「君は俺の花だ」妹に婚約者を奪われた私を、冷徹華道家が溺愛して離してくれません

「君は俺の花だ」妹に婚約者を奪われた私を、冷徹華道家が溺愛して離してくれません

last update最後更新 : 2026-06-09
作者:  暁万里剛剛更新
語言: Japanese
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16章節
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故事簡介

三人称

溺愛

独占欲

一途

冷徹

新しい恋

妹に婚約者を奪われた。 家族のために働き続け、妹の学費も生活費も負担してきたのに。 それでも、妹を責めることができなかった。 交際記念日の夜、白石澪はホテルの前で信じられない光景を目にする。 婚約者とキスをしていたのは、最愛の妹だった。 すべてを失った雨の夜。 絶望の中で出会ったのは、華道界の若き天才家元・神宮寺綾人。 冷徹で他人に興味がないと噂される彼は、澪を見るなりこう告げた。 「やっと見つけた」 「君は俺の花だ」 どうして私なの? なぜそんな目で見つめるの? 愛されたことのない花屋の女性と、孤高の天才華道家。 これは、誰にも選ばれなかったはずの女性が、世界でただひとりの人に溺愛される物語。

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暫無評論。
16 章節
第1話 交際記念日の裏切り
 白石澪は、二十六年間の人生の中で、自分が『誰かに選ばれる人間』だと思ったことがない。「ごめんね、お姉ちゃん。私、ほんとダメでぇ……」 ソファに座った妹の美羽が、困ったように眉を下げる。 ふわふわに巻いたグレージュの髪。淡いピンクのネイル。思わず守ってあげたくなるような可愛らしい顔。「バイト先でも失敗ばっかりで……」「ううん。気にしないで。それよりも、美羽は早く休んで? 体に障るわ」 澪は笑った。美羽の代わりにノートパソコンの前に座って、大学の課題のレポートに向き合う。 澪が働く花屋は、比較的穏やかな客が多い、しかし今日は珍しくクレーム対応をして、頭も心も疲れ切っていた。  それでも、疲れたなんて言えない。 美羽は昔から身体が弱かったから。「ありがとう、お姉ちゃん。おやすみなさい」「おやすみ、美羽」 澪の部屋を出ていく美羽の背中を見送って、ドアが閉まったのを確認してから小さく息を吐き出す。澪ひとりきりになった静かな部屋に、静かにキーボードを叩く音と、参考資料をめくる紙が擦れる音だけが響いた。 父が亡くなってから、白石家はずっと苦しかった。だから澪は、高校を卒業してすぐ働いた。(そういえば、明日、家賃払っておいてってお母さんに言われていたんだった……忘れないようにしないと) 大学に進学した妹の美羽の学費も、家賃も、生活費も。全部澪が払ってきた。 ――お姉ちゃんだから。 その役割と言葉だけで。 翌朝、寝不足の目を瞬かせながら朝食を作っていると、母から声をかけられ澪は、いつも通り笑顔を作って顔を上げた。「澪、拓真さん、今夜来るんでしょ?」 母の声に、澪は小さく頷く。「うん。夕飯、一緒に食べるって」「あらぁ、よかったじゃない」 そう言いながらも、母が嬉しそうに見ているのは澪ではなく美羽だった。澪の婚約者である七瀬拓真は、昔から美羽を可愛がっていた。 妹だから。  家族だから。 そう思っていた。 ――今日までは。     ◇『ごめん、澪。仕事長引いて、今日は無理かも』 仕事終わり。スマートフォンに届いていたメッセージに、澪は小さく息を吐いた。 今日は交際記念日だった。 小さなケーキも買った。拓真の好きな煮込みハンバーグも作った。デパートで少し奮発して買っ
last update最後更新 : 2026-05-30
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第2話 やっと見つけた
 温かかった。 冷え切っていた体が、じんわりと熱を取り戻していく。 雨の音が遠い。 白石澪は、抱き締められていることに気付いてからも、しばらく動けなかった。「……あの」 震える声が漏れる。 すると、男――神宮寺綾人は、ようやく我に返ったように目を伏せた。「……すまない」 けれどその腕は、なかなか離れない。 まるで、離したら消えてしまうものを抱えているみたいに。「あ、あの……」 澪がもう一度そう口を開くと、綾人はようやくゆっくりその腕を離した。 黒い手袋越しの指先が、最後まで名残惜しそうに澪のブラウスの袖に触れていたことに、澪は気付かない。「怪我は?」「え?」「怪我はしていないかと聞いている」「あ……はい。大丈夫、です」 澪の手を取って立ち上がった綾人は無言で澪を見下ろした。 背が高い。 近くで見ると、改めて息が止まりそうなくらい整った顔をしていることに気付く。 なのに、その目はひどく冷たい。 冷たいのに。 どうしてか、その視線の奥に熱を帯びている気がして、澪は困惑した。 綾人は地面に落ちた花を拾い上げる。 雨に濡れ、落ちた衝撃で花びらが傷ついてしまった白いリンドウの花束。『誠実』という花言葉を気に入った拓真の好きな花だった。 雨が降り出したせいか。店を出たときには開いていた花が、今はすっかり閉じている。 太陽に向かって、真っ直ぐに花を咲かす健気な花。 けれど、雨の日には花を閉ざしてしまう姿から『誠実』だなんて花言葉ついたと言われている。 澪は、リンドウのその姿から、先程の拓真と美羽の姿を思い出して、唇をきつく引き結んだ。「……こんなになるまで」 掠れた声だった。綾人のその声に、澪は顔を上げる。 哀れむように綾人がそっと傷ついたリンドウの花を撫でる。「あ……ご、ごめんなさい」 反射的に謝ると、綾人の眉がぴくりと動いた。そして、ゆっくりと澪へと視線を移す。「どうして君が謝る」「え……、あの、私が急にあなたの車の前に飛び出したから……」「それでも謝る必要はない」 綾人は断言した。 その強い口調に、澪は目を瞬かせる。 そんなふうに言われたこと、今まで一度もなかった。 綾人は濡れた花束を見下ろし、それから運転席へ視線を向けた。「俺に家まで車を回せ」 運転席から顔を覗かせ
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第3話 触るな
「……澪?」 聞き慣れた声だった。 その瞬間、澪の体は強張る。 振り返った先には、息を切らせた拓真が立っていた。 雨に濡れた髪。 乱れた呼吸。 まるで必死に追いかけてきたみたいだった。「澪……!」 澪の姿を見て、安堵したように表情を緩めた拓真が、一歩近づいてくる。 けれど澪は思わず一歩足を後ろに引いた。 その仕草に、拓真の顔が傷付いたように歪む。「待ってくれ。話を聞いてほしい」「……」「誤解なんだ」 その言葉に、澪は思わず顔を上げた。 誤解。 その言葉が胸に刺さる。 だって澪は見たのだ。確実に。この目で。 ホテルの前で。 拓真が美羽に口づける姿を。「誤解って……」 震える声が零れる。「私、ちゃんと見たよ」「違うんだ!」 拓真は焦ったように声を上げた。「確かに、あれは……。でも、澪が思ってるようなことじゃない」「じゃあ、どういうことなの?」 隠れた声で問い返す。 拓真は言葉に詰まった。 その沈黙だけで十分だった。 澪の胸がじくりと痛む。「……ごめん」 拓真が俯く。「俺、どうかしてたんだ」 その言葉に、澪は唇を噛んだ。――どうかしていた。 そんな一言で済ませられることなのだろうか。 今日がどんな日だったのか。 拓真は覚えているのだろうか。 交際記念日だった。 澪にとって、大切な日だった。拓真にとっても大切な日だと思っていた。 けれど拓真は来なかった。 そして代わりに見たものは――。「澪」 拓真の優しい声で名前を呼ばれる。 昔なら、その声だけで安心できた。 なのに、今は、こんなにも苦しい。「澪、一緒に帰ろう」 拓真が手を伸ばす。「ちゃんと話そう」 そのときだった。「触るな」 低い声が落ちる。 雨音さえ止まったような気がした。 澪の隣に立つ綾人が、静かに拓真を見ていた。 感情の見えない目だった。 けれど、その視線には鋭い圧がある。「……誰だ」 拓真が眉をひそめ、綾人と澪を交互に見る。 けれど、綾人は答えない。 ただ、一歩前へ出た。 それだけで、澪は自然と綾人の背中に隠される形になる。「おい、澪……」 困惑した拓真の声。そして、澪の腕へと手を伸ばす「聞こえなかったか?」 綾人は、それを気に留める様子もなく、淡々と言う。「彼女に触るな」 拓真の
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第4話 連れて帰る
 車のドアが静かに閉まる。外の雨音が遠くなった。 澪は膝の上で手を握る。 隣には、先程出会ったばかりの男性が、窓際に頬杖をついて流れる景色を見ている。 車内は驚くほど静かだった。 隣に座っているだけなのに緊張する。 けれど……なぜだろう。不思議と怖くはない。 むしろ……どこか居心地の良ささえ感じてしまっているような――。「……寒くないか」 不意に掛けられた言葉に、澪の肩がびくりと跳ねた。「は、はいっ」 思わず声が裏返る。「全然、寒くないです」「それならいい」 「じ……神宮寺さんは、」 寒くないですか、と言いかけた言葉は、「綾人」 と短い声に遮られた。「え?」「綾人でいいって言っただろ」 澪は思わず言葉に詰まる。「でも……」「俺も『澪』って呼ぶ」 ふい、と、また綾人の視線は窓の外へと向けられる。 澪の返事など待たないと言わんばかりの態度。 どうやら会話が終わったらしい。 なんなのだろう、この人は。 澪は小さく首を傾げた。     ◇ 三十分ほどして車が止まった。「着いたぞ」 綾人が先に降りて、澪に手を差し出す。 澪は少し悩みながらも、躊躇いがちにその手をありがたく借りることにした。 そっと車から降りる。そして、思わず固まった。「……え?」 目の前に広がっていたのは屋敷だった。 大きな立派な門の先には、テレビでしか見たことがないような日本庭園が広がっている。 雨に濡れた石畳。 そして広大な敷地。庭から建物までの距離が遠い。この庭に、今、澪の実家なんてすっぽりと収まってしまいそうなくらいだ。「さ、撮影スタジオか何かですか?」「普通の家だが」 さらりと返される。 規模がおかしい。 どう見ても『普通の家』ではない。 澪が呆然としていると、玄関から数人の使用人が現れた。「綾人さま、お帰りなさいませ」 綺麗に頭が下げられる。 澪はさらに固まった。 住む世界が違うどころの話ではない。こんな光景、フィクションの世界だけではなかったのか。「部屋を一室、準備してくれ」 綾人が当然のように言う。「それと、医者も。彼女を診てもらう」「かしこまりました」 使用人のひとりが一度、澪に視線をやってから、すぐに淡々と頭を下げた。「い、医者!?」 澪は慌てて声を上げた。「だ、大丈夫です! 私
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第5話 一体誰なの
「こちらへどうぞ」 年配の女性に案内されながら、澪は何度も周囲を見回していた。 広い。とにかく広い。これを『普通の家』を称した綾人のことを思い出して、澪は苦笑いを浮かべるしかなかった。一体どんな風に生きていたら、これが『普通』という認識になるのだろうか。 磨き上げられた廊下はまるで旅館のようだ。屋敷のあちこちに飾られている生け花はどれも芸術作品のように美しかった。「すごい……」 居間として使われている部屋だろうか。その前を通りかかったとき、一際上品で、一際色鮮やかな花で彩られた生け花に、思わず声が漏れる。「ありがとうございます」 女性は嬉しそうに微笑んだ。「お花はどれも、綾人さまが管理なさっているんですよ」「全部……ですか?」「ええ」 澪は目を丸くした。 ここに来るまでの間に、いくつの花を見ただろうかと澪は指を折って数えてしまう。 しかもどれも適当に作られたものとは思えないクオリティだった。「さぁ。こちらがお部屋になります」 案内された部屋に入った瞬間、澪は立ち止まった。「えっ……」 広すぎる。この感想も、もう何度目だろうか。 けれど、使っていいと通された部屋は、自分の部屋の三倍はある。 大きな窓。 落ち着いたインテリア。 そして、この部屋にも花が生けられていた。 そっと近づいて、その花を覗き込む。 純白のアンスリウムをメインに置いた、爽やかな生け花だ。ハートのような形をした苞が可愛らしく、どこか異国感漂う花。けれど、それは、黒の大きな水盤に、胡蝶蘭やデルフィニウム、ウンリュウヤナギと組み合わされていて、和室の部屋と見事に調和していた。 思わず、溜息が零れてしまうくらい美しい。「今、着替えをお持ちします。少々お待ちくださいね」「い、いえ! 本当にそこまでしていただかなくても……!」「綾人さまのご指示ですので」 にっこりと微笑まれる。とても、それ以上断れる空気ではなかった。     ◇ 二十分後。 温かいお茶を前に、澪は縮こまっていた。 居心地が悪い。こんなに丁寧に扱われることに慣れていない。 それなのに……。澪は、ちらりと横へ視線を動かした。「サイズは問題なかったか」 いつの間にか現れた綾人が当然のように隣に座っている。「あっ……はい」 問題ないどころか、用意された真っ白なワンピースは驚くほ
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第6話 白い花
 初対面の人の……しかも、男性の家に泊まるなんて……。と、澪は使用人たちが布団を整えてくれる様子を部屋の隅で眺めながら考えていた。 けれど、自宅に帰れば美羽と顔を合わせなければいけなくなる。 美羽のことは今でも大切に思っている。だからこそ、自分の婚約者である拓真と唇を重ねていたあの光景に、澪の心はぐしゃぐしゃにかき乱されていた。(家には帰りにくいと思っていたから……ありがたいかも) いつもの自分であれば絶対にしない選択だ。結婚を約束した恋人だっている身。 けれど、今夜だけは――。 そう、澪は少し目を伏せて、小さく溜息を吐いた。 布団の中に入っても、澪はしばらく眠れなかった。 胸元のお守りを握る。 小さな白い花のお守り。 幼い頃からずっと持っているもの。 けれど……。――まだ持っていたんだな。 綾人の言葉が頭から離れない。「どういう意味だったんだろう……」 思わず呟く。まるで自分のことを昔から知っているみたいだった。 けれど、どれだけ自分の記憶を辿ってみても、澪に綾人と関わった記憶はない。ただ、静かな部屋の中、冷静になってきた頭で『神宮寺綾人』という名前に聞き覚えがあることは思い出した。神宮寺綾人――華道界の若き天才。テレビや雑誌で見たことがある。花屋の自分にある彼との共通点は『花』だけ……。同じ花を取り扱っていても、遠い世界の人だと思っていた。「考えても分からないわ……」 澪はそう小さく呟くと、ごろんと布団の中で寝返りを打った。 ふかふかだった。自分の家の布団とは比べものにならない。 それなのに、なぜだろう。 少しだけ寂しかった。     ◇ 一方その頃。 綾人は自室の書斎にいた。 机の上には古い木箱が置かれている。 綾人はその蓋を静かに開いた。 中には色褪せた写真。 そして、押し花になった白い花。「……やっと見つけた」 綾人はその押し花を手に取ると、そっと自分の唇に寄せた。 二十年、ずっと探していた。 何度も諦めそうになった。 それでも、あの日の少女だけは忘れられなかった。 綾人は、そっと指先で撫でるように写真へ触れる。 そこに映る小さな少女の顔は、古ぼけていて鮮明ではない。 けれど、その笑顔だけは、昨日のことのように覚えている。「澪……」 その名を口にした瞬間、扉がノックされ
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第7話 帰らなくちゃ
 翌朝、柔らかな光に包まれて、澪は目を覚ました。「……朝」 見慣れない天井。広い部屋。ふかふかで、どこか良い香りのする布団。 そして数秒遅れて思い出す。「そうだった……」 ここは、神宮寺綾人の家だ。 昨日の出来事が夢ではなかったことを思い出して、澪は小さく息を吐いた。 体調は悪くない。むしろ久しぶりによく眠れた気がする。 けれど……。「早く家に帰らないと……」 ぽつりと呟く。家には母もいる。美羽もいる。外泊なんて滅多にしないし、心配しているかもしれない。 ――本当に? ふと浮かんだ考えに胸がズキンと痛む。 母はいつだって美羽のことばかり気にかけていた。そして、美羽も拓真と……。 澪はすぐに首を横に大きく振った。考えるのはやめよう。 成り行きで転がり込んでしまった神宮寺家にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。 美羽と拓真のことは……家に帰りながら、考えよう。     ◇ 着替えを済ませて部屋を出ると、廊下には昨日の年配の女性が待っていた。「おはようございます、澪さま」「えっ……」 澪は固まった。「さ、さま?」「綾人さまの大切なお連れさまですので」 にこりと微笑まれ、その喜びに満ち溢れた表情に言葉が詰まる。 完全に訂正するタイミングを失った。「朝食の準備が整っております」「そ、そんな……ご迷惑では……」「迷惑だと思う者はこの屋敷にはおりませんよ」 澪を振り返ったその女性の眼差しと声は、とても優しいものだった。 澪の心の中に、ぽつりと温かい何かが落ちて、波紋のように広がっていく。知らない感覚に、澪はそっと自分の胸に手を当てた。     ◇ 案内された部屋は、またしても規模がおかしかった。「広い……」思わず呟く。昨日通された部屋とは比べ物にならない。アンティークな雰囲気漂う洋室だ。 長いテーブルの上には朝食が並んでいた。 焼き魚にだし巻き卵。味噌汁と、炊き立てのご飯。どれも美味しそうで、昨晩からろくなものを口にしていない澪の食欲をそそった。「おはよう」 後ろから掛けられた声に振り向くと綾人がいた。 今日も整った顔をしている。明るいところで見ると、より一層その美しさが際立って見える。朝陽よりも眩しいのではないか。「お、おはようございます、神宮寺さ、」「綾人」「……おはようございます、綾
last update最後更新 : 2026-06-01
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第8話 送っていく
 綾人に「門の前で待っていろ」と言われ、澪は大人しく言われた通り待っていた。 数分ほどして、一台の美しいボルドーカラーの車が目の前に停まる。「……あれ?」昨日、神宮寺家まで乗せてもらった車とは違うことに気付く。昨日は確か黒塗りのセダンタイプの車だった。 そのときに運転席に座っていたはずの男性の姿も見当たらない。 代わりに、運転席から降りてきたのは、綾人だった。「乗れ」 そう言って綾人は樹種席のドアを当たり前のように開ける。「えっ」 澪は瞬きを繰り返した。「綾人さんが運転するんですか……?」「……なにか問題でもあるか?」「い、いえ。昨日は運転手さんがいらっしゃったので……」「ああ。昨日は仕事だったからな。……俺も運転できる。これでも上手いほうだ。心配するな」澪の頭をそっと撫でるように綾人の手が置かれる。少しだけ冗談っぽいトーンの言葉に、そういう一面もある人なのかと澪は内心驚いていた。「家まで送る」 今度は柔らかいトーンで、助手席へと促される。 澪は躊躇いながら、助手席へ乗り込んだ。     ◇ 車がゆっくりと走り出す。カーフレグランスの香りか、それとも綾人の香水の香りだろうか。うっすらと漂うウッディな香りが澪の鼻腔をくすぐった。運転が上手い、と自称していただけあり、綾人の運転はとてもスムーズだった。急発進も急ブレーキもない。穏やかに車は進んで、信号で停まってを繰り返す。「……」「……」 車内は、澪の自宅を教えたきり、とても静かだった。 気まずいわけではない。 綾人は元々あまり喋る人ではないらしい。 信号待ちで車が止まる。 そのとき、澪の鞄の中でスマートフォンが震えた。「あ……」 そういえば、昨日から確認していなかったことを思い出す。 慌てて取り出した瞬間、澪は息を呑んだ。 着信履歴がひとつの名前で埋まっていた。 七瀬拓真。 七瀬拓真。 七瀬拓真。 七瀬拓真。 メッセージも大量に届いている。『澪、話を聞いてほしい』『家にいるか?』『本当にごめん』『電話に出てくれ』 指先が震えた。 画面を見るだけで、昨日の光景が蘇る。 ホテルの前。 美羽と拓真。 優しく重なった唇。「……っ」 思わずスマートフォンの画面を伏せる。 その様子を見ていたのか。綾人が静かに口を開いた。「昨日のあ
last update最後更新 : 2026-06-02
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第9話 お姉ちゃん、ごめんなさい
 白石家の玄関の前で、澪は深く息を吐いた。 帰ってきた……自分の家に。 胸の奥がざわつく。足が重い。 美羽に、どんな顔をして会ったらいいのだろう。 それでも意を決して鍵を回して、玄関を開けた。「ただいま……」 その声は、澪自身が驚くほど小さかった。 しかし、その声を待っていたと言わんばかりに、ばたばたと足音が響いてくる。「お姉ちゃん!」 リビングから飛び出してきたのは美羽だった。 澪は思わず目を見開く。 次の瞬間、美羽が勢いよく抱きついてきた。「お姉ちゃん、ごめんなさい……っ!」「み、美羽……?」 澪の胸に顔を埋め、肩を震わせながら泣いている。 その姿だけ見れば、本当に反省しているように見えた。「私、どうしたらいいか分からなくて……」 美羽がしゃくり上げながら言葉を続ける。「拓真さんが優しくしてくれて……それで、」 拓真の名前が美羽の口から出た瞬間、澪の体が強張る。「私、断ったの……っ」 澪を見上げる美羽は涙をポロポロと零した。その顔は、反省と悲痛に満ちている。「でも、拓真さんが『澪には内緒にしてほしい』って……」 違和感が胸を掠める。――拓真が、本当にそんなことを言うだろうか……? 自分がしっている拓真は、誰にでも優しくて、真っ直ぐな人だった。 だからこそ、ショックだったのだ。今回のことが。あの光景が。――本当に拓真から誘ったの……? 一度だって忘れたことのなかった私との記念日を忘れて……? それに、美羽は謝罪の言葉を口にしているけれど……話を聞けば聞くほど、自分は悪くないと言われている気がした。「私、本当に苦しくて……」 美羽は顔を上げる。 涙で濡れた瞳。けれど、こちらにも言いようのない違和感を覚える。その視線の奥にあるものを、澪は見てしまった気がした。「本当にごめんね、お姉ちゃん」 もう一度、胸元に美羽の体温が触れる。その言葉を聞いても、少しも心が軽くなることはなかった。 頭の奥底で言っている。 その謝罪は、何に対して……?     ◇「澪!」 今度は母が現れた。 澪は、思考が良くないほうへ行こうとしていることを引き止めてくれるような気がして、少しだけ安心した。 けれど、次の言葉で澪の胸はぎゅっと締め付けられる。「あなた、昨日どこ行ってたの!?」 母の声は責めるようなトーンだっ
last update最後更新 : 2026-06-03
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第10話 本音
 重苦しい沈黙が広がっていく。 そんな中、最初に口を開いたのは拓真だった。「澪」 震えた声で澪の名前を呼ぶ拓真の瞳は大きく揺れていた。こんな表情を見るのは、交際を始めてからの三年で初めて見る。「本当にごめん」 拓真は苦しそうに眉を寄せた。「俺、どうかしてたんだ」「……」 澪は何も答えることができなかった。相槌を打つことすら難しい。「美羽ちゃんに相談されてるうちに、距離感がおかしくなって」 その言葉に、美羽がびくりと肩を震わせたのが、澪の視界の端に見えた。「拓真さん、それじゃあまるで私がそそのかしたみたいじゃない」 わっ、と美羽は両手で顔を覆って泣き声をあげる。「ち、違うんだ」 拓真は慌てて両手を顔の前で振った。「もちろん俺が悪い。でも、澪を裏切るつもりなんて本当に――」「お姉ちゃん……!」 美羽が澪の腕へしがみつく。「ごめんなさい……っ」 すがるような視線。「私、本当にどうしたらいいか分からなくてぇ……っ」 震える声。 赤くなった瞳。 それは、昔から見慣れた表情だった。そして、この表情をされると、途端に逆らえなくなる。「私ね、お姉ちゃんみたいに強くないの……。しっかり者でもない」 美羽のその言葉に、澪の手の先がぴくりと揺れた。「相談しているうちに、拓真さんが優しくしてくれて……」 美羽は唇を噛む。「私、何度も断ったの……」 その言葉に拓真の表情が変わる。「おい、美羽ちゃん、それは――」「でも……!」 美羽は拓真の言葉を遮るようにさらに涙を流した。「私だって苦しかったんだから!」 美羽の叫ぶような声に、部屋が静まり返る。 澪は何も言えなかった。 苦しかった。 その言葉を聞いてしまうと、また自分が悪い気がしてしまう。「そ、そうよ」 母が口を開く。「……そんなの、美羽だって被害者じゃない」「お母さん……」「もちろん姉の婚約者と関係を持つなんて……それは、悪いことよ?」 母は続ける。「でも、美羽は昔から身体が弱くて、恋愛だってまともに……。昨日だって帰ってきたとき、顔色真っ青だったのよ?」 母は美羽の肩を抱く。「澪もお姉ちゃんなんだから、これくらいのこと我慢して――」「これくらいのことって、何ですか」 低い声だった。 その場の全員が振り返る。 玄関の方から聞こえた声。 い
last update最後更新 : 2026-06-04
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