足で立つと決めたのだ。 ならば、まずは自分の持っているものを、きちんと把握しなければならない。私は芳也の家へ行き、以前から隠してあった通帳とクレジットカードを持ち出してきた。 念のため、芳也の目につかない場所に分けて保管していたものだ。芳也は、たまに私のスマホを勝手に確認することがあった。 だから、銀行アプリや資産管理系のものは一切インストールしていなかった。ホテルに戻り、それらをダウンロードして、口座の残高を確認する。数字を見て、私は小さく息を吐いた。 当面の生活には十分すぎるほどの資金がある。 株や資産運用も、思っていた以上にうまくいっているようだった。――大丈夫。少なくとも、「生きていく」ことに関しては、もう何も恐れる必要はなかった。私は早速、不動産サイトを開いて、物件を検索し始めた。 希望条件は、駅からのアクセスがよく、家具付きで、すぐに入居できる場所。できればセキュリティがしっかりしていて、女性の一人暮らしでも安心できる物件がいい。数件、候補をピックアップして問い合わせをしてみると、その日のうちに、すぐ入居可能な物件をいくつか紹介してもらえた。 中でも一つ、立地も設備も申し分ない物件があり、仮押さえの手続きを取る。「とりあえず……住むところからだよね」ぽつりと独り言がこぼれた。家具付きとはいえ、最低限の生活用品は必要になる。 このホテルに滞在していた間に用意してもらった衣類やアメニティは、自分のものとして持って行ってもいいだろう。むしろ、これまでの私の生活にはなかった、"ちゃんとした"ものばかりだった。週末の引っ越し業者の予約も済ませ、ひと息ついたそのとき――スマホの画面が光った。 表示された名前に、私は自然と表情を緩める。陸翔兄さまからだった。 着信に出ると、彼は落ち着いた声で、離婚の件で話があるから、今夜時間を取れないかと尋ねられた。毎晩のように気にかけてくれる彼に、申し訳なさが込み上げる
Last Updated: 2026-01-10
Chapter: STORY 19
叩かれる――そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。芳也の手が振り下ろされるよりも早く、私は身をかわし、そのまま玄関へと走り出す。もう、ここにいたくない。こんな場所で、こんな人に、これ以上縛られているなんて耐えられなかった。「沙織! おい、待て!」背後から芳也の怒声が飛んでくる。それでも、足は止まらない。玄関のドアを勢いよく開けると、冷たい外気が一気に肌を刺した。息が白くなるのも構わず、私は外へ飛び出す。その瞬間、視界の端に止まった一台の車。――黒い高級車。見覚えがあった。間違えるはずがない。「あ……」思わず声が漏れる。「どうして……」そう呟きながら、私は迷わずその車へと駆け寄った。ドアが開き、中から陸翔兄さまが姿を現す。「沙織、大丈夫か?」その低い声を聞いた瞬間、張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。「お前が出かけたって聞いて、心臓が止まるかと思った……」責めるでもなく、ただ本気で心配している声。それだけで、胸の奥に溜まっていた不安と恐怖が、一気に崩れ落ちていく。「……ごめんなさい」謝りたかったのか、泣きたかったのか、自分でもわからない。ただ、その一言しか出てこなかった。そこへ、怒り狂った芳也が、鬼のような形相で私たちの方へ走ってくる。そのすぐ後ろから、バスローブ姿のまま美咲さんも飛び出してきた。「沙織……お前、本当に男に身売りしてたんだな」地を這うような声に、背筋がぞくりとする。だけど、私はもう黙ってはいなかった。芳也を真正面から睨みつける。「――違う」そう口を開きかけた瞬間だった。ドンッ――!鈍い音とともに、芳也の身体が弾かれたように宙を舞う。倒れ込んだ彼を見て、私は目を見開いた。陸翔兄さまだ。いつの間にか私の前へ出て、芳也を殴り飛ばしていた。「お前……!! 訴えてやるからな!」地面に這いつくばりながら叫ぶ芳也に、陸翔兄さまは一瞥もくれず、冷酷な声で返す。「好きにしろ」低く、鋭く突き刺さるような声。その一言に、芳也の顔が怯えたように引きつるのが見えた。「芳也、大丈夫!?」美咲さんが駆け寄って芳也にしがみつく。だけど、その光景があまりにも滑稽で――心の中で何かがすっと冷めていくのがわかった。もう、どうでもいい。私は黙って陸翔兄さまの手を取った。そして、小さな声で尋ね
Last Updated: 2026-01-09
見えない世界で出会った二人の約束

見えない世界で出会った二人の約束

一夜の過ちが、予期せぬ運命を引き寄せる――家族の厳しいお見合い話に追い詰められ、やけになってバーに飛び込んだ美優。彼女はそこで、目の見えないミステリアスなバーテンダーと出会い、酔いの勢いで一夜を共にしてしまう。しかし、彼に祖母の形見の指輪を託してしまったことに気づき、翌朝慌てて逃げ出す美優。数年後、偶然にも彼の会社で再会する二人。彼は大手企業のCEOだった――果たして、二人の運命の糸は再び交わるのか?見えない視線の中で織り成される恋物語。
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Chapter: 第二十八話
「寝ようか」陽介さんの低い声が、静まり返った空間に響いた。私は少し遅れて頷くと、当麻が眠る寝室へと向かった。ドレスを脱ぎ、メイクを落としながら、なんとなくまだ胸のざわつきが残っているのを感じる。今日の出来事、陽介さんの言葉、そして彼が持っていた指輪──。(……考えすぎ、なのかな)そう思おうとしても、頭の奥に残った違和感は消えなかった。ベッドに入る前に、ふとクローゼットの奥に視線を向ける。ずっと触れていなかった、小さな木箱。私はそっと扉を開け、その箱を手に取った。白い手のひらに収まるほどのサイズ。蓋には薄く彫り込まれた模様があり、時間とともに少し色あせている。それでも、この箱だけはずっと手放せなかった。ゆっくりと開けると、中にはいくつかの小さな宝石、古いアクセサリー──そして、一つの鍵があった。「……」金属の表面は、長年触れられずにいたせいか、わずかにくすんでいた。それでも、形は鮮明に覚えている。(あの夜、ポケットに入っていた鍵)それが何なのかも分からず、ただずっと持っていた。無くすこともできず、意味を知ることもなく、ただここにあった。(でも……)リビングで見た陽介さんの指輪。それを見つめる彼の表情。なぜか、それがこの鍵と重なるような気がした。「まさか……ね」私は小さく苦笑し、鍵をそっと指先でなぞった。考えすぎかもしれない。でも、もしも──。そのとき。「……っ」静かな寝室に、小さな泣き声が響いた。私はハッとして顔を上げ、すぐに当麻のベビーベッドへ向かった。鍵は、とりあえずバッグの中へ。今は、考える時間ではない。私は当麻を優しく抱き上げ、背中をさすりながら、小さく息を吐いた。朝の光が差し込むオフィスビルのエントランスをくぐると、いつもの風景が広がっていた。スーツ姿の社員たちが行き交い、忙しそうにスマートフォンを操作している。私は清掃用具を抱えながら、小さく息をついた。(……今日も、いつも通り)パーティーの余韻がまだ少し残っているような気がしたが、私はすぐに頭を切り替えた。ここでは、私は"CEOの妻"ではなく、ただの清掃員なのだから。「おはよう、美優ちゃん」「あ、おはようございます、安田さん」通りかかった受付の安田さんが、にこやかに挨拶をしてくれる。エレベーターへ向かうと、すれ違いざま
Last Updated: 2025-04-24
Chapter: 第二十七話
「それで子供を?」陽介さんは何も気づいていないようで、静かに私を見た。「はい」ただそれだけの返事をするのに、私はかなり勇気を振り絞った。これを言えば、彼も思い出すかもしれない。しかし、でも、あの彼は目が見えなかった。この指輪は誰かからもらっただけだという可能性もあるし、似たものかもしれない。(この指輪はどうしたんですか?)そう尋ねるべきかもしれない。そして、(これは知っていますか?)あの日、私が彼からもらったかもしれないもの。お互いまた会う日のために交換をしたのかもしれないもの。記憶があいまいな自分を呪うしかない。しかし、きっとお互いのものを交換したのだと思う。そして、あの日、私はこの形見を渡してでも、彼にもう一度会いたいと思っていたのかもしれない。「あの……」あの日、ポケットから見つけたのは見覚えのない、アンティークの鍵のようなものだった。それが何かもわからなかった私は、ただずっと小さな宝石箱の中にしまっていた。彼のものだという保証もないし、何かもわからない。家に帰ってから、その存在に気づいただけで、もうそれを二度と話に出すことなどないと思っていた。「ん?」やわらかく聞き返す彼に、私は言葉を探す。『鍵を知っていますか?』そう尋ねれば、答えはもちろんYESだろう。誰だって知っているはずだ。部屋から持ってきて見せるのが一番いいだろうか。そう思った私だったが、陽介さんが口を開いた。「たぶん、弟が三条に騙されているのだろう。そして、母も」話がもとに戻り、一番の核心部分になったことで、私はきゅっと鍵のことを飲み込んだ。途端に、現実へと引き戻された。私はきゅっと鍵のことを飲み込む。(……そうだった。いま、目の前の問題はこれ)悠馬COOが三条に利用され、そして陽介さんの母親も、もしかしたらただの操り人形になっている可能性すらある。母親が悠馬さんをCEOにすることを強く望んでいることは、私も知っている。そのためなら、どんな手を使っても、どんな危険な取引でも、躊躇しない。陽介さんはずっとこの母親の意向に逆らい、自分で会社を守ろうとしていた。そして――その戦いの最中で、彼は失明し、あの夜に私を助けた彼となったのかもしれない。鍵と指輪のことを話すべきか、迷いながらも、私は陽介さんの横顔を見つめた。彼は静かに、しかし鋭い眼
Last Updated: 2025-04-24
Chapter: 第二十六夜
ーー美優眠れなかった。パーティーの余韻がまだ体に残っていて、ベッドに横になっても意識が冴えてしまう。 陽介さんの言葉が、ずっと胸の奥でこだましている。「俺が……お前を守る」あの言葉に嘘はなかった。 けれど、それは契約上の責任としてなのか、それとも――。自分の中に芽生え始めた感情に、どうしても整理がつかなくて、私はベッドから抜け出した。静まり返った廊下を、そっと歩く。 夜の空気がひんやりと肌を撫でるなか、リビングの方から淡い光が漏れているのが見えた。(まだ起きてる……?)静かに覗くと、陽介さんがソファに深く座り、ワイングラスを片手に、何かをじっと見つめていた。「眠れないのか?」不意に私をみて陽介さんが、静かに問いかける。「はい……」素直にそう答えると、陽介さんは何も言わずに立ち上がり、ワイングラスをもう一つ用意してくれた。「飲めるか?」「……少しだけなら」ワイングラスを受け取ると、赤ワインのかすかな香りが鼻をくすぐる。 グラスの中でゆっくりと揺れる深紅の液体を見つめながら、私は小さく息を吐いた。しばらくの沈黙。夜の静寂が、二人の間に漂う。口を開くべきか迷いながらも、私はゆっくりと切り出した。「三条のこと……黙っていてごめんなさい」陽介さんの手が一瞬だけ止まる。「いや……あの男との縁談のことを聞いて、色々と納得した」そう言いながら、彼は静かにグラスを傾ける。「それにしても、お前の語学力とパーティーでの振る舞い。掃除婦とは思えないほどだった。素性を聞いてもいいのか?」言葉の端々に探るような気配を感じた。私は小さく笑いながら、ワインを一口含む。「そんなに特別なことではありません。私はただ、昔そういう環境にいた……それだけです」「環境?」「……母が華族の家系で、父は京華堂の社長でした。だから、小さい頃から社交の場に出る機会が多くて。おかげで、礼儀作法も語学も、叩き込まれました」陽介さんは声を発することはなかったが、かなり驚いた表情をした。そんな彼から視線を逸らすと、私は続けた。「でも、父は私のことを"商売の道具"としか見ていなかった。私が大学院へ進学しようとすると、いい縁談の話ばかり持ってきて……。三条との縁談もそのひとつでした」「それで、家を出たのか?」「はい。でも、家を出たからといって、すぐに自立で
Last Updated: 2025-03-12
Chapter: 第二十五夜
「大丈夫か?」会場へ戻る途中、陽介さんが小さく囁く。彼の手はまだ私の手首を軽く掴んだままで、そのわずかな体温が妙に意識に残る。「ええ……」 私はゆっくりと頷く。 「でも、三条は私たちの結婚に何かしらの興味を持っているみたいです」「そうだろうな」陽介さんは眉を寄せ、険しい表情を見せた。 厳しい眼差しの奥に、鋭く研ぎ澄まされた警戒心が見える。「お前は彼と話したことがあるのか?」少し迷ったが、嘘をつく理由はない。「いいえ……正式に会ったことはありません。でも、昔、私の父が彼との縁談を進めようとしていました」陽介さんの歩みが止まる。「それは……初耳だな」「私自身が断ったので、結局会う前に破談になりました。ただ、彼がどういう人かは、調べて知っていました」私の声が少し硬くなるのを、自分でも感じる。三条のことを思い出すだけで、背筋に冷たいものが走る。彼がどういう男なのか、私は十分に理解していた。 あのとき、逃げてよかったと今でも思っている。陽介さんはしばらく黙っていた。 視線を伏せ、考え込むような表情を浮かべている。 やがて、彼は静かに息を吐き、低く言った。「これ以上、三条に関わるな」その言葉には、いつもより強い感情がこもっていた。 私を見つめる瞳は真剣そのもので、彼がわからなくなる。「俺が……お前を守る」低く、しかし確かに響くその言葉に、私は小さく息を呑んだ。(どうして……こんなふうに言うの?)彼の言葉は、あまりにもまっすぐで、強い。 なのに、それが胸の奥に深く染み込んで、揺さぶられる。契約結婚のはずなのに。 ビジネスとしての関係のはずなのに。「……はい」それ以上、何も言えなかった。 ただ、陽介さんの隣を歩きながら、彼の言葉の余韻に囚われていた。帰宅して、私はドレスを脱ぎ、静かにベッドへ腰を下ろした。(俺がお前を守る)あの言葉が、ずっと頭の中に残っている。冷徹でビジネスライクな人間だと思っていたのに。 今夜の言葉や行動には、確かに温かさがあった。(……どうして?)形式上の関係だったはずなのに、少しずつ「夫婦」としての実感が湧き始める。 だけど、それを認めるのが怖かった。(これはただの契約のはず)そう言い聞かせながらも、胸の奥が妙にざわつく。 陽介さんのことをもっと知りたくなる。 彼の声が、
Last Updated: 2025-03-12
Chapter: 第二十四夜
そんな中、目の前の老夫婦の女性が、グラスのワインを零してしまったのが見えた。咄嗟にすぐに駆け寄ると、すぐに彼女の和服についたワインを拭き少し会話をする。「お嬢さん、ありがとう。助かったわ」「いいえ、素敵なお着物ですね。小紋が見事です」着物も一通りしつけられ、純粋にその見事な柄に笑顔になる。少しだけ会話をして彼の元に戻ると、陽介さんが私をみて少し眉を寄せた。「何者?」陽介さんが冗談めかして言う。「……何を今さら。あなたの妻で、あなたの会社の清掃員ですよ」私は軽く微笑んで返したが、その瞳には冗談ではない色が混じっていた。「ふーん」それだけの単語からは、彼の意図はわからない。こんなふうに男性から見つめられることなんて経験のない私は、なんとなくあの日の夜のサングラスの奥の瞳を思い出してしまう。なんで今あの日のことを。落ち着かない気持ちをどうにかしようとしていたところで、「そろそろペアダンスの時間にな
Last Updated: 2025-01-30
Chapter: 第二十三夜
会場に到着すると、煌びやかな装飾とシャンデリアの明かりが目に飛び込んできた。ハイクラスなホテルの宴会場は、どこを見ても洗練された雰囲気が漂い、訪れた人々もまた、その場に相応しい服装で会話を楽しんでいる。「緊張する?」 陽介さんが隣でさりげなく声をかけてくれた。「いえ、大丈夫です」 思った以上に自然な答えが出たのは、自分でも驚きだった。昔の私なら、このような場に慣れていたからだろう。今の生活とはかけ離れているけれど、身体に染み付いた感覚は意外にも残っているものだ。受付で名前を告げ、会場内に進むと、すぐに陽介さんに声をかける人物が現れた。取引先の社長だろうか、年配の男性が陽介さんと笑顔で握手を交わす。「奥様ですね。お美しい方だ」 その言葉に思わず頬が熱くなるが、陽介さんがさらりとフォローしてくれる。「ええ、彼女にはとても感謝しています」 そう言う陽介さんの表情から本心はわかるわけはない。しばらくすると、場の空気が少しざわつき始めた。会場の中央に一人の男性が現れ、周囲の人々と挨拶を交わしている。彼こそがフランスの外交官であり、今回のパーティーの主賓だと聞いていた。「初めまして」 男性が陽介さんに近づき、流暢なフランス語で話しかけてきた。その瞬間、陽介さんが一瞬だけ眉をひそめるのが分かった。フランス語を理解しているものの、流暢に話せるほどではないのかもしれない。普通であれば外交官ならば、英語で会話と彼も思っていたのだろう。いつのまに来ていたのかわからないが、いきなり神崎さんがここぞとばかりに間に割り込んできた。「私にお任せください!」 自信たっぷりにそう言う神崎さんが英語で話すと、もちろん彼も英語で答えたが、少しだけ言葉選びに迷いがある気がする。きっとフランス語の方が堪能で、詳しい話はそちらでしたいのかもしれない。その様子を見た私は、自然と口を開いていた。「Monsieur, je suis enchantée de faire votre connaissance. Laissez-moi vous aider si besoin est.」(お会いできて光栄です。必要でしたら私がお手伝いします。)完璧な発音でフランス語を話した私に、外交官は驚いたような表情を見せ、すぐに穏やかな笑みを浮かべて答えた。「Ah, vous parlez
Last Updated: 2025-01-29
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