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第219話

Author: 三佐咲美
一時間後、私と慎一が役所の前で六十秒間抱き合って別れる動画が、あっという間にトレンド入りしていた。

動画の中で、慎一のコートの裾が風に舞い、私が背を向けて歩き去る姿を見つめている。そのシーンは、まるでドラマのラストシーンみたいだと、ネット民たちの間でネタにされていた。

【どれだけ絶望したら、流産したその足で離婚届を出しに行けるんだろう?】

どれだけ絶望してたのか?

私は苦笑いするしかなかった。今どきのネット民は、言葉で人の心を切り裂く術をよく知っている。

二人の過去に興味を持った人もいたけど、調べても出てくるのは、雲香の記者会見で、私と慎一がわざと仲の良さをアピールした、あの場面だけ。

私のツイッターには、【こんなに賞味期限切れの早いイチャイチャ、推せないわ】とか書かれている。

結局、私と慎一の破局には、四文字のタグが付けられることになった。

#仮面夫婦

みんなは、全部嘘だったんだなと言う。

私はスマホを投げ出し、虚ろな目で天井を見つめながら、力なくベッドに身を沈めた。

動画の光景が何度も頭の中で再生される。慎一の問い詰める声が、胸に突き刺さる。

私はもう、窓の前に立つ勇気すらなかった。彼がまだ下にいるのを知っていたから。

落ち着かない心臓を抱えたまま、玄関の方からノックの音がした。数秒息を潜めて聞いてみる。あまりにも礼儀正しいノック。

慎一ではない。

気力もなく、無視しようかと思ったけれど、田中さんの声が聞こえてきた。

ドアを開けると、田中さんはたくさんの荷物を抱え、手には新鮮な食材を提げていた。

でも、その後ろには、思いもよらぬ人物が立っていた。

まさか、こんなに早く慎一と顔を合わせることになるとは思わなかった。

別れたばかりなのに。

私は彼を見据えた。憎しみがこみ上げる。思い出の中だけならまだしも、なぜ目の前に現れるのか。

私は玄関口で立ちはだかり、冷たく言い放つ。「霍田社長、しつこくすると見苦しいよ」

慎一は唇をきつく結び、黙ったまま、顎のラインがナイフのように鋭く光る。

田中さんが私の手を握った。「奥様、ご主人様を入れて差し上げて。奥様がちゃんと食べてるか、心配で私を呼んだのよ。ご主人様は奥様のこと、本当に気にかけてるんですから」

彼がどう思おうと、私には関係ない。

母が亡くなってから、田中さんだけが私を気
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Comments (2)
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ayako
もう遅いよ。遅すぎだよ
goodnovel comment avatar
シマエナガlove
もういい加減解放してあげて 愛情は妹にあげれば
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