LOGIN「俺を飼い慣らしてください、お嬢。邪魔な敵はすべて排除して、世界を貴女に捧げましょう」 平凡な女子大生・咲良は、生き残るためにヤクザ組織「久遠組」の三代目を継ぐことに。彼女が選んだのは、美しくも危険な若頭・我妻千隼との『契約結婚』だった。 「貴女だけの『犬』になりたい」 そう跪く千隼だが、その愛は重く、狂気的なまでに独占的だった。「髪も唇も指先も、すべて俺のものです」 論理で戦う女子大生×本能で愛する狂犬ヤクザ。命がけの契約から始まる、極上の溺愛下克上ロマンス!
View More千隼の顔が、ゆっくりと沈み込んでくる。 至近距離でぶつかる彼の吐息は、雨の匂いを消し去るほど熱く、濃密な雄の香りを孕んでいた。「どこへ行こうと、地獄の底だろうと、追いかける。俺の飼い主が地獄の火に焼かれるなら、俺はその火をすべて飲み込んで、アンタを涼しい場所へ連れ帰る」 彼の瞳が、狂気的なまでの独占欲を剥き出しにして私を射抜く。 私は、彼の腫れ上がった頬の傷に指先を滑らせ、不敵に微笑んでみせた。「知っているわ。……でも、もう逃げない。私も、あなたを逃がさない」 かつては、千隼の執着は、私を逃がさないためだけにあった。 けれど今、この瞬間にその意味は反転した。 私が彼を、この不条理な世界へ繋ぎ止める。 彼が自らを「盾」として使い捨て、孤独な死へ逃げ込もうとするのを、私が力ずくで引き戻したのだ。 死地へ逃げることも、誰かの身代わりに壊れることも、もう許さない。 一生かけて私の隣で、私のために血を流し、私のために生の喜びを謳歌し続ける。それが、私が彼に科した、最も甘くて過酷な刑罰だった。「……愛しています、俺の飼い主(ごしゅじんさま)」 千隼の唇が、私の唇を塞いだ。 地下の金庫室での人工呼吸のような焦燥ではない。 互いの傷の痛みを確かめ合い、その奥にある魂の境界線を溶かし合わせるような、深く、重い口付け。 彼の舌が口腔を蹂躙するたびに、鉄錆の味と、ベルガモットの香りが混ざり合い、脳の髄を痺れさせる。 呼吸が詰まり、頭の中が白く明滅し始める。 手すりの向こう側、東京の街並みは依然として冷ややかに瞬いているが、その無数の光も、今はこの腕の中にある熱に比べれば背景のノイズに過ぎなかった。「……ん……ふ……っ」 唇が離れた瞬間、千隼は私の首筋に顔を埋め、深く、深く息を吸い込んだ。 犬が飼い主の匂いを記憶の底に刻み込むような、熱心で深い吸気音。「アンタの体温が&hell
地上数十メートル、空へ向かって突き出したバルコニーを、夜の静寂が支配していた。 宝石箱をひっくり返したような、あるいは燃え尽きることのない火葬場の火が瞬いているような、東京の夜景。かつて分厚い前髪の隙間から、風景の一部として怯えながら眺めていた街の光は、今ではまだ終わらない夜の中で静かに瞬いている。 冷たい風が吹き抜け、重厚な黒留袖の袖を乱暴に揺らした。 腹部の縫合痕が、風の冷たさに反応してジンと疼く。内臓を直接冷やされるような鋭い痛みは、自分が今、確かにこの世界の土を踏んで生きているという何よりの証明だった。 痛みを逃がすようにゆっくりと息を吐き出すと、隣にある巨大な熱源が微かに動いたのがわかった。「……お嬢。風が、冷え始めています」 掠れた、それでいて深い粘着質を孕んだ低い声。 我妻千隼の大きな手が、私の肩にかけられたジャケット――先ほどまで彼が羽織っていた黒い羽織を、さらに強く引き寄せた。 生地越しに伝わってくるのは、火傷しそうなほどの彼の体温と、雨上がりの杉林の匂い、そして消えることのない微かな煙草の香り。 見上げると、その三白眼が、夜景の光を吸い込みながら真っ直ぐにこちらを見つめていた。その瞳の奥には、数時間前の血の惨劇も、不来方との決別も、すべてを過去の塵として踏み越えた者だけが持つ、凄絶なまでの安堵が揺れている。「……千隼」 私は手すりを掴んでいた指先を解き、彼の方へと向き直った。 千隼は、習慣のように、あるいは主に対する絶対的な儀式のように、その場に膝をつこうとする。大きな身体がゆっくりと沈み込み、大理石の床に膝頭が触れる、その寸前。 私は、彼の左腕の袖をぐいと掴み、強引にその動作を制止した。「あっ……」 千隼の喉から、間の抜けた音が漏れた。 驚きに見開かれた瞳が、私の顔を捉える。 私は掴んだ腕にさらに力を込め、彼を再び直立させた。「今日は、隣に立って」 短く、断定するような響き。 千隼の喉仏が、大きく上下に動いた。戸惑いと
夜風が、二人の正装を乱暴に揺らした。 祝宴の喧騒は、もうほとんど聞こえない。 あるのは、重なり合う二人の鼓動の音だけ。 どれほどの時間が経っただろうか。 私は千隼の腕の中で、わずかに身じろぎをした。 名残惜しそうに腕を解く彼を見つめ、私はゆっくりと立ち上がった。 身体に残る重厚な着物の重みが、今度は「誇り」として感じられる。「……千隼。そろそろ行きましょう。祝宴はもう十分よ。二人だけで、ケジメをつけなきゃ」「どこへ?」 千隼が顔を上げると、私は彼に右手を差し出した。 彼は戸惑いながらも、その大きな掌を私の手に重ねる。「夜景の見える、バルコニーへ。……そこで、最後にあなたに命令があるの。……三代目としてではなく、久遠咲良としての、本当の命令がね」 私の瞳の奥で、決意の炎がチロチロと揺れているのを、彼は感じ取っただろうか。 千隼は、その白い指先を迷わず掴み、立ち上がった。 夜の帳が、さらに深く降りてくる。 街の灯りは遠く、星さえも見えない暗闇。 けれど、繋いだ手のひらから伝わってくる、この火傷しそうなほどの熱だけが、私にとって何よりも確かな道標となっていた。 二つの影は、一つの塊となって、静まり返った屋敷の奥へと消えていく。 その歩みには、もう迷いも、死への執着も、一欠片も残されていなかった。 ◇ 最上階へと続く階段を上るたび、古い建物の構造が軋むような、微かな音を立てる。 私の草履が板間を叩く、トントンという小気味よいリズム。 千隼は、私の半歩後ろ、影のように、けれど確実にそこに存在してついてくる。 バルコニーへと続く大きな窓が開け放たれていた。 白いレースのカーテンが夜風に膨らみ、幽霊のように舞っている。 私は迷うことなく、外へと踏み出した。 頬を打つ風が、白粉の匂いをさらっていく。 千隼もその後に続き、手すりに手をかけた。 眼下には、宝
私は、千隼の指の間に自分の指を滑り込ませた。 絡み合う指先。逃げ場のない繋ぎ方。 彼は驚いたように目を見開いたけれど、その手は微かに震えながらも、私を離すまいと握り返してきた。「敵を殺すことよりも、ずっと難しいお仕事よ。……飽きたからって、勝手にどこかへ行ったりしないで。死ぬことで逃げるのも禁止。……一生かけて、私の隣で生き続けなさい。これが、三代目としての私の決定よ」 千隼の喉が、ヒュッと鳴った。 私の言葉は、彼から「暴力」という唯一のアイデンティティを奪い、代わりに「生」という最も過酷な義務を課したものだった。 盾として死ぬよりも、伴侶として生き続けることの方が、彼には荷が重い。 けれど、その重みこそが。 空っぽだった彼の内側を、温かい泥のように、ゆっくりと満たしていくのがわかった。「……死ぬための犬ではないなら、俺は、何のために帰ってくればいい」「決まっているでしょう」 私は、絡めた手にぐっと力を込めた。 彼の手のひらにある硬い胼胝の感触が、愛おしくてたまらなかった。「私のところに決まっているわ。……ここは、あなたの帰る場所なのよ。千隼。あなたの魂に繋がれた鎖の先は、いつだって私の手の中にあるんだから」 千隼の視界が、急激に熱を帯びて歪むのがわかった。 砂利の上に、ポツリ、ポツリと黒い染みが広がる。 人を殺す時にすら眉一つ動かさなかった男が、泣き方すら忘れていたはずの身体から、堪えきれない嗚咽を漏らした。「……あ、……ぁ……」 声を出すこともできず、千隼は私の肩に額を押し当てた。 重厚な正絹の刺繍が、彼の頬にある新しい傷をチクチクと刺激する。 私は何も言わず、空いた右手で、彼の硬い黒髪をゆっくりと撫でた。 大きな身体が小刻みに震える。その振動が私の胸に直接響き、腹部の傷が再び疼いたけれど、不思議と痛みは心地よかっ
夜中に帰ってくる龍之介の身体には、常に新しい傷が刻まれていた。 拳の関節は潰れ、背中や脇腹には、刃物で切り裂かれた生々しい傷跡が重なっていく。 そして何より、彼の背中には、巨大な「百足」の刺青が彫り込まれた。決して後退しない、というヤクザとしての決意の象徴。 桔梗は、彼が眠っている間、その禍々しい刺青の輪郭を指先でなぞりながら、何度も静かに涙を流した。 彼は、組織の中で恐ろしいほどのスピードでのし上がっていった。 持ち前の度胸と、喧嘩の強さ。そして何より、状況を瞬時に俯瞰し、敵の急所を的確に突く知略。 単なる暴力装
二人だけの、誰にも邪魔されない世界。 だが、そんなささやかな平穏が、いつまでも続くほど、外の世界は甘くなかった。 ◇ 数ヶ月が過ぎた頃から、龍之介の持ち帰る「匂い」が変わり始めた。 土と汗の匂いに混じって、生々しい鉄の匂い──血の匂いが、頻繁に嗅ぎ取れるようになったのだ。 ある夜、帰ってきた龍之介の右目の上に、パックリと開いた新しい裂傷があった。 「現場で資材が崩れただけだ」と彼は短く吐き捨てたが、桔梗にはそれが嘘だとわかっていた。 傷の形状は、どう見ても鋭利な刃物や鈍器で殴られたものだ。
◇ そして、咲良が生まれた。 産声を上げた小さな赤い塊を腕に抱いた時、龍之介は人目も憚らずに号泣した。 彼は、その小さな指先に触れることを恐れるように、ただ震える手で赤ん坊の頬をそっと撫でた。 「……俺の、娘だ」 その日から、彼はさらに組織の頂点へと近づいていった。 先代の組長が病に倒れ、彼が実質的なトップとして久遠組を切り盛りするようになったのだ。 東京の閑静な住宅街に建つ、高い塀に囲まれた要塞のような豪邸。 そこが、新しい彼らの城になった。 だが、それはかつて桔梗が飛び出し
恐怖はない。 あるのは、絶対的な確信だけ。 あの男は嘘をつかない。「五秒で駆けつける」と言ったなら、世界の理(ことわり)をねじ曲げてでも、彼はここに来る。「抵抗するな、お嬢ちゃん」 一番大柄な男が、嘲笑いながら手を伸ばしてきた。「大人しくしてれば、痛い目には……」(……三、四) 私はナイフを構え、男の頸動脈を睨みつけた。 刺す覚悟はある。 でも、その必要はないと信じている。「おっと、危ない危ない」