極道若頭は、愛しき飼い主を逃さない 〜狂犬と呼ばれた彼が、私にだけ従順な理由〜

極道若頭は、愛しき飼い主を逃さない 〜狂犬と呼ばれた彼が、私にだけ従順な理由〜

last updateDernière mise à jour : 2026-05-22
Par:  花柳響Mis à jour à l'instant
Langue: Japanese
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「俺を飼い慣らしてください、お嬢。邪魔な敵はすべて排除して、世界を貴女に捧げましょう」 平凡な女子大生・咲良は、生き残るためにヤクザ組織「久遠組」の三代目を継ぐことに。彼女が選んだのは、美しくも危険な若頭・我妻千隼との『契約結婚』だった。 「貴女だけの『犬』になりたい」 そう跪く千隼だが、その愛は重く、狂気的なまでに独占的だった。「髪も唇も指先も、すべて俺のものです」 論理で戦う女子大生×本能で愛する狂犬ヤクザ。命がけの契約から始まる、極上の溺愛下克上ロマンス!

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Chapitre 1

第1話:朱に染まる出逢い①

「──……いい子ね、千隼」

 執務室の重厚な革張りソファ。その深く沈み込むような感触に体重を預け、目の前で恭しく跪く男の、硬い黒髪にゆっくりと指を通した。

 指先に絡みつく毛先からは、微かに雨の湿り気と、鉄錆によく似た血の匂いが立ち上ってくる。足元に伏せているのは、関東一円の裏社会を震え上がらせる『久遠の魔狼』こと、我妻千隼だ。

 返り血を浴びてまだ熱を失っていない頬を、すりすりと、膝へうっとり擦り寄せてくる。

 ストッキング越しに伝わる硬い頬骨の感触。そして、じわりと肌を焼くような、尋常ではない体温。まるで、血の滴る獲物を持ち帰り、主の撫でる手を待つ忠実な大型犬そのものだった。

「すべて掃除してきましたよ、お嬢。……貴女の視界を汚すゴミは、これでもう一匹もいない」

 細められた三白眼が、下から射抜くように真っ直ぐに見上げてくる。

 光を一切反射しない、底の抜けたような漆黒の双眸。そこには、どろりとした狂気的な熱と、太い鎖で何重に繋ぎ止めてもなお溢れ出すような、息苦しいほどの執着がこびりついていた。

 千隼は顔を寄せると、足首にそっと、吸い付くような重い唇を落とした。

 ちゅ、という微かな水音が、静まり返った室内で不気味なほど鮮明に響く。皮膚の表面をちりちりとした痺れが駆け上がり、思わずつま先を丸めた。

 無造作に寛げられたシャツの襟元から、決して背を見せない覚悟を刻んだ『百足と彼岸花』の赤と黒の刺青が、荒い呼吸に合わせて妖しく蠢いている。

 誰が想像できただろうか。

 かつて、分厚い前髪で顔を隠し、息を潜めて生きていた平凡な大学生、小鳥遊咲良が――この獰猛な狂犬の首輪を握り、夜の東京を支配する存在へと変貌を遂げるなんて。

「愛しています、俺の飼い主(ごしゅじんさま)。……どうか一生、俺の鎖を離さないでください」

 腹の底を直接揺さぶるような、低く、ねっとりとした声。

 これは、理不尽な運命に巻き込まれた女が、最強の番犬と共に世界を喰らい尽くす、反逆と愛の物語だ。

 ◇

「――人生とは、不完全情報ゲームである」

 乾いたチョークの粉が舞い、黒板を叩く無機質な音が講義室に響く。

 一月の冷え込んだ空気。暖房の効きが悪い教室の隅で、安物のコートの襟を立て、小さく身を縮めていた。

 老教授の声が、遠くの波音のように鼓膜を滑っていく。

「互いの手札が見えないテーブルの上で、いかにして損失を最小限に食い止めるか。……それが、持たざる者が生き残る唯一の術だ」

 その言葉は、処世術そのものだった。

 親戚の家をたらい回しにされ、どこへ行っても「余り物」として疎まれて育った日々。生き延びるために導き出した答えは、誰の記憶にも残らない「風景の一部」になること。

 だから、分厚い前髪を長く伸ばして顔を隠す。気味が悪いと罵られてきた、この紫がかった黒い瞳――アメジストのような色を帯びた異質な目を、誰にも見せないように。

 だが、必死に守ってきた平坦な日常に、避けがたい運命の引力が働き始めたのはその時だった。

 前の席に座る学生がこっそり眺めていた、スマートフォンの画面。

『……新宿の路上で起きた発砲事件。現場から逃走していた指定暴力団・久遠組の幹部、我妻千隼(あがつま ちはや)容疑者が先ほど身柄を確保されました――』

 無機質なアナウンサーの声が、ノイズ混じりのスピーカーから漏れ聞こえる。

 小さな画面の中、雨が打ちつける新宿の路上。パトカーの赤い回転灯が乱反射する中、警官たちに取り囲まれながら後部座席へ押し込まれようとしている一人の男が映し出された。

 手錠をかけられ、乱暴に頭を押さえつけられているというのに、その歩みには一切の怯えがない。それどころか、引きちぎられたシャツの襟元から覗く、血のように赤い彼岸花と悍ましい百足の刺青が、濡れた肌の上で妖しく蠢いているように見えた。

 ふと、男が顔を上げた。

 黒く長い前髪の隙間から、カメラのレンズを、いや、その向こう側にいる『こちら』を真っ直ぐに射抜く視線。

 黒目の下方に異常なほど白地が目立つ、鋭角的な三白眼。

 画面越しだというのに、獲物を値踏みするような漆黒の瞳と完全に視線が絡み合った錯覚に陥り、心臓がドクンと嫌な音を立てた。

 執着、そして圧倒的な熱。

 指先の血液が一瞬にして凍りつき、シャーペンを握る手に力が入らなくなる。

 我妻、千隼。

 テロップに表示されたその名前と、氷のように冷たい世界に暴力的なまでの色彩を叩きつけてきた三白眼が、鼓膜と網膜の奥にこびりついて離れない。

 不快だ。関わりたくない。あんな世界の住人、一生縁がないはずだ。

 そう強く言い聞かせ、ノートに無意味な幾何学模様を書き殴る。前髪をさらに深く下ろし、紫の瞳を世界から遮断する。

 だが、胸の奥に澱のように溜まった衝撃は、消えてはくれなかった。積み上げた理屈なんて、一瞬の嵐でひっくり返る。

 その時の私はまだ、それを認めようとはしていなかった。

 ◇

 大学の講義を終え、図書室で時間を潰してから外へ出ると、一月の冷たい雨が、アスファルトをどろどろとした黒に塗りつぶしていた。

 いつものように寂れた商店街のアーケードを通り抜け、裏路地へと足を踏み入れる。家賃三万円の湿気たアパートへ続く、最短ルートだ。

 ジジッ、ジジッ……と。

 寿命が尽きかけた街灯が、点滅しながら頼りなく足元を照らしている。

 背筋がざわりとしたのは、路地に入ってすぐのことだった。

 背後で、重たく湿った革靴が水を弾く音がする。三人、いや、四人。

 歩調を合わせるように、ぴたりと背後をついてくる粘着質な気配。

 胃の奥がぎゅっと縮みあがる。コートのポケットの中で防犯ブザーを握りしめ、早足になった。

 あと少し。大通りのコンビニの明かりが見えれば、そこは安全圏。

「おい。小鳥遊咲良だな?」

 不意に、喉に泥が絡みつくような低い声に道を塞がれた。

 心臓が冷水を浴びたように跳ね上がる。前方に二人、そしていつの間にか背後にも二人。よれたスーツから漂う、鼻を突く安物の甘ったるい香水と、雨に濡れたタバコのヤニの匂い。

「人違いです」

「ハッ、とぼけんな。写真と瓜二つじゃねぇか。その気味の悪い紫の目……『久遠』の血を引いてる証拠だろうが」

 前髪の隙間から覗くアメジストの色を指摘され、呼吸が浅くなる。

 男の一人が、泥水をバシャリと踏みにじって距離を詰める。その右手には、青白い火花を散らすスタンガンが握られていた。

「大人しく来い。お前みたいな貧乏学生でも、その血には億の価値があるんだよ」

 これ以上の対話は無意味だ。逃げ場を塞がれ、胃の奥がギリギリと軋む。

 男がぬっと汚れた腕を伸ばし、肩を掴もうとした。

「触らないで……!」

 反射的にその手を振り払おうとした。爪を立て、腕を思い切り引っ掻く。

「っの、アマが!」

 逆上した男が、手首を強引に掴み、背中へとねじ上げた。

「い、痛っ……!」

「活きがいいじゃねぇか。そういうのは、ベッドの上だけで十分なんだよ!」

 生温かい吐息が顔にかかり、強烈な吐き気が込み上げる。腕が軋むたびに、視界が涙で白く滲んでいく。

 誰も来るはずがない。泣いても状況は変わらない。考えるのよ、咲良。

 けれど、膝が笑って力が入らない。意識が恐怖に飲み込まれそうになった、その時だった。

 ヒュッ、と空気が鋭く裂ける音が響いた。

「――あ?」

 手首を掴んでいた男が、間の抜けた声を漏らす。

 次の瞬間。

 ゴヂュッ。

 水を含んだ雑巾を力任せに絞り上げたような、あるいは生木を無理やりへし折るような、おぞましい破壊音が路地裏に鳴り渡った。

「ぎ、……あ?」

 男の腕が、物理的にありえない方向に折れ曲がっていた。肘から先が、糸の切れた操り人形のようにぶらりと垂れ下がっている。

「ガ、アアアアアアアアアッ! ?」

 遅れて脳に届いた激痛に、男が喉を裂くような悲鳴を上げて転げ回る。

 拘束が解け、濡れたアスファルトにへたり込んだ。冷たい泥水がスカートを汚していくが、そんなことはもうどうでもよかった。

 呆然と顔を上げると、激しく降りしきる雨の中、街灯の逆光を背に受けて立つ一つの影があった。

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第1話:朱に染まる出逢い①
「──……いい子ね、千隼」  執務室の重厚な革張りソファ。その深く沈み込むような感触に体重を預け、目の前で恭しく跪く男の、硬い黒髪にゆっくりと指を通した。  指先に絡みつく毛先からは、微かに雨の湿り気と、鉄錆によく似た血の匂いが立ち上ってくる。足元に伏せているのは、関東一円の裏社会を震え上がらせる『久遠の魔狼』こと、我妻千隼だ。  返り血を浴びてまだ熱を失っていない頬を、すりすりと、膝へうっとり擦り寄せてくる。  ストッキング越しに伝わる硬い頬骨の感触。そして、じわりと肌を焼くような、尋常ではない体温。まるで、血の滴る獲物を持ち帰り、主の撫でる手を待つ忠実な大型犬そのものだった。 「すべて掃除してきましたよ、お嬢。……貴女の視界を汚すゴミは、これでもう一匹もいない」  細められた三白眼が、下から射抜くように真っ直ぐに見上げてくる。  光を一切反射しない、底の抜けたような漆黒の双眸。そこには、どろりとした狂気的な熱と、太い鎖で何重に繋ぎ止めてもなお溢れ出すような、息苦しいほどの執着がこびりついていた。  千隼は顔を寄せると、足首にそっと、吸い付くような重い唇を落とした。  ちゅ、という微かな水音が、静まり返った室内で不気味なほど鮮明に響く。皮膚の表面をちりちりとした痺れが駆け上がり、思わずつま先を丸めた。  無造作に寛げられたシャツの襟元から、決して背を見せない覚悟を刻んだ『百足と彼岸花』の赤と黒の刺青が、荒い呼吸に合わせて妖しく蠢いている。  誰が想像できただろうか。  かつて、分厚い前髪で顔を隠し、息を潜めて生きていた平凡な大学生、小鳥遊咲良が――この獰猛な狂犬の首輪を握り、夜の東京を支配する存在へと変貌を遂げるなんて。 「愛しています、俺の飼い主(ごしゅじんさま)。……どうか一生、俺の鎖を離さないでください」  腹の底を直接揺さぶるような、低く、ねっとりとした声。  これは、理不尽な運命に巻き込まれた女が、最強の番犬と共に世界を喰らい尽くす、反逆と愛の物語だ。 ◇「――人生とは、不完全情報ゲームである」  乾いたチョークの粉が舞い、黒板を叩く無機質な音が講義室に響く。  一月の冷え込んだ空気。暖房の効きが悪い教室の隅で、安物のコートの襟を立て、小さく身を縮めていた。  老教授の声が、遠くの波音のように鼓膜を滑っていく。
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第2話:朱に染まる出逢い②
「……汚ねぇ手で、俺のお嬢に触るなよ。三下」  腹の底に重く響くような、低く、湿り気を帯びた声。  ずぶ濡れの黒いスーツ。陶器のように白い肌に張り付く長い前髪。そして、開いた襟元から覗く赤と黒の刺青。 「あがつま……ちはや……?」  数時間前、小さな画面越しに見た名前が、無意識に唇からこぼれ落ちていた。  男――我妻千隼は、その声に応えることもなく、ただ退屈そうに首をコキリと鳴らした。 「テメェ、何だ……! ?」 「黒鉄の使いっ走りか。躾がなってねぇな」  逆上した三人の男たちが、懐からナイフや警棒を引き抜き、一斉に千隼へと襲いかかる。 「死ねや、ガキィッ!」  だが、それは戦闘と呼べるようなものではなかった。  千隼はポケットから手を出すことすらしない。水たまりを滑るような流麗な足さばきで、最初の一人の拳を紙一重でかわす。すれ違いざま、男の膝裏に革靴のつま先を冷酷なまでに正確に打ち込んだ。  ゴッ、と鈍い音が響き、男がいとも簡単に崩れ落ちる。  残る二人が怯んだ一瞬の隙。千隼の姿がブレた。  瞬きをする暇も与えず間合いを詰め、一人の顔面を鷲掴みにする。そのまま容赦なく、コンクリートの壁面へと力任せに叩きつけた。  ぐしゃり。  硬い骨が砕ける音とともに、雨で濡れた壁にどす黒い染みがべったりと広がる。 「ば、化け物……!」  最後の一人が顔を引きつらせ、めちゃくちゃにナイフを振り回した。  千隼は口の端を微かに吊り上げると、刃の軌道を素手で払い落とし、男の手首を掴んで無造作にひねり上げる。  バキバキバキッ! 「ぎゃああああああああ!」 「うるせぇ。お嬢の耳が汚れるだろ」  千隼は一切のためらいもなく、男の鳩尾に革靴のつま先を深くめり込ませた。  男はボールのように吹き飛び、ゴミ捨て場の山に頭から突っ込んで動かなくなる。  雨音だけが、暴力の熱を冷ますように激しくアスファルトを叩いている。  わずか数十秒。四人の男たちが、たった一人の手によって、ただの肉の塊に変えられていた。  震える指先で泥水を掴み、ずるずると後ずさりする。助かった。確かに助かったはずなのに、身体が、芯から凍りついたように動かない。  あのチンピラたちよりも、もっと凶悪で、もっと言葉の通じない存在が、目の前にいる。  コツ、コツ、コツ。
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第5話:黄金の檻③
「……犬?」  突拍子もない言葉に、思わず聞き返す。ヤクザの若頭が、何を言っているのか。 「そう。圧倒的なカリスマを持つ主人のために、牙を剥き、その足元に獲物を捧げる……そういう生き方しかできない狂犬なんです、俺は」  手を取られ、熱い頬に押し当てられた。  手のひらは熱く、冷たい指先を包み込む。 「先代は偉大な主だった。だが、もういない。今の俺は、首輪のない飼い犬だ。……退屈で、飢えて、暴れ出したくて仕方がない」  手のひらに唇を落とされた。  濡れた感触に、びくりと肩が跳ねる。 「貴女からは、先代と同じ匂いがする。まだ眠っているが、目覚めればきっと、俺をゾクゾクさせるような女帝になる」  言葉は、忠誠というよりは、歪んだ欲望のように聞こえた。  私という素材を、自分好みの支配者に育て上げようとする執着。 「俺を飼い慣らしてください、咲良様。そうすれば、この世のすべての敵から、貴女を守り抜いてみせましょう」  瞳が、絡め取る。  アメジストのような瞳に、自分の姿が映っているのを満足げに確認するように。  逃げられない。  肌に吸い付くような絹の布団も、静寂に満ちたこの和室も、すべてはこの世界に閉じ込めるための罠。外には敵が待ち受け、中にはこの男がいる。  目の前のこの美しい猛獣こそが、最強の看守であり、案内人なのだ。 「……選択肢なんて、ないようなもんじゃない」  乾いた笑みが漏れた。  ここでNoと言えば消される。  Yesと言えば、修羅の道。  どちらも地獄なら、まだ息ができる方を選ぶしかない。生きたいから。 「賢明ですね」  千隼は満足げに目を細めた。  その時、廊下からドタドタと荒々しい足音が近づいてくるのが聞こえた。 「おい若頭! 女が起きたって本当かよ!」  襖が乱暴に開け放たれる。  現れたのは、いかにも昔気質のヤクザといった風貌の中年男たちだった。  幹部連中だろうか。布団の上に座る姿を見て、露骨に顔をしかめた。 「なんだ、この貧相な小娘は。本当に先代の種か?」 「こんなガキに何ができる。俺たちの親になれる器じゃねえぞ」  侮蔑と敵意の視線が、一斉に突き刺さる。  言葉の刃。暴力の気配。  思わず身体を縮こまらせた。  けれど、千隼は前に立ちはだかった。  着物の上からでも背中の
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第6話:針の筵①
 翌朝。 重い瞼を持ち上げると、天井の木目が目に映った。見慣れない格子天井。 夢なら覚めてほしかったけれど、鼻をつくお香の匂いが、ここが昨夜の「続き」であることを容赦なく突きつけてくる。 身体を起こす。昨夜、千隼に投げつけられた布団の上だ。筋肉がこわばって、節々が軋むように痛い。 ふすまが音もなく開いた。「おはようございます、お嬢」 我妻千隼。 昨夜の着流し姿から一変、黒の三つ揃えのスーツを隙なく着こなしている。 整髪料で撫でつけた髪、陶器のように白い肌。 朝の光の中に立つ彼は、昨夜よりもさらに「組織の人間」としての輪郭をはっきりとさせていた。綺麗だけれど、触れれば指が切れそうな刃物の美しさだ。「……おはよう」「顔色が悪いですね。ま、これから処刑台に上る囚人にしてはマシな方か」 千隼は軽口を叩きながら、枕元に置いてあった私の腕時計――昨夜、彼が放り投げた安物だ――を拾い上げ、サイドテーブルに置いた。 その動作の自然さに、ここがすでに彼の支配下であることを思い知らされる。「支度を。皆がお待ちかねですよ」 千隼が短く合図をすると、数人の女たちが無言で部屋に入ってきた。 昨夜の予告通りだ。美容師と着付け師たちは、私と目を合わせようともせず、手際よく私を鏡台の前へ座らせる。 鏡の中の自分と目が合った。 土気色の顔に、クマの浮いた目。どこにでもいる、冴えない女子大生。 昨夜は勢いで啖呵を切ったけれど、明るい場所で見ると滑稽なほど弱々しい。これが、極道の娘?「さあ、化けてもらいましょうか」 千隼が鏡越しに私を見下ろして、低い声で言った。 そこからは、解体作業みたいだった。 伸び放題だった髪は油で撫でつけられて結い上げられ、顔色が分からなくなるほど白粉(おしろい)をはたかれる。唇には、血のような紅を引かれた。 最後に、黒留袖。 背中には久遠の家紋、「下り藤」。 帯がきつく締め上げられるたび、肺の中の空気が無理やり押し出されて、肋骨がきしんだ。 苦しい。 これは晴れ着なんかじゃない。私をこの家に縛り付
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第10話:生存戦略①
 永遠に続くかと思われた地獄のような時間が、ようやく終わりを告げた。「……本日はこれにて解散とする」 副組長の権田が忌々しそうに吐き捨てる声を聞き、幹部たちが重い腰を上げる。 その瞬間まで、私は表情筋を凍らせたまま、上座に座り続けていた。 背筋を伸ばし、顎を引き、視線は虚空の一点に固定する。瞬きさえ最小限に抑え、ただ「若き女帝」という記号になりきることだけに、全神経を注いでいたのだ。「お疲れ様でした、お嬢」 千隼が耳元で囁き、私の腕に手を添える。 立ち上がろうとした瞬間、膝から力がすうっと抜け落ちた。「っ……」「おっと」 千隼が自然な動作で腰を抱き寄せる。 端から見れば、仲睦まじい若頭と組長の姿だろう。けれど実際は、痺れて感覚のなくなった私の足を、彼が力ずくで支えているだけだ。「足、痺れました? 無理もありません。二時間もあの古狸たちの嫌味を聞かされていたんですから」「……余計なこと言わないで。早く、部屋に」「はいはい」 千隼に半ば抱えられるようにして大広間を出る。 襖が閉まり、廊下の角を曲がった瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。「はっ、……あ、う……ッ」 急に酸素が入ってこなくなる。 視界が白く明滅し、胃の底から熱いものがこみ上げてきた。冷や汗が噴き出し、着物の内側をじっとりと濡らしていく。「お嬢?」「トイレ……っ、吐く……」 千隼の手を振りほどき、近くの洗面所へと駆け込んだ。 便器に抱きつき、胃の中身をぶちまける。けれど、朝から水しか通していない胃袋からは、苦い胃液と、透明な恐怖しか出てこない。「オェッ、……はぁ、はぁ、っ……」 喉が焼けるように痛い。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになる。 さっきまで
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