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第3話

مؤلف: 祝儀二百
女の足音が、少しずつクローゼットから遠ざかっていく。

私はぎゅっと目を閉じ、震える息を細く吐き出した。

助かった……喉の渇きを覚え、遊び半分で注文しておいたタピオカミルクティーの出前が、こんな形で命綱になるとは思わなかった。

玄関ドアの近くから声が聞こえる。

「……た、高橋詩織様、でよろしいですね。ご注文のミルクティー二つです」

その従業員の一言が、私の心臓をわしづかみにした。

名指しされた恐怖が、じわじわと全身に広がっていく。

バタン、と玄関ドアが閉まる音がした。

……カツ、カツ。

今度の足音はとても軽く、バスルームの方向へと向かっているように聞こえた。

私はもう一度、安堵の息を漏らす。

足音が完全に止まったのを見計らい、私はゆっくりと目を見開き、暗闇の隙間から外の様子を窺った。

扉にはまだ、拓也のひしゃげた眼球が張り付き、私をじっと見つめ続けている。けれど、今は怯えている暇はない。

外にあの女の姿はなかった。ピンク色だったはずのカップル用ベッドのシーツは、赤黒い肉片と血の海に沈んでいる。

やはり、女はバスルームに入ったのだ。

ここは大学生をターゲットにしたラブホテルに近い造りで、「ムード」を重視している。そのため、ベッドルームとバスルームは電動式のスマートガラスで区切られており、スイッチ一つで透明とすりガラスを切り替えられる仕組みになっていた。

どうか、このまま……

私は床に点々と続く血の足跡を追い、バスルームの方向へと視線を向けた。

ガラスは今、半透明のすりガラス状態になっている。

よかった。

いや、待てよ?

バスルームの電気は点いていない。

女は、あの中には入っていない……!

次の瞬間。

ぽっかりと空洞になり、黄色い膿にまみれた眼窩が、私の視界を完全に塞いだ。

「ここぉ……隠れてるんでしょ?」

「高橋――し・お・り・さぁん♡」

空気を引き裂く音と共に、ハンマーが私の頭頂部スレスレをかすめ、クローゼットの上部を凄まじい勢いで打ち砕いた。

木片が吹き飛び、頭上に巨大な裂け目ができる。

「あれぇ?いなァい?」

女は、自ら開けた大穴から内部をねちっこく覗き込んだ。

私は必死に両手で口を塞ぎ、自分の鼓動が漏れないように身をすくめる。

血走り、不気味に飛び出した女の片目が、暗闇の中をギョロギョロと舐め回すように動いていた。

「なーんだ。まだ来てないのねぇ」

クローゼットの奥は思いのほか深かった。私は一番端の漆黒の暗がりに身を縮めていたため、女の狂った視線からは完全に死角になっていたらしい。

二、三度内部を見回した後、女の気配はあっさりと離れていった。

ズリッ……ズザザッ……

女が拓也の両足首を掴み、動かなくなった肉塊をバスルームへと引きずり込んでいく鈍い音が聞こえる。

直後、シャワーの激しい水音が響き始めた。おそらく証拠隠滅のために血を洗い流すか、あるいは死体を解体するつもりなのだろう。

ようやく、私はこわばっていた肩の力を抜いた。

今、私の頭にある選択肢はたった一つ。

「逃げる」

それしかない。

女はバスルームに入っているし、シャワーの音がこちらの物音をかき消してくれるはずだ。

今が、絶好の逃走のチャンス。

深く息を吸い込んで震えを止め、私は音を立てないようにクローゼットの扉をゆっくりと押し開けた。

ここはそれほど広い部屋ではない。クローゼットから玄関まではほんの数歩の距離だ。私はつま先立ちで、抜き足差し足で出口へと向かった。

しかし、その途中。視界の端に映ったベッドの惨状に、私は思わず息を呑んで立ちすくんでしまう。

ベッドの端に放置された、半身だけの拓也。

ぽっかりと開いた口。あり得ない角度に折れ曲がった首。

いつも私を甘く見つめていたあの綺麗な瞳は片方しか残っておらず、もう片方はただの赤黒い空洞に成り果てていた。

全身から滝のように血を流すその姿は、もはや人間の原型を留めてすらいない。

髪の毛も、耳も削ぎ落とされ、よく見れば指先まで無残に切り刻まれている。まるで生肉の塊のようにバラバラにされた彼は、私が恋した男の面影を完全に失っていた。

あんなに楽しそうに、明日は山に登ろうって話していたのに……

こみ上げる絶望を振り払うように顔を上げると、ローテーブルの上に自分のスマホが置かれているのが見えた。

私は今、薄いキャミソールのネグリジェ一枚だ。下着すら着けていないし、お金も何も持っていない。外はすっかり深夜。

ここでスマホを回収して、すぐに警察を呼ぶべきだろうか?

だが、部屋が狭いのが災いした。ローテーブルに手を伸ばすためには、バスルームとの仕切りであるスマートガラスのすぐ横を通らなければならない。

リスクが高すぎる。

一瞬の迷いの後、私はその危険な考えをきっぱりと捨てた。

バスルームからは、床を洗い流すかのような絶え間ない水音が続いている。

私は勇気を振り絞り、スマホを諦めてそのまま玄関のドアノブへと手を伸ばそうとした。

――その瞬間。

ジリリリリリリッ!!

静まり返った部屋の空気を切り裂くように、ローテーブルに置かれた私のスマホが、けたたましい着信音を鳴らし始めた。

ビクッと肩を跳ねさせ、反射的にそちらへ顔を向ける。

直後、さらなる絶望が私を襲った。

あれほど濁っていたバスルームのスマートガラスが、一瞬にしてクリアな透明へと切り替わったのだ。

ガラスの向こう側。血の海と化した床の上で、鼻歌交じりに死体を切り刻んでいた女が、ゆっくりとこちらへ首を向ける。

残された一つの目が、ガラス越しに私を真っ直ぐに射抜いた。

血に染まった女の唇が、三日月のように吊り上がる。

「あぁらぁ……そんなところに、いたのねぇ」
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