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第3話

Author: 狐坂
翌日、それでも私は役所へ向かった。

彼が本当に来るのかどうか、自分の目で確かめたかったからだ。

午前9時15分、道路の向かいに、隼人の車が停まった。

ドアが開いた瞬間、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。私は無意識に髪を整えた。

もし彼が「南、待たせたな」と言ってくれるなら、昨夜の悲しみも、きっともう一度だけ我慢できると思う。

けれど、その時、隼人のスマホが鳴った。

彼は電話に出た。向こうの透子から何を言われたのかは分からない。

ただ、隼人の表情が変わった。

次の瞬間、彼は振り返り、そのまま車へ戻っていく。

ドアが閉まる音は小さかったのに、なぜか胸の奥にドスンと重く響いた。

10分後、透子がSNSを更新した。

【一人になりたくないって言ったら、本当に戻ってきてくれた】

投稿された写真には、点滴を受ける透子の手を、隼人が握っている姿が写っていた。

9時40分、哲が役所へ駆けつけた。

車から降りた彼は、明らかに寝不足の顔をしていた。

「もう待たなくていい。隼人は今日は来られない」

私は彼を見た。

「隼人なら、さっき見たわ」

哲は一瞬、言葉を失った。口を開いて何か言おうとして、結局こういった。

「透子のアレルギーが昨夜から何度もぶり返してるんだ。

精神的にも不安定だから、刺激を与えちゃいけないんだ」

私は静かに聞いた。

「じゃあ、私は刺激を受けてもいいわけ?」

哲は眉をひそめた。

「南、そういう言い方するなよ」

彼は私に近づき、なだめるような声で続けた。

「君には結婚式もあるし、ちゃんと黒川夫人になるんだろ。

だけど透子には何もないんだ。頼れる家族だっていない。ただ、俺たち友達がいるだけだ」

私は何も言わず、必要な書類をしまった。

そして、その場を後にしようとした。

哲が私の腕を掴んだ。

「どこへ行くんだ?」

「ウェディングサロンよ」

哲は少し安心したように息を吐いた。

「流れを確認するだけだよな?」

私は小さく頷いた。

すると、哲の表情が少し和らいだ。

「それでいいんだ。せっかくの日をめちゃくちゃにするなよ。

じゃなきゃ後で後悔するのは南なんだから」

ウェディングサロンへ向かうと、担当プランナーの表情がどこか気まずそうだった。

彼女は恐る恐る、披露宴会場の演出資料を私に見せた。

画面に映し出されていたのは、中央に立つ隼人と、その左右に並ぶ私と透子の姿だった。

それは去年の透子の誕生日に撮ったものだった。

白いワンピース姿の透子は、隼人の腕に手を絡めている、まるで花嫁のようだった。

その隣で私は、透子のためにケーキを切るナイフを持って立っていた。

さらに、ウェルカムメッセージまで変わっていた。

【10年間、私たちを見守ってくれた皆様へ】

私と隼人の10年だったはずなのに、どうして透子まで入っているの?

そのまま確認していくと、式の内容はほとんど変更されていた。

誓いの言葉の中にまで、透子への感謝のメッセージが追加されている。

私はプランナーに尋ねた。

「誰の了承を取ったんですか?」

彼女は申し訳なさそうに答えた。

「黒川様です……」

哲は私の顔色に気づき、すぐに口を挟んだ。

「ただのウェルカムスペースだろ。メインの式じゃないし。

透子は小さい頃から本当の家族って呼べる人がいなかったんだ。少しくらい参加している気分になりたかっただけだよ」

私は彼を見た。

「私の結婚式で、どうして彼女の気分なんて大切にする必要なの?」

「南、そんな言い方するなよ」

その時、隼人から電話がかかってきた。

出ると、彼は開口一番こう言った。

「式の流れ、見ただろ?」

「ええ、見た」

「透子、昨日ずっと泣いてたんだ。自分だけ仲間外れみたいだって。だから写真を少し増やした」

「本当にこれでいいと思ってるの?」と私は聞いた。

「何が問題でも?」

隼人の声には苛立ちが混じっていた。

「透子はブライズメイドだし、俺たちの共通の友人だろ。

明日、君が結婚する相手は俺だ。画面の中の写真と結婚するわけじゃない」

私は返事をせず、資料を引き続きめくった。

そして、ジュエリー確認ページで手が止まった。

備考欄にはこう書かれていた。

【パールイヤリング:橘様着用、オープニングムービー撮影用】

そのイヤリングは、母が私に残してくれたものだった。

母は亡くなる前、「あなたが結婚するときに、これを着けてね」と言い残していたのだ。

私は震える声で聞いた。

「どうして……私のお母さんのイヤリングを透子に着けさせたの?」

電話の向こうが、一瞬静かになった。

「ただ試着しただけだ」

「それは私のお母さんの形見だよ」

「分かってる」

あまりの呆れに、思わず笑いが漏れた。

「分かってるのに、着けさせたの?」

その時、電話の向こうから、透子の小さな泣き声が聞こえた。

「隼人、もういいよ。私が悪かった。

南さん、きっと私が触ったこと、嫌だったんだよね……」

隼人の声がすぐに優しくなった。

「そんなこと言わないで」

そして私に向ける声は、また冷たくなった。

「南、透子はただ撮影のために試しただけだろ。

どうしてそんな言い方しかできないんだ?」

私は短く言った。

「返して」

隼人は黙った。

すると、横から哲の声がした。

「南……もしおばさんが生きてたら、そんなことで一人の女の子を責めたりしないと思うけど」

私は勢いよく彼を睨みつけた。

打ち合わせ室が一瞬で静まり返った。

哲は私の視線に怯むように一瞬黙った。それでも続けた。

「違うか?おばさんだって、南にはもっと心が広いでいてほしいはずだ。

ただのイヤリング一つで、ここまで騒ぐなんて……見たら悲しむよ」

パシンっと乾いた音が響いた。私は哲を叩いていた。

電話越しに、隼人の低い声が響いた。

「桜井南、今、哲を叩いたのか?」

哲は顔を背けたまま、信じられないものを見るような目で私を見た。

「南……今の君、本当に俺の知ってる南なのか?」

私は何も答えなかった。バッグを手に取り、そのまま部屋を出た。

隼人の声がまだ聞こえる。

「今夜は帰れないかもしれないから、俺を待たなくていい」

私は足を止め、静かに答えた。

「好きにすれば?」

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