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第5話

Author: 春雨遊夢
ヘリがゆっくりと上昇していく中、優太は機内の隅で膝を抱え、まるで魂が抜けたかのようだった。

その目は泣き腫れている。

驚いたことに、穂香はこの期に及んで、まだ厚顔にも彼に話しかけてきた。

声を潜め、慎重に言葉を選ぶ。「優太さん……聞いて、先ほどのは……」

言葉が終わる前に、優太が手を振り上げ、その頬を打った。

「何を説明するというのだ。先ほどお前が口にした言葉を、今さら知らぬとでも言うつもりか!?清水穂香、お前……本当に、最低の女だな!」

「違う……違いますよ」穂香は、わざとらしくこちらへ一瞥をくれると、声を震わせた。「あんなことをしたのは、文乃の本性を暴くためだったのですよ!」

その言葉に、優太の振り上げかけた腕が、不意に空中で止まった。

「お前……どういう意味だ?」

「優太さん!まだ分からないのですか?先ほどのことは、すべてお芝居だったのですよ! 文乃がわざと私たちの仲を引き裂こうと、あんな卑劣な手を使ったから、わ……私も、仕方なく彼女の思惑に乗ったふりをしただけ……」

穂香のそのあまりに荒唐無稽な言い訳に、誰もが思わず失笑した。この期に及んで、まだ己の身勝手さを正当化しようとは。

さらに驚くべきことに――その拙劣な嘘を、優太は信じかけていた。

彼は、憎悪に満ちた目で私を振り返った。

「結城文乃……お前、卑劣にもほどがある!どうして枠が一つだけ足りなかったのか、不思議に思っていたんだ。お前が……お前が、わざと俺と穂香ちゃんを対立させようとしたのだろう!」

機内は、一瞬にして騒然となった。

「おい、頭はゾンビにでも食われたのか?あの女の戯言を、本気で信じるというのか?」

副隊長が、信じられないというように目を見開いた。

しかし優太は、完全に取り憑かれたように、他の誰の言葉も耳に入らない。

彼は穂香の腫れた頬を優しく撫で、心を痛め、自責の念に駆られていた。

「穂香ちゃん、俺が……俺が誤解していた。

分かっていたんだ……お前が、本当に俺を見捨てるはずがないと。俺たちは、幼い頃から共に育ってきたじゃないか。お前は昔から、俺に良くしてくれていた……」

穂香はその言葉に応えるように、すかさず彼の懐に飛び込んだ。

「本当に、馬鹿ですね。あなたを置いていくわけがないじゃないですか。先ほど、あなたがあまりに悲しそうで、私の心も張り裂けそ
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