3年間塩対応してきた夫は、離婚の話をされたら逆に泣きついてきた

3年間塩対応してきた夫は、離婚の話をされたら逆に泣きついてきた

Par:  冷凍梨Mis à jour à l'instant
Langue: Japanese
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私と紀戸八雲(きど やくも)との結婚は、最初から秘密だった。 結婚したことを隠してきたこの3年間、私は外に言えないくらい誇れない妻として八雲のそばにいた。 外から見れば、八雲は東市協和病院第一の執刀医で、冷酷無情で、唯我独尊の存在だ。いわゆる高嶺の花である。 したし私は、ただそのそばに立っているちっぽけな麻酔科のインターン生だった。 無数の真夜中で、私はいつも1人で家でその人の帰りを待っていた。広い部屋の中、寒くてたまらなかった。 自分がもっと頑張れば、もっと優しくなれば、いつかきっと振り向いてくれると思い込んでいた。 しかし現実は無慈悲で、残酷だった。 「あの人のところにもう行かないでくれない?」私は八雲の裾をギュッと掴んで、細い声で何度もお願いをしていた。 なのに八雲ただ笑った。その笑い声から明らかな嫌味を感じた。「ただの契約なのに、紀戸の奥さんは随分役に入り込んでるね」 * 月日が経ち、八雲のあの娘の前でしか表れない優しさを見てきた。 何も言わずに、私は静かに離婚協議書1枚だけ残して、家を出た。 それから、白銀の東市で、知れ渡ったあの紀戸先生は雪に埋もれた道端で膝をついて、涙目で復縁をお願いしてきた。「優月(ゆづき)、離婚しないでくれ」 その頬からぽつりと落ちた涙は、私の目から、すでに雪のような冷たいものになった。淡々と微笑みながら、私はこう答えた。 「もしかして紀戸先生も役に入り込んでるの?ごめんね、芝居に付き合う暇はないの。契約期限はもう過ぎたわ。告白したいなら、まず列に並んでちょうだい」

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Chapitre 1

第1話

ケーキを分けている時に、学部の後輩ちゃんは最初の1切れを会場に来たばかりで、ギリギリ間に合った紀戸八雲(きど やくも)に渡した。

まるで初めて顔を合わせたように、八雲はこの妻である私の存在ですら気付かなかった。

周りはざわざわとしてきた。面白がる人は冗談半分に話しかけた。「葵、ここまで来て、もう隠す気もないんだな?」

可愛らしいお団子ヘアをしている女の子は、少し照れているような顔で横の男を見て、もごもごと「紀戸先輩はわざわざ遠くから来てくれたから、きっと大変だろうって思って」と言った。

細くて優しい口調に、そのキュートな笑顔。どの男でも心が惹かれるような可愛い女の子だった。

しかし、その娘の言ったことは間違ってはいない。東市協和病院から医学部まで車で来ても、1時間以上はかかる。それに、八雲はしっかりとスーツに着替えて、首元に付けているネクタイまできちんと整えた。見れば、ちゃんと準備をしてから来たと分かった。

2時間前まで、手術室にいたはずなのに。

ケーキを渡された時、男は紳士的に受け取って、立ち居振る舞いから、溢れ出すほどの上品さを感じた。その整った目鼻立ちは天井から差してきた電気の光に照らされて、普段厳しくて近寄りがたい目つきは今、少し柔らかく見えた。

「ありがとう。ちょうどお腹が空いたところだよ」

八雲は松島葵(まつしま あおい)の顔を見つめながら、低いけど、温かい声で話した。

普段いつも冷たい顔をしているあの紀戸先生とは、まるで別人のようだった。

女の子の顔はいきなり赤くなって、小声で八雲に呟いた。「紀戸先輩、みんな見てますよ」

八雲は小幅に顔を上げて、人混みを見渡した。最後に、斜め向かいにいる私の顔に目を留めて、落ち着いた声で「見知らぬ顔だな」と言った。

私は少し指を丸くして、「もう結婚してから3年目なのに、相変わらず演技が上手だね」と思った。

そうだよね。私たちは元から契約上の婚姻関係だった。結婚証明書まで紀戸家の運転手が代わりに受け取ってくれた。名ばかりの婚姻関係と名ばかりの妻を公表したくないのも、仕方のないことだ。

私も八雲の芝居に乗った。「先月は学院祭の時に会ったでしょう?」

その時、葵もいた。葵は何人かの後輩と接待係の仕事を学部長に任せられた。そして、接待する対象は、八雲などの優れた先輩方だった。

今思い返せば、葵と八雲はたぶんあの時に知り合ったのだ。

ということは、知り合ってからたった1ヶ月。

八雲は私の話に全く興味がなさそうで、返事もしなかった。まるで全然覚えていないようだった。

それを見た葵は、すぐに私の顔を立てているように言った。「紀戸先輩、知らなかったのですか?水辺(みずべ)先輩は学部でも人気な美人優等生ですよ。特別入試に受かったらしいです。すごい方ですよ」

「特別入試」という言葉を聞いて、私の胸元は急に疼くなってきた。

8年前、私は八雲の一言で、迷いもせずに八雲と同じく医学専門を選んだ。まさか、今まで続いてきたとは思わなかった。

しかし8年後、私たちは一番お互いのことを良く知っている無関係者となった。

八雲は軽蔑しているように「ふふ」と笑った。その温度もない声が私の耳に入った。「いくらすごくても、お前の紀戸先輩のほうがもっとすごいだろ?」

「お前の」という言葉を言う時に、アクセントを付けた。

軽そうな口調だったが、世間万物を見下しているような傲慢が潜んでいた。

傲慢だと言っても、自分を過大評価しているわけではない。八雲は元から天才的な優等生で、まだ若いのに、すでに人材が集まっている東市協和病院でトップクラスの存在となって、後輩たちの憧れにもなった。

私のような努力家は、当然敵わない存在だ。

葵もそれを思い出したか、子ウサギのようなきゅるんとした目でちらっと私のほうを見てから、八雲のほうを向いた。そして怯えているような口調で口を開いた。「紀戸先輩、私、なんか変なことを......」

まだ話の途中で、男は突然人差し指で、女の子の頭に被っているバースデーハットに軽い叩いた。

その目には、優しさが溢れ出ていた。

パーティーの会場でまたざわざわと騒ぎ出した。この個室は、騒がしくて賑やかな雰囲気に包まれていた。それに反して、私の心は海の底に沈んだように重かった。

8年前からずっと好きだったこの男は、私の夫は、そんなふうに笑えるとは知らなかった。

今日は彼女の誕生日だと覚えているから、彼は寒い初冬の日にも関わらず、遠くからやってきた。しかし、1つだけ忘れている。それは、今日は自分の妻、つまり私の誕生日でもあるということだ。
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rocinante
rocinante
夫婦で同じ職場だから守秘義務に縛られ うまく会話できない病なのかしら? 会話しようともしないで優月の主観で話が 展開していくから同じことを繰り返して いつまでもスッキリしないね
2026-04-14 07:21:44
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めめさん
めめさん
438話、やっっっと終わりがみえた? でもこれから優月の妄想暴走回が続くのかな。 八雲が優月を追いかけるのが職場内であからさまに見れるようになるといいのだけれど。
2026-03-07 21:04:34
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ちいこ
ちいこ
なんか飽きてきたかも… 八雲も優月もいつまでたっても中学生みたい このグダグダなすれ違いいつまで続くのかな 優月の頑なな妄想も止まらないし 2人が本音伝え合えば一瞬で終わるのに 葵も藤原先生もある意味2人のゴタゴタに巻き込まれてるだけに見えてもはや哀れ 職場も恋愛脳の集まりみたいでなんだかな
2026-03-04 22:40:08
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yan tella
yan tella
自分の事は棚に上げて責める男気持ち悪い。早く次に言ってほしいわ
2026-02-05 21:35:57
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s h (shino)
s h (shino)
いろんなクズ男の話を読んできたけれど、じわじわネチネチとしたやり方する八雲が一番嫌い。あと、これからザマァが始まるんだろうけど、流石にやられっぱなしで読んでてきつい。早くコテンパンにしてほしい。
2026-01-11 12:33:50
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第1話
ケーキを分けている時に、学部の後輩ちゃんは最初の1切れを会場に来たばかりで、ギリギリ間に合った紀戸八雲(きど やくも)に渡した。まるで初めて顔を合わせたように、八雲はこの妻である私の存在ですら気付かなかった。周りはざわざわとしてきた。面白がる人は冗談半分に話しかけた。「葵、ここまで来て、もう隠す気もないんだな?」可愛らしいお団子ヘアをしている女の子は、少し照れているような顔で横の男を見て、もごもごと「紀戸先輩はわざわざ遠くから来てくれたから、きっと大変だろうって思って」と言った。細くて優しい口調に、そのキュートな笑顔。どの男でも心が惹かれるような可愛い女の子だった。しかし、その娘の言ったことは間違ってはいない。東市協和病院から医学部まで車で来ても、1時間以上はかかる。それに、八雲はしっかりとスーツに着替えて、首元に付けているネクタイまできちんと整えた。見れば、ちゃんと準備をしてから来たと分かった。2時間前まで、手術室にいたはずなのに。ケーキを渡された時、男は紳士的に受け取って、立ち居振る舞いから、溢れ出すほどの上品さを感じた。その整った目鼻立ちは天井から差してきた電気の光に照らされて、普段厳しくて近寄りがたい目つきは今、少し柔らかく見えた。「ありがとう。ちょうどお腹が空いたところだよ」八雲は松島葵(まつしま あおい)の顔を見つめながら、低いけど、温かい声で話した。普段いつも冷たい顔をしているあの紀戸先生とは、まるで別人のようだった。女の子の顔はいきなり赤くなって、小声で八雲に呟いた。「紀戸先輩、みんな見てますよ」八雲は小幅に顔を上げて、人混みを見渡した。最後に、斜め向かいにいる私の顔に目を留めて、落ち着いた声で「見知らぬ顔だな」と言った。私は少し指を丸くして、「もう結婚してから3年目なのに、相変わらず演技が上手だね」と思った。そうだよね。私たちは元から契約上の婚姻関係だった。結婚証明書まで紀戸家の運転手が代わりに受け取ってくれた。名ばかりの婚姻関係と名ばかりの妻を公表したくないのも、仕方のないことだ。私も八雲の芝居に乗った。「先月は学院祭の時に会ったでしょう?」その時、葵もいた。葵は何人かの後輩と接待係の仕事を学部長に任せられた。そして、接待する対象は、八雲などの優れた先輩方だった。今思い返せば、葵
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第2話
楽しそうな雰囲気の中、私は早めに退場した。家に戻った時、もう深夜だった。窓の外を見れば、いつの間にか雨が降り出した。曇った窓ガラスには、薄い結露ができた。その中に反射しているのは、寂しくて孤独な私の姿だった。この家は、川辺に建てられた40坪以上の広い一軒家で、優れた生活環境に恵まれている。そう広くない東市では、市民みんなの夢のような住宅である。しかしこのような立派で暮らしやすい家で、常に私一人しかいなかった。時計の針がそっと0時に回った。ということは、今夜八雲はまた帰らないだろう。そう思った瞬間、ドアが開けられた音がした。困惑の目でドアの方を向いたら、ふらふらしてここに近づいてくる男の姿が目に入った。八雲はまさかお酒を飲んだの?鍛えられた男の腕が私の腰に回って、その体で私に押してきた。侵略しているように。私はよろよろと後ろに2歩下がったが、掃き出し窓の前まで押されて、逃げ場もなかった。雪の中に立っているヒマラヤ杉の匂いと八雲の身についている独特な匂いが混ざって、鼻に入って、もやもやさせられてきた。「紀戸先生はかなり飢えてるね?」自分の口調から皮肉さと、悔しさが聞こえた。良く考えたら、私たちが前回やったのは、もう半年以上前のことだ。八雲が今夜いきなりやる気満々になった原因も、明らかだった。「久しぶりなのに、恋しく思わないのか?」その吐息混じりの低い声が私の耳元に響いた。まるで耳周りの肌がアリに噛まれたように、くすぐったかった。結婚初夜に、自分がこの一見クールな男に布団の中でめちゃくちゃにされた光景がつい頭に浮かんでしまった。そこで私は、一瞬で弱気になった。その瞬間、八雲は片手で私に顎クイして、帝王のように強制的に私の唇を開かせた。無反応な私を見て、キスしながら、「優月、大人しくしろ」と言った。深くて焦りを感じるキスだった。普段バリバリのあの姿がまるで幻のようだった。ものすごい独占欲が感じられた。発した声にも、宥めているような甘さがあった。愛されていると錯覚させた。私の誕生日すら覚えていないくせに。「よそ見するな」私の唇は強く塞がれて、淀んだ息が耳元で漂っていた。突然、八雲は更に力を入れた。「抱きしめて」目の至るところに、私たちの影が掃き出し窓の横に重なって、
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第3話
3年前に、八雲が巻き込まれた医療トラブルがあって、病院で診断結果を待っている父は思いかけずに就任したばかりの八雲の代わりに2回も刺された。紀戸家は八雲が助けられた恩に、ぜひ父にお礼をしたいと言っていたが、まさか父は紀戸家との婚約を要求したとは思わなかった。紀戸家は東市ではトップクラスの名家である。それと比べて、父はただのちっぽけな製薬会社の経営者に過ぎない。だから、婚約の件では、紀戸家全員から見れば、明らかに恩を売って、恩恵を浴しようとしていた。当時、私はその場にいなかった。八雲が会いに来た時に、その手には婚前契約書を持って、冷たい眼差しで私を見下していた。「婚姻期限は3年だ。期限が切れたら自動的に解約する。問題はないなら、明日の朝、市役所に来い」何年間も恋をしてきた男と結婚できるとは。何も考えずに、即座に契約書にサインした。しかし、契約書の一行目に、はっきりと「俺たちが夫婦だなんて妄想は捨てよう」という一文が書いてあることに気付かなかった。涙が零れ落ちて、紙を濡らした。私は契約書に書いてある「夫婦」という言葉を見つめて、苦笑いを浮かべた。それで、八雲、私たちが過ごしたこの3年間は何だったの?一夜眠れず、騒がしい着信音が鳴り響いて、私がやっと我に返った。画面に写っているのは固定電話の番号だった。「水辺さんですか?こちらは東市協和病院人事部です。明日の朝10時の筆記試験にご参加ください。試験場のアドレスはもう水辺さんのスマホにお送りしました」東市協和病院の人事部から。そういえば、先日指導教官の佐々木(ささき)教授は私たちに面接を受けさせるための推薦状を東市協和病院に送った。医学部では、六人しか推薦されていないと聞いたが、まさか自分がそのうちの一人だと思わなかった。東市協和病院は八雲が大活躍しているところであり、医学部の学生たちみんな、誰もが憧れる就職先でもある。私が八雲と同僚になれるかもしれないと夢見る場所でもあった。今考えてみると、ただ私の片思いに過ぎなかった。笑えるね。「水辺さん、あの、明日時間通りに来れられますか?」向こうの声が耳に入った。もう一度婚前契約書のほうをちらっと見て、隣の置いてある避妊薬のほうに目が行った。2秒くらい迷ってたら、ようやく返事をした。「はい。必ず時間通りに行きま
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第4話
しばらくの間、この部屋は静寂に包まれていた。何秒後、八雲は早すぎず、遅すぎずに歩いてきて、義母の顔を見ながら聞いた。「ご飯はもう食べた?」その声は穏やかで、顔に余計な情緒も現れていなくて、喜怒哀楽も分からなかった。義母は私を見て、わざとらしく声のトーンを高くした。「今のこの状況で、食べる気になれると思う?八雲、その妻、偉そうにしてるわね。ちゃんと妻としての役目も果たさずに、病院に応募なんかするとか言ってさ。医者の仕事は昼夜も問わず大変だし、このペースじゃ、今年はまた子供を産まないまま終わっちゃうわ」今年、か。私はこの言葉を反芻して、心が苦しくなってきた。自分と八雲の演技があまりにも上手だからか、両家の両親はみんな私たちは本物の夫婦だと思い込んでいる。ただ、この間違いだらけの婚姻は、すでにカウントダウンに入っていた。「八雲、なんか言ってよ」何も返事がない八雲を見て、義母はまたツッコミ続けた。「もう3年なのよ。優月はお腹が膨らみもしないし、そんなの許せるの?」義母の不満の気持ちはもうその綺麗にケアされている顔から溢れ出ている。八雲は相変わらず焦る様子もなく、感情薄めの瞳を私の顔に走らせた。そして言葉を発した。「この後人事部に電話して、明日の筆記試験に欠席するって伝えよう」欠席する?ということは八雲も、義母と同じ態度なの?強い失望感に襲われて、心臓はまるでギュッと締め付けられたようだった。それに連れて、鼻もツーンとしてきて、涙も制御できずに溢れ落ちてきた。昨夜、その手で私に避妊薬を用意したのも彼自身だと、忘れたか?「なんで?」自分の発した言葉から、少し咽んでいる声に気づいた。なんで私を妻として扱っていないのに、妻という肩書きで私に首輪をつけるの?「知ってるはずだ」八雲は私を見て、当たり前のように言った。「医者の仕事は確かに大変だ」だからと言って、私に昔みたいに、毎日この立派そうに見えるけど寒い家で横になって、彼の帰りをただ待っているだけの生活を続けてほしいの?「なんでって?毎日病院にいて、ちゃんと妊活できるの?」義母は隣で相槌を打った。「いつか、お義母さんは産婦人科医にも予約を取って、診てもらってあげよう?もし本当に自然妊娠できないのなら、技術的な手段もあり得る
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第5話
「踏み台」という言葉を八雲の口から聞いて、私はしばらくの間何も言えなかった。確かに、あの時「命を救った恩」に着せて、紀戸家と婚約することを要求した父が悪かった。しかし、父も3年間もずっと療養所で横になっていた。それに私も、きちんと八雲の言う通りに婚前契約書にサインした。二人の家族以外、結婚していることは誰にも知らせていないのだ。結婚指輪は、大学院近くのセレクトショップで適当に買ったもので、披露宴はなく、結婚式も挙げていない。ウェディングドレスも八雲に「選ぶ暇はない」と言われて、無しにされた。今まで、二人で撮ったツーショットは結婚証明書用の写真しかない。私、水辺優月(みずべ ゆづき)は紀戸家から何か実質的な恩恵をもらったの?一切ない。あっ、もし八雲のおかげで全市で一番立派な川辺の別荘に住んでいることも含められているなら、3年間私がここで料理や家事をしてきたことで、お相子ってことになるんじゃない?ほら、8年間本気で愛してきたのに、結局、「踏み台にしている」とか言われた。心はまるで圧迫されたように息苦しかった。私は下を向いて、全身に広がる苦しみを抑えて、繰り返して決意を表した。「明日の筆記試験は時間通りに行く......」そして、一旦口を止めて、恐れずに男の鋭い目つきを直視しながら、話し続けた。「お気遣いなく、紀戸先生」翌日の朝、時間通りに東市協和病院に着いた。座ったばかりで、耳元に甘い挨拶の声が届いた。「水辺先輩、奇遇ですね」顔を上げたら、隣りに座っている松島葵が目に入った。その女の子は水色のシャツをインナーにして、ベージュのスーツを着ていた。下には2色のメリージェーンを履いていて、その童顔と合わせて、少し違和感を感じるが、真面目に試験を受けに来たことが伝わった。まさか葵も今日の筆記試験の受験生か。記憶が間違っていなかったら、葵も脳神経外科専門の新卒のはずだ。それに、医学部の推薦枠も6人しかいないはず。どうやらこの女は思ったより優秀みたいだね。「一昨日はすみませんでした、先輩」少し申し訳無さそうな声が耳元で響いた。葵は甘えているような口調で言った。「あの時は八雲先輩との話に夢中で、水辺先輩を見送るの忘れちゃって」八雲先輩。親しい呼び方だった。どうやら、二人の仲は思ったより
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第6話
私は八雲に向けられた視線の中でこっそり会議室から出て行った。しかし、まさか出たばかりで、藤原浩賢(ふじわら ひろかた)にばったり会った。私を見た浩賢も、優しく挨拶をしてきた。「やあ、水辺さん、紀戸先生に会えてなかった?」浩賢は八雲の同僚で、二人はほぼ同い年だ。ただ、浩賢が脳神経外科に入職した時間は八雲より1年遅いので、まだ病棟医をやっている。浩賢とどうやって知り合ったかというと、何度か八雲に着替えの服や栄養補給のお粥を持ってくる時に、ちょうど浩賢に見られたことがきっかけだった。それから、八雲が忙しい時に、いっそ浩賢を私との架け橋にしているから、時間が経つと、私たちもどんどん知り合いになっていた。今思い返せば、恐らく八雲の言った「忙しい」は全部私に会いたくないから作った嘘かもしれない。でも何故か、浩賢は私が筆記試験に参加していることには驚いていないみたい?「あっ、さっき回診してた時、紀戸先生から聞いたんだ。見に来るって」何も返事していない私を見て、浩賢は補足をした。「会えなかったみたいだね?」最後の一言は、明らかに残念そうな口調だった。まるで私が八雲に会えなかったことは残念なことのように。しかし浩賢は勘違いをした。八雲は確かに来たが、松島葵に会いに来たのだ。私の気持ちに気づいたか、浩賢はすぐに話題を変えた。「筆記試験はどうだった?難しくなかった?」私は応えようとしたら、後ろからの噂話に邪魔された。「今の若い女の子ってエグいな。少し顔が良いだけで、コネをつけて。はあ......俺たち、あんなに準備してきたのに、台無しになっちゃいそうだ」「だよね。つけたのは脳神経外科の専門家のコネだぞ。もうほぼ東市協和病院に入ったと言っても過言じゃないよ!」八雲が心配そうに葵に聞いている光景を思い出して、私の心はまるで誰かに引き裂かれて、塩をかけられたみたいで、ヒリヒリと痛かった。紀戸家の家風は常に厳しくて、特に3年前の医療トラブルの後、八雲は更にストイックになって、誰にも弱みを見せないようにしてきた。義母もそれで私にギャーギャーうるさかった。しかし今、この男は葵のために、わざわざ病棟から駆けてきたとは。それに対して、私がこの3年間、メイドみたいに色々支度してあげて、毎回こそこそとご飯や着替え物を持ってく
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第7話
4人が一箇所に集まった。八雲があまりにも目立つからか、大勢の視線もここに集まった。大勢の人に見られて、私は少しもじもじしてきた。その視線に晒された松島葵は、ただ尊敬しているように八雲を見ていて、私よりずっとおっとりしていた。明らかに、守られているから恐れることもなかった。「八雲先輩は『もうすぐお昼の時間だから、病院の食堂で一緒に食事したい』って」葵は少女のような純真無垢な口調で言った。浩賢は困惑した顔で私のほうを見てから、また八雲の隣に立っている葵のほうに見た。「紀戸先生、こちらは?」八雲は手短に、「松島葵、医学部の後輩だ」と紹介した。葵はきゅるんきゅるんな目を瞬いて、浩賢の胸のところにつけている名札を見つめて、言った。「藤原先生、初めまして。よろしくお願いします」浩賢はこくんと頷きながら、気まずそうに笑っていた。たまに私の顔にも視線を向けていたが、同情の気持ちはその瞳から溢れ出そうだった。「水辺先輩も、一緒に食べませんか?」葵は純粋な目で私を見ていた。それから八雲のほうを見て言った。「その後八雲先輩はこの病院を案内してくれるって言ったから、水辺先輩も一緒に来ていいですよ」その目から飾りのない尊敬が感じられていた。しかしその尊敬は、ひっそりと私を傷つけた。その二人は知り合ってから、たった1ヶ月なのに。妻の私は八雲のそばで色々してあげてきたのに、この病院を案内してくれるどころか、脳神経外科の診察室さえ入らせなかった。「私はいいわ」私が迷いもせずに断った。そしてちらっと八雲のほうを見た。「それに、病院の構造について、とっくに詳しくなったわ」言い終わったら、振り向いて反対側へ行った。威張った話ではなかった。ここ3年間、大学とあの家以外、一番よく通っているのは東市協和病院だもの。一番八雲のことを想っていた時期には、基本的に一日おきに病院に来ていた。1階から5階はそれぞれどの診療科なのか、検察科と映像医学科のドアはそれぞれどこにあるか、診察室から病棟まで行くにはどれくらいかかるか、エレベーターは何時が一番混むか、全部良く知っている。いつか、八雲にどこかの些細なことを言われるかもしれないと勝手に妄想を抱いていたから、ちゃんとすぐに出てきて、話がつなげるように準備をしてきたのだ。常にいい妻になることば
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第8話
八雲は私の隣の席に座った。あっという間に、八雲の前の取り皿は母に次々と料理を盛られ、いっぱいになった。箸を動かしながら、母は気遣うように言った。「病院の仕事は忙しいでしょう?ほら、また痩せちゃったんじゃない?」その婿にへつらうセリフは相変わらずだ。しかし、八雲はトマトが苦手だということを忘れてしまったようだ。男の眉がわずかに寄ったのを見て、私は箸を取り、皿の中に入っているトマトを取り除いてあげた。それを見て、加藤さんは気まずそうに口元を引きつらせた。「ほら、私ったら……やっぱり優月の心配りには敵わないね」冷笑の声が聞こえた。八雲は手短に聞いた。「お義母さんは今日、何かご用があるのか?」加藤さんは私をちらりと見てから、にこやかに笑った。「何でもないわ。会うのは久しぶりだから、みんなで食事でもと思って」そう言って、私に目配せして、八雲と一杯やるよう促した。いつもなら、とっくに八雲のフォローに入っていた。外科医だから、タバコやお酒は控えめに、とか、ストイックでいることが大事だから、とか。でも誕生日パーティーで見たあの光景を思うと、私は急に考えを変えた。赤ワインのグラスを軽く弄び、音を引き延ばすようにして八雲に差し出した。「ねえ、あなた……一杯、付き合わない?」八雲のまぶたが、わずかに跳ねたのが見えた。視線がぶつかっても、私は口角を上げたまま、一歩も引かない。「明日の朝、当直がある」八雲は正当な理由で断った。「また今度にしよう」予想通りのセリフだったが、聞くとやはり心が刺されたような感じがした。松島葵の誕生日パーティー当日の夜にだって、病院に行ったじゃない?結局、名ばかりの妻でしかない私より、その女の子のほうが大事なだけだ。苦い感情が心に満ちた。グラスを持って、一気に飲み干した。それを見た加藤さんも驚き、遠回しに言った。「酒はいいけど、こう飲むと酔ってしまうよ」――そうだね。酔っちゃったら、子作りに影響をもたらすかもしれない。私は苦笑いを浮かべながら、またお酒を自分のグラスに注いだ。「紀戸先生はお忙しい中食事に付き合ってくれたんだから。気持ちくらい、示さないと」言い終わって、またグラスを口元に送ろうとしたら、八雲に止められた。「飲みすぎると困るだろう」低く落ち着いた声でそう言いながら、彼は長い腕を、意図するとも無意識と
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第9話
芝居?しばらく呆然としていたら、私は八雲の言葉に表された皮肉に気づいた。ということは、八雲の目からして、今夜のすべては、私と加藤さんが八雲を落とすための計画だ。目的は明らかに紀戸家の子供を作ることだ。だからランジェリーという嫌らしい手段も使った。この一瞬、頭が真っ白になった。思い返すと、さっき何秒間だけの優しさは、まるで幸せな夢を見たような感じだった。「無駄骨だ」軽く嘲笑っている声が耳に入った。八雲の目つきは更に険しくなった。私はその男を見つめて、そのはっきりした喉仏に目を留めた。そして落ち着いた口調で言った。「紀戸先生はいつも禁欲主義なのに、まさか罠にかかったの?」まるで急所に刺されたように、八雲は少し眉を顰めて、冷笑してから私の隣を通って、背を向けて家に入った。ドアがバタンと閉められた時、涙は思わず目から溢れ出した。深く息を吸って、ふらふらしている体で浴室に向かった。白い湯気の漂っている浴室で、心の苦しみもまるで蒸発したような気がした。それで、突然悟った。私と八雲の関係は最初から間違っていたと。だからこの3年間、いくら関係を維持しようと頑張っても、私は最初から八雲に好かれる人じゃないのだ。歯車が噛み合わないのだから、いくら頑張っても無駄だ。それが分かってから、この一夜は意外とぐっすり眠れた。翌日、朝っぱらからすぐに東市協和病院の公式サイトにログインして、震える手で面接者のリストを開いた。そしたら、望み通りに自分の名前が見えた。一行目にあった。それから、また人事部の人から電話が来て、「明後日の朝の面接に準備してください」と言われた。電話を切る前に、私はもう一度面接者のリストをパッと見たら、最後の一行目に書いてある松島葵の名前が目に入った。勝負だ。その時、スマホの画面に藤原浩賢からのメッセージの通知も来た。「おめでとう、水辺さん。同僚になるのが楽しみだね」短い言葉だったが、読んでいる時に、その優しく笑っている顔が脳内に浮かんだ。そうだ。この傘も返さないと。浩賢と病棟の下に待ち合わせの約束をした。傘とお弁当を一緒に浩賢に渡した時、浩賢は少し驚いたような顔をした。ほら、よくお弁当を持ってきていたもんだから、浩賢にまで、私がまた恥を知らずに八雲のためにご飯を届けに来
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第10話
それを聞いた八雲はしばらくぼんやりしていた。何秒間後、ついに口を開いた。「半分こ?」少し驚いたようだった。浩賢も隠すつもりはなかった。「これは水辺さんがくれたお礼だよ。紀戸先生はやきもちを焼かないでね」一言で、私の代わりに説明してくれただけでなく、八雲の顔も立ててあげた。さすが浩賢、EQは半端ないね。「なんで俺はやきもちを焼かなきゃいけないんだ?」八雲は「チッ」と言って、嫌気の差した顔をした。「ただの昼ご飯だし、それに......」一瞬口を止めて、八雲は目をお弁当に留めた。そして見下しているように、優越感の満ちた口調で言った。「毎回そればっかりだし、とっくに飽きたんだよ」飽きた。その言葉を聞いて、心はまるで雪が降り出したように寒くて仕方がなかった。思い返すと、ここ3年間、私は毎日早寝早起きして、八百屋から一番新鮮な食材を買ってきて、八雲の好みと栄養バランスを合わせながら弁当を作ってあげてきた。そしてできれば早く病院に届けに行った。結局得られた感想は、「飽きた」だなんて。そうだよね。どんなに新鮮な食材だとしても、どんなにちゃんとした組み合わせだとしても、3年間も食べ続けてきたら、そろそろ飽きちゃうんだよね。妻である私みたいに。「そうだ。水辺さんはまだ知らないよな?」雰囲気の変化に気づいたからか、浩賢は自ら話題を変えた。「紀戸先生がこの病院に応募した時、筆記試験でも面接でも1位だったよ。水辺さんは紀戸先生からアドバイスをもらってもいいと思うよ」そう言って、八雲に目配せして合図した。八雲は私の顔に目を走らせて、冷笑した。「水辺さんは賢いし、術もいくらでもあるし、俺が教えることはないと思うが」賢いし、術もいくらでもあるし。八雲の口から吐いた一字一句も、私の心を責め苛んでいる。八雲が骨の髄まで私を見下しているのは知っている。今は演技まで諦めたようだ。そう想って、手を握りしめた。そして彼に相槌を打った。「紀戸先生もお仕事が大変だし、きっと私を構う余裕なんかないでしょう。迷惑をかけてはいけませんわ」それに、私は自分の力で、この面接を勝ち抜くのだ。と、心の底で自分に言い聞かせた。あっという間に、翌日の朝が来た。自信満々に東市協和病院のビルの下まで来たが、馴染のある姿に止められ
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