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第8話:針の筵③

Penulis: 花柳響
last update Terakhir Diperbarui: 2026-01-29 08:00:34

 左側の最前列。一際立派な羽織袴を着た、白髪の老人が座っている。

 顔には深い皺、片目は白く濁って潰れている。

 手にした扇子で、私の足元を指した。

「挨拶もなしか。……躾がなっとらんのォ」

 副組長の権田だ。資料で顔だけは見ていた。

 先代の右腕だった男。そして、私が跡を継ぐことに一番反対している筆頭。

 彼の残った片目が、蛇みたいに私を舐め回す。

「小鳥遊、とか言ったか。……ここはな、お嬢ちゃんが来るような遊園地じゃねえんだ。血と暴力でしか贖えねえ、修羅の庭だ」

 権田が扇子を閉じる音が、パチリと乾いて響いた。

「先代の血を引いてるだと? そんなもん、紙切れ一枚でどうとでもなる話だ。俺たちが知りたいのはなァ……」

 権田がぬらりと立ち上がる。

 腐ったような酒と、仁丹の臭い。

 彼が顔を寄せてくる。その圧力に、思わず半歩下がりそうになった。

「テメェに、人を殺す覚悟があるかどうかってことよ」

 心臓が痛いほど跳ねた。

 人を、殺す。

 その言葉の重みが、生々しい質感を持って喉元に突きつけられる。

「震えてるじゃねえか」

 権田が鼻で笑った。

「見ろ! この小娘、ビビってションベンちびりそうだぞ!」

 どっと、広間が爆笑に包まれる。

 屈辱で顔が熱い。

 何か言い返さなきゃ。

 でも、声が出ない。喉が張り付いて、言葉が出てこない。

 怖い。

 本当に、怖い。

 彼らの腰には本物のドスやチャカがあるかもしれない。ちょっとした機嫌ひとつで、私の命なんてゴミみたいに消える。

 ここは大学の講義室じゃない。理屈もルールも通用しない、野蛮な世界だ。

 助けて。

 千隼。

 私は縋るような思いで、隣にいるはずの彼を探した。

 でも。

 千隼は、助けてくれなかった。

 彼は数歩下がった壁際、私の視界の隅で、腕を組んで突っ立っている。

 表情は能面みたいに動
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  • 極道若頭は、愛しき飼い主を逃さない 〜狂犬と呼ばれた彼が、私にだけ従順な理由〜   第8話:針の筵③

     左側の最前列。一際立派な羽織袴を着た、白髪の老人が座っている。 顔には深い皺、片目は白く濁って潰れている。 手にした扇子で、私の足元を指した。「挨拶もなしか。……躾がなっとらんのォ」 副組長の権田だ。資料で顔だけは見ていた。 先代の右腕だった男。そして、私が跡を継ぐことに一番反対している筆頭。 彼の残った片目が、蛇みたいに私を舐め回す。「小鳥遊、とか言ったか。……ここはな、お嬢ちゃんが来るような遊園地じゃねえんだ。血と暴力でしか贖えねえ、修羅の庭だ」 権田が扇子を閉じる音が、パチリと乾いて響いた。「先代の血を引いてるだと? そんなもん、紙切れ一枚でどうとでもなる話だ。俺たちが知りたいのはなァ……」 権田がぬらりと立ち上がる。 腐ったような酒と、仁丹の臭い。 彼が顔を寄せてくる。その圧力に、思わず半歩下がりそうになった。「テメェに、人を殺す覚悟があるかどうかってことよ」 心臓が痛いほど跳ねた。 人を、殺す。 その言葉の重みが、生々しい質感を持って喉元に突きつけられる。「震えてるじゃねえか」 権田が鼻で笑った。「見ろ! この小娘、ビビってションベンちびりそうだぞ!」 どっと、広間が爆笑に包まれる。 屈辱で顔が熱い。 何か言い返さなきゃ。 でも、声が出ない。喉が張り付いて、言葉が出てこない。 怖い。 本当に、怖い。 彼らの腰には本物のドスやチャカがあるかもしれない。ちょっとした機嫌ひとつで、私の命なんてゴミみたいに消える。 ここは大学の講義室じゃない。理屈もルールも通用しない、野蛮な世界だ。 助けて。 千隼。 私は縋るような思いで、隣にいるはずの彼を探した。 でも。 千隼は、助けてくれなかった。 彼は数歩下がった壁際、私の視界の隅で、腕を組んで突っ立っている。 表情は能面みたいに動

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  • 極道若頭は、愛しき飼い主を逃さない 〜狂犬と呼ばれた彼が、私にだけ従順な理由〜   第3話:黄金の檻①

     深い泥底から無理やり引きずり上げられたように、意識が浮上した。 肺がひどく重い。酸素を求めて何度も浅い呼吸を繰り返すが、喉の奥がカラカラに乾いていて、うまく吸い込めない。まぶたを開けようとしても、鉛を乗せられたように動かなかった。 最初に認識したのは匂いだった。 いつものアパートに漂う、湿気たカビや埃の匂いではない。鼻の奥をツンと刺激する新しい畳の青い匂いと、どこかで焚き染められている白檀の香り。甘く重たい煙が、室内の空気をねっとりと澱ませていた。 ここはどこだ。 ぼんやりとした頭で記憶を手繰り寄せる。冷たい雨が叩きつけるアスファルト。男たちの粘つくような視線と下品な笑い声。腕をねじ上げられた瞬間の、骨が軋む嫌な音。 そして――。『お迎えに上がりました、お嬢』 雨と返り血に濡れた、あの男の笑顔。 心臓が早鐘を打ち、私は弾かれたように目を見開いた。「っ、はぁ……!」 半身を起こすと、掛かっていた布団が衣擦れの音を立てて滑り落ちた。指先に触れたのは、肌に吸い付くような上質な絹の感触。視線を彷徨わせれば、見たこともないほど高い天井が目に入る。格子状に組まれた木枠の一マスごとに、極彩色の花々が描かれていた。「起きましたか」 涼やかな声が鼓膜を打ち、背筋が粟立った。 部屋の隅、行燈の淡い光が届かない薄暗がりに、男が座っている。 我妻千隼。 昨夜のスーツ姿ではない。ゆったりとした黒い着流しを身に纏い、文机に向かって筆を走らせている。緩んだ襟元から覗く首筋や鎖骨が、闇の中でやけに白く、刃物のように鋭利に見えた。 まるで時代劇のワンシーンのような静謐さだが、彼が全身から放つ冷気だけが、ここが紛れもない「現実」だと告げている。「……あんた、は」 喉が張り付いて、掠れた音しか出ない。 千隼は手元の書類から目を離さず、手慰みのように朱塗りの杯を指先で転がした。「水なら枕元に。毒なんて入れてませんから、安心して飲んでください」 視線を落とすと、枕元の盆に氷の入った切子のグラスが置かれていた。 震える手で掴み、一気に喉へ流し込む。冷たい液体が胃の腑に落ちると、恐怖で麻痺していた思考の歯車が、ぎしりと音を立てて回り始めた。 改めて周囲を見渡す。 二十畳はある広い和室。床の間には威圧的な筆致の掛け軸と、恐らく美術館にあってもおかしくない古びた

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