舞踏会会場に戻ると皆が僕を一斉に見た。
隣に一緒にいたエステルがいない事を不思議がっている。
「殿下、お誕生日おめでとうございます」
カイラード・ロピアン侯爵がそっと僕に近づいて祝いの言葉を伝えてきた。「侯爵、エステルは体調がすぐれないようで先に休ませた」
「このような祝いの日に娘がご迷惑お掛けしました。殿下を支えていく覚悟が足りない愚かな娘です」「いや⋯⋯」エステルは僕を皇帝にする為に、裏で散々働いてくれた。
彼女の強かさやプライドの高さは皇族として生きるには必要だ。 僕が隣に置きたい女はナタリアだが、彼女にはエステルのような強さがない。 ただ、美しい花として僕を癒す女だ。尋常じゃないエステルに密室で押し倒された恐怖がまだ残っている。
力では男の僕が上なのに、あの時のエステルの行動は予想を超えていて危険を感じた。
不意にロピアン侯爵の小鼻がピクピクと動いた。
僕の匂いを嗅いで、顔を顰めている。(くそっ! あの悪臭の香水の匂いが、まだ染み付いてるのか⋯⋯)「侯爵、失礼する⋯⋯」
僕は自分にまとわりつく匂いを散らす為、中庭に出た。 中庭に出ると舞踏会の会場から漏れる音楽でサントスと踊るナタリアが見えた。 この庭でマテリオと駆け落ちの計画を立てていたのに、今は他の男と寄り添い踊っている。 ふと、僕の姿に気が付いたナタリアと目が合うが、サントスは夢見心地で僕に気がつきもしない。 曲が途切れだところで、僕はナタリアに近づいた。「先程は気を遣わせてしまったな。お詫びに何か君のお願いを聞きたいのだが」
僕はナタリアが僕に望むことがあるのかを聞いてみたかった。「私が殿下に望むことなどございませんわ⋯⋯でも、願わくば本日19歳になられたオスカー皇子殿下にお祝いをさせてください」 まさかの要求に僕は彼女の優しさを知った。「オスカーも喜ぶよ。ついてきてくれ」
ふと、サントスからの視線を感じたが無視した。いくら彼がオスカーの私がダニエル皇子の専属メイドとして過ごし始めて1ヶ月が経った。 彼の公務の時には手が空くので部屋に篭って、ひたすらにキノコを分類した。 粉末状にして、乾燥させて、密閉した瓶に詰める。 サプリメント代わりに栄養になりそうなキノコ。 毒薬、麻痺、幻覚を起こすキノコ。 心を高揚させ判断を鈍らせるキノコ。 成分を分析したかったが、前世のキノコ研究の知識を生かして分類するにとどまった。 きっと、またキノコが私の人生を助けてくれる気がする。 (私を虐げてきたエステルを人生の舞台から退場させたようにね⋯⋯) 人は裏切っても、キノコは裏切らない。 先週、エステルの処刑が行われた。 薄汚れた格好で断頭台に上がる彼女は私の知っている彼女とは別人だった。 いつも取り巻きに囲まれていた彼女が、平民たちから罵声を浴びさせられている。 彼女はまるで全ての感情を失ったかのようにげっそりしていた。 私は遠巻きに首が落とされる彼女を見ていたが、首が切られた後に目が合ったような感覚に囚われた。 思えば『トゥルーエンディング』において、エステルは断罪されるが身分を失い国外追放になるだけだ。 彼女の運命は私とキノコによって大きく変わった。 サントスはオスカー皇子がエステルの罪を公にした後から失踪している。 ロピアン侯爵家は帝国貴族の序列が2つ落とされたのと、領地のダイヤモンド鉱山を失った。 それでも、帝国一の財産を持つロピアン侯爵家の影響力は衰えていないらしい。 レアード皇帝が頻繁に体調を崩すようになり、私はその度にダニエル皇子に連れられ陛下に聖女の力を使っていた。 季節は寒い冬になっていた。 外は今日もしんしんと雪が降っている。 確かラリカが皇宮のメイドとして働き始めるのは雪の日だった。 初日から新人イジメに合い、バケツの水をかけられて震えていたところをダニエル皇子に発見される。 そろそろ私もここを去った方が良いだろう。
早朝、仏頂面の若いメイドに叩き起こされた。「オスカー皇子殿下がお呼びです。至急、殿下の執務室に伺ってください」「失礼な方ね。勝手に部屋に入ってきて⋯⋯お名前はなんとおっしゃるの?」 私の問いかけを無視して、メイドは自分の仕事は済んだとばかりに去っていった。 やはりナタリアの生まれのせいか、酷い扱いを受けている。 (気持ちが沈む⋯⋯こんなところから早く出て行きたい⋯⋯でも、お金がないし、行くところもない) 勝手にダニエル皇子とロピアン侯爵で私の身柄を皇宮に移す事を決めてしまった事にも納得がいかない。 きっともうすぐ、ラリカが現れる。 茶髪に薄茶色の瞳に肩まで届く髪、地味だけど何故か目を惹く彼女。 皇宮でメイドとして働き始めるが、虐めにあってしまう。 ダニエルは彼女を守る為に自分の専属メイドにし側に置くことにした。 そして、建国祭の日、毒杯を飲み苦しみ出したレアード皇帝を助けたことでラリカの聖女の力が明らかになる。 彼女は大罪人と娼婦の娘ではなく、一般的な平民の家庭に育った子だ。 聖女の力を持つ彼女に目をつけたロピアン侯爵は彼女を養女とした。 しかし、ダニエル皇子が彼女に特別な感情を持った事でラリカはエステルに嫌がらせを受ける。 ダニエル皇子はラリカを守る為にエステルの悪事を白日の元に晒しを断罪した。 その後、ラリカは皇帝になったダニエル皇子と結婚するというのが、メインのダニエルルートのエンディングだ。 クローゼットに掛かっている服を物色していると、皇宮のメイドが着用しているメイド服があった。(なんでこの部屋にメイドの服が⋯⋯) メイドとして雇ってもらえればお金を溜めて皇宮を出たほうが幸せになれそうだ。 朝から初対面のメイドに見下され気分が悪い。 自分が傷つかない場所で暮らしたい。(誰も私を知らない場所に逃げたい⋯⋯) 私はとりあえずメイド服を着て、雇って貰えないか交渉することにした。 部屋を出る
オスカーは起き上がれるまで回復したようで、既に執務室で仕事をしていた。彼が毒によって意識不明になり1週間以上経つのに、彼の机には多くの決済書類が積み上がっている。 僕に相談に来ることもなく、彼を支持する貴族たちは彼が戻ってくるのを待っていたということだ。 「オスカー、本当に不運だったな。毒を盛られるなんて⋯⋯」 「ダニエル、私に毒を盛ったのはエステル・ロピアンだ。実は彼女が毒入りの菓子を僕に寄越した事には気がついていた」 オスカーはやはり侮れない。 しかし、彼に毒を盛る提案を僕がした事には気がついてなさそうだ。「毒が入っていると分かっていて食べたのか?」「調べではネス草の毒を仕込んだと事前に聞いてたからね。私はその毒には耐性があるから、寝込んでも2日くらいかと思った。目覚めたら毒殺未遂を起こしたことでエステル・ロピアンを断罪してやろうと考えていたんだけどな」 エステルもやはり賢い女だった。 おそらくあらゆる毒の免疫をオスカーが持っている事を知っている彼女は毒をブレンドし流通しない新種の毒を作って使ったのだろう。 それらの事はロピアン侯爵家の財力があれば秘密裏に行うことが十分可能だ。 貞節を重んじる気高い彼女が、麻薬をやって痴態を晒し退場するとは思ってもみなかった。 性格の悪さに目を瞑れば、彼女が皇帝になる僕の隣に立たせるのにベストなパートナーだというのは誤認だった。 そして、オスカーがエステルを断罪してやろうと企む理由は1つだ。(僕を陥れ、次期皇帝の座を自分のものにする為だ⋯⋯)「オスカー、既にエステルと僕は婚約を解消し、彼女はロピアン侯爵家から勘当されている。君に毒を盛った嫌疑はマテリオにかかっているんだ。どうか、そのままにしてくれないだろうか⋯⋯エステルも僕の事を考えて道を外してしまっただけなんだ」 膝を突いて、胸に手を当てオスカーに懇願する。 エステルがどうなっても構わないが、婚約破棄したとはいえ彼女が毒殺未遂した犯人だと公になるのは危険だ。 彼女を勘当し
「部屋は、またここを使ってくれ」 私の身柄はしばらく、ダニエル皇子が預かることになった。 そして、以前も皇宮で泊まった部屋に連れて来られる。 この部屋には私のサイズに合った服もあるから、過ごしやすい。 エステルに全裸で土下座した記憶が蘇り息が苦しくなるが、彼女に復讐を果たせた事を思い出し気持ちが落ちついた。 ダニエル皇子は務めて柔和な表情を見せているが、明らかに冷や汗をかいている。 彼の婚約者であるエステルは確かに失態を犯した。 しかし、婚約も破棄したし彼にそこまで火の粉が掛かるとは思えない。 実際にゲームの中でもダニエル皇子はエステルと婚約を破棄した後に皇帝まで上り詰めている。 (もしかして、オスカー皇子が目覚めた事で焦ってる?)「そ、そうだオスカーを治療してくれてありがとう。聖女の力を持っていたんだな、ナタリア。何か褒美をあげないとな」 口ではお礼を言っているが、「余計な事しやがって」とダニエルの顔にはかいてあるような気がした。 オスカー皇子は皇后の息子である上に帝国民の人気があるから、皇位継承権争いでは一番先をいっていた。 ゲームでは全てのルートでダニエルが皇帝になっていたから、そこまで焦らなくても運命は変わらない気がする。 まあ、皇位継承権争いなど私には無関係なことだ。 今は、侯爵邸に置いてきた大切なキノコが私が皇宮に来たことで、捨てられてしまうかもしれない危機的状況だ。「褒美など入りません。当然のことをしたまでです。ダニエル皇子殿下、ロピアン侯爵邸の部屋に荷物を取りに行かせてください」 私の提案にダニエルが首を傾げた。「欲しいものがあったら、何でも新しく買ってあげるよ」「いえ⋯⋯お金では買えない大切なものを取りに行きたいのです」「何だ? マテリオとの思い出の品とかなのか?」 急にダニエル皇子の顔が鋭くなり、私は手首を掴まれ壁に追い込まれた。 まるでマテリオに嫉妬しているかのような彼の行動と表情が演技が
サントスからプレゼントされた淡い紫色のプレゼントを着て、皇宮へと向かった。 馬車で最初は私の向かいに座っていたサントスは私の隣に移動してきた。「ナタリア、何か怒っている?」 サントスが下がり眉で尋ねてくるが、私は黙っていた。 ナタリアの記憶が十分戻らないが、情婦で十分な安い女と思われている事だけは分かる。 何だか自分をそのように軽く見ている男と話す気にはならなかった。 無言のままエスコートされながらも、舞踏会会場に到着する。他の貴族たちが、私のことを不釣り合いな場所に潜り込んだ鼠だと噂しているのが分かった。サントスは私を批判する声を咎める訳でもなく、ただ私の隣にいる。(なんだか虚しい⋯⋯早いとこ今日のメインイベントを見届けて帰りたい⋯⋯) 本日の主役であるダニエル皇子とエステルが入場すると一斉に注目が彼らにうつった。明らかにエステルは足取りも表情もおかしくて、今にも公の場で失態を起こしそうだ。 2人が舞踏会開始の合図を知らせるダンスを終えると、ダニエルが私に近づいてきた。 思わずエステルの表情を確認すると、公の場で見せてはいけないような怒り狂った顔をしている。 中枢神経がやられて理性的な判断ができないのか、娼婦のようにダニエルを誘惑して彼を連れ出そうとしていた。 彼女が自爆するのも時間の問題だと考えた私はサントスと中庭に出た。 中庭に出た途端、ここで誰かと愛を語りあったような記憶が淡く蘇る。周囲から粗末に扱われる私を心から愛してくれた人がいたような気がする。(そんなはずないか⋯⋯ただの願望ね⋯⋯)「ナタリア、君と踊りたい」 不意に私の前に跪きダンスを申し込んできたサントスにため息が漏れた。「情婦になって欲しいなどという男とは踊りたくはありません」「えっ?」私の言葉は彼にとって予想外だったらしい。「いや、でも身分の差を考えると君を妻に迎える訳には⋯⋯形なんてどうでも良くないか? 2人が一緒にいて想い会ってさえいれば」「身分の差ではありませんよね、本当の理由は⋯
エステルに媚薬を作ることを提案したのは彼女を嵌める為だ。 私は自分に割り当てられた屋根裏部屋に行き、麻袋の中のキノコを分類し始めた。 他の使用人たちが使用人棟に住み込みをしているのに対して、嫌がらせか、遠戚だからか屋敷の屋根裏部屋を私は当てがわれていた。 埃っぽくて薄暗くているだけで気分が暗くなりそうな部屋だ。 ベッドと机のみが置いてあって、無駄なものが一切ない。 どうやら私はエステル専属のメイドで、彼女の世話をするのが主の仕事のようだった。 エステルが明らかに私を嫌っているのに、あえてメイドとして私を扱うのは立ち位置を私に見せつけたいからだ。彼女は貴族令嬢で私はメイドに過ぎず、彼女に逆らう事は許されず理不尽な命令も受けなくてはならない。 私はエステルに復讐を果たした時に、ナタリアとの記憶を思い出せるのではないかと期待していた。 キノコは槇原美香子の世界のものと似ているが、微妙に香りや形状が違うものばかりだ。ここだが研究室ではない以上、成分の分析ができない。(できるのは、人体実験だけね⋯⋯) 私はとりあえず、自分の立場を利用しエステルの今晩の夕食に幻覚作用のありそうなマジックマッシュルームに似たキノコを混ぜることにした。 ミナミシビレタケとアイゾメヒカゲダケに似たキノコを、部屋にあったナイフで細かくする。麻薬成分であるサイロシビンやサイロシンが含まれていれば、15分後から60分後には狂乱状態になるだろう。 ナイフくらいしか部屋にはなくて、粉末状にするのは大変だった。 しばらくすると、屋根裏の小さな窓を白い鳩が突いているのに気がついた。「何? 手紙?」 鳩は手紙を咥えていて、私が窓を開けるとクチバシから手紙を落として飛び立った。 宛名も書いていない封筒を開くと、字が書いてあるが全く読めない。(誰からの手紙かも、何が書いてあるかも分からないわ。早くこの世界の記憶を取り戻さないと⋯⋯) 文字の記憶さえ失っているのに、エステルの事だけは鮮明にどんどん思い出してくる。 それだけ私にとってエステルの非