極道若頭は、愛しき飼い主を逃さない 〜狂犬と呼ばれた彼が、私にだけ従順な理由〜

極道若頭は、愛しき飼い主を逃さない 〜狂犬と呼ばれた彼が、私にだけ従順な理由〜

last updateTerakhir Diperbarui : 2026-03-14
Oleh:  花柳響Baru saja diperbarui
Bahasa: Japanese
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「俺を飼い慣らしてください、お嬢。邪魔な敵はすべて排除して、世界を貴女に捧げましょう」 平凡な女子大生・咲良は、生き残るためにヤクザ組織「久遠組」の三代目を継ぐことに。彼女が選んだのは、美しくも危険な若頭・我妻千隼との『契約結婚』だった。 「貴女だけの『犬』になりたい」 そう跪く千隼だが、その愛は重く、狂気的なまでに独占的だった。「髪も唇も指先も、すべて俺のものです」 論理で戦う女子大生×本能で愛する狂犬ヤクザ。命がけの契約から始まる、極上の溺愛下克上ロマンス!

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Bab 1

第1話:朱に染まる出逢い①

「──……いい子ね、千隼」

執務室の革張りのソファに深く沈み込みながら、私は目の前の男の髪を梳いた。

足元には、関東一円を震え上がらせる「久遠の魔狼」こと、我妻 千隼(あがつま ちはや)が跪いている。

返り血で濡れたその頬を、彼は私の膝にうっとりと擦り寄せた。

まるで、褒められるのを待つ忠実な大型犬のように。

「すべて掃除してきましたよ、お嬢。……貴女の邪魔をするゴミは、これでもう一匹もいない」

彼は熱を帯びた瞳で見上げると、私の足首にそっと唇を落とした。

その背中には、決して後退しないことを誓う「百足(ムカデ)と彼岸花」の刺青が、妖しく蠢いている。

誰が信じるだろうか。

かつて平凡な女子大生だった私──小鳥遊 咲良(たかなし さくら)が、この狂った獣の手綱を握り、夜の東京を支配することになるなんて。

「愛しています、俺の飼い主(ごしゅじんさま)。……一生、俺の首輪を離さないでください」

――これは、理不尽な暴力に愛された私が、最強の番犬と共に世界へ牙を剥く、愛と反逆の物語だ。

◇ ◇ ◇

「――人生とは、不完全情報ゲームである」

乾いたチョークの粉が舞い、黒板を叩く音が講義室に響いた。

経済学部の老教授が、講壇の上で淡々と数式を書き連ねている。一月の講義室は底冷えがして、私は逃げるように安物のコートの前をかき合わせた。

教授の声が、遠くの波音のようにぼんやりと聞こえてくる。

「互いの手札が見えないテーブルの上で、プレイヤーはいかにして利得を最大化するか。あるいは――いかにして『損失』を最小限に食い止めるか」

私の生き方は、徹底して後者だった。

誰かに勝ちたいわけじゃない。誰の視線も集めたくない。

ただ、これ以上傷つかないように。誰の記憶にも残らない路傍の石ころのように、風景の一部として静かに息を潜める。

親戚の家をたらい回しにされ、どこへ行っても「余り物」として疎まれて育った私が、生き延びるために導き出した、たったひとつの正解。

だから私は、今日も分厚い前髪を長く伸ばして顔を隠す。

紫がかった黒――アメジストのような不気味な瞳だと気味が悪がられるこの目を、誰にも見せないように、誰とも合わせないように。

けれど、机の上で積み上げた理屈は、現実の前ではあまりにも無力だ。

平穏だと思っていた盤面なんてものは、いつだって理不尽な暴力によって、いともたやすくひっくり返される。

今の、私のように。

一月の冷たい雨が、アスファルトを黒く塗りつぶしていた。

大学からの帰り道。私はいつものように寂れた商店街のアーケードを通り抜け、家賃五万円の湿気たアパートへ続く裏路地へと足を踏み入れた。

時刻は午後九時を回ったところだ。古い街灯が、寿命が尽きかけるようにジジッと明滅している。

背筋がざわりとしたのは、路地に入ってすぐのことだった。

(……足音?)

三人。いや、四人だろうか。

傘を叩く雨音に紛れてはいるけれど、聞き間違いではない。重たく湿った革靴が水を踏む音が、私の歩調に合わせてぴたりと背後をついてくる。

首筋にねっとりと張り付くような、粘着質な気配。

胃の腑がぎゅっと縮みあがり、こみ上げる吐き気を必死に抑える。

私はコートのポケットの中で防犯ブザーを指が白くなるほど強く握りしめ、歩く速度を上げた。

あと五十メートルで大通りに出る。そこのコンビニの白い明かりが見えさえすれば、きっと。

「おい、待ちえや」

喉に絡みつくような低い声とともに、行く手を塞がれた。

心臓が口から飛び出しそうなほど強く跳ねる。

いつの間にか回り込んでいた男が二人。

慌てて振り返れば、逃げ道を塞ぐように背後にも二人。

完全に、逃げ場を失った。

「……何ですか」

声が震えてしまわないよう、下腹に力を込めて言葉を絞り出す。

彼らは明らかに堅気ではなかった。雨に濡れてよれた安物のスーツ。鼻を突く甘ったるい香水と、繊維の奥まで染みついた古いタバコの臭い。

そして何より、私を見つめる目が、とろりと白濁して濁っている。目の前の女を「一人の人間」ではなく、値踏みすべき対象として見ている、下卑た視線。

「小鳥遊 咲良(たかなし さくら)ちゃんだな?」

指先まで流れていた血液が、一気に逆流するような感覚に襲われた。

ただの通り魔や強盗ではない。彼らは「私」という個人の名前と顔を、正確に特定して狙っている。

「人違いです」

「ハッ、とぼけんなよ。写真と瓜二つじゃねえか」

前方に立つ男が一歩、泥の混じった水たまりをバシャリと踏んで距離を詰めてくる。街灯の薄暗い明かりに照らされたその顔には、獲物を品定めするような粘着質な笑みが張り付いていた。

男の手には、黒い塊が握られている。バチバチ、と青白い火花が雨粒の中で散った。スタンガンだ。

「大人しく来てもらうぜ。お前みたいな貧乏学生でも、『血』には価値があるんだとな」

「血……?」

「すっとぼけんな、『久遠(くおん)』の隠し種が」

――クオン?

聞き覚えのない不穏な響きに、思考が一瞬、白く弾ける。

けれど、男たちは私の混乱を待ってはくれない。

逃げ場はない。講義で学んだゲーム理論も、身を守るための交渉術も、この場所では何の役にも立たない。私の人生で積み上げてきた「目立たず生きる」というささやかな防御策が、圧倒的な暴力を前にしては紙切れ一枚ほどの価値もないのだと、残酷な現実を突きつけられる。「ギャアギャア騒がれると面倒だ。ここで眠ってもらう」

男がぬっと汚れた腕を伸ばしてくる。

タバコのヤニで茶色く汚れた爪が、私の肩を掴もうとした瞬間。

「嫌ッ……!」

私は反射的にその手を振り払おうとした。

だが、所詮は非力な女の抵抗だ。逆に手首を万力のように強く掴まれ、強引にねじ上げられる。

「痛っ……!」

「活きがいいなァ、おい! そういう女、嫌いじゃねえぞ」

骨が軋む痛みに、視界が涙で滲む。

酸素がうまく吸い込めない。雨の冷たさと底知れない恐怖で、歯の根が合わない。カチカチと情けない音が頭蓋骨に響いている。

誰か、助けて。

いや、誰も来るはずがない。母さんが死んでから、誰も私を助けてなんてくれなかった。

(考えるのよ、咲良。泣いても状況は一ミリも変わらない)

必死に自分に言い聞かせるけれど、膝が笑って力が入らない。

男の生温かい、腐ったような吐息が顔にかかる距離まで迫る。

目の前が真っ暗になるような絶望に、頭から飲み込まれようとした、その時だった。

ヒュッ、と空気が鋭く裂ける音が路地に響いた。

「――あ?」

私の手首を掴んでいた男が、間の抜けた声を上げる。

次の瞬間。

ゴヂュッ。

水を含んだ雑巾を固く絞り上げるような、あるいは生木を無理やりへし折るような、耳にするだけで吐き気を催す音が響き渡った。

「ぎ、……アッ?」

男の腕が、ありえない方向に曲がっていた。

肘から先が、まるで操り人形の糸が切れたようにだらりとぶら下がっている。

「ガ、アアアアアアアアアッ!?」

男が喉を裂くような悲鳴を上げてのけぞった。

拘束が解け、私は濡れた地面に尻餅をつく。冷たい泥水がスカートに染み込んでくる冷たささえ、今は感じない。

何が起きたのか理解できず、呆然と顔を上げると――そこに、男が立っていた。

激しく降りしきる雨の中、傘もささずに佇む、喪服のような漆黒のスーツ。

街灯の逆光で、その表情までは読み取れない。

けれど、その立ち姿から放たれる肌を刺すような重い圧迫感が、一月の雨の冷たささえ忘れさせた。

それは死神のように美しく、圧倒的な「暴力」そのものが形を成したような姿だった。

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第1話:朱に染まる出逢い①
「──……いい子ね、千隼」 執務室の革張りのソファに深く沈み込みながら、私は目の前の男の髪を梳いた。 足元には、関東一円を震え上がらせる「久遠の魔狼」こと、我妻 千隼(あがつま ちはや)が跪いている。 返り血で濡れたその頬を、彼は私の膝にうっとりと擦り寄せた。 まるで、褒められるのを待つ忠実な大型犬のように。 「すべて掃除してきましたよ、お嬢。……貴女の邪魔をするゴミは、これでもう一匹もいない」 彼は熱を帯びた瞳で見上げると、私の足首にそっと唇を落とした。 その背中には、決して後退しないことを誓う「百足(ムカデ)と彼岸花」の刺青が、妖しく蠢いている。 誰が信じるだろうか。 かつて平凡な女子大生だった私──小鳥遊 咲良(たかなし さくら)が、この狂った獣の手綱を握り、夜の東京を支配することになるなんて。 「愛しています、俺の飼い主(ごしゅじんさま)。……一生、俺の首輪を離さないでください」 ――これは、理不尽な暴力に愛された私が、最強の番犬と共に世界へ牙を剥く、愛と反逆の物語だ。 ◇ ◇ ◇ 「――人生とは、不完全情報ゲームである」 乾いたチョークの粉が舞い、黒板を叩く音が講義室に響いた。 経済学部の老教授が、講壇の上で淡々と数式を書き連ねている。一月の講義室は底冷えがして、私は逃げるように安物のコートの前をかき合わせた。 教授の声が、遠くの波音のようにぼんやりと聞こえてくる。 「互いの手札が見えないテーブルの上で、プレイヤーはいかにして利得を最大化するか。あるいは――いかにして『損失』を最小限に食い止めるか」 私の生き方は、徹底して後者だった。 誰かに勝ちたいわけじゃない。誰の視線も集めたくない。 ただ、これ以上傷つかないように。誰の記憶にも残らない路傍の石ころのように、風景の一部として静かに息を潜める。 親戚の家をたらい回しにされ、どこへ行っても「余り物」として疎まれて育った私が、生き延びるために導き出した、たったひとつの正解。 だから私は、今日も分厚い前髪を長く伸ばして顔を隠す。 紫がかった黒――アメジストのような不気味な瞳だと気味が悪がられるこの目を、誰にも見せないように、誰とも合わせないように。 けれど、机の上で積み上げた理屈は、現実の前ではあまりにも無力だ。
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第2話:朱に染まる出逢い②
「……汚ない手で触るなよ、三下」 腹の底に重く響くような、低く、湿り気を帯びた声。 その声を聞いた瞬間、私の本能がけたたましく警鐘を鳴らした。 目の前のチンピラなんかより、もっと底知れない、もっと危険なモノが来たのだと。 「テメェ、何だ……!?」 「黒鉄(くろがね)の使いっ走りか。躾(しつけ)がなってないな」 黒スーツの男――我妻千隼は、退屈そうに首をコキリと鳴らした。 彼を取り囲もうとした三人の男たちが、懐からナイフや警棒を取り出して一斉に襲いかかる。 「死ねやオラァッ!」 私なら悲鳴を上げて目を背けるような、凄惨な場面だ。 けれど、私は金縛りにあったように指一本動かせなかった。 目の前で繰り広げられる暴力が、あまりにも無駄がなく、洗練されすぎていたからだ。 千隼は、ズボンのポケットに片手を突っ込んだまま、最初の一人の拳を紙一重でかわした。 最小限の動き。まるで雨粒を避けてダンスでも踊るかのように優雅だ。 すれ違いざま、男の喉元へ手刀を突き刺す。 ゴッ、と鈍い音がして、男が白目を剥いてその場に崩れ落ちる。 「ヒッ……!?」 残る二人が怯んだ隙を、彼は絶対に見逃さない。 千隼の姿がブレた――そう錯覚するほどの速さだった。 瞬きをする間に間合いを詰め、一人の顔面を容赦なくコンクリートの壁に叩きつける。 最後の一人が、顔を引きつらせてナイフを滅茶苦茶に振り回す。 「ば、化け物……!」 「よく言われる」 千隼は口の端を吊り上げると、振り下ろされたナイフを素手で掴んだ――いや、手首を掴んで止めたのだ。 そのまま、無造作にひねり上げる。 バキバキバキッ! 「ぎゃああああああああ!」 「うるさい。お嬢の耳が汚れるだろ」 千隼は一切のためらいもなく、男の鳩尾(みぞおち)に革靴のつま先を深くめり込ませた。 男はボールのように吹き飛び、ゴミ捨て場に頭から突っ込んで動かなくなる。 静寂が戻る。 聞こえるのは、叩きつけるような雨音と、私の荒い呼吸音だけ。 わずか数十秒。 四人の男たちが、たった一人の手によって倒されてしまった。 これが、現実なのだろうか。 私は震える指先で泥水を掴み、ずるずると後ずさりする。 助かったのかもしれない。けれど、身体が
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第3話:黄金の檻①
 深い泥底から無理やり引きずり上げられたように、意識が浮上した。  肺がひどく重い。酸素を求めて何度も浅い呼吸を繰り返すが、喉の奥がカラカラに乾いていて、うまく吸い込めない。まぶたを開けようとしても、鉛を乗せられたように動かなかった。  最初に認識したのは匂いだった。  いつものアパートに漂う、湿気たカビや埃の匂いではない。鼻の奥をツンと刺激する新しい畳の青い匂いと、どこかで焚き染められている白檀の香り。甘く重たい煙が、室内の空気をねっとりと澱ませていた。  ここはどこだ。  ぼんやりとした頭で記憶を手繰り寄せる。冷たい雨が叩きつけるアスファルト。男たちの粘つくような視線と下品な笑い声。腕をねじ上げられた瞬間の、骨が軋む嫌な音。  そして――。 『お迎えに上がりました、お嬢』  雨と返り血に濡れた、あの男の笑顔。  心臓が早鐘を打ち、私は弾かれたように目を見開いた。 「っ、はぁ……!」  半身を起こすと、掛かっていた布団が衣擦れの音を立てて滑り落ちた。指先に触れたのは、肌に吸い付くような上質な絹の感触。視線を彷徨わせれば、見たこともないほど高い天井が目に入る。格子状に組まれた木枠の一マスごとに、極彩色の花々が描かれていた。 「起きましたか」  涼やかな声が鼓膜を打ち、背筋が粟立った。  部屋の隅、行燈の淡い光が届かない薄暗がりに、男が座っている。  我妻千隼。  昨夜のスーツ姿ではない。ゆったりとした黒い着流しを身に纏い、文机に向かって筆を走らせている。緩んだ襟元から覗く首筋や鎖骨が、闇の中でやけに白く、刃物のように鋭利に見えた。  まるで時代劇のワンシーンのような静謐さだが、彼が全身から放つ冷気だけが、ここが紛れもない「現実」だと告げている。 「……あんた、は」  喉が張り付いて、掠れた音しか出ない。  千隼は手元の書類から目を離さず、手慰みのように朱塗りの杯を指先で転がした。 「水なら枕元に。毒なんて入れてませんから、安心して飲んでください」  視線を落とすと、枕元の盆に氷の入った切子のグラスが置かれていた。  震える手で掴み、一気に喉へ流し込む。冷たい液体が胃の腑に落ちると、恐怖で麻痺していた思考の歯車が、ぎしりと音を立てて回り始めた。  改めて周囲を見渡す。  二十畳はある広い和室。床の間には威圧的な筆致の掛
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-01-27
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第4話:黄金の檻②
 千隼の声から、ふっと温度が消えた。「実際は毒を盛られた可能性が高い。犯人はまだ内部に潜んでいるかもしれない」「……っ」「先代には、正妻との間に子供がいなかった。唯一の血縁者は、隠し子である貴女だけだ。久遠の血を引く者だけが持つ『カリスマ』――それを継承できるのは、貴女しかいないんですよ」 彼が私の髪を一房、指先で掬い上げた。 頬に触れた指が、死体のように冷たい。「だから、昨夜みたいな連中が湧いてくる。敵対する『黒鉄会』、そして内部の裏切り者たち。貴女が生きてるだけで都合が悪い奴らが、山ほどいるんです」 昨夜の光景が脳裏にフラッシュバックする。 鈍い音を立てて砕ける骨。ねじ上げられた手首の熱さ。男たちの欲情と加虐心が入り混じった目。 あれは夢じゃなかった。私は本当に、殺されかけたんだ。「そんなの……関係ない」 声が震えるのを止められない。 関係ない。私はただ、大学に通って、奨学金を返して、普通の企業に就職して、誰にも迷惑をかけずに生きていきたいだけなのに。こんな血なまぐさい世界、知ったことじゃない。「関係ない? 昨夜、死にかけたくせに?」「警察に行く。全部話して、保護してもらうから!」 私は布団を跳ね除け、立ち上がろうとした。 だが、それより速く、千隼の手が私の肩を掴む。「きゃっ……!」 畳に叩きつけられた。 視界がぐるりと回転し、気づけば千隼に見下ろされている。 彼の長い前髪が私の頬にかかり、視界を遮る。至近距離にある三白眼が、獲物を狩る獣のように昏く光っていた。「警察?」 鼻で笑われた。「サツが貴女を守れると本気で思ってるんですか? 法律だの正義だの、そんな綺麗事が通じるのは表の世界だけだ」 彼の指が、私の首筋をゆっくりとなぞる。 ドクドクと脈打つ頸動脈の上で、鋭い爪が止まった。いつでも喉笛を噛み切れると教えるように。「奴らは、留置所の中にだって刺客を送れる。警察に駆け込んだ瞬間、そこは貴女の墓場になりますよ」「……っ、う……」 言葉に詰まる。 昨夜の男たちの目。あれは、法律や警察なんてこれっぽっちも怖がっていない目だった。 私の知っている「論理」や「社会のルール」が通用しない世界が、薄皮一枚向こう側に口を開けている。それを昨夜、嫌というほど思い知らされたばかりだ。「じゃあ……どうしろって言うのよ」
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-01-27
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第5話:黄金の檻③
「……犬?」「そう。圧倒的なカリスマを持つ主人のために、牙を剥き、血を浴び、その足元に獲物を捧げる……そういう生き方しかできない狂犬なんです、俺は」 彼は私の手を取り、自分の頬に押し当てた。 彼の手のひらは熱く、私の冷たい指先を包み込む。「先代は偉大な主だった。だが、もういない。今の俺は、首輪のない飼い犬だ。……退屈で、飢えて、暴れ出したくて仕方がない」 彼は私の手のひらに唇を落とした。 濡れた感触に、びくりと肩が跳ねる。「貴女からは、先代と同じ匂いがする。まだ眠っているが、目覚めればきっと、俺をゾクゾクさせるような『女帝』になる」 彼の言葉は、忠誠というよりは、歪んだ欲望のように聞こえた。 私という素材を、自分好みの支配者に育て上げようとする、狂気的な執着。「俺を飼い慣らしてください、咲良様。そうすれば、この世のすべての敵から、貴女を守り抜いてみせましょう」 彼の瞳が、私を絡め取る。 アメジストのような私の瞳に、自分の姿が映っているのを満足げに確認するように。 逃げられない。 ここは美しい檻だ。 肌に吸い付くような絹の布団も、静寂に満ちたこの和室も、すべては私をこの世界に閉じ込めるための罠。外には死が待ち受け、中にはこの男がいる。 目の前のこの美しい猛獣こそが、最強の看守であり、私を地獄へ引きずり込む案内人なのだ。「……選択肢なんて、ないようなもんじゃない」 乾いた笑みが漏れた。 ここで「No」と言えば死ぬ。 「Yes」と言えば、修羅の道。 どちらも地獄なら、まだ息ができる方を選ぶしかない。私は、生きたいから。「賢明ですね」 千隼は満足げに目を細めた。 その時、廊下からドタドタと荒々しい足音が近づいてくるのが聞こえた。「おい若頭! 女が起きたって本当かよ!」 襖が乱暴に開け放たれる。 現れたのは、いかにも昔気質のヤクザといった風貌の中年男たちだった。 幹部連中だろうか。彼らは布団の上に座る私を見て、露骨に顔をしかめた。「なんだ、この貧相な小娘は。本当に先代の種か?」「こんなガキに何ができる。俺たちの親になれる器じゃねえぞ」 侮蔑と敵意の視線が、一斉に私に突き刺さる。 言葉のナイフ。暴力の気配。 私は思わず身体を縮こまらせた。 けれど、千隼は私の前に立ちはだかった。 着物の上からでも背中の刺青が
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第6話:針の筵①
 翌朝。 重い瞼を持ち上げると、天井の木目が目に映った。見慣れない格子天井。 夢なら覚めてほしかったけれど、鼻をつくお香の匂いが、ここが昨夜の「続き」であることを容赦なく突きつけてくる。 身体を起こす。昨夜、千隼に投げつけられた布団の上だ。筋肉がこわばって、節々が軋むように痛い。 ふすまが音もなく開いた。「おはようございます、お嬢」 我妻千隼。 昨夜の着流し姿から一変、黒の三つ揃えのスーツを隙なく着こなしている。 整髪料で撫でつけた髪、陶器のように白い肌。 朝の光の中に立つ彼は、昨夜よりもさらに「組織の人間」としての輪郭をはっきりとさせていた。綺麗だけれど、触れれば指が切れそうな刃物の美しさだ。「……おはよう」「顔色が悪いですね。ま、これから処刑台に上る囚人にしてはマシな方か」 千隼は軽口を叩きながら、枕元に置いてあった私の腕時計――昨夜、彼が放り投げた安物だ――を拾い上げ、サイドテーブルに置いた。 その動作の自然さに、ここがすでに彼の支配下であることを思い知らされる。「支度を。皆がお待ちかねですよ」 千隼が短く合図をすると、数人の女たちが無言で部屋に入ってきた。 昨夜の予告通りだ。美容師と着付け師たちは、私と目を合わせようともせず、手際よく私を鏡台の前へ座らせる。 鏡の中の自分と目が合った。 土気色の顔に、クマの浮いた目。どこにでもいる、冴えない女子大生。 昨夜は勢いで啖呵を切ったけれど、明るい場所で見ると滑稽なほど弱々しい。これが、極道の娘?「さあ、化けてもらいましょうか」 千隼が鏡越しに私を見下ろして、低い声で言った。 そこからは、解体作業みたいだった。 伸び放題だった髪は油で撫でつけられて結い上げられ、顔色が分からなくなるほど白粉(おしろい)をはたかれる。唇には、血のような紅を引かれた。 最後に、黒留袖。 背中には久遠の家紋、「下り藤」。 帯がきつく締め上げられるたび、肺の中の空気が無理やり押し出されて、肋骨がきしんだ。 苦しい。 これは晴れ着なんかじゃない。私をこの家に縛り付
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-01-28
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第7話:針の筵②
 ◇  廊下に出ると、空気が変わった。 磨き上げられた床板がどこまでも続いていて、ひっそりと静まり返っている。 でも、大広間に近づくにつれて、その静けさがざらついた気配に変わっていくのが分かった。 男たちの低い話し声。怒号みたいな笑い声。鼻をつく煙草の臭い。 胃がきりきりと痛む。 足がすくみそうになるのを、隣を歩く千隼の革靴の音が、強制的に前へ進ませる。 カツ、カツ、カツ。 彼の足音は機械みたいに規則正しくて、それが余計に私を追い詰めた。 大広間の立派なふすまの前で、若い衆が二人、直立不動で立っていた。 私と千隼を見ると、弾かれたように頭を下げる。「お、お疲れ様ですッ! 若頭!」 彼らの視線が、ちらりと私に向けられる。 値踏みするような、好奇心に満ちた目。「これが先代の隠し子か」「こんなガキが?」という声が聞こえてくるようだ。「開けろ」 千隼が短く言う。 ふすまが左右に開け放たれた、その瞬間。 ――どっ、と熱気が顔に吹き付けた。 五十畳はある大広間。 上座には遺影が飾られ、線香の煙が白く漂っている。 その下座に、黒い塊がびっしりと並んでいた。 三十人、いや四十人はいる。 黒いスーツに、紋付袴。丸太みたいに太い腕、首元から覗く和彫り、顔に刻まれた古傷。 全員の視線が、一斉に私へ突き刺さる。「…………」 部屋の中が静まり返った。 敬意なんてものじゃない。 檻の中に放り込まれた餌を、猛獣たちが品定めしている沈黙だ。 息をするのも忘れて、立ち尽くした。 足が動かない。ここから先へ行ってはいけないと、本能が警告している。 帰りたい。今すぐ踵を返して、全速力で逃げ出したい。 でも、背後には千隼がいる。退路なんてない。「どうぞ」 千隼が背中を軽く押した。 たったそれだけで、私は猛獣の群れの中へ押し出された。 一歩、畳を踏む。 足音がやけに大きく響いた。 視界の端で、誰かが舌打ちをするのが見えた。
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-01-28
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第8話:針の筵③
 左側の最前列。一際立派な羽織袴を着た、白髪の老人が座っている。 顔には深い皺、片目は白く濁って潰れている。 手にした扇子で、私の足元を指した。「挨拶もなしか。……躾がなっとらんのォ」 副組長の権田だ。資料で顔だけは見ていた。 先代の右腕だった男。そして、私が跡を継ぐことに一番反対している筆頭。 彼の残った片目が、蛇みたいに私を舐め回す。「小鳥遊、とか言ったか。……ここはな、お嬢ちゃんが来るような遊園地じゃねえんだ。血と暴力でしか贖えねえ、修羅の庭だ」 権田が扇子を閉じる音が、パチリと乾いて響いた。「先代の血を引いてるだと? そんなもん、紙切れ一枚でどうとでもなる話だ。俺たちが知りたいのはなァ……」 権田がぬらりと立ち上がる。 腐ったような酒と、仁丹の臭い。 彼が顔を寄せてくる。その圧力に、思わず半歩下がりそうになった。「テメェに、人を殺す覚悟があるかどうかってことよ」 心臓が痛いほど跳ねた。 人を、殺す。 その言葉の重みが、生々しい質感を持って喉元に突きつけられる。「震えてるじゃねえか」 権田が鼻で笑った。「見ろ! この小娘、ビビってションベンちびりそうだぞ!」 どっと、広間が爆笑に包まれる。 屈辱で顔が熱い。 何か言い返さなきゃ。 でも、声が出ない。喉が張り付いて、言葉が出てこない。 怖い。 本当に、怖い。 彼らの腰には本物のドスやチャカがあるかもしれない。ちょっとした機嫌ひとつで、私の命なんてゴミみたいに消える。 ここは大学の講義室じゃない。理屈もルールも通用しない、野蛮な世界だ。 助けて。 千隼。 私は縋るような思いで、隣にいるはずの彼を探した。 でも。 千隼は、助けてくれなかった。 彼は数歩下がった壁際、私の視界の隅で、腕を組んで突っ立っている。 表情は能面みたいに動
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第9話:針の筵④
「テメェ……誰に向かって口きいてやがる!」 権田が手を振り上げた。 分厚い掌が、私の頬へ迫ってくる。 避けられない。 反射的に目を瞑ったけれど、足は動かさなかった。 ここで避ければ、一生逃げ続けることになる。 殴られるなら、殴られればいい。その痛みごと、覚えてやる。 風を切る音。 でも、痛みは来なかった。「……!」 恐る恐る目を開ける。 顔のすぐ前で、権田の手首が止まっていた。 いや、止められていた。 いつの間にか前に出てきた千隼が、権田の手首を片手で掴んでいた。 千隼の手には、ほとんど力が入っていないように見える。それなのに、権田の腕は万力に挟まれたみたいに微動だにしない。「……権田の叔父貴」 千隼の声は穏やかだった。 まるで世間話でもするようなトーン。 けれど、そこに含まれた冷たさが、大広間の気温を一気に下げたのが分かった。「お嬢の顔は、これからの久遠の看板だ。傷ひとつでもつけたら……その汚い腕、根元から切り落としますよ」「ぐ、ぬ……ッ!」 権田が脂汗を流して呻く。 千隼はにっこりと笑うと、ゴミでも捨てるみたいに権田の手を放した。 権田がよろめき、どかっと畳に尻餅をつく。 その無様な姿に、周囲の幹部たちが息を呑んだ。 千隼は懐から真っ白なハンカチを取り出すと、権田に触れた自分の手を丁寧に拭き始めた。汚いものに触れてしまった、と言わんばかりに。 その仕草があまりに優雅で、残酷だった。 彼は拭き終わったハンカチを権田の上にぱらりと落とすと、私の方を振り返った。「お待たせしました、お嬢。……どうぞ」 その目が、とろりと歪んで笑っていた。 合格だ、と言っている。 私が一歩も引かなかったこと。権田に啖呵を切ったこと。 それが
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第10話:生存戦略①
 永遠に続くかと思われた地獄のような時間が、ようやく終わりを告げた。「……本日はこれにて解散とする」 副組長の権田が忌々しそうに吐き捨てる声を聞き、幹部たちが重い腰を上げる。 その瞬間まで、私は表情筋を凍らせたまま、上座に座り続けていた。 背筋を伸ばし、顎を引き、視線は虚空の一点に固定する。瞬きさえ最小限に抑え、ただ「若き女帝」という記号になりきることだけに、全神経を注いでいたのだ。「お疲れ様でした、お嬢」 千隼が耳元で囁き、私の腕に手を添える。 立ち上がろうとした瞬間、膝から力がすうっと抜け落ちた。「っ……」「おっと」 千隼が自然な動作で腰を抱き寄せる。 端から見れば、仲睦まじい若頭と組長の姿だろう。けれど実際は、痺れて感覚のなくなった私の足を、彼が力ずくで支えているだけだ。「足、痺れました? 無理もありません。二時間もあの古狸たちの嫌味を聞かされていたんですから」「……余計なこと言わないで。早く、部屋に」「はいはい」 千隼に半ば抱えられるようにして大広間を出る。 襖が閉まり、廊下の角を曲がった瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。「はっ、……あ、う……ッ」 急に酸素が入ってこなくなる。 視界が白く明滅し、胃の底から熱いものがこみ上げてきた。冷や汗が噴き出し、着物の内側をじっとりと濡らしていく。「お嬢?」「トイレ……っ、吐く……」 千隼の手を振りほどき、近くの洗面所へと駆け込んだ。 便器に抱きつき、胃の中身をぶちまける。けれど、朝から水しか通していない胃袋からは、苦い胃液と、透明な恐怖しか出てこない。「オェッ、……はぁ、はぁ、っ……」 喉が焼けるように痛い。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになる。 さっきまで
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-01-30
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