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第7話

Autor: 栄子
圭吾が家に帰ってこなかった三日間、咲良は決してただ泣き暮らしていたわけではない。

彼女はこの家にある「自分のもの」を徹底的に整理し始めた。自分に属するものは、一つとしてこの家には残さない。すべてを丁寧に梱包し、引越し業者を手配して次々と運び出させた。

その異常な光景を見て、家政婦の麗さんは、咲良が単なる夫婦喧嘩の腹いせでやっているのではないことを悟り、慌てて圭吾に電話をかけた。しかし、圭吾は電話に出ない。

仕方なく麗さん自身が咲良を必死に説得しようとしたが、咲良の決意は鉄のように固く、聞く耳を持たなかった。

四日目の朝。

キャリーケースを引いて二階から降りてきた咲良を見て、麗さんは血相を変えて駆け寄った。

「奥様、そ、そのお荷物は……どこかへお出かけになるのですか!?」

「麗さん。この数年間、本当にお世話になりました」

咲良はバッグから分厚い封筒を取り出し、麗さんの手に押し付けた。

「私が心を病んで部屋に閉じこもってばかりいたせいで、あなたにはずいぶんと苦労をかけたわね。これはほんの気持ちで、受け取ってください」

「と、とんでもございません!こんな大金、受け取れません!」

麗さんは激しく手を振り、泣きそうな顔で訴えた。

「奥様、夫婦ですから時にはぶつかることもあります。でも、旦那様は奥様を本当に大切に思っていらっしゃいます。どうか、一時的な感情で早まった真似はなさらないで……」

「麗さん、これは当てつけなんかじゃないの。私は、もうこの家を出ることにしたの。あなたも、どうか元気でね」

そう言い残し、咲良はキャリーケースを引いて振り返ることなく玄関へ向かった。

「奥様! 奥様、お待ちください! このお金――」

麗さんが封筒を握りしめて外へ飛び出した時には、すでに咲良は迎えに来ていた真っ白なスポーツカーの助手席に乗り込んでいた。

甲高いエンジン音を響かせ、スポーツカーは猛スピードで走り去っていく。

麗さんは震える手でスマホを取り出し、圭吾にメッセージを打った。

『旦那様、大変です!奥様が、家を出ていかれました!』

三十分後。白いスポーツカーは、都心の一等地にある超高級タワーマンション『グラン・エクリプス』の地下駐車場に滑り込んだ。

ここは、咲良が結婚前に自分名義で購入していた不動産の一つだ。最上階のペントハウスで、専有面積は三百平米以上。ルーフバルコニーからは、大都会のパノラマを見下ろすことができる。エレベーターから直接自室に繋がる、プライバシーが完璧に守られた間取りだ。

専用の駐車スペースに車を停めると、運転席の女性がサングラスを外し、助手席の咲良を横目で見た。

「本当に、これでよかったの?」

親友の西園寺紗月(さいおんじ さつき)の探るような視線を受け、咲良は薄く笑った。

「なに? あなたも、私が意地を張ってるだけだと思う?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ」

紗月は鼻の頭を触った。

「ただ、あなたがあれだけ圭吾に尽くしてきたのに、こんなにあっさりと身を引いて、紬とくっつくのを『お膳立て』してやるなんて、どうもあなたらしくないなと思って」

「離婚は、あいつときっちり縁を切るための手段よ。お膳立て?」咲良は鼻で笑った。「私が、あいつと紬が幸せになるのを指をくわえて見てるタマだと思う?」

その言葉を聞いて、紗月はホッとしたように肩の力を抜いた。

「そっか! それなら安心した。あんたがこれから何を企んでいようと、私は全力でサポートするからね!」

「ありがとう。私には、あなたという親友がいてくれて本当に良かったわ」

「当然でしょ! 恩を仇で返すあの紬なんかより、私のほうが百万倍役に立つんだから!」紗月は顔をしかめた。「でもさ、あの子があなたを裏切るなんて、いまだに信じられないわ。私たち、人を見る目が全然なかったってことね」

「人間の底知れぬ欲望を甘く見ていただけよ」咲良はドアを開け、氷のような声で言った。「でも、私が彼女をどん底から引き上げたのなら、私の手で再びどん底へ突き落とすことだってできるわ」

紗月も車を降りてドアを閉め、ニヤリと笑った。

「元の場所へお帰り頂くってわけね。最高じゃない!」

引越し業者が何往復もして、ようやくすべての荷物の運び込みが終わった。

三LDKで、居住スペースとプライベート空間が完全に分離された間取り。リビングは驚くほど広く、咲良が最も好むフレンチシックなテイストで統一されている。

内装の設計図は、咲良自身が手描きでデザインしたものだ。

当時、その図面を見た圭吾が「ずいぶんと気合いが入っているな。俺たちの新居にするつもりか?」と笑って尋ねたことを、今でも鮮明に覚えている。

長年の片思いが実り、彼と婚約したばかりで有頂天になっていた咲良は、「新居にしてもいいわよ」と嬉しそうに答えた。

彼の一言が嬉しくて、壁紙から家具、家電に至るまで、すべて咲良が妥協なく選び抜いたのだ。

この場所で彼と暮らし、子供を育てる――そんな甘い未来を夢見て。

だが結局、圭吾が『ヒルズレジデンス』を二人の新居として購入したため、少し落胆しながらも、彼女は夫の意向に従った。

こうして、このペントハウスは長年空き部屋となっていたのだ。

今になって思えば、これも運命の巡り合わせだったのかもしれない。

再びこの部屋に足を踏み入れた咲良は、心の底から安堵していた。あの時、妥協せずに自分の理想を追求しておいて本当に良かった、と。

ここは、誰の気配も干渉もない、完全無欠の「咲良だけのお城」なのだから。

妊娠初期の咲良を気遣い、紗月は彼女に指一本動かさせず、「そこに座って、どこに何を置くかだけ指示して!」と、一人で荷解きに奮闘してくれた。

朝から始まった作業は、夕闇が迫る頃にようやく終わった。

デリバリーで食事を頼み、二人はルーフバルコニーで夜景を見ながら夕食をとった。

紗月が尋ねる。

「ねえ、妊娠してること、圭吾にはずっと隠しておくつもり?」

「ええ。あいつにはもう別の『家族』がいるんだから。この子は、あいつとは何の関係もないわ」

「でも、お腹が大きくなったら隠しきれないんじゃない?」

「だから、お腹が目立ち始める前に、すべてにケリをつけるのよ」咲良はスープを一口飲み、言葉を続けた。「今は協議離婚でも一ヶ月の冷却期間が必要じゃない。あいつが素直に応じればいいけど、もしゴネるようなら、迷わず裁判に持ち込むわ」

「不貞行為の慰謝料をガッポリ取ってやるんでしょ!」紗月は身を乗り出した。「あの隠し子と、豪邸での同棲。これ以上ないほどの『不貞』と『悪意の遺棄』の証拠じゃない!」

「そうね。ただ、私の依頼を受けてくれる橘弁護士と、まだちゃんと話し合いができていないの。明日、また琴音に連絡を取ってみるわ」

「分かった。あなたの中でちゃんと計画ができてるなら安心だわ」

「明日、あなたも一緒に会社へ来てくれる?」

「もちろんよ!」紗月は強く頷いた。

翌朝。咲良が目を覚ますと、すでに紗月が朝食の準備を整えてくれていた。

咲良は勝負服のパンツスーツに着替え、病的な顔色を隠すために、少し念入りにメイクをした。鏡の中の自分は、見違えるようにキリッとした表情になっている。

ただ一つ、完璧なメイクとは不釣り合いな、栄養不足でパサパサに傷んだ長い髪が気になった。

咲良は髪に触れ、ある決断を下した。

二時間後。美容院から出てきた咲良の髪は、鎖骨の長さで軽やかに切り揃えられていた。

紗月はスマホでその姿を撮影し、親指を立ててみせた。

「最高! 昔の、キラキラして無敵だった結城咲良の完全復活ね!」

咲良は微笑み、指先で髪をすいた。驚くほど体が軽い。

死んでしまった毛先は、いくら高価なトリートメントで補修しても、決して生気を取り戻すことはない。唯一の解決策は、その未練ごと鋏で断ち切ることだ。

未練を断ち切らなければ、新しいスタートは切れない。髪も、そして人間関係も。すべては同じことだ!

午前十時。咲良は紗月を引き連れ、『S&Kジュエリー』の本社エントランスを堂々とくぐり抜けた。

昨日の一件もあり、警備員たちは今度は彼女を止めることはできなかった。

二人はそのまま社長専用エレベーターに乗り込み、最上階の役員フロアへ向かった。

ちょうど会議を終え、会議室から出てきた紬のもとに、若い女性秘書が血相を変えて駆け寄ってきた。

「小島副社長! 先日の……あの、結城様がいらっしゃいました!」

紬の足がピタリと止まり、眉間にシワが寄る。「どこにいるの?」

秘書はうつむき、消え入りそうな声で答えた。

「そ、それが……副社長の、執務室の中に……」
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